縁側の時間、再び!風と光に家を開く!出会いの場、仕事場、カフェと多種多様だ!!

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縁側の時間、再び!今や出会いの場、仕事場、カフェと多種多様の存在感!

縁側の時間、再び!風と光に家を開く!今や出会いの場、仕事場、カフェと多種多様の存在感!

 

コロナ禍を機に、昔ながらの縁側の良さを再発見する人が増えている。

明るく風通しが良く、時には換気が良い社交の場に早変わりする。

建物の外と内をつなぐ境界であり、近年は地域の交流を象徴する言葉でもある。

縁側で自然やご近所をすぐそばに感じる時間は、懐かしくもまた新鮮だ。

活動再開は縁側から――-。

東京都足立区の「仲町の家」は、和室を囲む縁側と庭が印象的な日本家屋だ。

元は隅田川の架橋など地域開発に取り組んだ石出掃部介義胤=いしでかもんのすけよしたね の

屋敷で、今は市民参加型のアートプロジェクト

「アートアクセス、あだち 音まち千住の宴」が運営する地域の文化サロンだ。

「人々が顔を合わせて縁をつなぐ場」事務局の山本良子さん として地域で親しまれてきた。

新型コロナウイルスの感染拡大で一時は閉鎖を余儀なくされ

「距離を保ちながら再開できる方法を探りました」山本さん。

そこで浮上したのが換気しやすい縁側の活用だ。

6月中旬に庭と縁側に限定して再公開した。

ガラス戸を開けて建物全体に風を通し、玄関ではなく庭から直接出入りしてもらう。

常連の一人で近くに住む廣瀬十四三さんは、再開後すぐに駆けつけ

縁側でスタッフと雑談し、一緒にギターを鳴らしたという。

縁側の多種多様な存在感!

「久しぶりに人と会える楽しさを感じました」。

縁側に腰掛けて廣瀬さんの話を聞いていると、庭が近くに感じられ爽快だ。

間隔をあけてすわっても、真向かいではなく横に並ぶのでむしろ心理的距離は縮まった。

「再開後は『こういう場所があってあって良かった』と言われることが増えました」

と事務局の山本さんが教えてくれた。

緊急事態宣言中に人前で演奏する機会を失っていた日本センチュリー交響楽団の

楽員たちの新たな舞台となったのも、換気の良い縁側のある建物だった。

「ながらの座・座」は大津市の三井寺の庫裏を音楽などの表現活動の場として再生した建物だ。

6月、3人の楽団員がここで30人の聴衆を前にリサイタルを行った。

聴衆が腰掛ける縁側の先の庭まで音楽が拡散する。

「無伴奏の音楽の中に池の音や木々のざわめきが共演者のように入ってきた。

コロナ渦の制約を逆手にとり、とても面白い体験になりました」

同楽団の柿塚拓真コミュニティプログラム担当マネージャー。

雑音を徹底的に抑えるコンサートホールとは正反対の環境だが「『半分建物に属している』安心感と、

音が空へと広がる開放感があった」と、バイオリン奏者の巌崎夕美さんも振り返る。

縁側の起源は諸説あるが、原型は平安時代の寝殿造の外側にある板敷部分にもみられる。

内廊下のない和風家屋の独特の構造で、主に通路の役割を果たしていた。

「大正時代に水回りと居室をつなぐうち廊下ができると縁側はくつろぎの場に変化し、

幅も広くなりました」と大阪教育大学非常勤講師の植松清さんは説明する。

戦後、都市部に洋風の戸建てが増えるにつれ、縁側は居間と一体化し消えていった。

和室と縁側の素晴らしさ!

だが昨今、密閉された空間や人との密接を避ける風潮が強まったり、

在宅勤務で家にいる時間が増え得たりする中、縁側の良さが再注目されている。

千葉県の会社員、中村美希さんは、在宅勤務中に縁側の魅力に気がついた。

家族が代々暮らす自宅で縁側にパソコンを持ち出してみたのがきっかけだ。

「風が木の葉を揺らす音や鳥に囀りが聞こえてかえって集中できました」。

子供の頃は縁側でスイカを食べたり花火をしたりしていたが、最近はほとんど使っていないという中村さん。

家にいる時は縁側が仕事場となった。

縁側に注目が集まるのは、各地で古い日本家屋が見直されてきたおかげでもある。

「ここ5年ほど古民家の再生が進み、今は古民家ブームの真っ只中と言えます」

全国古民家再生協会の河野公宏さん。

仲町の家のようなコミュニティスペースのほか飲食店やホテルに転用され、気楽に縁側を体験できるようになった。

東京都足立区の「縁側カフェ」では国の登録有形文化財である昭和初期の縁側を体験できる。

オーナーの平田茂さんと妻の宇理さんが、宇理さんの祖父母が建てた家でカフェを開いたのは2014年。

東武伊勢崎線の竹ノ塚駅から徒歩14分と、カフェとしては不利な立地だ。

だが平日は取材中にもかかわらず、縁側に並べたテーブルで多くの客がくつろいでいた。

50代の女性客2人も「もう何回も来ている。

古いガラス戸の雰囲気も良くて癒されます」という。

「刈り込みすぎず野趣を残している」平田さん という南向きの庭と軒下の縁側の対比も美しい。

かつては通路として使われていた縁側。

今や出会いの場、仕事場、カフェと多種多様に存在感を放っている。

 

 

憧れと懐かしさをかき立てる、理想の暮らしの入り口!

縁をつなぐ 心の居場所!憧れと懐かしさをかき立てる、理想の暮らしの入り口!!

 

現代的な洋風建築の住まいに縁側を取り入れる人も出てきた。

人々にとって縁側は、どんな役割を果たしているのだろう。

この8月、神奈川県鎌倉市在住の成瀬夏実さんは念願の縁側付きの自宅を新築した。

庭に面したL地形の縁側は友人が来てもみんなでゆったり座って会話できる広さだ。

子供たちは毎朝、縁側に出て遊ぶ。

その姿を通りから見かけたご近所さんが「おはよう」とあいさつしてくれるようになった。

成瀬さんは古いものへの憧れから、カフなどに再利用されている古民家や、

知人から紹介された個人宅など縁側のある家170軒をこれまでに回ってきた。

訪れた家に暮らす人が縁側でご近所さんとお喋りするのをみて、ずっとうらやましく感じていたという。

「自分が求めていた交流の形がやっと実現できました」。

成瀬夏実さんは念願の縁側付きの自宅を新築した!

京都市の加茂みどりさんが住むのは「縁側のあるマンション」だ。

大阪ガスのエネルギー・文化研究所の主席研究員で一級建築士の資格も持ち、集合住宅のあり方を研究してきた。

3年前自宅をリノベーションした際、長年の研究成果を踏まえて

「自分が育った京都の町屋のような風通しの良さを持たせたい」と考えた。

そこでベランダに板を敷いて、縁側に変身させたのだ。

シェードで日差しと外の視線を遮り、居間から靴を履かずにそのまま出られるようにした。

爽やかな外気が楽しめる一方で、ガラス戸を隔てた室内とも一体感がある。

加茂さんは町家の縁側や土間は「家の外でもうちでもある中間領域」だという。

室温の調整や様々な機能を担っていた。

「縁側を通して四季の変化を感じ、訪問客を迎える。様々な作業の場でもありました」。

加茂さんにとっては在宅勤務の合間に疲れや心を癒す場所となっている。

「仕事に疲れたときはここで一休みします」。

ラウンジチェアに寝そべり、そうほほえんだ。

縁側の過ごし方に小説の主人公の心理が現れているーーーーー。

そんなユニークな観点から夏目漱石の研究をしていたのは

京都産業大学の准教授=日本庭園史、エマニュエル・マレスさんだ。

フランス出身のマレスさんは日本語の勉強中に縁側と出会った。

「縁」という独特の概念の理解に苦労していたとき、授業で「縁側が家の内と外をつなぐように、

縁は人と人、物事と物事をつなぐ」と聞き、興味を持ったという。

漱石の小説には縁側がしばしば登場する。

中でも「門」は縁側のシーンが多い。

主人公夫婦の住まいは都内の縁側付きの小さな家だ。

夫の友人を裏切って結婚に至った罪の意識から夫婦は外部との交流を避けている。

妻は日が落ちてからのみ、2つある縁側のうち人目につかない崖に面した方にしか出ない。

マレスさんは妻にとって明るい縁側は「自分の罪と自白の元にさらすことであり、耐えられない」のだと指摘する。

小説の夫婦が縁側で客を迎えることはない。

「主人公の家の縁側は家族だけで楽しむ『内の空間』だったんです」マレスさん。

漱石自身にとっては、縁側とはロンドン留学中、懐かしい日本の暮らしの象徴として常に思い出す存在だった。

妻には「日の当たる縁側に寝転んで庭でも見るいこと」が帰国時の楽しみだと書き送っている。

今の時代も縁側と聞けば、古き良き時代を連想する人も多いだろう。

「縁側のある家が減った今も、縁側という言葉は日本文化の象徴として扱われていますね」とマレスさんは話す。

NPO法人まちの縁側育み隊の代表理事を務め2018年に亡くなった延藤安弘さんは、

縁側という言葉はうちと外が溶け合う暗喩で「現代社会のバリアを取り除いていく象徴」だと著書で述べた。

NPOでは地域の人々が気楽に立ち寄れる小規模な交流の場を「まちの縁側」と名づけ、各地の市民の手による「縁側」作りを支援してきた。

その一つ東京都世田谷区の「シャア奥沢」を訪ねた。

これが世田谷区の「シャア奥沢」です!

多摩美術大学の堀内正弘教授が運営するコミュニティースペースだ。

コワーキングスペースのほか、様々な趣味の会の場でもある。

取材時はピアノリサイタルが行われ、演奏後にピアニストと聴衆が和やかに談笑していた。

参加者の一人である50代の女性は、建物の前を通りかかると中から響く音楽に耳を澄ますという。

「暮らしの中にこの場所があると思い出して安心する。心地よい幸せな音です」

光や風の気持ちの良さ、ゆっくり流れる時間、他者とのつながり。

縁側のある家が少なくなっても、私たちは縁側に情緒的なイメージをいくつも重ねている。

それは憧れと懐かしさをかき立てる、理想の暮らしの入り口だ。

日経新聞 北松円香  井上昭義撮影。

 

それではこの件についてもう少し検索してみます。

 

 

縁側だが、その誕生は建物の床が板で造られるようになってから!

縁側だが、その誕生は建物の床が板で造られるようになってから!!!

 

[外界と室内をつなぐ縁側 その歴史と魅力を知ろう]

「縁側の起源と種類」

日本家屋の特徴ともいえる縁側だが、その誕生は建物の床が板で造られるようになってから。

しかも土地に余裕がなければ設けられないものであるから、縁側が一般庶民に

馴染みの深い存在になったのは、実はそう古い時代のことではないのだ。

しかし、貴族や武家、裕福な商家などは早くから取り入れており、現存する

最古の縁側は、奈良時代に建立された法隆寺東院の伝法堂とされる。

当時の仏堂は入母屋造か寄棟造が一般的で、木の床がなかったため、

切妻造りで床のある伝法堂は、住居として作られたものを改造したと考えられる。

外壁の周囲には、床より一段低い板敷の縁側が取り囲んでおり、落ち着いた雰囲気の建物だ。

平安時代になると、貴族の住居は板敷の床が一般的になり、

母屋の周囲に「ひさしの間」が作られるようになったのが、縁側の起源とされる。

京都にある桂離宮や二条城にもひさしの間が存在するから、興味のある方は見学してみてほしい。

縁側には、建物の外周に造られた「濡れ縁」や、

書院造りで濡れ縁と座敷の間に設けられた「入側縁」など、いくつかの分類がある。

また床板の貼り方によっても呼び名が変わり、

敷居と並行に貼ったものを「榑縁(くれえん)」、直角に貼ったものを「木口縁」「切り目縁」という。

「くれ縁」とは雨戸やガラス戸の内側にある縁側!

濡れ縁は屋根がなく、その名の通り風雨にさらされるため、腐食や風化に強い素材を選ぶのが必須。

入側縁には畳を敷いた「縁座敷」もある。

「西洋建築に見る「縁側」」

縁側は日本建築独特のものだが、西洋建築の「ウッドデッキ」や「ベランダ」「テラス」「ポーチ」「バルコニー」などは、縁側に似ている。

特にウッドデッキと濡れ縁は、一見するだけでは明確に区別するのが難しい場合もある。

濡れ縁には軒がついていることから、家の一部として設置されるのに対し、ウッドデッキは、家から独立しており、後付けも可能だ。

椅子とテーブルを置いて食事をしたり、炉をつくってバーベキューをするほか、デッキチェアに座って読書をしたり、

天体望遠鏡を設置して星空観察をしたりと、日本における縁側と似た目的で使われてきたようだ。

ちなみに、西洋建築で「テラス」「ポーチ」は一階の側面にあるものをいい、

二階以上にあるものは「ベランダ」「バルコニー」という。

それに対し、日本家屋では二階にあっても「縁側」だ。

「季節の情緒を感じ、社交の場としても機能する縁側」

縁側には夏の暑さと冬の寒さを和らげる機能がある。

室内に造られた縁側なら、戸外と縁側の間に一つ、縁側と室内の間に一つ、戸や壁があり、縁側部分に空気の層ができる。

これにより夏は太陽の熱を和らげ、反対に冬は断熱材となって外界の寒さを遮断してくれるのだ。

また、夏の夜には縁側で涼しい夜風にあたるなど、外界の空気を取り入れる場所としても利用できる。

縁側は、季節の情緒を感じるのに最適な場所にもなる。

秋の夜長は縁側で月見をしたり庭の虫の声を鑑賞したり、春は庭木に咲いた花を家の中から眺めたりするなど、

縁側は、季節の情緒を感じるのに最適な場所にもなる。

縁側は社交の場でもあった。

『枕草子』第八段には、中宮定子が出産の里帰りで平生昌の家に泊まったとき、

女房達がひさしの間で寝ていたら、主人の平生昌が忍んでやってきたと書かれている。

江戸時代の長屋に縁側はなかったが、「縁台」と呼ばれる木製の長椅子を玄関に出し、夕涼みや休憩の場としていた。

俳句で「縁台」は夏の季語とされており、浮世絵などにも多く描かれている。

大正時代に入ると、庶民の家でも庭に面した部屋に縁側が造られるようになり、

縁側に座ってお茶を飲みながら雑談をするシーンがよく見られた。

また、秋になれば干し柿をつるしたり、干し芋をかけたりし、近所の子どもたちが集まってそれらを食べたりした。

庭から出入りできる縁側は、気軽に集まれる場でもあったのだ。

「現代の縁側」

国土が狭い日本にあって縁側は「無駄な空間」と、徐々に姿を消してきたが、近年その良さが再認識されつつある。

また、古民家のリフォームの流行で、縁側の有効利用が注目されている。

たとえば、静岡県大沢村が毎月第2・第4日曜日に実施している「縁側カフェ」は、縁側の良さを味わえると評判だ。

あちらこちらの農家の縁側をお店として利用するのだが、日本茶の名所だけあって、

各家庭に茶畑があり、自宅でとれたお茶とお菓子を出してくれる。

お休み料は300円。

参加者数は季節により増減するが、「昔ながらの日本の余暇を楽しみたい」と、各地から多くの人が訪れているようだ。

自宅に縁側があるなら、たとえば夏場は庭に向かって座り、たらいなどに入れた水に

足を漬けながら、スイカやかき氷を食べれば、涼を得られるはず。

庭がせまくて樹木を植えられなくても、へちまや朝顔を植えれば、緑を楽しむことができるだろう。

夜は縁側に腰かけて花火はいかがだろうか。

お友達を招待した際は、縁側でゲームやトランプをしてみてはいかがだろうか。

一昔前までは、縁側で囲碁や将棋を打つ風景をよく見かけたものだ。

月見の夜にはススキを飾るのも良いし、冬の雪見も縁側からなら寒さを感じずに済む。

そのほか、雨の日は洗濯物を干せるし、晴れた日は日向ぼっこをしたり、本や衣類の虫干しをしたりできる。

しかし、縁側のない住宅に住んでいる人が縁側を楽しむにはどうしたらよいのだろう。

利用方法は欧米におけるウッドデッキと似ているから、スペースがあるならDIYでウッドデッキをセットしても良いかもしれない。

日本の風景にこだわりたいなら改築するしかないが、その余裕がないなら、縁台を購入してはいかがだろう。

庭や玄関に縁台を置き、夏の夜に夕涼みを楽しめば、ご近所との交流も生まれるかもしれない。

PRESS 記事より。

 

 

水回りと居室をつなぐうち廊下ができると縁側はくつろぎの場に変化!

縁側の良さを再発見する人が増えている!水回りと居室をつなぐうち廊下ができると縁側はくつろぎの場に変化!

 

今日のまとめ。

縁側の良さを再発見する人が増えている。

明るく風通しが良く、時には換気が良い社交の場に早変わりする。

建物の外と内をつなぐ境界であり、近年は地域の交流を象徴する言葉でもある。

縁側で自然やご近所をすぐそばに感じる時間は、懐かしくもまた新鮮だ。

内廊下のない和風家屋の独特の構造で、主に通路の役割を果たしていた。

「大正時代に水回りと居室をつなぐうち廊下ができると縁側はくつろぎの場に変化し、幅も広くなりました」

そこでベランダに板を敷いて、縁側に変身させたのだ。

シェードで日差しと外の視線を遮り、居間から靴を履かずにそのまま出られるようにした。

爽やかな外気が楽しめる一方で、ガラス戸を隔てた室内とも一体感がある。

古いガラス戸の雰囲気も良くて癒されます」という。

「刈り込みすぎず野趣を残している」平田さん という南向きの庭と軒下の縁側の対比も美しい。

今や出会いの場、仕事場、カフェと多種多様に存在感を放っている。

縁側のある家が少なくなっても、私たちは縁側に情緒的なイメージをいくつも重ねている。

それは憧れと懐かしさをかき立てる、理想の暮らしの入り口だ。

日本家屋の特徴ともいえる縁側だが、その誕生は建物の床が板で造られるようになってから。

しかも土地に余裕がなければ設けられないものであるから、

縁側が一般庶民に馴染みの深い存在になったのは、実はそう古い時代のことではないのだ。

今日は新型コロナ渦の中で存在感を表している縁側の魅力について記述してきましたが、

かつては水回りと居室をつなぐうち廊下ができると縁側はくつろぎの場に変化し、

日本家屋にとって縁側がいかに貴重なものかよく理解でき、

現代においても尚、必要不可欠な存在に改めて気づかされました!

これが我が家のウッドデッキでバーベキュー炉があり便利!10人ぐらいの友人が集まりパーティができます!

ところで我が家は狭い家で、そのためデッキをつけて居間とつないで快適に過ごしています。

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。