遠州灘で船が遭難し!船頭重吉の漂流484日!池内博之の漂流アドベンチャー4!

Pocket

池内博之の漂流アドベンチャー4!


遠州灘で船が遭難し!船頭重吉の漂流484日!池内博之の漂流アドベンチャー4!

 

重吉が漂流した484日のドキュメンタリーが「池内博之の漂流アドベンチャー4」です。

漂流484日 船頭重吉の究極サバイバル!!

今から、200年前に尾張藩の米を江戸へ運んだ帰り、

文化10年(1813)11月4日遠州灘(現静岡県掛川沖)で嵐にあい遭難しました。

その嵐で帆柱と舵を失った!

そうなると船は波に対してコントロールが効かないので、横を向いてしまう。

波が横から来るとと大きくローリングしてしまう。

漂流してから舵もない、だから方角が定まらない、これがずっと続く。

ヨットの底にはキールと言う重りがついていて、揺れを防いでくれる。

だが江戸時代の千石船にはそうしたキールがない。

そのため船のバランスは悪かった。

ある限界を越えると船はいきなり横倒しになるような、力が働く。下に重りがないからだ。

強い波を受けたらひっくり返りそうになるし、水が入ってきてしまう。

水汲みの作業をずっと続けなければならない。

転覆の危険に怯えながら、猛烈な大西風に流されていった、重吉達!

だが、日記からは――助かるチャンスがあったと言う。

伊豆諸島沖の「利島と新島」のあいだに流されたが―――オーイ錨をおろせ!

錨が海の底に届かない!

島がどんどん遠ざかってゆく!

新島の沖合で船を止めようとした重吉。

日記によると縄の長さは、540mもあったと言う。

海底の深さをレーダーで確かめてみた。78m。

以外にも海の水深は浅い。

海図で見てもせいぜい200mぐらいしかない。

これなら錨は十分に届くはず。

綱の長さに比べれば水深はかなり浅い。

いったい何故錨は海底に届かなかったのか

相当強い風が吹いていて、船が早く流されていて、

縄が540mあっても、アンカーが海底に届かなかった!!

流れと船が一緒であれば、重りは下に落ちて行く筈。でも風が強くて船の流れが早いと、

ロープとアンカーが水の抵抗を受けて下に落ちてゆかない!

だから十分な長さがあったけど、この場所では海底に掛からなかった!!

このチャンスを逃したら船はどんどん流されるので――必死だったと思う!

遠ざかってゆく島を、眺めるしかなかった重吉達!!

その後彼らは尚、南東に流され続け—–太平洋の遥か彼方へ漂って行きました!

その無力感を日記にこう綴っている。

今は、舵をなくし帆柱もなく、ただ海風に任せて漂い、

「運を天に任せるしかなく、心細いこといかんとも無し」!

やがて皆が言うよう、明けても暮れてもこんな苦しみが、続くのは耐えられない!

360°見渡す限り大海原!!

この何もない空間を実に484日も漂流し続けた重吉達だ!!

この極限状態をどう乗り越えたのか、

日記によると、容易に故郷に戻れないことを覚悟した重吉は、

まず船内にあった米の量を確かめたと言う。

調べてみると米は全部で6俵、およそ360kgあった。

だが一人一日4合食べるとして「一ヶ月半しか持たない」!

漂流はいつまで続くかわからない!

重吉は積荷に手をつけることにした。

実は、重吉は700俵42トンもの大豆を江戸で買い、尾張りに持ち帰ろうとしていた!

大豆は重吉の故郷東海地方の名物!

重吉は早速これから「きな粉」を作ることにした。

それをオカズにすれば、米を節約できると考えた!!

日記によると、きな粉作りを乗組員の仕事にしたと言う。

重吉がやったように少量のご飯に大量のきな粉をかけてみる。

パサパサで口の中の水分が吸い取られてしまう。切ないですね!

侘しさは募るとは言え、どうにか食べ物は確保できた。

しかし漂流開始から2週間が過ぎた頃、悪いことに「飲み水が尽きた」のです。

遠州灘で嵐に遭遇して以来、全く雨が降る気配はありません!

乗組員は天に見放されたと嘆くばかり、重吉はもう水の心配はしなくていい、

神様が夢の中で真水の作り方を教えてくれた!

 

 

故郷に帰る術を失った乗組員達は、やがて生きる気力までも失っていきます!


食べれるものは大豆だけ!極限状態の乗組員!死の船!壮絶な船旅!やがて生きる気力までも失っていきます!

 

まず大きな釜に海水を入れ、それを煮立たせ、その上に桶を置いて、湯気を集めて冷やせば真水ができる。

さあー皆んなでやってみよう!

夢のおかげで真水の作り方を教えて頂いたと、重吉は言う!

重吉は有り合わせの鍋釜を使って真水を作ったと言う。

実にこれは「らんでん」と言う方法で、江戸時代に焼酎や薬を作るのに使われていた技術。

重吉はこの方法で日に12Lの真水を作ったそうだ!

これは夢のおかげ!!

マネージメントが出来るのが船頭、抜群のリーダーシップで乗組員の不安を和らげてくれようとした。

こう言った細やかな配慮が重要だったに違いありません!

命の水です!ただただ流されるだけの生活は、乗組員たちの心を蝕んでゆく。

11月ごろから暑さが強くなり、朝に炊いたご飯が昼にはもう悪くなる!

おそらく赤道近くに流されて来たのだろー!

かくて各々は力を落とし、故郷のことを思い、親兄弟、妻や子のことばかり話し合い、他に話すことは何も無い!!

重吉たちがひたすら懐かしかった「佐久島」!

そこは小さいながら豊かな島でした!

江戸時代の頃は上方と江戸を結ぶ中継地として!!

当時は一航海すると一年暮らせるお金が手に入ったとも言われ、乗組員はまさに「花形の職業」でした。

そんな故郷に帰る術を失った乗組員達は、やがて生きる気力までも失っていきます!

皆、望みを捨てるんじゃない!!

南風が吹けば故郷に帰れる!

元気を出せ、元気を!!

みんなで縄で結んで首をくくりたい!!

よし分かったみんなで一緒に死のう!!

あー一緒だぞ!!

まず縄を作ろう!

でもなー!首をくくったら苦しいだろーなー!

波も治まってきたし、もう少し頑張ってみよう!

いつでも死ぬことはできる!

その時白い鳥が飛んで来た!

神様だ!

実は苦しい時の神頼みは、風まかせの航海をする時の、最も大切なことでした!

その名残が日本海に面した港町に今も残っています!!

北前船の信仰を集めてきた円覚寺。

ここに当時の船乗りたちの信仰心が描かれています。南船絵馬!

自然において、仕事、神様、仏様が大事!!を教えている絵馬!!

漂流87日目の元日になったので、早朝卯虎の刻に羽織を着て表に出る、

作法どうりにお正月の祝いを言おうとするが言葉が出ず。

ただただ涙を隠すばかり。

皆が御前に向かったところで、一口盃に口をつけた時、

今までこらへていたものが、我慢できなくなって、わアート声を出して泣き出した。

 

 

5ヶ月間大豆しか食べてこなかった重吉達!海水から真水を作る際にできた「ニガリ」で傷口に浸し病気を治したと言う!!


文化11年春、乗組員に病人が増えてきた!カツオをたらふく食べて健康を取り戻したが――-!!

 

お正月ぐらいはと考えた重吉、盛大に祝おうと考えた重吉!

御供えの品はきな粉の粉を混ぜた団子だった。

惨めさが募れば募るほど家族の顔が浮かんだに違いない!

絶望的な日々が続く中、重吉達が次第に死を意識し始める!

文化12年正月、皆で誓い合った!

皆で生き残って、故郷に帰るものもあれば、この船中で死んだ方の為に、

物乞いをしてでも金を集め、大きな石碑を建てて永く菩提を弔おうと!!

[チャプター3]死の船!

文化11年春、乗組員に病人が増えてきた!

皆ついに寝込んでしまった!

肌が黒くなる病気!脚気だ!ビタミンB1が取れていないからだ!

神経炎!

精神障害!

死!

死の病と恐れられた壊血病!!

5ヶ月間大豆しか食べてこなかった重吉達!

海水から真水を作る際にできた「ニガリ」で傷口に浸し病気を治したと言う!!

生き延びるために1%の確率にかけた!

生存力!

船長!

長生き!

まさに一人一人と瀕死の状態に!

—–柔らかいご飯が食べたい!

そうだこれが柔らかいご飯だよと、水をゆっくりと飲ませた!

次はスイカが食べたい!

これがスイカの絞り汁だよ、ソーっと飲めよ!

文化12年正兵衛が死んだ。5月16日半田の藤助が死んだ。

5月28日房治郎死す。

6月12日庄兵衛死す。

伊豆の福松も。

6月13日孫三郎死す。

16日為吉死す。

18日三之助死す。

20日重蔵死す。

28日安兵衛死す。

40日の間に10人の仲間を次々と失った重吉!!

文化11年293日。土砂降りの雨、スコールに遭遇した、ありったけの鍋釜を並べて真水を貯めた。

その時一尺ほどのカツオを8尾も釣り上げたと言う。

そのカツオで二人の病人を助けた。

7本のカツオを見せると、二人は拝んだ!!

カツオをたらふく食べて健康を取り戻したと言う!!

だが秋になると又、元の生活が始まった。

その後又、二人は寝たきりとなった。

文化11年440日、次の大波が来た時、首をくくろうと覚悟を決めた!

縄をありったけ繋いで、皆の首を括り付けて、皆で海に入ろー!!

—–だが待てよ重吉は言った、死ぬのはいつでも出来る!!

それまで生き抜くのだと!!!

文化12年正月。最後まで生きられるか—–死ぬを占う!

1.2.3で2が出れば!

生き永らえる!

—–なんと2が出た!!

三年目の漂流!

来る日も来る日も、水平線に目を凝らし続けた!!

484日目の早朝!

奇跡が起きた!!!

オーイ!オーイ!

ありったけの声で叫ぶ!

重吉たちが見つけたのは、幾つもの帆を上げたイギリスの商船だった!!

それに助けられ乗組員14人中、生存者は、重吉、音吉、半兵衛の3人しか残っていないと話すと、

口を指して――何を食べていたのかと聞いたので、きな粉を舐めて見せると、右手でこちらの手を強く握りしめた!

訳が分からず心の内では空恐ろしく思いながら――強く握り返した!!!

 

 

 

太平洋を8000km以上も横断してアメリカ大陸の目と鼻の先まで流されて来た!


太平洋を8000km以上も横断!生き残ったものは・重吉と船員の音吉の2人だけ!484日目の早朝!奇跡が起きた!

 

太平洋を8000km以上も横断してアメリカ大陸の目と鼻の先まで流されて来た!!

乗組員14人の内、船頭以下三人が生き残った!

生き残ったものはその後、サンダーバーバラ、シトカを経由して

カムチャッカ半島のペトロハバロフスクで一冬を過ごした後、

今度はロシア船で千島列島を南下、文化13年7月択捉島に到着!

その後江戸でのとり調べを受けて、重吉が故郷の佐久島へ帰り着いたのは、文化14年5月!!!

実に3年と6ヶ月!重吉の永い永い旅路はようやく終わった!!!

この時の船長日記は!

成福寺に今も残されている!!!

今日の池内博之の漂流記は、今から200年前、

嵐に遭って太平洋を484日も漂流した千石船の船頭・重吉。船は舵も帆柱もなくして操縦不能。

飲み水も尽き、食料は積荷の大豆だけ。風と潮流任せの日々に乗組員たちは希望をなくし集団自殺を図ります。

さらに謎の病気が発生、全員が寝込んでしまいます。

そんな絶体絶命の危機的状況を、重吉はいかに生き抜いたのでしょうか?

重吉の体験を記した江戸時代最高の漂流記・船長日記を俳優・池内博之がヨットと一人芝居でたどりました!!

今回の紹介は、江戸時代千石船が遭難したお話です。

乗組員は29歳の船頭(船長)重吉を含めて14人でした。

帆柱が折れ、舵も折れ、いかだ状態で漂流していきました。

昔、魚は海の真ん中にはいなくて、大陸や島の近くにしかいないと聞いたことがありましたが、それを重吉の日記で確認できました。

漂流は484日(約1年4か月)におよびました。

その間江戸から積んできた大豆と海水を蒸留した水での生活でした。

イギリス船に救助された時には、既に11人が亡くなっていて、生存は3人だけだった。

その後1人亡くなり、日本に帰れたのは、重吉と船員の音吉の2人だけだった

江戸時代、船の遭難は多く、生きて日本に帰れるのは少なかったようです。

命を取りとめた重吉らは、シトカからペトロパブロフスク・カムチャツキーに送られ、

ロシア船パヴェル号で択捉島へ護送された。

この間の1816年(文化13年)6月に、半兵衛が病死。

最後に残った2人は国後島からノッケ岬、根室を経て、同年9月に松前に到着。

江戸で事情聴取を受けた後、1817年(文化14年)4月に身柄を尾張藩に移され、5月に帰郷を果たした。

死の中を彷徨った、壮絶な物語でした!!

この漂流アドベンチャー4を観終わって、江戸時代の人の凄さと壮絶に生き延びる術を見せられて、

実際にこんな事があったのかと「人の真の強さ」が、物語を通して実によく伝わってきました!

こんな事が本当にあるのか!!もし今の時代であれば、間違いなく生き永らえなかった—–そう思います!!

時代は確実に人を弱くさせている!!

今の人では、とても耐えられない物語です!!!

 

 

池内博之さんのアドベンチャー4!!


人間の壮絶に生き抜く力には恐るべき力が潜んでいる!ただただ計り知れない精神力の強さに感服!

 

以下は今日のまとめですい。

池内博之さんのアドベンチャー4は実に久しぶりに投稿しました。

前回のアドベンチャー3はグランパス島を目指していてシリーズの中で最高に面白かった!

投稿したのは2019年9月21日ですから半年以上が過ぎています。

次の予定のアドベンチャー5はカムチャッカの予定でしたが、プーチン大統領の許可が降りなくて中止になり残念です!

今回のアドベンチャー4は前述したように、太平洋を8000km以上も横断して、

484日も彷徨った挙句――-辛い航海の連続で14人中、生き残ったのは、

重吉と船員の音吉の二人だけという、なんとも過酷な旅になったと悲しみに耐えません!

これを見て人間の壮絶に生き抜く力には恐るべき力が潜んでいるのだと、

改めて人間の生命力の強さを思い知りました!!

ただただ人間の計り知れない精神力の強さに感服!!

次回のアドベンチャ5を待ち続けます!

Pocket

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。