鮮烈な赤や藍が美しいインド更紗!海を渡る更紗・上!クリシュナ物語図模様更紗!

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鮮烈な赤や藍が美しいインド更紗!


鮮烈な赤や藍が美しいインド更紗!海を渡る更紗・上!クリシュナ物語図模様更紗!

 

木綿ふに染め上げられた鮮烈な赤や藍が美しいインド更紗は、

大航海時代にヨーロッパの国々に「発見」されると、

異国情緒溢れる魅力に世界が夢中になった。

更紗を広げてみれば、東西にまたがる人と物の交流の歴史があやなしている。

[一枚の布を染色・高度な技に驚嘆] 

聖なる川ヤムナにレンゲが咲き、亀やカニ、魚が遊んでいる。

地上にはゴビと呼ばれる牛の乳搾りの女やゴパ=牛飼いの男、

そして牛、ゾウ、クジャクなどの数多くの動物が所狭しと並ぶ。

ここに掲げた「クリシュナ仏語図」は18世紀に作られた「ピチャヴァイ」と呼ばれる更紗の布だ。

クリシュナとはヒンドゥー教三大神であるヴィシュヌの化身のこと。

この布には伝統的に青い身体で表されるクリシュナをめぐる六つの物語が描かれている。

目を引くのが中央上部で横を向いて笛を吹くクリシュナだろう。

髪が奏でる音色に人や動物だけでなく、天空の神も引き付けられ、集まってきている。

クリシュナを取り巻くゴピ達は、色とりどりの衣装をまとい、

神に気に入られようと一生懸命なようだ。

右下には水浴びをするゴピの衣装を奪って、 樹上に逃げたクリシュナがいる。

足元に木に縛り付けられたサリーを返して欲しいと懇願する女たち。

右上ではクリシュナが敷物の上に座って妻のラダと語らう様子が見える。

よく見るとゴピの衣装や敷物に描かれているのも更紗の文様だ。

ゴピ金文更紗!

一枚の大きな木綿布に生き生きと散りばめられた生き物たち。

豊かな色使いが目に楽しい。

ぎっしりモチーフを描き込みながら、全体として均整の取れた構図に仕上がっているところに、

当時の絵師たちの確かな技術が見て取れるだろう。

ピチャヴァイはクリシュナを主神とあがめる一派によって、

様々な祭りや儀式の時に本尊の後ろに掲げられた。

掛け布のほか、天井に張る天蓋や階段に敷く布など様々な用途の布がある。

プリント技術の発達した現在、こうした布を見ても驚く人は少ないのかもしれない。

しかしヨーロッパ人が新大陸の「発見」を夢見てこぞって

アジア、アフリカ、アメリカに漕ぎ出した15-17世紀、

遠く離れたインドで初めて目にした更紗の美しさは大きな衝撃を与えた。

 

 

これはゴビ金文更紗!


織物でここまで多色多彩布を作るのは至難の業!木綿の染織り!!

 

当時のヨーロッパは布といったら麻や織物が中心だ。

木綿を美しく染める技術は発達しておらず、

織物でここまで多色多彩布を作るのは至難の業だったろう。

特にインドの更紗に見られる鮮やかな赤は他のどの地域にも存在せず

ひとたびヨーロッパにもたらされると人々の羨望を集めた。

王侯貴族や富裕層が血眼になって探し求めたという。

日本語で更紗と呼ばれる布。

厳密な定義はあるだろうか。

染織りの歴史や特徴に詳しい日本女子大学の名誉教授の小笠原肥田さんに尋ねると

「一語で説明するのは非常に難しい」との答えがか帰ってきた。

というのも更紗とは、特定の染めの技術を指すものでもなければ、

特定の国で作られた布を指すものでもないからだ。

あえて言うなら「近世初頭17世紀前後から江戸時代を通じて

日本に舶載された外来の模様を染め布の総称」という。

その中で質量ともに圧倒的に他を凌ぐのはインド更紗だが、

他にもインドネシアに伝わったジャワ更紗屋台のシャム更紗、

これはジャワ・パティックの一例です。

後にヨーロッパで造られるようになった銅版更紗、

そうした布をまねて日本で作った和更紗までありとあらゆる布が含まれる。

唯一共通点と言えるのが主として木綿に模様が染められていることだ。

インドで模様染が始まった詳細な時期は不明だが、木綿の染織りのそのものの歴史は古い。

特に茜染に関しては紀元前2000年に遡るインダス文明のモヘンジョダロの遺跡から、

媒染剤を使って染めた木綿布が発見されている。

その後、どのように伝わったのかは明らかでないが、紀元後まもなく地中海地域で、

すでにその色落ちしにくい堅牢な染織りの美しさが知られていた。

模様落ちに欠かせないもう一つの技術が、模様部分を蝋で防染するろうけつ染めだ。

こちらはインド中部のアジャンター石窟群壁画で女性の頭巾に描かれている。

小笠原さんはろうけつ染を使った藍染めと、媒染剤による茜染の技術を受け継ぎ、

インドで鮮やかな更紗染の技術が発達していったと分析する。

 

 

これは辻村節子作品!!


ムガル帝国・複雑な刺繍と同様高く評価!生命の樹・直立する樹・うねる樹・渦巻く樹・絡み合う樹!!

 

[衰退化から再評価・一族が歴史紡ぐ] 

インドでは王侯貴族から庶民まで欠かせない布だった更紗。

最も栄えたのはムガル帝国16-世19紀 の時代だった。

たとえば藍地に菌が眩しい下のぜいたくなピチャヴァイは18世紀のものだ。

粘着力のあるのりで模様を手描きしたり、

型で押したりした後に、金箔や銀箔、雲母をまいて作っている。

箔押しはインド古来の技法ではなく、ムガル帝国の時代にペルシャからもたらされた。

手間がかかるため、複雑な刺繍と同様高く評価された。

思考を凝らした更紗はピチャヴァイのような祈りの布のほか、

王や貴族などマハラジャの宮殿を飾る布、戦争や狩のときに使う巨大なテントの掛布として作られた。

文様はイスラム王朝であるムガル帝国のもと、ヒンドゥー教の物語だけでなく、

ペルシャや中国風の意匠が取り入れられていく。

よく見られるのが「生命の樹」と呼ばれる意匠だ。

グラフィックデザイナーで、アジアの図像学にも詳しい杉浦康平さんの

著書「生命の樹・花宇宙」NHK出版 によると、生命の樹は次の4つに大別できる。


  1. 幹が天空に向かって真っ直ぐ立ち上がり枝葉をしっかり張り出した「直立する樹」 
  2.  幹が右に左にゆらめいで立ち上ってゆく「うねる樹」 
  3.  それがさらにさらに発展して唐草模様のように渦を巻く「渦巻く樹」、そして
  4.  二つに分かれた幹が互いに絡め取るようにねじれる「絡み合う樹」――-だ。

直立する樹を描いた左の掛布を見れば、

ペルシャ絨毯を思い浮かべる人も多いだろう。

それもそのはずだ。

杉浦さんはこうした掛布はイスラム寺院であるモスクで聖地メッカを向いた

壁の中央に設けられる「ミフラーブ=聖龕 せいがん」 の形に通じるものだと指摘する。

イスラム教とはミフラーブの装飾を写し取って礼拝に使う絨毯に仕立てた。

インドではその意匠を更紗に転じたので、二つが似ているというのは当然というわけだ。

これはインド更紗!!

生命の樹のモチーフはインドから欧州や日本に湯質されるのに従って、

輸出地の好みを取り入れたデザインに移り変わっていった。

白地に小さくて可憐な花が咲き誇るヨーロッパ向けのものや、

中央にメダイヨン=円筒装飾紋 を施した通等向けのものが有名である。

さて、世界中で愛されたインドの更紗はどうやって作られていたのだろう。

残念ながらのそ詳しい製法はわからない。

媒染方法などを記した当時のヨーロッパ人による記録はあるが、

そのとうりに試しても鮮やかな藍染は再現できなかった。

むしろヨーロッパでは産業革命によって機械によるプリント布の大量生産が発展。

イギリスの植民地であるインドに、

そうした技術の輸出が始まったため、手作業による更紗染は衰退していった。

当時と全く同じとは言えないかもしれないが、

今も手描きの更紗を作り続ける人たちがいると聞いて、

「更紗」誠文堂新光社 WOまとめた田中敦子さんをたづねた。

田中さんは2014年に型染めなどいくつかの工場を訪問。

その中に一つ、西部グジャラート州の商都アーメダバードで手描きの更紗に出会ったという。

その小さな工場は新市街ワサナ地区にあるビルの谷間にあった。

元はインドのノマドで、染織りをなりわいにする

チッタラという一族がいつしかここに定住してインド人が使う布を作ってきたらしい。

使われるのは「カラム」と呼ばれるペンで、

この地域では竹の棒の先をとがらせて、さらに歯でかみしだいたものを使う。

染料が定着しやすいように下地染めした木綿に、

錆びた鉄と黒糖を水に浸して発酵させた鉄しょうで輪郭線を書く。

媒染液と微妙な配合で組み合わせた草木染めの染料を使い、赤、青、ピンクとカラフルな色を付けていく。

線の細さによってカラムを使い分け、動物や植物をぎっしりと描き込んでいくのは時間のかかる作業だ。

下地に媒染液を塗る作業は子供達も手伝い、家族で布を仕上げていく。

「決して豊かな暮らし向きではないが、みんな楽しそうで、

誇りを持って仕事に取り組んでいる」と田中さん。

近年は美術品としての評価も高まり、政府から名匠として認定される人もいるという。  

岩本文枝 日経新聞記事より。

 

 

これがゴビ文金更紗!


紺地クリシュナ・ゴビ文金更紗!白地立木鳥獣文様更紗!!

 

初期のクリシュナ崇拝は神としての信仰でないもの、

例えばクリシュナ・ヴァースデーヴァ(英語版)信仰、バーラ・クリシュナ(英語版)信仰、ゴーパーラ(英語版)信仰を含み、

これらは早ければ紀元前4世紀までさかのぼることができる。

[概要]  クリシュナはヴィシュヌ派の一派、ガウディーヤ・ヴァイシュナヴァ派(英語版)では

最高神に位置づけられ、他の全ての化身の起源とみなされている。

「クリシュナ」(Kṛṣṇa)という名前は「黒い」、「暗い」、「濃い青の」という意味の形容詞でもある。

ヒンドゥー暦では満月から新月、すなわち月が欠けていく半月をクリシュナ・パクシャ(Kṛṣṇa-paka)と呼ぶが、

この「クリシュナ」は「暗くなる」という形容詞に関係している。

クリシュナは彼の特徴を反映する多くの異名、称号を持つことでも知られている。

上の二つは紺地クリシュナのゴビ文金更紗とクリシュナ神のゴビ文金更紗です。

良く知られているものではモーハナ(英語版)(Mohana、魅力的な者)、

ゴーヴィンダ(英語版)(Govinda)、ゴーパーラ(英語版)(Gopāla、牛飼い)、

マーダヴァ (英語版)(Mādhava)、ダーモーダラ(Dāmodara)、

ウペーンドラ(Upendra、インドラ神の弟)などが挙げられる。

またインド東部における「ジャガンナート」のように地域ごとに特別な意味をもつ異名も存在する。

約16000人もの妃がいたことで知られる。

別名をダーサ(dāsa、奴隷)ということや、肌の色が黒いことから、元来アーリア人ではない土着の神格である。

ヤーダヴァ族の指導者だった人物が、死後神格化されたものとみなされている。

[偶像に描かれる特徴] 

その名の通りクリシュナの肌の色は通常黒、

または暗い色と表現されるが、彫像や現代の絵画では青い肌で表現されることが多い。

多くの場合少年または青年の姿で、独特のくつろいだ様子で立ち、横笛(バーンスリー)を演奏する様子が描かれる。

神話に語られるエピソードの一場面を切り取った描写も多く、

例えばバターを盗む幼児の姿、山を持ち上げる姿、アルジュナの御者を務める姿などが挙げられる。

また、額に刻まれているUの文字はヴィシュヌ神を表している。

地域によって独特なクリシュナの表現を持つ場合がある

例えばオリッサ州のジャガンナートやマハーラーシュトラ州のヴィトーバ(英語版)

、アーンドラ・プラデーシュ州のヴェーンカテーシュワラ(英語版)、

ラージャスターン州のシュリナートジー(英語版)などがある。

[文学的起源] 

クリシュナの行動を記録する最も初期の媒体は叙事詩『マハーバーラタ』である。

この中でクリシュナは、ヤドゥ族の長ヴァスデーヴァの息子。

バララーマの弟。

ヴィシュヌの化身として主要人物の一人として登場する。

その中の『バガヴァッド・ギーター』では主人公アルジュナの導き手として登場する。

また『バーガヴァタ・プラーナ』ではクリシュナ伝説が集成されている。

有名な愛人ラーダーとの恋については詩集『サッタサイー』が初出であり、

ジャヤデーヴァの『ギータ・ゴーヴィンダ』はインド文学史上特に有名である。  

以上はウイキペディア。

 

 

ペルシャ更紗のテーブルクロス!


インド更紗・ジャワ更紗・ペルシャ更紗・シャム更紗!!!

 

更紗(サラサ)は、インド起源の木綿地の文様染め製品、及び、

その影響を受けてアジア、ヨーロッパなどで製作された類似の文様染め製品を指す染織工芸用語。

英語のchintzに相当する。

日本ではインド以外の地域で製作されたものを、産地によりジャワ更紗、ペルシャ更紗、和更紗などと称している。

[概要] 

日本で「更紗」の名で呼ばれる染織工芸品には、インド更紗のほか、

前述のようにジャワ更紗ペルシャ更紗シャム更紗など、

これはペルシャ更紗です!

さまざまな種類があり、何をもって「更紗」と呼ぶか、定義を確定することは困難である。

一般にはインド風の唐草、樹木、人物などの文様を手描きや蝋防染を用いて多色に染めた木綿製品を指すが、

日本製の更紗には木綿でなく絹地に染めた、友禅染に近い様式のものもある。

更紗の特色は、その鮮烈な色彩や異国風の文様とともに、木綿という素材を用いること、

及び、「織り」ではなく「染め」で文様を表していることにある。

日本の染織工芸史を通観すると、

正倉院宝物の染織品には絞り染め、板締め染め、蝋防染、木版などを用いた染め文様が多く見られるが、

これが木版更紗で、実に綺麗な文様です。

その後平安時代から中世末までは「織り」による文様表現が主流となっていた。

しかし、更紗の渡来によって「染め」の文様表現が再び盛んとなり、後の友禅染などの隆盛につながっている。

「異国風」の文様表現のみならず、素材としての木綿も中世末から近世初頭の日本においては目新しいものであった。

それまでの日本の衣料の素材としては絹と麻が主流であり、木綿は普及していなかった。

『日本後紀』によれば、綿の日本への渡来は799年(延暦18年)のことで、

三河国(愛知県)に漂着した「崑崙人」がもたらしたものであったというが、

栽培方法等がよくわからないままに絶滅してしまった。

日本に木綿が再び伝わるのは室町時代末期である。

木綿は丈夫な素材で、保温性、吸水性も高く、衣服の素材として優れている。

米作よりも収益性が高いこともあって、

江戸時代中期以降、日本各地で木綿の生産が盛んになり、広く普及するようになった。

[日本における更紗の受容]  日本では室町時代以降、

中国(明)との勘合貿易によって金襴、緞子(どんす)など、明の高級染織品が輸入された。

こうした輸入染織品は当時の日本で貴重視され、

茶人により「名物裂」(めいぶつぎれ)

と称されて茶道具を包む仕覆などに利用された。

「名物裂」(めいぶつぎれ)と称されて茶道具を包む仕覆などに利用された。

インド産の更紗裂も名物裂と同様、茶人らによって珍重され、

茶道具の仕覆、茶杓の袋、懐中煙草入れなどに利用された。

こうした更紗裂は室町時代から日本へ輸入されていたものと推定されるが

更紗の日本への渡来が文献から確認できるのは17世紀以降であり、

南蛮船、紅毛船などと称されたスペイン、ポルトガル、オランダ、

イギリスなどの貿易船によって日本へもたらされたものである。

中でも、東インド会社を設立し、

インドとの貿易が盛んであったオランダやイギリスの

貿易船によって日本へもたらされたものが多かったと推定される。

「さらさ」の文献上の初見は、1613年(慶長18年)、

イギリス東インド会社の司令官ジョン・セーリスの

『日本来航記』に見えるものである。

対日貿易開始のため日本を目指したセーリスは、

1613年、クローブ号で平戸(現・長崎県平戸市)に入港。

この時、火薬、鉄砲、ワインなどとともに更紗を平戸の領主に贈っている。

こうした、室町時代から近世初期にかけて

日本に渡来した更紗裂は「古渡り更紗」と称されて特に珍重されている。

これは古渡り金更紗です!

彦根藩主井伊家にはこうした古渡り更紗の見本裂が多数伝来し、

「彦根更紗」と通称されている。

「彦根更紗」は現在、東京国立博物館に約450枚が収蔵されているが、

作風から見るとその大部分はインド更紗である。

1778年(安永7年)には更紗の図案を集成した『佐良紗便覧』が刊行されており、

茶人、武家など富裕な階層に独占されていた更紗が、

この時代には広く普及し始めたことがわかる。

現に、近世の風俗図屏風などには

更紗の衣装を着用した人物が描かれたものが散見される。

以上はウイキペディア。

 

 

これはインド更紗の敷物です!


壁掛け、敷物などが主で、赤、白、藍、緑などの地に濃厚な色彩!唐草文はエジプトに起源をもつ古い文様!!!

 

[更紗の語源] 

「さらさ」の語源については諸説あり、決定的な説はない。

インド北西部の港であるスラト(Surat)が語源であるとする説が古くからあるが、

スラト」と「サラサ」の音韻には差が大きく、この説は現代ではあまり支持されていない。

ポルトガル語のsaraçaが語源であるとする説もある。

また、16世紀末のオランダ人、リンス・ホーテンの『東方案内記』に、

綿布の名としてsarasoあるいはsarassesという名称が見え、これが語源であるとする説もある。

「更紗」という漢字表記が定着するのは江戸時代末期のことで、

これも更紗です!

それ以前には「佐良佐」「紗良紗」などさまざまに表記されていた。

1713年(正徳3年)刊の『和漢三才図会』では「華布」と書いて「さらさ」と読ませている。

この「華布」とは「文様のある布」の意である。

また、江戸時代には「更紗」に相当する染織品を「しゃむろ染」とも称し、

「紗羅染」「砂室染」などの字をあてている。

たとえば、1638年(寛永15年)に刊行された『毛吹草』には「紗羅染」の表記が見られる。

シャム(タイ国)方面を経由してもたらされた染物という意味合いで

「しゃむろ染」と称されたものであるが、

現存遺品を見る限り、こうした染物の大部分はインド製である。

[インド更紗] 

インドの染織は2,000年以上の歴史をもつが、

現代に伝わるインド更紗はおおむね16世紀以降の品である。

なお、エジプトのフスタートからは13 – 14世紀にさかのぼるインド更紗が出土している。

製品は壁掛け、敷物などが主で、赤、白、藍、緑などの地に濃厚な色彩で

唐草文、樹木文、ペイズリー文、人物文、動物文などを表す。

このうち、唐草文はエジプトに起源をもつ古い文様で、壁掛け、敷物などの全面に唐草を表したり、

主文様の縁取りに唐草を用いたりしている。

樹木文は、生命の象徴としての聖樹を主文様としたものである。

インド更紗はインド国内向け製品のほか、

インドネシア、シャム(タイ)など各地に輸出されており、

これらの製品はインド国内向け製品とは異なり

、輸出先の地元で好まれるデザインが採用された。

染料としてはアカネ(茜)の赤、コチニールの臙脂(えんじ)色、藍などが用いられる。

コチニールはサボテンに寄生するカイガラムシから得られる動物性染料である。

インド更紗の作風は多岐にわたるが、大別して、

目のつんだ木綿地にカラムという鉄製または竹製のペンのような道具を用いて、

手描きで繊細な文様を表したものと、

やや目の荒い木綿地に主に木版またはテラコッタ版を押捺して文様を表した、

日本で「鬼更紗」と呼ぶものとがある(手描きと版を併用した作品もある)。

前者の製作工程を略述すると次のとおりである。

木綿は耐久性や保温性には優れているが、染料の色が定着しにくい素材である。

また、アカネなどの植物性染料は、明礬(みょうばん)、鉄、灰汁(あく)など、

他の物質と化学反応を起こさせないと、染料単独では発色・定着しないことが多い。

この、化学反応を起こさせる物質を媒染剤といい、

アカネの場合は明礬が媒染剤として用いられる

インド更紗の製作にあたっては、

ミロバランという植物の実を煮沸して作った染汁で下染めした後、

カラムを用いて媒染剤で図案を描く。

これをアカネの染汁に浸すと、媒染剤を塗布した部分のみが赤く染まる。

次に、これに青系統の色を加えるには、

藍で染めたい部分だけを残して、布面に蝋を置く(蝋防染)。

こうして藍染めを行うと、蝋を置いた部分は染まらず、

蝋を置いていない部分のみが藍色になる。

前述の鬼更紗は、アカネ染めのみで蝋防染の工程を省いたものが多く、

文様も手描きでなく木版プリントによるものが多い。 

以上はウイキペディア。

今日はインド更紗について日経新聞の記事を中心に、

これに関することを深掘りして調べてみました。

鮮烈な赤や藍が美しいインド更紗、

その美しさにヨーロッパが夢中になるのも当然です。

織物でここまで多色多彩布を作るのは至難の業だったろう。

特にインドの更紗に見られる鮮やかな赤は他のどの地域にも存在せず、

ひとたびヨーロッパにもたらされると人々の羨望を集めた。

王侯貴族や富裕層が血眼になって探し求めたという。

やはりそれだけの価値がある美しさということです。

更紗(サラサ)は、インド起源の木綿地の文様染め製品ですが他に

ジャワ更紗ペルシャ更紗シャム更紗と多彩です。

これらは壁掛けや敷物が重傷その色彩は鮮やかで美しさで溢れています。

私はここのところアイヌ文様苗族=ミャオ 文様ベマ族文様などの美しい文様に携わってきたことで、

これが先日紹介した苗族=ミャオ族の文様でインド更紗によく似ています!

文様に大きな関心があり日経新聞で「海を渡る更紗」を見た瞬間その美しさに驚愕し、

これを取り上げて投稿しようとなりました。

いつも多くのことに気を配っていないと大事なことを見落としかねませんので、

日経新聞の日曜版が待ち通しい今日この頃です!

日曜版の THE STYLE には私の好きな記事の宝庫で、日曜日が待ち通しく見逃せません!

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私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。