穂高をジャンダルムを愛した男・宮田八郎!命の映像記録!日本一険しい縦走路に挑む!

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穂高の代表的な写真。


穂高をジャンダルムを愛した男・宮田八郎!命の映像記録!日本一険しい縦走路に挑む!

 

今日は日本一険しい縦走路・日本一美しい穂高とジャンダルムを取り上げてゆきます。

その美しさとは、一つには下から見上げた時の扇状カール越しに見え聳える穂高の勇姿!

梓川と扇状カールと穂高!

二つ目には西穂高とジャンダルム越しに見た時の奥穂高の険しくも美しい・日本一の美しさ!

その日本一険しい縦走路に挑む宮田八郎さんの映像記録です!

「穂高を愛した男 宮田八郎」 命の映像記録!

原始の穂高!禅秋の色!

一瞬だけの、そして星空と山のコントラスト!

いいカットが撮れた時はしばらく幸せに暮らせる。”岳”人気漫画、山岳レスキューの世界、そのモデルに!山岳レスキューのエキスパート!

愛する穂高で向き合ったのは「なぜ人は山に登るのか!」という究極の問いかけでした。

そしてその穂高での30年の登山で、その答えにたどり着きました。

生きるために登る!

穂高を愛した男「宮田八郎」命の映像記録!

穂高を愛した男「宮田八郎」!

その宮田八郎はシーカヤックで練習中に北海道知床の海で亡くなりました 52才!!

穂高の映像記録が500本以上残されている。千時間に及ぶ映像記録!

亡くなる前年に穂高への願いが残っていました。

ぼちぼちいこうか!

思えば僕は仕事も嫁はんも家庭も仲間も生きがいも—–つまりは自分の人生そのものを穂高から与へられてきました。

今、つくづく抱く思いは「感謝」です!

なので何か穂高への恩返しはできないものかと願うのです!

山小屋での生活と穂高の美しい映像が刻まれていました。

4月、ヘリポートに小屋へ運ぶ荷物が集められた!

これから200日に及ぶ山小屋生活!

標高3000mで気温零度、風速30mの世界にいきなり入る。

自分の身の安全を!

簡単に死ねる場所だから!

7ヶ月以上家族との別れ!

雪に覆われた穂高岳山荘に到着。

雪にお覆われていて2階の窓から山小屋に入る。

室内は霜で覆われていた!

日本海から湿った空気が山々にぶつかって、ここは世界屈指の豪雪地帯!

ここが冬になると、日本屈指の豪雪地帯に!

開業まで10日間、皆で作業する。

標高3000mの山々から連なる北アルプスの穂高連峰!

3110mの涸沢岳!

その横の脇がこの山荘!

最高峰の奥穂高岳は3190m!

そこから峰続きのジャンダルムはフランス語で憲兵という意味。

これが聳えた岩の姿「ジャンダルム」!

聳えた岩の姿から名付けられた。

山々の中腹に広がるのは涸沢カール!かつて氷河でできた谷!

5月、多くの登山者が!

さながらラッシュアワーのエスカレーターのよう!

多い時には400人の宿泊者が!

夏でも夜は10度以下の穂高!

最も重要な仕事は水源から水を確保すること!

1日掛りの水場探し!

探した水は酒より旨い水!

命の水!

穂高の雪を含めた降水量は5000mm以上で、屋久島に匹敵!

この水が多くの人の命を育みます。

八郎さんはこの冬多くの命を映像に納めてきました。

八郎さんしか知らない秘密の場所があり、そこは高山植物の宝庫!

二輪草が咲き誇る!

二輪草の別名はアネモネ!

ギリシャ語で風が語源。風の花!

涸沢カールは花の楽園!

イワギキョウは逞しい花!

ハクサンイチゲの花は強靭だ!

このような大自然の中で、厳しい自然に自分の人生を重ね合わせていました!

神戸大学時代—–父との登山体験が登山への道に繋がった。

その体験とは、二時半に起こされ、朝食をとり、頂上へ向かった!

その時登山者の姿が霧の中に!

この日ブロッケンと共に現れた白い虹!珍しい現象だ!

太陽の上下に柱が見える「太陽の柱」

これが太陽の上下に柱が見える「太陽の柱」!

風の弱いときにしか見えない幸運の光!

数々の奇跡の瞬間が!

いつからかこの「グリーンフラッシュ」ができたことが—–太陽が沈むその時に緑に輝くグリーンフラッシュ!!

太陽が沈むその時!神秘の輝きグリーンフラッシュ!

標高の高さと澄んだ空気の時の姿!

穂高だからこそ見える神秘の光!

山小屋勤は大変な作業の連続でそれが、小屋番たちに引き継がれてきた。

山では誰かを頼りにしてはダメ!

裸足で歩くことこそ大事だと教わった。

8月穂高の短い夏—–積乱雲が空を覆う。

閃く稲光!にわか雨!

それが終わるとご褒美のような美しい虹!

八郎さんは穂高の雲にも魅了された!

9月の空は雲劇場!

穂高の空はまるで雲のキャンバスのよう!

日本海から湿った空気が3000m級の山々にせき止められた雲海!

穂高では雲海が様々な表情を見せます。

この雲海が様々な表情を見せます!

強い風が雲海を押し流し流れ落ちる滝雲!

穂高の切り立った断崖に沿って、雲が流れ落ちてゆきます。

雲海に太陽光に光と風が合わさり二度と見ることのできない風景が見られます。

穂高に暮らす八郎さんにしか撮れない自然の芸術です。

10月、穂高は最も華やかになる季節!

八郎さんが狙ったのは穂高でも稀にしか見られない紅葉です。

うっすらと雪化粧した山を背景にナナカマドの赤、ダケカンバの黄色!

そしてハイマツの緑、これが三段染!

これが三段染!穂高一瞬の見事な景色!

三段染とは季節が稀に見せてくれるコントラスト!

涸沢の紅葉と新雪となるとそうそうはお目にかかれない!

だがその夜に溶けてしまう束の間の絶景!

11月、山小屋は別れの季節。スタッフとの別れ。

楽しくも過酷な穂高での暮らしは青春の日々であったに違いありません。

ほんまおつかれさん!

ついに7ヶ月の山小屋での生活が終わりました。

山を降ります!

12月、冬の穂高は人を寄せ付けない、厳しさに変わります。気温マイナス20度、風雪30m以上の吹雪!

だが八郎さんは一人穂高へ!

どうしても撮りたいものがあったから!

その原点は1999年、本当に凄い光景やった!

稜線に沸く焼き雲、烈風に噴きあがる雪煙!

岩峰ジャンダルムの勇姿!!

岩峰「ジャン」の勇姿!

これが原始の穂高だ!

強烈な寒さと風が八郎さんを襲います!

カメラを取り上げてジャンダルムを撮ろうとしたその時、寒さと強風でカメラが止まった!

ワンカット限りで!愕然!

まあでもあれを撮ってしまったら—–その後情熱を燃やすものが少のうなるから!

だからいつかキット!

毎年、真の穂高を撮るために穂高に「登りつめ」ました!

そして神秘の穂高に出会ってから12年、ついにその瞬間を迎えた!

天気図は今夜がラストチャンスだと!

祈るような思いで夜中の空を見上げる!マイナス20度の冷気の中!

空を覆い尽くす満天の星と雪煙の吹き上げる奥穂の岩峰!凄い!

心の中でガッツポーズ!

その後も原始の穂高を追い続けました!

俺、ほんまに穂高を愛している!

※ジャンダルム は、飛騨山脈穂高連峰・奥穂高岳の西南西にあるドーム型の岩稜。標高は3,163 m。

名称はスイス・アルプス山脈のアイガーにある垂直の絶壁の通称に由来するが、本来はフランス語で武装警察官、一般警察業務を行う国家憲兵のことで、

転じて山岳用語としては、尾根上の通行の邪魔をする岩をいう 。 ウィキペディア

 

 

レスキュー活動も八郎さんのもう一つの仕事!


穂高を愛していた八郎さんのもう一つは!レスキュー活動!山のスーパーヒーロー!!

 

ここで目の当たりにした数々の死!

人は何のために山に登るのか!八郎さんはその究極の問いに向き合っていた!

去年亡くなった八郎さん!

30年にわたって穂高を撮影し続けました!

千時間を濾す映像には穂高の厳しくも、美しい姿が刻まれています!

レスキューでは30人以上の登山者を助けました。

しかしその一方で数多くの犠牲者を—–!

人はなぜ山に登るのか!その過酷な問いに!

3000mの穂高!荒々しい姿も!垂直の岩綾!道無き道!

冬の豪雪そして強風!

年間10人以上が亡くなる死の山!

山小屋で働く傍らレスキュー活動も!

八郎さんの救助は凄かった!!

一人の遭難者の救助—–尾根から100m転落!

ロープで固定し救助に向かう!

急がないとヘリが近ずけなくなる!

雲が直ぐそこまで来ていた!間に合うか!

出血をした遭難者に応急処置をし!

ハーネスを装着し、ヘリで釣り上げる準備完了!

周囲はガスが湧き始めています!

ヘリが到着!無事収容!

5分10分遅ければヘリは近ずけなかった!

八郎さんの、この救助は凄く適切であった!

神戸大学をやめて山小屋へ入った八郎さんは、山のスーパーヒーローでした!

男はあれや!

八郎さんは先輩に学びレスキューに入りました!

助ける相手への責任と任務!なんとかする!なんとかせねばならない!

それがレスキューだ!

二次遭難の危険があることも!

ある時は、遭難した二人は折りたたみテントで体を温めからの救助に!

それはとても厳しい救助でした!

歩き始めて一時間、二人は回復の兆しが!八郎さんのギリギリの決断が二人の命を救いました!

死亡事故は無くなることはなかった。

大好きな山は否定されるべきでしょうか?

「山のパンセ!雪、氷、風」串田孫一は詩人で哲学者。

これが山のパンセ・串田孫一著。

山は人々が気が付いている以上のメッセージを伝えていた!

その一節から「木々は不要なものとしてその木の葉を捨てたわけではない!風に託して大地に返した!」

更に串田孫一は、山にこそ命がある人は山の声に耳を澄ませるべきだ!

そしてそのことを風で表現しました。

「山の風は息づかいであり、大きな存在として生きている証であり、また風は山の感情であり表現の手段でもある!」

そんな風を映すことに執着しています。

山が本気で荒れた時には、たやすく人の命を奪っています—–だからこそ大自然への脅威を感じるし、それを美しいと思うのでしょう!

串田さんの語る世界は、僕が穂高の中に生きている活動とを、間違いなく見てくださっています。

自然に対してレンズを向けるのではなく、理解をした上でファインダーを覗き、自然が語りかける言葉に真摯に向き合うのです。

穂高の自然が語りかける言葉に耳を澄ませるようになった、八郎さん!

これまでなんども撮影してきた、雷鳥に込めたメッセージで感じるようになっていました。

雷鳥の眼差しの健気な姿に心打たれる八郎さん!

命がけで我が子を守ろうとする、雷鳥の眼差しの、けなげな姿に、どこか悲しいに—–心打たれます!それはけなげな野生そのもの!

僕には四人の家族がいます。

その末娘が我が家から大学の進学のために旅立ちます。

思いは24年前に!

一年の半分以上を家を空け、穂高の山小屋で好き放題やっていた僕!

四人の子育てを嫁さんは見事にやってのけました。

八郎さんと二人を結びつけていたのは「おにぎり」でした!

 

 

山には人生をかけてでも登る価値がある!


危険な山には入るべきでは無いのか??山には人生をかけてでも登る価値がある!人生を輝かせる為に!

 

四年前衝撃が襲います!今井さんがチョモランマ北壁で行方不明に!!

そして12月有名なクライマーの谷口けいちゃんが、登山界のアカデミー賞「ピエドール賞」を受賞した彼女が、北海道の山で滑落死!

今はまだ言葉にはできません!

ブログの更新はこの時から途絶えてしまいました!

山で死んではいけない!八郎さんはそうノートに残していた!

やはり危険な山には入るべきではないのか??

山があったからこそ輝くことができた!

谷口さんの死を僕は肯定したい!

だってあんなに力一杯生きた人を他に知らないから!

谷口さんの死を通して一つの答えに!

山にはその人生をかけてでも登る価値が確かにある!

人は何も死ぬために登るのではなく、人生を輝かせるために登る!

明日を生きる大切な燃料になります!

その後、その穂高の撮影に尚一層力を込めた!

捨てた時間は消えたのではなく明日を生きる大切な燃料になります!

私はこの月明かりの雪山を思い浮かべます!月明かり!

そしてそれはいつも音もなく、雪煙を舞い上げているのです!

それはあたかも人が寝静まっている間に一夜のジャンダルムの星月夜!!

だが自然は私の予想をはるかに上回ります。

だから飽きることもなく何年も山を撮り続けているのです!

山に入って!30年!

雪をまとった穂高には神々しさが!

人の世の汚れを覆い尽くしているかのように!

山や雪や星や—–ほんのささやかな時を過ごしてきたのかもしれません!

それでも私には抱えきれない思い出の積もった山です!!

2018年4月八郎さんはシーカヤックの練習中に亡くなった!

俺には「おにぎり」は特別なもの!

2019年9月和子さんは八郎さんが30年過ごした穂高に!!

山に備えたのは八郎さんの写真、愛犬、そして「おにぎり」—–穂高を愛した男!八郎!

「穂高を愛した男 宮田八郎」 命の映像記録!をBSで見て記事に書き起こしました。

八郎さんの穂高を愛した記録が伝わってくると同時に、八郎さんの人生そのものが手に取るように理解でき—–凄い人生だと感極まりました!

危険な山には登るべきでは無い—–何なのか??

究極の問いかけです!

だが!山には人生をかけてでも登る価値がある!人を輝かせる為に!!

これが八郎さんの生き様!

八郎さんの人生そのもの!!

110分のBSの映像からでした!!

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。