限界を知りともに備える!津波研究の第一人の今村文彦さん!
限界を知りともに備える!津波研究の第一人として巨大津波と向き合ってきた・東北大学災害科学国際研究所所長の今村文彦さん!!
3月11日、東日本大震災から10年を迎える。
津波研究の第一人として巨大津波と向き合ってきた東北大学災害科学国際研究所所長の今村文彦さん。
被災現場に出向き自らの限界を知る。だが、その先にこそ防災・減災のあり方があると信じる。
「津波がこんなに広範に押し寄せた理由は」「人的被害が大きかったのはなぜか」。
2011年4月13日、仙台市中心部にあるトラストシティ カンファレンス・仙台で開かれた
「東北大学による東日本大震災1ヶ月後緊急報告会」には、
誰でも聴講できるとあって多くの人が押し寄せ、立ち見も出るほどだった。
参加した市民や自治体関係者から次々に浴びせられる問いに、
司会者として参加した今村さんは向き合っていた。

東日本大震災の、復興は道半ば!
協力体制の重要性を!東日本大震災で実感!一研究者として全体を把握し、答えを出すことの限界を知る!
今村さんは震源の位置や規模から、津波の高さや到達時間を予測する津波工学を専門とする。
開発した津波予測システムは国連教育科学文化機構=ユネスコ のマニュアルに記載され、
90年代に世界各国で利用されるなど、津波のスペシャリストだ。
だが、東日本大震災はマグニチュードM9.0という国内で観測史上最大の地震と40mの巨大津波、
福島第一発電所の事故が重なる複合災害で、今村さんの想定を超える事態の連続だった。
救命救急、行方不明者の捜索活動、被災者の支援、そして復旧・復興計画作り――-。
一研究者として全体を把握し、答えを出すことの限界を知る。
「お互いが限界を知ることで、真の協力体制が得られる」と今は思う。
3月11日は前日に津波に関する会合があった関係者で東京にいた。大きな揺れを感じそれがだんだん強くなる。
震源が東北だと耳にし、国の緊急対策本部が置かれた内閣府に
駆け込み情報を集めていると、見慣れた景色がテレビ画面に飛び込んできた。
仙台市の沿岸部に津波の第一波が到達していた。
「あそこは誰々さんの家、あれは荒浜小学校だとリアルタイムでわかる状況だった」。
当時は仙台市と連携し防災訓練や防災無線の設置場所の調査など、
災害時の対応を強化しているまっただ中だった。
津波の時は沿岸部に沿って走る高台にある道路を避難場所にする案が浮上しており、
それを知っていた住民自らの判断で動き、300人以上が助かった。
ただ、「きちんと備えることができなかった」との思いは消えなかった。
生まれてから高校まで、山梨県で育った今村さんにとって海はずっと憧れの対象だった。
高校を卒業し、東北大学に進学した。
そして海を満喫するために2年の夏、東北沿岸部をバイクで巡る旅に出た。
仙台市から沿岸沿いに走る国道45号を北上し、岬と入江が入り混じるリアス海岸や断崖絶壁が続く
三陸海岸、下北半島を通り、秋田県の日本海側までの1000km超を走破した。
この旅で、大海原の壮大さや干潮・満潮など地形によって海が表情を変えることを初めて知った。
そして、「山梨生まれとして海を遮るコンクリートの壁や道端にある石碑の多さに違和感を持った」。
「石碑には明治や昭和の元号とともに、「大海嘯」の文字が並んでいた。
そのことが頭から離れなかった。

海嘯とは、河口に入る潮波が垂直壁となって河を逆流する現象である!
海嘯(かいしょう、英: tidal bore)とは、河口に入る潮波が垂直壁となって河を逆流する現象である。潮津波(しおつなみ)とも呼ばれる。
昭和初期までは、地震による津波も海嘯と呼ばれていた。
波形から段波(だんぱ)[1]と呼ばれる形状構造をとっているため、波の前面での破壊力が大きい。
海岸でこの現象が起こるのは、河口が広い三角江であり、発生する代表的な
河川はブラジルのアマゾン川(これを特にポロロッカという)、
パキスタンのインダス川、中華人民共和国の銭塘江、
イギリスのセヴァーン川である。 ウイキペディア。
1983年5月26日午前11時59分秋田沖を震源とする日本海中部地震が発生した。
4年生だった今村さんにとって、この時を境に憧れだった海は恐れる対象に変わり、津波の研究者を目指す原点となる。

津波の被災地の復興は進んでいるのか?
人的被害をおさえるため・現場に赴き調査続ける!!
青森県県から秋田県を中心に最大10m超の津波が襲った。
今村さんは当時、津波研究のパイオニアとも言われる首藤伸夫教授の研究室所属しており、先輩たちは慌てて被災現場に向かっていた。
当時まだ4年生で、研究室に入りたてだった今村さんが現場に入ったのは発災2週間後だった。
特に被害の大きかった秋田北部の沿岸で津波の侵入範囲の測量を手伝った。
現地はヘドロなどが混ざった強烈な匂いが鼻をついだ。
がれきが山積みになったまま、行方不明者の捜索が続いていた。
被害は、森林を超えて海岸から2~3kmも内陸も広がっていた。
死者104人のうち、大半が津波の犠牲だった。
「津波は多くの人の命が突然襲われる災害」だと知るとともに、
「適切な情報を提供して避難すれば人的被害はゼロにできる」と痛感した。
津波警報が発表されたのは地震発生から15分経った後だが、津波は7分後に到達していた。
犠牲者は遠足できていた小学生や工事の作業員、スイスからの観光客も含まれていた。
バイクの旅で見つけた石碑が津波を警告していたと分かった一方で、
そのことが伝わっていないことを身をもって感じた。
これまで国内外で20を超える地震・津波の被害地に出向いた。
東北大学の災害科学国際研究所の所長になった今も現場には今村さんの姿がある。
「1つとして同じ現場はなく、行けば常に新しい発見がある」。
そして連携を重視する。災害研は現在、理工系だけでなく、文系や医学系も含まれる7部門の研究者約100人が所属する。
16年には「災害の発生メカニズム解明・予測」や「広域・複合災害・マルチハザート対応型災害医学・医療の確立」、
「自然災害アーカイブシステムの構築・運用」など部門・分野を超えて対応する体制を整え、複合災害に備える。
災害に関する情報の発信にも力を入れる。
19年8月設立の「3・11伝承ロード推進機構」では代表理事に就任した。
災害伝承施設を登録し、施設を巡るツアーなども企画する。
施設は東日本大震災期にできたものではなく、今村さんが大学時代に
違和感を感じた明治や昭和に建てられた小さな石碑も含まれ、その後は270を超える。
2月13日夜には最大震度6強の地震が発生した。東日本大震災を引き起こした巨大地震の余震だった。
「3・11の震災はまだ終わっていない。風化に向かう社会に対する警告だと感じる」。
知ること、備えることが防災・減災につながる。
今村さんは改めて、震災伝承を推し進めることを誓う。
渡辺絵理 山口朋秀撮影 日経新聞。

いつも片手にはカメラ・キャノンの一眼レフカメラ「EOS」!
いつも片手にはカメラ!My Charge!!
歩くことが日課になっている、早朝や仕事から帰ってからなど、コースや歩数は決めずに家の近所を歩く。
息詰まっている時歩くことに集中すると、「頭の中が空っぽになり、いいアイデアが浮かんでくる」。
遠出した時も時間を見つけて散策する。
東京に出張の際には、決まって隅田川へのアクセスの良いホテルを取り、川沿いを歩く。
下町風情と近代的な建物が混在する風景がお気に入りだ。
そんな風景を「記録と記憶、両方とも残す」ため、常に一眼レフを携えているという。
20年間愛用しているのがキャノンの一眼レフカメラ「EOS」シリーズ。
景色を撮るのに画角が広いのが便利で、望遠レンズもそろえるこだわりだ。
被写体は大体自然などの景色だ。
勤務途中でも、大学の駐車場の片隅に咲く草花につい目がとまり、シャッターを切る。
「草花はシンプルに見えて、写真を拡大すると複雑な構造を持っている。
レンズを通すと世界が変わる」という。
ただ、とった写真は膨大すぎて、見返すことはほとんどなく「たまっていく一方だね」。
もう一つ、公私共に相棒なのがSUBAR=スバル 多目的スポーツ車=SUV「XV」だ。この20年間スバル車が今村さんの足となっている。

公私共に相棒なのがSUBAR=スバル 多目的スポーツ車=SUV「XV」だ!
自らハンドルを取り、被災現場などへ向かう。被災現場などは道が整備されていないことが少なくない。
「スピード狂ではないけれど、オフロードにも耐えられる走行性は大切」と話す。
住まいのある仙台市からは、車を使えば1時間前後で行けるお気に入りのスポットがある。
プライベートでは家族サービスも兼ねて、日帰りで天童温泉=山形県天童市 をしばしば訪れる。
ひなびた雰囲気や源泉が多く癒されるという。
宮城県七浜町の砂浜が広がる海水浴場、菖蒲田浜もお気に入り。
「きれいな景色の中で季節の海鮮が食べられる」からだ。
歩いていても車を運転していても、道が多少ぬかるんでいることは気にしない。
ためらわずに踏み出し、靴や車は泥だらけで帰ってくることも。
「汚れるのは嫌いじゃない。それをきれいにするのも好きなんです」。
穏やかな口調の中に冒険心が透けて見えた。
では以下では、これに関連する件を参照します。

3.11を伝承する取り組みの大きな力になる!
3.11を未来の力に。「あなたが守れる命がある」!東日本大震災の教訓を胸に、「避難できる人」へ!
[3.11を未来の力に。「あなたが守れる命がある」]
全国で自然災害が相次ぎ、かけがえのない命が失われています。
語り部活動により東日本大震災の痛ましい体験を未来を拓く力に変え、発災後には
「皆で助け合ったね」と喜びあえるよう、皆さまやそのご家族、
地域の方々の力をお借りしながら、災害で命が失われない社会の実現を目指します。
[新型コロナウイルスによりキャンセルが相次ぎ、語り部活動の存続が危ぶまれています]
大震災から10年目を迎えましたが、この3月までに、東北各地の伝承団体で9,000人名以上の
予約のキャンセル(3.11メモリアルネットワークによる調査)があり、5月や夏休みの語り部予約も、取り消し・延期が相次いでいます。
伝承団体から「活動の存続が難しくなる」「先が見えない」などの声が出ており、非常に厳しい状況です。
「この機会にこそ、次のことをしっかり考えたい」」と前向きに取り組む語り部の皆様を支えてくださるよう、お願い申し上げます。
[東日本大震災の教訓を胸に、「避難できる人」へ]
011年3月11日の東日本大震災から、10年目を迎えようとしています。
3.11の津波による死者・行方不明者が18,428名に対し、南海トラフ地震では、津波による最大死者想定は16万人。
「全員が10分以内に避難開始(即時避難)」により7万人にまで減らせるとされていますが、全員が即座に避難行動をとっても7万人がなくなる災害。
その恐ろしさが良くわかります。
私たち一人ひとりが「避難できる人」へ変わってゆかないと、この数字は減らせません。
[「ここにきて初めてわかった・・」語り部による伝承で伝わること]
3.11後、被災各地で自然に生まれた「語り部」。
地震発生から津波到達まで、30分~1時間程度の避難時間があり、
地震後にすぐ避難していれば、もっと多くの命が助かったはずでした。
「誰一人、同じ思いをしてほしくない」と、救えたはずの命の尊さ、
当たり前の日常のかけがえなさを、身をもって伝えています。
東北各地に整備される震災遺構や祈念公園で、語り部による心のこもった活動の継続が求められています。
[経験者だからこそ、伝えられる重み]
経験者だからこそ、伝えられる重み、あなたの街にもいつか起こる自然災害。
家族や学校、職場での避難や連絡方法話し合いを、つい明日へと伸ばしてしまったり、避難勧告等が出ても
「何も起こらないだろう…」と日常生活を続けたりしていませんか?
3.11の前にも、私たちには、多くの準備が出来たはずでした。
被災者の重い経験が心に響くことで、災害に備える意義を真剣に捉え直してもらうきっかけとなります。

千年後の命を守る会で、発足しました!
[「語り部」で心が動く、体が動く]
「毎日を全力で必死に生きなければ」
語り部さんの話を聞いた。
険しい当時の状況を聞く中で「残された私たちには一瞬一瞬を全力で生きていかなければならない。」
と私たち生徒に熱い眼差しで言った。
かつて私は生きる意味について悩み、どうして人間が存在するのかなど、誰にも分からないようなことまで考えた。
そんな時にこの言葉を聞いて、ご不幸にあわれて、生きたくても生きられなく、苦しい思いをした人が沢山いる。
その人々の思いを無駄になんかできない。
毎日を全力で必死に生きなければならないと心から思えるようになった。
(高校生・宮城県内陸部)

震災から自分たちが学んだことを伝える!
一瞬一瞬を懸命に!未来の命を守るための、3.11メモリアルネットワーク基金!
「一瞬一瞬を懸命に」
事前に調べてはいたものの現地に行くとあまりの凄惨さに胸が苦しくなりました。
たった一瞬の出来事で「あたりまえ」は崩れてしまう。
そして日々「あたりまえ」の連続だったなのだなと感じました。
だからこそ、一瞬一瞬を懸命に生きていくことが残された私達の使命なのかなと思います。
自分は未来を担う世代として宮城県民として、震災で亡くなった方々の思いも背負って、「あたりまえの日常」を紡いでいきたいです。
私の力は小さいけれど,それが被災した方々へ私ができる ことです。
(高校生・宮城県内陸部)
「防災意識を強く改めるきっかけに」
「こんなところまで浸かっている なんて信じられない。」
実際に街歩きをして感じたことは、自分が歩いているところまで波が押し寄せてくる気配が全然ないということです。
でも、実際に波が押し寄せてきたのは紛れもない事実であって、
ここには波が来ないという主観的な憶測がいかに怖いことであるかを肌で感じました。
自分自身の防災意識を強く改めるきっかけになりました。 (大学生・九州)
「ネットワークへの支えを」
被災者の追悼と災害体験の伝承をはかるために、「3.11メモリアルネットワーク」が設立されました。
行政だけに任せるのではなく、被災地と被災者が核になって、
被災地の思いをつなぎ、安全で安心できる社会をつくる橋頭堡になる組織です。
追悼と伝承をはかるのは、何よりもまず被災地の役割ですが、その被災地の取り組みを
国民全体で支援し、一緒になって災害を風化させないようにすることが大切です。
そのためには、ネットワークの取り組みを支えるための基金づくりに、みんなで取り組んでゆくことが欠かせません。

若者伝承会議をやりたいと思っています!
この3.11メモリアルネットワークに、温かい心のある人は
伝承への思いを、少しばかり財力のある人は基金を、お寄せくださるようお願いします。
兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科長 室崎益輝
「阪神・淡路大震災で何もできなかった反省から」
阪神・淡路大震災の時は、同級生が被災したのに自分では何も行動できず、
倒壊した街並みのニュース映像を、現実感もなく眺めているだけでした。
その後、ハイチ地震や東日本大震災に対してボランティアやNPOとして支援してきたつもりでしたが、
発災後に精一杯努力しても遠方の第三者には救える命に限りがある一方で、東日本大震災後では
「すぐに歩いて避難」できてさえいれば、多くの方々の命が助かったことを痛感しています。
どれだけ地位やお金があっても、台風や豪雨は予報が出てから数日間、津波の場合は
地震から到達までの時間(短い場合は数分間)で命を守る行動をとらなければ、全てが失われてしまいます。
3.11を経験した語り部さん達の声が届くことで、日本全国の心構えが変わってゆくことを信じています。
3.11メモリアルネットワーク事務局長 中川政治」
[未来の命を守るための、3.11メモリアルネットワーク基金]
3.11メモリアルネットワークは会員450名、65団体を超える連携組織です。
東日本大震災の伝承活動を行う個人・団体・震災伝承拠点をつなぎ、災害で命が失われない社会を実現するため、基金を募っています。
東北に多くの方々が防災を学びに来てくださっていますが、日本全国の皆さまに、
地域を超えて世代を超えて伝えてゆくには、時間も、人も、仕組みも、足りていません。
東北から日本全国に向けて過去に向き合い未来へ備える力を育むため、
3.11メモリアルネットワーク基金に、ぜひ、力を貸してください。
※事務局を務める公益社団法人3.11みらいサポートへのご寄付は税制優遇の対象となります。
[災害で命が失われない社会のために]
阪神・淡路大震災、東日本大震災と、大災害が起きるたびに
防災対策が向上する一方、相次ぐ災害で、命が失われ続けていることも事実です。
これを読んでくださっている皆様に、お願いです。
あなた自身やあなたの大切な人たちの命が守られるよう、家族や組織で避難方法を決めたり、
命を守る方法を話し合ったりして、次の災害からは、一人でも多くの命を守ってもらいたいのです。
命は、お金に換えられません。
災害から命を守るための活動に賛同いただければ、
東北被災地での活動にご支援いただければ幸いです。
3.11 みらいサポート より。

自助、共助、公助の重要性!
自助、共助の重要性!大規模災害では、公助の機能が制限される!
[PART 1 理解編 自助、共助の重要性]
災害時の被害を最小限に抑えるためのキーワードとして、「自助」「共助」 「公助」という言葉がよく使われます。
自助とは、いざというとき自分や家 族の命と財産を守るために、自分自身で、家族全員で備えることです。
ま た共助とは、地域社会の被害を減らすために地域が一丸となって助け合う こと。
公助は、行政が担う総合的な防災対策などを指しています。災害に 強い社会とは、これらの3つの「助」が互いに補い合い、支え合って初め て実現します。
災害の発生を防ぐことはできませんが、自助、共助、公助が最適に機能 すれば、被害を減らすことは可能です。
特に、東日本大震災のような巨大 災害が発生した場合には、日ごろからの自助と共助の取り組みが被害軽減 のカギになります。
次ページ以降、自助、共助の重要性を、東日本大震災 や阪神・淡路大震災から得た教訓を基に確認してみましょう。
[ 自助、共助の重要性を示す5つの“理由”]
大規模災害では、公助の機能が制限される 「釜石の奇跡」は防災教育の成果だった
阪神・淡路大震災では地域住民が救出の主役だった 住宅の耐震化など、
家庭の防災対策は効果が高い 東日本大震災後、「社会の絆」を重視する意識が高まった

釜石市内の津波避難場所!
[5つの理由]
大規模災害では、公助の機能が制限される
大規模災害が発生すると、公助の機能が著しく制限されます。
自治体の庁舎など公的防災機関自体が被災するからです。
東日 本大震災では、沿岸の多くの自治体の庁舎が
津波によって破壊 され、たくさんの職員が亡くなりました。
行政機能がまひすれ ば、その間、被災者の
救出といった公的な応急対策は遅れるこ とになります。
災害時も行政機能を維持するため、今後は津波 が来襲しない
高台に公的施設を移転するなどの対策が求められ ています。
しかし、かりに公的機関が被災を免れたとしても、大規模災害の
場合、公助に応急対策のすべてを依存することはできませ ん。
阪神・淡路大震災では、消防は同時多発する火災の
消火活動などに追われ、すべての被災者の救出に対応することは困難 でした。
公的防災機関の対応には自ずと限界があるのです。
近年、日本列島は地震の活動期に入ったとする見方 があります。
阪神・淡路大震災が発生して以降、震度 7や6強を観測した地震は多数発生しています。
また、 国の地震調査研究推進本部は将来の地震の発生確率を 公表していますが(3ページ )、
国内どこでも震度6以 上の揺れに見舞われる可能性があることがわかります。
首都直下地震や南海トラフ巨大地震など甚大な被害を もたらすと
予測される地震は、いつ発生しても不思議 ではないと言われています。
このような大規模災害が発生し、東日本大震災のよ うな大津波が目前に迫ってきたと想像してください。
誰かが助けてくれるのを待つ時間はまったくありませ ん。
自分の命は自分でしか守れない――このことを私 たちは強く認識する必要があるでしょう。
「釜石の奇跡」は
防災教育の成果だった
東北の三陸沿岸は、何度も津波を経験しています。
過去の被 害を教訓にして、地道な防災教育に取り組んできたところがあ りました。
岩手県釜石市です。
東日本大震災の津波で1,000人 以上の死者・行方不明者を出した同市ですが、
市内の小中学生 約3,000人はほぼ全員が無事でした(一部の欠席者を除く)。
市 教委の指導による避難訓練を各学校が徹底して取り組んだ結果、
下校前後の子どもたちは訓練通りに高台に逃げ、難を逃れまし た。
「釜石の奇跡」とたたえられたこの事実は、「津波が来たら すぐ避難する」という
津波対策の基本を忠実に実践した結果で した。
釜石の子どもたちは、自らの命を自らの力で守りきった のです。

南海トラフ巨大地震が発生!全国で死者はおよそ 32 万 3,000 人!
南海トラフ巨大地震が発生!全国で死者はおよそ 32 万 3,000 人!
[■ 今後の地震予測 ■]
5つの理由
阪神・淡路大震災では
■ 阪神・淡路大震災で人命救助 をした人の内訳
4% 4% 家族
理由 3
地域住民が救出の主役だった
親戚
大災害が発生して消防などの公的防災機関が十分に対応できないとき、
頼 りになるのは地域ぐるみの協力体制です。
実際に、阪神・淡路大震災では、 消防 地域住民が
自発的に救出・救助活動をして多くの命を救いました。
グラフ 14% は、神戸市東灘区における人命救助活動について聞き取り調査をした結果で 自衛隊 す。
「近所の人」「親戚」「家族」が約7割を占め、「消防」「自衛隊」の3割 を大きく上回っています。
倒壊家屋の下敷きになったりした被災者の生死を分けるのは、災害発生か
(『1995年兵庫県南部地震による人的被害(その5)神戸市東 灘区における人命救助活動に関する聞き取り調査』宮野道雄
(大阪市大)他、1996年日本建築学会大会学術講演梗概集)
[住宅の耐震化など、 家庭の防災対策は効果が高い]
ら 72 時間と言われています。
この限られた時間内に、救助隊の到着を待たずに被災者を
救うことができるのは、その場に居合わせた私たち自身です。
南海トラフ巨大地震が発生し、東海地方が大きく被災する最悪の場合、
全国で死者はおよそ 32 万 3,000 人に上る――。
内閣府が公表した南海トラ フ巨大地震の被害想定は衝撃的でした。
発生確率は極めて低いものの、東 日本大震災を教訓として
二度と「想定外」を繰り返さないために、あえて検討した結果です。
ただし同想定では、このような千年に1度発生するかどうかという
超巨 大災害であっても、防災対策によって被害は大きく減らせると指摘してい ます。
死者を減らすのに自助が大変効果的であることも示しています。例
えば、現状 79%とされる住宅の耐震化率を 100%にまで高めることができれば、
約3万 8,000 人と想定される死者は6分の1以下の約 5,800 人にまで減ります。
また、現状 26%に過ぎな い住宅内の家具の転倒・落下防止対策の
実施率を 100%にすると、死者は3分の1以下の約 900 人に。

住宅の耐震化率を 100%にまで高めることができれば、死者減少!
約 23 万 人が被害にあうとされた津波でも、「全員が発災後すぐに避難開始」などができれば約4万 6,000 人に減少します。
想定結果は、「自分の命は自分で守る」ことの重要性を明示しています。
[東日本大震災後、 「社会の絆」を重視する意識が高まった]
人々の助け合いが必要なのは、災害発生直後の救出活動だけではありませ ん。
その後の避難生活から地域社会の復興に至るまで、すべての過程で重要 な要素であり続けます。
内閣府の「社会意識に関する世論調査」によると、東日本大震災以後、社 会との結び付きを
「前よりも大切だと思うようになった」という人は全体の 8割を占めました。
また、震災後、強く意識するようになったことについて は、「家族や親戚とのつながりを大切に思う」
との回答が 67.2%でトップと なり、「地域でのつながり」「社会全体として助け合うこと」などと続きました。
東日本大震災による被害を乗り越えて復興していくためには、他者とつな がり、助け合う必要がある――。
私たちのこの気付きは、次の大規模災害に おいても有効な防災対策になるはずです。
自助 共助 より。

津波で破壊された大槌町役場庁舎と消防車!
日本列島は地震列島!これを参考にして今後の対策になればと期待を込めて!
今日のまとめ。
限界を知りともに備える!
My・Story!
3月11日、東日本大震災から10年を迎える。
津波研究の第一人として巨大津波と向き合ってきた東北大学災害科学国際研究所所長の今村文彦さん。
被災現場に出向き自らの限界を知る。
だが、その先にこそ防災・減災のあり方があると信じる。
「津波がこんなに広範に押し寄せた理由は」「人的被害が大きかったのはなぜか」。
協力体制の重要性を、東日本大震災で実感! 一研究者として全体を把握し、答えを出すことの限界を知る。
「お互いが限界を知ることで、真の協力体制が得られる」と今は思う。
人的被害をおさえるため・現場に赴き調査続ける!
いつも片手にはカメラ!My Charge!
3.11を未来の力に。
「あなたが守れる命がある」!
東日本大震災の教訓を胸に、「避難できる人」へ!
一瞬一瞬を懸命に!
未来の命を守るための、3.11メモリアルネットワーク基金!
自助、共助の重要性!
大規模災害では、公助の機能が制限される!
南海トラフ巨大地震が発生!
全国で死者はおよそ 32 万 3,000 人!
今日は限界を知り共に備える!
について記述してきましたが、私たちが今後に備える心構えを作るために、とても大事なテーマです!
東日本大震災では、とても多くの方が犠牲になり、悲しみに絶えません!
今後も必ずこのような災害が発生します、その時の備えになればと、この記事を投稿しました!
南海トラフ巨大地震は必ず発生します!
死者は32万人以上と試算せれるほど怖い大地震です!
日本列島は地震列島でもありますので、これを参考にして
今後の対策になればと期待を込めて記述しました!!
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