
こんなデカイズガニをとって育ちました!
故郷は自然が豊かな天城育ち!やがて野生感覚が開花!狩野川と天城山に育てられた!
私が生まれ育ったのは伊豆の天城です。
天城は自然が豊かで、その中で育ち—–自然児そのものの子供時代でした!
美しい天城山麓が聳えている、その麓で生まれ育ちました。
天城山の内側には狩野川が流れていて、その流域のおがげで尚、一層自然を豊かにしています。
天城山は連山で、最高峰は万三郎岳で標高1406mで、伊豆半島の中央部にその山脈はあって、馬蹄形のU字形をしていて北を向いています。
山脈の中央部に万三郎岳と万二郎岳が聳え立ち、東に遠笠山、西に達磨山が立ち並び馬蹄形を形成しています。
天城山は深田久弥が著した山岳随筆の百名山にも指定されている、優雅な姿が美しく伊豆を代表する象徴的な山脈です。
主峰である万三郎岳から遠笠山にかけて、群生する伊豆半島固有種の「アマギシャクナゲ」が
見頃を迎えるのは5月中旬から6月上旬にかけてで、山々を彩り、その美しさに心を打たれます。
天城の山々はこのように穏やかで、中央を狩野川が流れる。

これが天城連峰で、この麓で育ちました!
馬蹄形の天城山脈の中央を流れる狩野川は、天城山に降った多くの雨を集めて
清流となって河川を形成する、我が「心の故郷」といっても過言ではありません!
私はその狩野川で育てられたのです。
当時の狩野川は、史上最強の狩野川台風以前で川は河畔林が生い茂り豊かな自然に包まれた—–
少年の憧れの遊び場が、今とは全く違って、実に豊富でした!
狩野川は鮎の宝庫、アマゴの宝庫、ズガニの宝庫、天然ウナギの宝庫と数え上げるときりがないほど豊かです。
鮎の友釣りは狩野川が発祥の地で、又アマゴは尺アマゴの棲息する憧れの清流で、
小さな小川でも尺アマゴが悠然と泳ぐ—–その様に少年の心が鷲掴みにされたのです。
狩野川のズガニはモクズガニのことで、その様は「川の王者」の雰囲気を醸していて、
少年はその王者の姿が好きで堪らなかった!
こんな凄いのは狩野川だけでしょう!

これが狩野川のズガニです!これの炊き込みご飯は応えられない美味しさで大好きでした!
こんな川で育つのですから自然児になるのは当然の成り行き!
夏といえば一日中狩野川に入り浸りで、鮎やアマゴを追いかけていて、それはそれは楽しい川遊びが出来ました!
その頃の私は「勉強嫌いで、ガキ大将」で遊び場は、川と山との自然の中だけが得意分野。
母親にいつも「勉強をシロ」と、怒鳴られていました。
勉強嫌いで、ガキ大将!うなぎを取ったりズガニを取ったりメジロを取ったりが日常!
だが川での魚取りもは誰にも負けなっかたし、野山を駆け巡りメジロ取りは名人級で鳥籠には多いい、
時には5羽を飼っていて、それを友人に分けていました。
自然薯掘りでは我が家の山に、豊富な自然薯が生えていて、その自然薯を見つけて掘り出すのは、
そう簡単ではありませんが、腕前はかなりのもので、いつも傷のない状態で掘り出していました。
ウナギの仕掛けもよく研究していて、どこに仕掛けを掛ければウナギが取れるかが、
川を見れば瞬時にわかるツワモノ—–そんな少年でした!
こんなデカイのが掘れたのが嘗ての、伊豆の我が家の山です。
今はイノシシに食べられて全滅。

この自然薯掘りは得意でした!
本当に今、考へても全く勉強をしなかったし、尚且つ勉強が出来なく成績も悪かった。
今述べたように母親からは叱られっぱなしの毎日で、だか野山を駆け巡り、
狩野川に入りビタリすると別人—–生き生きとした私そのものが、現れるのでした。
狩野川があったからこそ、天城山があったからこそ、今の私があるのだと思います。
やはり自然は偉大で、どうしようもない自分が成長出来た—–こんなフィールドが無ければ、今の自分は無いのです。
このような少年時代の成果が、その後の渓流釣りにずいぶん役立っていました。
2003年に渓流釣りを始めたのですが、その年に私が良いと思った主立った河川の全てを制覇しています。
それだけ渓流釣りに熱中していたのかが、よくわかります。
一年間にこれだけ集中できるのは、やはり狩野川で育った経験があるからこそ出来たのではないでしょうか。
狩野川で育ったと言いますが、釣りをしていたのは、ほんの遊び程度で、本格的に釣りにのめり込んだのは、
2003年でそれが出来得たのは、素晴らしい自然の中で育った「自然児の持って生まれた野生感覚」なのでしょうか!
今思い出しても又、日記を見ても釣りの日程で埋め尽くされています。
その私にいつも付き合ってくれた、辻垣さんや他の人達に感謝いたします。
それほど2003年の私は渓流に狂っていた、紛れもない2003年です。
今では、豊かな狩野川と天城山に感謝感謝です!
また親友の辻垣さんにも感謝感謝です!

これは今の我が家で生まれたシジュウカラの雛!
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