空爆の爪痕・ラオス!恐ろしい事実を誰も知らない・と思う!米軍による激しい爆撃!

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一見のどかで美しい田園風景にみえるが、点在する穴は、ベトナム戦争中、米軍による激しい爆撃でできたもの!


空爆の爪痕・ラオス!恐ろしい事実を誰も知らない・と思う!米軍による激しい爆撃!

 

ラオス北部、シエンクアン県ポーンサワンに広がる水田地帯。

一見のどかで美しい田園風景にみえるが、点在する穴は、ベトナム戦争中、米軍による激しい爆撃でできたもの。

現在は養魚池や灌漑=かんがい 用のための池として利用されることが多い。

行き方ー成田空港ーピエンチャン空港 プノンペン経由、約11時間ーシェンクアン空港 国内線で約30分ー車で数時間。

 

 

ベトナム戦争中の激しい空爆で焦土と化したラオス!


空爆で焦土と化したラオス!経済成長を続け、着実に復興を果たしつつある!!

 

[ラオス 空爆の時代を越えて]

ベトナム戦争中の激しい空爆で焦土と化したラオス。

だが持ち前のたくましさで年に8%近い経済成長を続け、着実に復興を果たしつつある。

ベトナム戦争中、米軍は200万トンを超す爆弾をラオスに投下した。

平均すれば1964~73年の9年間、8分ごとに1機の爆撃機が空爆した計算になる。

この焦土から、ラオスはどのように復興を果たしたのだろうか。

ベトナム戦争中、米国政府は何度か空爆の停止を発表した。

だが米国内の弾薬庫から太平洋のはるかかなた、1万2000キロ離れた戦場へと至る

武器弾薬の流れは、スイッチ一つで止まりはしない。

ベトナムに落とされず行き場を失った爆弾は、ラオスに投下された。

それは世界で最初の、武器の供給が原動力となった戦争だった。

大量生産された爆弾は質が悪く、推定8000万個のボール爆弾が着弾時に爆発せず、不発弾として現在もラオスを脅かす

大型爆弾も、最大10%の不発弾が残っていると推定される。

「今も人々の命を脅かす大量の不発弾」

ラオスの人々がいかに寛大でも、国内に大量の不発弾がある限り、爆弾の存在を忘れることはできない。

ラオスの人々がいかに寛大でも、国内に大量の不発弾がある限り、爆弾の存在を忘れることはできない!

この場合、忘却は死を意味するからだ。

小さなボール状の爆弾はおもちゃのようだが、決して子どもに触れさせてはいけない。

不発弾がもし爆発すれば、顔や手足を吹き飛ばされ、悪くすれば命を落とすことになるのだ。

2014年、米国の連邦議会は不発弾の撤去のために1200万ドル(約14億4000万円)の予算を充てた。

一方、ラオスの米国大使館の移転新築にかかる総費用は1億4500万ドル(約175億円)である。

この金額の差には、米国の優先順位がよく表れている。

自国の外交官の身の安全の確保には尽力するが、米国がラオスに対して行った

過去の行為の責任は、ほとんど考慮されていないのだ。

ラオスの国土にばらまかれた不発弾のほとんどは米国で製造され、米軍が投下したものだというのに。

だが、ラオスの人々はたくましい。

その精神は外国人にも自国の支配者にも、ついに屈することはなかった。

今後も彼らは、たとえ頭上から何が降ってこようと、暮らしに役立つ何かに変えてしまうだろう。

ベトナム戦争中にB52爆撃機が捨てていった燃料タンクを、ラオスの職人たちはスマートなカヌーに仕立て直した。

その出来栄えの見事さは、英国ロンドンの帝国戦争博物館がコレクションに加えたほどだ。

ラオス経済は現在、年に8%近い成長を続けている。

人民革命党が率いる社会主義国という体制に変わりはないが、政府の指導層の役割は一変し、

今や東南アジアにおける自由貿易圏の確立を推進している。

ラオスは2020年までに国連の「後発開発途上国」リストから脱却することを目指している。

「編集者からーーー-」

ベトナム戦争のときに米軍がラオスに激しい空爆を行ったことを、今回の特集で初めて知りました。

投下された爆弾は200万トン以上。

そんな重い過去と現実がつづられているのですが、読んでいてなんとなく明るい気持ちになるのが不思議です。

それは記事に出てくるラオスの人々の、たくましさのおかげかもしれません。

兵器のスクラップでスプーンを作る工房の主人や、不発弾で農地が使えなくなり移住してきた一家…。

今や年に8%近い経済成長を続けるラオスの、「強さ」の一端に触れた気がします。(編集H.I)

NATIONAL GEOGRPHIC 記事より。

 

 

爆弾は「雨のように降った」とラオスの人は言う!

爆弾は「雨のように降った」とラオスの人は言う!約7500万の不発弾と2億8800発のクラスター弾が!!

 

[オバマ氏、米国のラオス空爆に遺憾の意 「史上最大の爆撃」]

爆弾は「雨のように降った」とラオスの人は言う。

現役米大統領として初めてラオスを訪問中のオバマ氏は6日、「この国との歴史を思えば、

米国はラオスの回復を助ける道義的責任があると思う」と述べた。

1960年代から70年代にかけてベトナム戦争中に米国がラオスをひそかに、

かつ徹底的に空爆したことを念頭においての発言だ。

米国は今後3年間で、ラオス国内に大量に残るクラスター爆弾など

不発弾の撤去に約9000万ドル(約90億円)をつぎ込む方針。

過去20年の間に使われた不発弾撤去費用は、1億ドルだった。

「爆弾はどれだけ投下されたのか」

オバマ大統領は、史上最も空爆された国とラオスを呼んだ。

1964年~1973年のベトナム戦争中、平均して1分に8発の爆弾が投下された。

第2次世界大戦を通じて使用された爆弾の倍以上だ。

米軍爆撃機はラオス上空を58万344回飛行し、2億6000万発の爆弾を投下した。爆発物200万トンに相当する。

南部と北部には、何度も何度も繰り返し爆撃された標的が多数ある。

南部と北部には、何度も何度も繰り返し爆撃された標的が多数ある!

投下された爆発物のほとんどが、対人クラスター爆弾だった。

そのうち3割が不発だったと推定されている。

18あるラオスの地方行政区画のうち、10県が不発弾によって「深刻に汚染されている」と言われる。

不発弾処理機関によると、ベトナム戦争とラオス内戦が終結した時点で、

ラオス国内には推定で約7500万の不発弾と2億8800発のクラスター弾が残された。

「クラスタ爆弾はなぜそれほど唾棄されているのか」

クラスター爆弾は大型容器に複数の子弾を搭載している。

地上から発射され、あるいは空中から投下され、広範囲に爆発物を拡散する。

子弾の多くは着弾時に爆発しないことが多く、そのまま地雷となって近づく人を無差別に殺傷する。

位置の特定と撤去が困難で、紛争が終わってからも長い間、民間人にとって大きな脅威となる。

子弾は一見するとおもちゃのようにも見えるため、子供が近づいてしまうことが多い。

クラスター弾条約は、ほとんどすべての既存クラスター爆弾の備蓄、使用、移動を禁止しており、

締約国は不発弾を除去しなくてはならないと定めている。

これまでに108カ国が条約を採択したが、米国は含まれていない。

米国が1995年~2013年にかけてラオスの不発弾撤去にかけた費用は、戦争中の3日間の空爆費用に相当するという。

2020年8月に予定される次の条約締約国会議で、ラオスは不発弾除去の期間延長を求める見通しだ。

「不発弾による犠牲者数は」

「地雷クラスター爆弾モニター」推計によると、空中投下された

爆発物(ほとんどがクラスター弾)でラオスで1964年以降に被害に遭った人数は約5万人。

そのうち約2万9000人は死亡し、約2万1000人が負傷した。

大多数は民間人だった。

近年の死傷者数はわずかな数にまで減少しているが、不発弾の危険があるため、農家は農地を利用できず、

不発弾除去が終わるまで有効活用されない農地が多く残されている。

「米国からの資金供与は問題解決につながるか」

地雷撤去専門の非政府組織「ヘイロー・トラスト」や「マインズ・アドバイザリー・グループ」(MAG)、

「ノルウェー市民援助」(NPA)、「UXO(不発弾)ラオス」、

「ハンディキャップ・インターナショナル」など複数の団体は、オバマ大統領の声明を歓迎している。

「大統領声明の前までは、ラオスの不発弾撤去は何百年もかかると思っていた」と

多くの米国人は米軍によるラオス空爆の規模を知らない!

MAGのラオス担当責任者サイモン・レイさんは、BBCに話した。

「今ではそれが数十年にまで短縮できると期待している」。

「大統領の声明は、私たちにとって、そしていまだに不発弾に苦しめられている遠隔地の貧しい家庭にとって、非常に朗報だ」

同様に「ヘイロー・トラスト」のジェイムズ・コーワンCEOは、大統領声明がラオスの人々に大きな影響をもたらすと評価。

「自分たちの土地の上で安全に生活して、農業を行えるようになる。

開発やインフラ整備の機会にもつながる」、「戦争が残した爆発物によって、

あまりに長いことラオスの人たちは生活を損なわれてきた。

死をもたらす戦争の残骸から解放される日に向けて、ラオスは歩み続けている。

そのラオスにとって、(大統領声明は)とてつもなく重要な一歩だ」と述べた。

「調査による効果は?」

「今まで以上に、汚染の度合いが把握できるようになった」と

NPAのルーシー・ピンチス上級研究顧問はBBCに話した。

「三角測量データを使って地雷に汚染された土地を区分けしている。

そうすれば、地雷を効率よく撤去できる」

援助団体はさらに、ラオス南部の「ホーチミン・トレール」(北ベトナム軍補給路)や

北部の共産党本部周辺に集中した米軍の空爆記録を入手。

国防総省記録から、どこの土地が爆撃されたか、どこに不発弾がありそうか、特定しようとしている。

「地雷撤去の国際NGO同士の連携がここ数年で増えているのも、この取り組みを大いに前進させた」と

NPAラオス担当責任者のヨナス・ザクリッソンさんはBBCに話した。

しかしそれでもザクリッソンさんはあえて、

「国の大半はまだ未調査のままで、問題の程度や性質について情報が限られている」

と慎重姿勢を示している。

「現在のラオス―米国関係は?」

現職米大統領として初めてラオスを訪れたオバマ氏は、ラオスに対して明確な融和姿勢を示し、

米軍の爆撃が「多くの村や山間の渓谷を丸ごと破壊し、無数の民間人を殺害した」と述べた。

ラオスのブンニャン・ウォラチット大統領は、オバマ氏の姿勢が両国間の

信頼拡大につながると歓迎し、行方不明米兵の発見と帰還に今まで以上に協力すると約束した。

BBC NEWS 記事より。

 

 

ラオスで不発弾の処理をするスタッフ!


癒えぬ戦争の爪痕!不発弾と暮らす人々!8分に1回空爆が行われ、1人当たり1トンの爆弾が落とされた!

 

[癒えぬ戦争の爪痕/ラオス]

「不発弾と暮らす人々」

ラオス北部の町ポーンサワンにやってきた。

家々を囲む柵やレストランの店先を飾るオブジェ、はたまた鮮やかな花を咲かす植木鉢まで、

生活のいたるところにクラスター爆弾の大きな弾体が活用されている。

クラスター爆弾とは一つの親爆弾から数百個の子爆弾が飛び散る無差別殺戮兵器である。

普段は目にすることがない代物が、なぜこれほどにも多く存在するのか。

その疑問に答えてくれる場所が町中にあった。

「「シークレット・ウォー」」

メインストリートに面するMAG(Mines Advisory Group) UXO(unexploded ordnance=不発弾)ビジターインフォメーションセンター。

英国の地雷除去団体MAGが運営しているこの施設では、展示物を通じてラオスの歴史に刻まれた凄惨な出来事が語られていた。

ベトナム戦争中の1964年から1973年の間、ベトナムの隣国ラオスは中立国であるにもかかわらずアメリカによる執拗な空爆に晒された。

爆撃は、北ベトナムの拠点であったシェンクワン県(県庁所在地がポーンサワン)や軍需物資の補給路、いわゆるホーチミンルートを狙ったものだった。

爆撃から逃げ惑う親子の像(ビエンチャンで)   爆撃の回数は計58万回、落とされた爆弾の量は200万トン以上。

8分に1回空爆が行われ、1人当たり1トンの爆弾が落とされたことになる。

このような事実に関する国際社会の認知度は低い。

なぜなら国際法に違反する「中立国への空爆」行為を、米国がひた隠しにしてきたからだ。

米軍による対ラオス作戦が「シークレット・ウォー」(秘密の戦争)と呼ばれるゆえんである。

戦争から40年以上経つ現在も、ラオスには戦争の深い爪痕が残されている。

国土の3分の1以上を汚染している不発弾によって多くの民間人が犠牲になっているのだ。

死傷者数はこれまでに計5万人にも及ぶ。

中でもクラスター爆弾から飛び散った子爆弾、別名「ボンビー」による被害が最も多い。

テニスボールほどの大きさのボンビーは、興味本位で子どもたちが拾ったり、地中に埋まっていることを

知らずに農夫が鍬で叩いたり、料理のために起こした火の熱が地中に伝わると、炸裂。

中に仕組まれた数百個の金属片が人の身体や建物を貫き、破壊する。

痛ましい被害の数々に胸を詰まらせながらインフォメーションセンターを見て回っていると、

MAGを支援する団体のロゴが目に入ってきた。

その中に加害国である米国の国旗があった。

MAGで働くマイ・へーさん

16年9月、現役米国大統領として初めてラオスを訪れたオバマ大統領は

不発弾処理のために向こう3年間で約9000万ドルを拠出するとした。

しかし、それは一時的な支援の表明に過ぎず、根本的な問題解決のためにはすべきことが山のように残されている

「米国の援助はまだまだ不十分。そもそもインフォメーションセンターを訪れる米国人の多くが戦争被害の実態を知らないんだ」

受付にいたMAGのスタッフ、マイ・へーさん(34)は、そう言ってため息をもらした。

彼の義理の兄もまた、不発弾被害者の1人であった。

「やめるわけにはいかない」

ポーンサワン中心部から北東へ約1.5㎞行くと、ラオス政府による不発弾処理機関「UXOラオ」の事務所がある。

そこで思いがけず、JMAS(日本地雷処理を支援する会)で活動する日本人男性(60代)に出会った。

偶然にも、彼は東京・王子の高校を卒業していたため、近くに位置する東京朝高の存在をよく知っていた。

「朝高VS帝京のケンカをしょっちゅう目にしていたよ。

いつかは十条駅で何十人もの学生が集まり、電車が止まるくらい激しい乱闘を繰り広げていた」。

ある意味、戦場である。

UXOラオ事務所を案内してくれた不発弾処理チーム総責任者のブアリン・ソリンパンさん

彼の協力をもらい、不発弾処理チームの総責任者であるブアリン・ソリンパンさん(53)に話を聞いてみた。

不発弾によって家族や親戚、村の人々を失ったブアリンさんは、

96年のUXOラオ創設を機に決意を固め、母の反対を押し切って処理活動を始めたという。

  不発弾の問題は祖神部から遠いい遠隔地が深刻だ!

「初めの頃はもちろん怖かった。常に危険がともなう仕事だからね。

これまで2人の同僚を失った。だけど自分の国に不発弾が残っている限り、活動をやめるわけにはいかない」

UXOラオの事務所には何種類もの爆弾が展示されている。

ラオス17県のうち9県に事務所を置くUXOラオは現地調査や処理活動のほか、

不発弾に関する子どもたちの認識を深めるため啓蒙活動を行っている。

地道な活動の結果、死傷者の数は年々減っているが、不発弾処理はいまだ国内全体の1%ほどしか進んでいない状況だ。

ラオス全土が安全化されるには200年以上もの時間を要するという試算もある。

事務所ではキンフェット・ピンマーホン所長(57)に笑顔で迎えられ、

一日の作業を終えたスタッフたちとの宴にも加わることができた。

ともに杯を交わしたUXOのスタッフたち。翌日は不発弾処理の現場へ。

「カンパイ、イッキ!」。

JMASの日本人男性が教えた乾杯のコールが何度も起こり、一本、また一本とビール瓶が空になっていく。

自称「共産主義者」の所長はベトナム戦争時のつらい体験を口にしながらも、当時朝鮮が

北ベトナムを支援したことについて触れながら「今でも朝鮮を信じている」と言って

「カンパイ、イッキ!」を叫んだ煽りを受けた筆者はコップに注がれたビールを思い切って流し込んだ。

そればかりか、「明日は一緒に不発弾処理の現場に向かおう」との

所長の提案も、勢いのまま飲み込んでしまった。

(李永徳) 記事より。

 

 

ラオス内戦終結後、7500万の不発弾と2億8800発のクラスター弾が残された!


大量生産された爆弾は質が悪く、推定8000万個のボール爆弾が着弾時に爆発せず、不発弾として!!!

 

今日のまとめ。

ラオス北部、シエンクアン県ポーンサワンに広がる水田地帯。

一見のどかで美しい田園風景にみえるが、点在する穴は、ベトナム戦争中、米軍による激しい爆撃でできたもの。

現在は養魚池や灌漑=かんがい 用のための池として利用されることが多い。

ベトナム戦争中の激しい空爆で焦土と化したラオス。だが持ち前のたくましさで年に8%近い経済成長を続け、着実に復興を果たしつつある。

ベトナム戦争中、米軍は200万トンを超す爆弾をラオスに投下した。

平均すれば1964~73年の9年間、8分ごとに1機の爆撃機が空爆した計算になる。

ベトナムに落とされず行き場を失った爆弾は、ラオスに投下された。

それは世界で最初の、武器の供給が原動力となった戦争だった。

大量生産された爆弾は質が悪く、推定8000万個のボール爆弾が着弾時に爆発せず、不発弾として現在もラオスを脅かす。

大型爆弾も、最大10%の不発弾が残っていると推定される。

ラオスの人々がいかに寛大でも、国内に大量の不発弾がある限り、爆弾の存在を忘れることはできない

この場合、忘却は死を意味するからだ。

小さなボール状の爆弾はおもちゃのようだが、決して子どもに触れさせてはいけない。

このクラスター爆弾はおもちゃのように見えるため、子供の被害が多い!

不発弾がもし爆発すれば、顔や手足を吹き飛ばされ、悪くすれば命を落とすことになるのだ。

こんな事実があったなんて、多くの人々は知らない!

ベトナム戦争で被害を受けたのはなんと隣国ラオスで、いまだに多くの不発弾で脅かされ続けているのだ。

それにしてもベトナムと戦争をしているのに、行き場を失った爆弾を

隣国のラオスに落とすとは、米国の情けなさにあきれ返りました。

中でも小さなボールのような爆弾はおもちゃのようにしか見えないが、決してこともが触ってはいけない!

危険極まりないのです!

米国は国を挙げてこの不発弾の全てを処理しなければならない責任があります。

オバマ前大統領が、米軍の爆撃が「多くの村や山間の渓谷を丸ごと破壊し、無数の民間人を殺害した。

と謝罪したが、これで終わりではない、これから時間をかけてでも不発弾の処理を続けていかなければなりません!!

米国はそれだけの責任を自覚してほしいものです!

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。