ドゥブロブニクとは!アドリア海の真珠!城壁の街の美しさ世界一!狭い路地が一番!
アドリア海の真珠と謳われるドゥブロブニクは、何とも美しい私の大好きな街並みですので、それを紹介します!
私が訪れたのは、まだユーゴスラビア時代で、戦争前でした!
ドゥブロブニクへのアプローチのバスから、眼下に見下ろすその風景に度肝を抜かれ、我を忘れて見入っていました。
ドゥブロブニクの美しさはこの「アプローチから見下ろす街並みの形」が一番美しいのです!!
私はこの街並みの形の美しさに完全に魅了されました!
この俯瞰する街並みの形の美しさがドゥブロブニクの全てです!!
港の街ドゥブロブニクが一目で分かるのがここからの写真で、アプローチ動からまず最初にこの光景が、目に飛び込んできます!いきなりこの景色ですよ、誰もがアッと驚くはず!!

この街の見所は港から入って、中央通りの右側の
階段の狭い路地が一番オススメのです。

路地の味わいや階段や街路灯の美しさやお店作りの美しさが、際立って素晴らしい。
ここは必ず歩いて楽しんで下さい。

次のオススメは、城壁の上の道で、アドリア海への眺望の美しさと、
城壁に囲まれた街並みが上から俯瞰出来て素晴らしい。
この城壁に作られた巧みな路の作りが歩いていて心地よくなる程素晴らしいのです。
城壁に囲まれた回廊からの見下ろしが、この街の美しさが一番よく分かります。
次が街の前に作られた港です—–ドゥブロブニクの美学はここにあります。
ヨットと湾の形と街の入り口の塔が、一体になってドゥブロブニクの美学を作り上げています。
1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇ります。
アドリア海沿岸でも傑出した観光地で、多数のクルーズ船が寄港する他、
地中海各都市とフェリーで結ばれドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっています。
人口は2011年に行われた国勢調査で42,641です。そのうち、約28,000人はドゥブロヴニク市街に居住している。
2001年の国勢調査ではクロアチア人は住民の88.39%を占めていました。
ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、
中世のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、
アドリア海東側では唯一のライバルである都市国家はヴェネチア共和国だけでした。
巧みな外交術と豊富な富に支えられ15世紀から16世紀にかけてはとくに発展しているます。
1970年代、恒久的に戦争による破壊から守るために非武装化されましたが、
1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって
7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙りました。
1921年から1991年[編集]
第一次世界大戦後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が新たに
後のユーゴスラビア王国となるスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の都市となります。
都市の名称もラグーサから公式に現在のドゥブロヴニク変えられました。
第二次世界大戦時にはナチスの傀儡国家であったクロアチア独立国の一部です。
イタリア陸軍が最初に占領しドイツ国防軍はその後、1943年9月8日に占領し始めています。
1944年10月にチトー率いるパルチザンがドゥブロヴニクに入りその結果、
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部となります。
パルチザンは市内に入ると直ぐに約78名の市民に対し裁判無しに死刑を宣告しました。
その中にはカトリックの聖職者も含まれていました。
ユーゴスラビア崩壊[編集]
それまで観光客で賑わっていたドゥブロヴニクへの砲撃は1991年から1992年にかけて続いた。
1991年はユーゴスラビアから相次いでクロアチアやスロベニアが独立を宣言した年で、
クロアチア社会主義共和国は現在のクロアチア共和国へ名称が変わっています。
1970年代の早い段階で、世界遺産に登録されている旧市街地は戦争による惨事から避けるため
非武装化が行われたが1991年の独立宣言後、
ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロによって町は攻撃されています。
今はクロアチア!アドリア海に面する都市!戦争の傷跡は修復された!
私が訪れた昭和54年当時は、クロアチアになる前でユーゴスラビアでした。
戦争で屋根の大半が破壊され、美しい街が壊されてしまうのかと大変心配でしたが、
39年経った今は、綺麗に修復されて安心しています。
私にとって、それほど大事な街と言うことです。
ケーブルカーで山頂から見下ろすドゥブロブニクは、
街の形が手に取るように把握できて、お勧めのポイントでもあります。
やはりこの街の美しさは俯瞰する美学にあるようです。
これがケーブルカーで見下ろしたドゥブロブニク。城壁に町の形がよく分かります。

ドゥブロブニクはアドリア海に面する南クロアチアの都市です。
16 世紀に完成した巨大な石の壁に囲まれた独特な旧市街で知られています。
バロック様式の聖ブレイズ教会、ルネサンス様式のスポンザ宮殿、
現在は歴史博物館になっているゴシック様式のレクター宮殿など、
保存状態のよい建造物がいくつも残っています。
石灰岩で舗装された歩行者専用のストラドゥン通りはプラカとも呼ばれ、商店やレストランが軒を並べています。
「ドゥブロブニク観光には何日必要ですか?」
「ドゥブロブニクには何泊がおすすめですか?」というご質問をよく頂戴いたします。
おすすめの滞在日数は「ドゥブロブニク何をするか?」「各スポットをどれくらいじっくり楽しみたいか」
にもより異なると思いますが、一般的な観光・散策のスピードなら丸1日あれば、
ガイドブックに載っている主要な観光スポットを網羅することができるでしょう。
景色をゆっくり楽しんだり、博物館をじっくり見学したとしても、丸2日あれば十分です。
3日以上滞在するなら、ぜひビーチやホテルのプールでリゾート気分を楽しんだり、
日帰りで近郊の町に出かけてみてください!
ドゥブロブニクからなら、クロアチア国内のみならず、
隣国ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルやモンテネグロのコトルに気軽に日帰り旅することができます。
イタリアからクロアチアへ行くのが安くてベストです。
ミラノ-ドゥブロブニク間はイージージェットやブエリング航空
(どちらも残念ながら日本語サイトは無し)などでチケットを購入すると往復で8000円程で購入することが可能です。
※今回(2/18時点)探した航空券の中で最安は往路28.99€、復路45.36€ 計約9331円でした(イージージェット航空)
5万円より安く行ける可能性もあります。この組み合わせで航空券を購入すると、航空券代は43897円+9331円=53228円!
そう、53228円で、東京とドゥブロブニクを往復できちゃいます。
今回は正規運賃ですが、セールなどを組み合わせればもっと安く行けます。
現地での物価が高い分、航空券を上手に節約してお得に旅を楽しんじゃいましょう。
次回は世界で一番奇麗な海岸と、そこに格安で行く方法についての記事を書かせていただきます。
この街の美しさや楽しさは、この階段のある路地にあります!
今日は私の大好きなドゥブロブニクを紹介しました。
世界一綺麗ですので是非訪れてみて下さい。
階段のある路地と城壁は必ず歩いて下さい。
ケーブルカーで見下ろすドゥブロブニクも、お忘れなく!
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