「謎の民」苗族=ミャオ族!彼らのルーツは一体何処にあるのか!アイヌ文様に酷似?!

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ミャオ族伝統の衣装デザイン!アイヌ文様と酷似しています!


「謎の民」苗族=ミャオ族!彼らのルーツは一体何処にあるのか!アイヌ文様に酷似?!

 

秘境中国「謎の民」 苗族=ミャオ は人が亡くなると棺を担いで山に登る!

一体彼らのルーツはどこにあるのか!謎を解く鍵は青銅器にありました!

この青銅器の不思議な文様

そして山頂で見つかった2000年前の墓地!

苗族=ミャオ は古代王国の末裔でした!

死後の魂は先祖が暮らした幻の王国へ帰ってゆくのです!

私たくし達は苗族=ミャオ族 の村を半年間に渡って撮影しました。

山々に囲まれたこの場所こそ、我々にとって安住の地なんだ!

この秘境にどんな伝統が生き付いているのか、苗族=ミャオ族 の暮らしを見つめて、王国の一族に繁栄あれ!

「山頂に響く魂の歌」

貴州省の省都の南西へ200km—–紫雲県です。

夜郎国はこの辺りです!

標高2000m級の山々!雨水が石灰岩の大地を侵食して、できた不思議な光景!

苗族=ミャオ族 はこの紫雲県に、20万人が暮らしています。

そこには小さな集落が点在しています。

苗族=ミャオ族 の伝統的な民家は、竹を編んで作られている。

民族衣装をまとった女性!

苗族=ミャオ族 の衣装は鮮やかな色彩が特徴。

5月紫雲県は田植えの季節。

山のわずかな盆地に棚田が点在。

石灰岩の痩せた土地で稲作には厳しい地。

それでも苗族=ミャオ族 は先祖代々稲作を続けてきました。

田植えは村人が共同して助け合う風習がある!

棚田を守るのは老夫婦!

村人たちが共同作業で助けるのが、この村の習わし—–村の伝統。

みんなで共に働くのは楽しい時!

老夫婦だけなら二週間はかかる田植えがわずか1日で終了する!

核凸河=カクトツ—–切り立った絶壁が続きます。現れたのは高さ116mの大セン洞!

300万羽のツバメがここで産卵します。

300万羽のツバメが生息している崖!

幸運を運ぶツバメ!そしてもう一つはツバメの巣!

険しい崖を登ると、大量の土のようなものが—–これは実はツバメの糞で貴重な肥料になる!

この肥料でここの人たちは作物を作ってきました。

ツバメの糞には豊富なリンが含まれていているため、肥料になる。

この肥料で作物を作ってきました。

村の伝統的な岩登りで、ツバメの糞が大量に手に入りそれが肥料になる。

これを田んぼに蒔けば収量が増える!私はこの時—–現代の農薬まみれの日本の農業の悲しい現実が脳裏に浮かんだ!

苗族=ミャオ族 の人たちは互いに助け合い、春の農作業は無事に終了する。

 

 

ミャオ族の土器!


苗族=ミャオ族のルーツは!青銅器の太鼓と稲の文様!夜郎国の史記に!!

 

「1800m山頂の集落」 子供が産まれ名前をつける儀式!この子は三日前に生まれた子!この儀式はシャーマンの歌で始まる。

「男の子は藤の生い茂る葉のごとく育ち 女の子は麻の深く根ざす根の如く育つ 稲を作り男が守り 女が守る」!

そして子供の将来を占う!

名前による占いの儀式—–それぞれの運勢を占う儀式。占いの結果 「燕」 という字が良い!

幸運を運ぶ「陳徳燕=チントクエン」と名ずけられました。それからお餅を作ってお祝い。

これは子供達が主役!人里離れた山奥で謎の民 苗族=ミャオ族 の暮らしのルーツは??

青銅器にルーツがあるという!

2000年以上前の青銅器の太鼓!

太鼓は少数民族の文化を代表した礼器です。

太鼓の中央の文様は太陽!

太陽の周りには稲の文様—–豊作を祈願する願いが込められています!

この太鼓は祭義の時に用いられた、重さ22kgの巨大な太鼓!

これと全く同じものが紫雲から500km離れた遺跡で発見されています。

赫章可楽遺跡=カクショウカラク では600以上の青銅器が出土しました。

その中に青銅製の太鼓が見つかりました。

苗族=ミャオ族 の太鼓と大きさや形だけでなく、太陽の文様までも同じ!

「夜郎国=ヤロウ」の史記にその証拠が!

西南都には十数の蛮族の国があり、野郎はその最大の国。

文献が少ないため、夜郎国は謎に包まれていました。

しかし近年の調査で、その高度な文化が明らかになりました。最も優れていたのが青銅器の技術。

1000人規模の工房を持ち大量に生産していた。

特に青銅の太鼓は儀式に使われるだけでなく、周辺の国国にも輸出される重要な交易品。

夜郎国にはシルクロード以前に西南シルクロードを築いていた。夜郎古道と言われる石畳。

インド洋原産の貝殻が貨幣に使われていた。

史記には夜郎の民についても記されていました。

髪を頭上にゆい 稲作をし 城に住んだ。

青銅の像も、ヤオ族の髪型ととてもよく似ている。

稲作もヤオ族と同じで、農業の中心だった。

農作業に勤しむミャオ族。

夜郎国の持つ伝統や土器にはミャオ族などの少数民族と共通するものがある。

夜郎国とミャオ族には深いつながりがあると考えられる。

「もう一つの鍵はシャーマンの歌にありました」

亜魯王は民に稲を作らせた 城の前に農田を作らせた 亜魯王は毎日見回りをした—–これは代々伝えられた歌で、なんと50時間もの歌!

亜魯=アロ とは先祖の王で ヤロと発音。

何千年もの間我々はこの歌を受け継いできた。

亜魯王=ヤロ王 が築いた国が、夜郎国なんです。

私たちミャオ族は夜郎国の末裔なのです!

亜魯王は将兵を率いて城を築いた!

大地に農田が広がり 農田には稲が広がる。

作物は一族を豊かにし 作物は民を育む 稲は老人を養い 稲は少年を育む 亜魯の一族に繁栄あれ!

何故こんな山奥に住んだのか?

 

 

この崖を登ってツバメの巣を取る!


ツバメの巣!薬酒!夜郎国滅亡の歌!洞窟には2000年前の棺が!

 

これからの時代を考えると、作物の切り替えが必要!!

トウモロコシからトウガラシへ変える!

それで稼ぎが10倍になる!

100軒が切り替えに応じた!

夜魯王の歌は50時間に及ぶ!

息子はトウガラシ 親は50時間の歌!この件は後述します。

過疎化に悩むシン!

大セン洞にも観光客が訪れるようになった!

それは岩登りでツバメの巣を取る光景がスリル満点だから!

更にミャオ族の薬草取り!これには豊富な知識が必要。

岸壁を越えて、岩の割れ目に辿り着いた。

ここにあるのは「ホウレン」という薬草で、疲労に効く「薬酒」ができる。

これがホウレンという薬草で、これから薬種を作る。

お酒で薬草の効果を引き出す。

70°を越すお酒。

このお酒を使って薬酒を作る!

話変わって、2000km離れた都から出稼ぎの青年が帰ってきて、葬儀を手伝う。

2000人の人々が立ち会った葬儀—–シャーマンの葬儀。太鼓を打ちならす。

そして亜魯の歌は、亜魯国の悲劇の歴史。

漢の国が立ちはだかった!

漢武帝!

夜郎歌—–王国は滅びます、これは夜郎国の滅亡の歌!

「野郎国王の青銅剣 武器も青銅製 刀は鉄の刀 夜郎の民は山奥へ」これが西南シルクロードにも逃亡の道となった歌だ!

兵を連れ 移遷を始める 将を連れ 逃亡を始めた 家族を連れて逃亡した 子孫を連れ逃亡した

険しい山々を登り 沼地を渡る 一千年以上の道を歩き 白の橋を渡った 川を渡り 滝を登る

岩山を登り 森を進む—–やがて紫雲の地へ辿り着いた!

棺は崖の上のいたるところに納められていた!

これらは30年前まで続けられていた、独特な風習!

2000年前に始まったこの風習で、洞窟の奥には2000年前の棺があるという!

また話は戻って—–崖を登って取るツバメの巣は、一個千円で引き取られる。

ツバメの唾液の繊維でヤオ族伝統のスープを作る!

一度に40個以上を取る事がある!

このツバメの巣にはツバメの唾液の繊維があって、4時間かけて丁寧にゴミを取り除き、その後卵と混ぜてスープを作る—–これがヤオ族伝統のスープ!!

これがヤオ族伝統のツバメの巣のスープ!

話は前述の子供への岩登りの伝授!

岩登りで最も危険なのは下り!

この岩登りを会得して父の跡を継ぎ、村に残ると伝へたのは息子!

助け合いの心と伝統の技が引き継がれていきます!

一方「トウガラシで農業改革」の方はどうなったでしょうか?

収穫の直前 2週間の豪雨が続き 川の水位が2m上昇して トウガラシは全滅!

一方トウモロコシは雨に強く被害なし!

重い足取りで帰宅、そこには父が待っていました!

父曰く—–失敗はつきものだ、心配するなと!

我々の先祖も歴史の中で幾度も困難にぶつかった!

戦いに敗れた野魯王は民にこう伝へた!

諦めてはならない、安住できる地をもう一度見つければいい!

そして王は民を率いて 山を開拓して再び安住する地を見つけた!

その地こそ我々が生きる、故郷なんだ!

耳を傾け考え続けた息子のショウさん、来年もこの仕事を続けます!

そして必ず成功させます!

それでいいい!父は逆境に立ち向かう夢が大事だと!

王が伝へた国難に負けない精神が我々の心の支えで、心の力です!

この精神こそが「子孫たちへ受けわたすべき宝」なんです!

9月紫雲は山一面黄金色になりました!

棚田には収穫にいそしむ人々の姿が!!

これは紫雲省の棚田!ヤオ族の棚田はもっと小さい!

田植えを手伝った村人たちが再び集合し、一人もかけることなく20人で一家の収穫を手伝います!

人々に支えられた念願の豊作!

収穫は1400kgあり、去年より多く3割増!

安住の地を求めた夜郎国の民、その末裔とされるヤオ族は苦難の道を歩いてきました!

我々は新たな地を求めた 我々は新たに国を築き上げる地を求めた 我々は新たな地を求めた 作物を作れる地を求めた

老人と子供のため作物を育てた タケノコが岩石を突き破るように 草木が新芽を出すように キノコが生えるように 子孫の繁栄は約束されるのだ!!!

2019年12月14日 NHKのドキュメンタリーから聞き取り記述。

 

 

ミャオ族伝統の衣装!やはりアイヌ文様と似ています!


ミャオ族の先祖は蚩尤!「三苗」「苗民」「尤苗」! 子孫は三苗!アイヌ文様と酷似は何故!

 

[名称] 「ミャオ族」は自称ではなく漢民族による他称である。中国国内では「ミャオ」と称するを得ないが、

「ミャオ」は差別と結びついて、やや低く見られるニュアンスを伴う。

中国以外の地域では主として自称モンの人々が居住しており、近年は「ミャオ/モン」と併記することが増えてきた。

なお、現在のタイのランプーン付近にハリプンチャイ王国(11-13世紀)を建てたモン族は、全くの別系統の人々である。

東南アジア研究者の著作などでは、必ずどちらのモン族に言及するか断りを入れるのが普通である。

近年では、中国国外の人々は、総称をモン (Hmong) と表記することが多い。

タイやラオスではモン (Hmong,  mong) で、白モンと青モンに分かれる。

ベトナムではモン(ベトナム語: H’Mong)といい、黒モン族、赤モン族、花モン族と多彩に分かれる。

タイ・ベトナムではメオ (Meo, mεεo) とも呼ばれるがこれは侮蔑語である。

[歴史] 詳細は「大渓文化」、「後李文化」、および「ミャオ・ヤオ語族」を参照

ミャオ族の淵源を、漢代の『書経』「舜典」記載の「三苗」や、『後漢書』西南夷伝の長沙「武陵蛮」に遡る説もあるが、

現在のミャオ族との連続性は明らかではない。

ミャオ族の伝統衣装!

古代の「三苗」以降、中国の史書は長い間南方民族を「蛮」と表記し、

現在に繋がるとされる文献上の「苗」の初出は、宋代の紹熙5年(1194年)、朱子が潭州(現在の長沙)に役人として赴任した際の、

「苗」を「五渓蛮」の一つの「最軽捷者」とする記録(『朱子公集』巻71)である。

ただし、「三苗」の国は揚子江中流域や、洞庭湖から-陽湖にかける地域(現在の湖南・湖北・江西)にあったとされ、

現在でも貴州省のミャオ族には、先祖は江西にいた、

もしくは東方の大きな川の畔や水辺にいたという口頭伝承が残っているので、相互を結びつけようとする学者や知識人が多い。

恐らく、ミャオ族の先祖は、宋代以降の漢族の南下に伴って、揚子江流域から山岳内陸部に移動してきたと推定されるが、史料上で歴史的変遷を確定するのは難しい。

1995年頃からは、ミャオ族の祖先を蚩尤=シュウ とする言説が急浮上した。

蚩尤(しゆう)は中国神話に登場する神である。

これは、中国古代の伝説に登場し、漢族の先祖とされる華夏民族の黄帝と-鹿(たくろく、現在の河北省タクロウ県付近)で争って

(タクロウの戦い)敗北した蚩尤を非漢族の代表と見なし、蚩尤と一緒に闘った九黎の子孫が南方に逃げて、後に「三苗」になったと説く。

「三苗」は揚子江の中下流域にあったと推定し、北方からの漢族の圧力で、西南中国の山岳地帯に移動して、現在のミャオ族になったと主張する。

しかし、伝説中の「三苗」と、古代の楚や呉を構成した人々と、現在のミャオ族との関連を実証する史料は存在しない。

これがミャオ族の「三苗」で、三苗(さんびょう)は、中国神話に登場する悪神

「三苗」「苗民」「尤苗」尤=ユウと読み非常に優れている様 などの記述は秦漢以前の記録にとどまり、

漢代の長沙・武陵蛮などを経て、宋代に至るまで、南方の人々は「蛮」と記されている。

学問的には蚩尤とミャオ族の関係は否定される。

これは費孝通が唱えた「中華民族多元一体格局」(1988年)の議論に基づいて、

1990年代に「中華民族」の統合を強調する中央の学説や、1994年に中国全土に展開した漢族主体の愛国主義の運動に抗して現れた、

ミャオ族の知識人による新たな対抗言説である。

文字が無く口頭伝承で歴史を伝えてきた苗族には古代と現代を結ぶ客観的史料は存在しない。

しかし、民族意識の高揚に伴い、蚩尤始祖説は定説の如く語られるようになってきている。

敗北した蚩尤を非漢族の英雄に祀りあげ、ミャオ族の先祖は蚩尤であるとする考えは、

ミャオ族の知識人の間では定説化して、反論することができなくなっている。

ミャオ族は文字を持たず、口頭伝承によって歴史を語り伝えてきたが、

まさにそれゆえに、実証的な歴史とは異なる独自の歴史意識を新たに作りあげようとしている。 以上はウキペディアより

今日は謎の民の苗族=ミャオ族 について記述しました。

苗族のルーツは何処にあるのかが今日のテーマでしたが—–夜郎国にあると史記にありました。

ウイキペディアではこの件は懐疑的に扱っていますが、NHKのドキュメンタリー調査隊がこれが最新の情報であるとの記述!

文献が少ないため、夜郎国は謎に包まれていました。

しかし近年の調査で、その高度な文化が明らかになりました。

それにしてもミャオ族は長い苦難の連続の歴史が刻まれていましたが——ミャオ族は夜郎国の末裔であることが明らかになりました。

大変参考になりありがとうございました。

ミャオ族の衣装はアイヌ文様によく似ていますが、繋がりはないのでしょうか!

大変気になります!

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。