No.5が ひらいた世界!シャネルがフランスのカンボン通りのブティックで公表した「No.5」は、新時代を到来させる意思!

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No.5が ひらいた世界!シャネルがフランスのカンボン通りのブティックで公表した「No.5」は、新時代を到来させる意思!

No.5が ひらいた世界!シャネルがフランスのカンボン通りのブティックで公表した「No.5」は、新時代を到来させる意思!

 

「第九」と聞くと、あの崇高な合唱が脳内に流れ、一生が終わるとの感慨が生まれる。

9という抽象度の高い数字から心の奥に深い世界が広がるのだ。

「No.5」もまた、そっけない数字からなる

その名を聞くだけで脳内に万華鏡のような世界が展開する。

5。

この100年間の文化史を凝縮して抽象化したような数字に見えてくる。

100年前の1921年5月5日、シャネルがフランスのカンボン通りの

ブティックで公表した「No.5」は、新時代を

到来させる意思を込めた、一つの宣言の役割を果たしていた。

シンプルな数字とブランド名だけを冠した、コード破壊的なネーミング。

幾何学的なボトルはアールデコ風に研ぎ澄まされ、

上から見るとパリの象徴、ヴァンドーム広場の形だ。

時代とパリを制したしシャネルの勝利宣言にも映る。

形ばかりではない。香りそのものも従来の前提を覆した。

単一の花の香りではない。

上質なジャスミン、

ローズ、

イランイランなど多種類のエッセンスを

ふんだんに使いつつ合成香料アルデヒトで統合する。

人工的な香料を用いたのも画期的だった。

結果、成分を特定しがたいミステリアスな「女の香り」が立ちのぼる。

女性は単一の花に例えられるほど単純な生き物ではなく、

世間に向き合う態度はむしろ媚=こ びず謎めいていた方が魅惑的だ。

ガブリエル・シャネル(通称ココ・シャネル)が

ガブリエル・シャネル(通称ココ・シャネル)!

考える新時代の「美」のビジョンの結晶である。

マーケティングも当時の常識の逆を行った。

意図的に露出は抑え気味にし、フランスでは40年前まで広告しかなかった。

口コミで特徴的に語られる方がラグジュアリーとしての価値が高まったのだろう。

戦略の転機は34年、米国で初めてNo.5単独の新聞広告を掲載した時だ。

37年にガブリエル本人が香水のモデルとしてファッション誌に登場する。

彼女は自由と自立を手にしたパリの先進的な女性して米国でも有名だった。

香水の小瓶は米国の駐屯地でも販売され、洗練された

都市パリの象徴として兵士は故国の妻や恋人への贈り物にと、行列を作って買った。

50年代以降は、時代を代表するセレブリティと

共犯関係を結ぶかのようにイメージを増幅させた。

1950年代に撮影されたポートレート!

54年、マリリン・モンローは宣伝を頼まれたわけでもないのに、

何を身につけて眠るのかと聞かれ、「No.5」と答えた。

結果としてこの問答がNo.5の神話化に貢献し、

モンローはこのエピソードとともに語られる伝説となった。

その後も、香水のモデルとして起用された時代の顔、

例えがカトリーヌ・ドヌーヴ、

キャロル・ブーケ、

オドレイ・トトウ、

ブラッド・ピッド、

マリオン・コティヤールらが

No.5に新たな意味を与え続け、彼らもその

経験で得た箔をさらなる飛躍のバネとしている。

 

 

一つの香水が100年間、ラグジュアリーな価値を維持しながらもトップセラーとしての地位を保つのは稀有なことだ。なぜそれが可能だったのか!

一つの香水が100年間、ラグジュアリーな価値を維持しながらもトップセラーとしての地位を保つのは稀有なことだ。なぜそれが可能だったのか!!

 

No.5はニュヨーク近代美術館にもそのユニークな価値を評価され54年に収蔵され、

アンディ・ウオーホールが作品のモチーフにしたことでアートなアイコンにも昇華した。

生誕100年の2021年、フランス郵政公社から記念切手が発売された。もはや文化遺産だ。

一つの香水が100年間、ラグジュアリーな価値を維持しながらも

トップセラーとしての地位を保つのは稀有なことだ。なぜそれが可能だったのか。

シェネルの香水系商品部門と時計宝飾部門グローバル・クリエイティブ・リソース・ディレクター

でもあるトマ・デウ・プレ・ドゥ・サンモー氏は「どの時代も存在感を放つために重要なことは

オリジナルなクリエーションに忠実でありながら、そのストーリーを時代に合わせていくこと。

ストーリーを伝える方法は変わり続けています」と説明する。 

例えば今春、人気漫画「約束のネバーランド」の原作者、

白井カイウさんや作画家、

出水ぽすかさんと協業し、

日本で開いた展覧会もそうだろう。

No.5も登場する描き下ろしの新作が、

豊富なシャネルのアーカイブ資料とともに展示され、新たなファンを獲得した。

時代にも応じた柔軟な戦略でNo.5を守り抜くシャネル社は、

ファッションブランドとしての強さも突出する。

1月、米宝飾大手ティファニーが仏高級ブランド最大手

LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン傘下に入ったことも記憶に新しいが、

ハイブランドが続々と巨大コングロマリットに統合されるなか、

同社は非常場企業として独立を保ち、利益を上げている。

どのようにブランドをコントロールしているのか。

シャネルの最高財務責任者、フヒリップ・ブロンディ氏は語る。

「ブランドのコアな価値は、歴史的にもその卓越した創造性に基づいてきました。

世界中のカルチャー、

アート、

クリエイティビティ、

職人技を奨励し、

そういった人材、

研究開発に多大な投資を行っています。

事業の中心にあるのは、世界にプラスの影響を与える

自由なクリエーションと人間の潜在能力の開発です」

改めて創業者のガブリエルが潜在能力を

開花させた原始的な感情の思いを馳せる。

彼女がデザイナーとして一貫して行ったのは、抵抗とリベンジだ。

どんなに裕福になろうとも修道院育ちの自分を受け入れなかった階級社会。

男性の庇護がなくては生きてゆくことが難しかった男性優位社会。

自身がデザインしたコートを纏ったココ。 Photo: Horst P. Horst!

ガブリエルはそんな社会に抵抗し、女性を窮屈に閉じ込めていた

価値観をことごとく打破し、優雅なリベンジを果たしたのである。

新しい時代を宣言したNo.5を含む数々のイノベーションは、

結果として、

自身を含む女性が生きやすい時代を後押しすることになったのだ。

没後50年、スイスで眠るガブリエルは今なを、

尽きぬインスピレーションの源であり続けている。  

服飾史家 中野香織。 

写真イラストはシャネル提供、マリリン・モンローはゲッティイメージス。

 

 

8月19日はココ・シャネルのバースデイ。生誕138年、今知るべき8つのモードな秘話!

8月19日はココ・シャネルのバースデイ。生誕138年、今知るべき8つのモードな秘話!!

 

[8月19日はココ・シャネルのバースデイ。生誕138年、今知るべき8つのモードな秘話。]    

8月19日はココ・シャネルの誕生日。今年で生誕138年を迎えた。

No.5やチェーンバッグなど、永久不滅のアイコンから独自の恋愛観まで、

獅子座の女にまつわる8つのモードなストーリーを振り返る。 

※Happy Birthday ココ・シャネル!

新境地を開いた女の人生を輝かす30の言葉もCheck!

「1. 意外に知られてない? シャネルのモードの原点は帽子屋だった。」   

1883年フランス南西部オーヴェルニュ地方出身のココ・シャネル。

幼い頃に母親は他界し、父親とも別れたため、孤児院や修道院で過ごした。

貧しかったココの幼少時代は、貧富の差に苦しんだり、悔しい思いをしたり。

しかしその思いを力に変える能力を持っているのがココ。

「私の人生は楽しくなかった。

だから私は自分の人生を創造したの」という

言葉を残している通り、彼女は自分の道を自分で切り開いていく。

将校であるエティエンヌ・バルサンに出会い

彼のシャトーに移り住み、贅沢な毎日を過ごした。

実用性のない帽子や息がつまるようなコルセットなど、

当時のブルジョアたちのファッションに疑問を持つようになる。

「競馬場で女性たちが被っていたのは、フェザーや果物で飾った巨大な帽子。

でも何より我慢できなかったのは、その帽子たちが彼女たちの頭に全く

フィットしていなかったことよ。」

そうして1910年、パリに帽子屋「シャネル・モード」を開くことを実現。

つまり帽子こそがシャネル(CHANEL)のモードの始まりだったのだ!

「2. 女性の生き方を変化させたシャネルの服づくり。」   

ココはもっぱら着心地の良いスタイルや素材を考案し続けた。

第2の肌のようにフィットする服を。

女性の生き方を変化させたシャネルの服づくり!

ジャージーやツイード素材を愛したのも、

しなやかで動きやすい素材だからだ。

中でもこだわったのが袖の取り付けだったそう。

何度もつけては位置を変え、また取りはずしては

元の位置に戻し、そうやって1番動きやすいスタイルを生み出してきた。

「私は生き生きと行動する女性のための服を作ったの。

活動的な女性には居心地のいい服が必要でしょう?

腕を自由にあげることができなければいけないわ」と話している。

無駄を一切省いた彼女の服の特徴は、大きなポケットにボタンは

最小限、スカートは歩行の妨げにならないデザイン、そして丈は短めが基本だった。

「自由に解き放たれた肉体ほど美しいものは存在しない」という

言葉を残すほど、着心地の良さと快適であることに忠実だった。

彼女のデザインで最も革新的だったのが、ブラックを用いた服だ。

当時、黒い服といえば喪服しかなかった。

しかし彼女は「黒一色にしてみる。

当時、黒い服といえば喪服しかなかった!しかし彼女は「黒一色にしてみる」!

 

たくさんの色を使えば使うほど、女はかえって

醜くなるということにみんな気づかない」と語り、

「黒は全てを含む色。白も同じよ。

共に絶対的な美であり、完全な調和だわ」と黒と白の持つ美しさに絶対的な自信を持っていた。

見事に美しいリトル・ブラック・ドレスは、瞬く間に女性たちを魅了した。

「3. 「No.5」はシャネルのラッキーナンバー。」   

「No.5」はシャネルのラッキーナンバー!

ココ・シャネルを語る上で欠かせないのが香水だ。

ココは「香水をつけない女に未来はない」とまで言い切っている。

1921年に誕生した「シャネル No.5 オードゥ・パルファム 」は、

1から5、

20から24と番号が付けられた

試作品の中で彼女が選んだサンプルがNo.5だった。

シャネルNo.5というシンプルなネーミングもボトルデザインもミニマルで当時革新的だった。

5という数字はココのラッキーナンバーとしても知られている。

彼女は、「きっとこのサンプルは、幸運をもたらしてくれるわ」

と言ったそうだが、それが大当たり!

このフレグランスは1929年、世界中で

ベストセラーになり、今でも時を超えて愛され続けている。

なにせ30秒に1瓶売れているのだから納得だ。

あのマリリン・モンローが寝る時にNo.5を

5滴つけてから寝ていたことでも知られている。

香りまでもモードに変えたココ。

「香水はあなたがキスしてほしいところにつけなさい」と、

女性の存在理由そのものと考えていたようだ。

 

 

チェーンバッグを肩にかけたモデルのリンダ・スピーリングス。 Photo: Arthur Elgort, Vogue 1984!

実用性の追求から生まれた「2.55」バッグ!今でもビンテージから最新デザインまで、時代を超えて愛されているシャネル(CHANEL)のチェーンバッグ!

 

「4. 実用性の追求から生まれた「2.55」バッグ。」   

今でもビンテージから最新デザインまで、時代を超えて愛されているシャネル(CHANEL)のチェーンバッグ。

まさに女性に自信を与えてくれる魔法のバッグだ。

ココが初めてハンドバッグをデザインしたのは1929年。

肩からハンドバッグを下げられるようにレザーのストラップをつけたのが始まりだ。

そのアイデアの根源はなんともココらしく斬新でモダンな考え方から生まれている。

「ハンドバッグを手に持っていることにうんざりなの。

疲れるし、よく失くしちゃうんだもの。

だからレザーのストラップをつけて肩から下げたの。

そしたらみんながマネしたわ」と語っている。

彼女は女性の両手を解放することに成功したのだ。

そして1955年2月、チェーンストラップを通すための

鳩目を取り付けたショルダーバッグ「2.55」が誕生した。

「5. パールとダイヤモンドへの強い想い。」 

パールとダイヤモンドへの強い想い!  

パールなくしてココ・シャネルの服は語れないと言っても過言ではないほどパールは重要な存在だ。

シャネルスーツのシンプルさや気難しい黒のエレガンスさを何よりも引き立ててくれるのがパールなのだ。

パールをこよなく愛した彼女は、「私のパールを探しにいってらっしゃい。

パールを首に纏わないうちは、アトリエにはいきません」と断言していたほど。

本物のパールとイミテーションを混ぜ合わせて何重にも重ねて楽しんでいたのは有名な話だ。

そんな彼女が1932年、ファインジュエリーコレクション

「Bijoux de Diamants(ダイヤモンド ジュエリー)」を初めて発表した。

「私は女性を星々で覆い尽くしたかった」と話すココ。

永遠に変わることのないダイヤモンドは、彼女が愛した宝石のひとつだ。

「私がダイヤモンドを選んだのは、最小のボリュームで最大の価値を表現しているから」と残している。

「まるでリボンをつけているように女性にジュエリーを身につけて欲しかった。

私のリボンはしなやかで取り外せるものよ」と話すに、

彼女がデザインをしたジュエリーは、

しなやかで軽く、

シンプルで身につけやすいものばかりだ。

「6. 洗練された男性のスタイルがカメリアの誕生につながる。」   

シャネル(CHANEL)の象徴ともいえるカメリアの花。

シャネル(CHANEL)の象徴ともいえるカメリアの花!

もちろん、彼女のお気に入りの花であった。

19世紀半ばに多くの女性がこのカメリアに夢中になり、

誘惑の象徴やエロティシズムを示唆するサインとして愛したという。

しかし誕生秘話は意外なものだった。

フランス人作家のマルセル・プルーストがジャケットの胸に

つけているのを見て、彼女も真似をして

自分のジャージースーツにつけたのだとか。

洗練された男性たちの服装から多くの

アイデアを得ていたとは、さすがココならでは柔軟な発想だ。

「7. 「花を贈って」恋多き女が貫いた恋愛哲学。」   

恋多き女性として知られているココは、大富豪から芸術家まで、

かなり幅広い職業の男性と付き合い、女を磨いてきた。

彼女が男性たちから掴み取ってきたものは、

センスやライフスタイル、教養など数知れず。

彼女を見ていると、

「恋愛とは結局ステップアップにつながるものでしょう?」と言わんばかりだ。

嫉妬はしない、

おねだりもしない。

いわば、男性に依存しない恋愛スタイルを貫いた。

そんな彼女が、「彼は私の人生に舞い降りた最高の幸運だった」と

語るほど愛したのが、イギリス人実業家のアーサー・カペルだった。

滅多に甘えない彼女だが、ある時「花を贈って」とおねだりしたそう。

彼はすぐさま花を贈り、さらにその後30分毎に花を届けるという

ロマンティックな行動を2日間に渡り行ったというのだから驚きだ!

「8. 香水でエレガンスを極める。」  

 香水でエレガンスを極める!

ココが纏ったフレグランスは、晩年彼女が過ごした

ホテル・リッツ・パリとカルボン通りの間わずか

数100mの道を歩くと残香が漂っていたという逸話がある。

1954年、71歳のココ。 Photo: Everett Collection/AFLO!

なにせ彼女のつけ方は、

スカートをはいて1吹き、

下着をつけて1吹き、

ブラウスを着て1吹きがお約束だったようだ。

「上着を置き忘れると、すぐにそれが私のものだとわかるの」とも語っている。

「フレグランスはその人の個性よ。

だから何より自分にふさわしい香りを選ぶことが大切」というアドバイスに習って、

あなたにピッタリのフレグランスを「私ってこんな女性なの」と

言わんばかりにつけてみるのもアリかもしれない。    

VOGUE より。

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。