砂漠の世界に漂う光と闇!時空を超えた旅・いざなう!西サハラ!サンマウ=三宅!!

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時空を超えた旅いざなう・西サハラ!


砂漠の世界に漂う光と闇!時空を超えた旅いざなう!西サハラ!サンマウ=三宅!

 

私は今この原稿を、新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される東京で、自室にこもりながら書いている。

しかしじっと目を閉じると足ものの砂がさらさらと音を立てて沈んでいき、体が砂の中に埋もれていくような錯覚を覚える。

遠く向こうから聞こえてくるのは、哀切に満ちたラクダの啼声。

家から出られない私を、本書は一瞬にして時空を超えた旅へといざなってくれた。

舞台はまだ「西サハラ」がまだスペイン植民地だった1970年代半ば。

中国建国前の重慶に生まれ、幼い頃台湾へ移った著者のサンマウ=三宅 は、

台湾の学校にうまくなじめず、7年間もの引きこもり生活を送った。

著者サンマウ=三宅のサハラの歳月!

そしてスペインへ留学し、そこで出会った、後の夫、ホセと西サハラへ向かった。

妻の砂漠行きを諦めさせることができず、夫が仕方なく現地に仕事を見つけたのが実情だった。

「自分でも説明できない前世を追憶するような哀愁が、

わけもなく、ことごとくその見たこともない大地に呼び寄せられた」

「サハラ砂漠は、私の心の奥底にあって、長年ずっと私の夢の恋人なのだ!」

人とうまく交流することができず、本の世界に埋没して外部との接触を一切遮断していた彼女は、

砂漠で羽を得た鳥のように、突如羽ばたき始める。

台湾から送られた食材で中華料理を作り、

時折天井から大家のヤギが落ちてくる殺風景な生活空間に、植物や手作りの家具で彩りを与える。

全く異なる価値観で生きる原住民、サハラウィのご近所さんと対等にわたりあい、

あまりのギャップに怒ったりわめいたりもしながらも、心の交流を重ねていく。

止まっていた人生の時計がいきなり猛スピードで回り始めたかのように、

彼女は砂漠での生活を一生懸命に生きた。

砂漠へ行ったことのある人間なら経験があると思うが

大地を容赦なく照りつける強烈な太陽が隠れると、砂漠は一転して、震え上がる闇の世界へと化し、

人間が砂の一粒のように非力な存在であることを見せつける。その強烈なコントラストこそ、砂漠の魔力である。

喜怒哀楽に満ち、躍動感溢れる彼女の生活にも、ひたひたと漆黒の世界がつきまとっている。

それは通奏低音のように全編を通じて流れる、死の予感のようなものだ。

いまだそこが植民地であるという現実。宗主国の人間に対する敬意。

宗教の違いによる対立。家長や兄弟の所有物のような女性の立場の低さ。呪術。

忍び寄る独立運動の胎動――-。

最後は、読んでいる私までもが胸をかきむしられるような思いにかられた。

旅に出たい。容易に旅に出られない、いまだからこそ、その思いは高まった。   

日経新聞 名作コンシェルジュ Book 三毛「サハラの歳月」 

ノンフィクション作家 星野博美 記事から紹介しました。

 

そこでサハラ砂漠について詳しく検討していきます。

 

 

雪を抱くサハラ砂漠!


モロッコ、メルズーガ近郊リビア、タドラルト・アカクス!モロッコと西サハラには燐酸塩が埋蔵!

 

サハラ砂漠(サハラさばく)は、アフリカ大陸北部にある砂漠で、氷雪気候の南極を除くと世界最大の砂漠である。

南北1,700キロメートルにわたる。

面積は約1,000万平方キロメートルであり、アフリカ大陸の3分の1近くを占め、

アメリカ合衆国とほぼ同じ面積である。

サハラ(アラビア語: ﺻحراء ; aarāʾ ; サハラーゥ)とは、元来アラビア語で「砂漠」「荒野」を意味する一般名詞だが、

とくに北アフリカなどでは日常的にサハラ砂漠を指すことから、そのまま固有名詞としてヨーロッパの言語に定着した。

アラビア語で明示的にサハラ砂漠を指すときには、

「アッ=サハラーゥ・ル=クブラー」(アラビア語: الصحراء الكبرى; aaarāʾ l-kubrā; 「最大なる砂漠」)などと呼んでいる。

このように名称自体に「砂漠」の意味を含むことから、

英語やフランス語では砂漠を意味する語(Desert/Désert)は添えず、単に The Sahara、Le Sahara と呼ぶのが正式である。

日本語では、慣用的に「サハラ砂漠」と呼びならわしている(つまり重言である)。

大海原に例え英語圏ではグレート・サンド・シーとも呼ばれる。

[概要] 

モロッコ、メルズーガ近郊(砂砂漠) リビア、タドラルト・アカクス(岩石砂漠)

サハラ砂漠全体の人口は約2,500万人であり、そのほとんどはモーリタニア、モロッコ、アルジェリアに住む。

サハラ砂漠内で最大の都市は、モーリタニアの首都ヌアクショットである。

そのほかに重要な都市としては、ヌアディブー、タマンラセト、アガデズ、セブハ、インサラーが挙げられる。

サハラ砂漠は大西洋に接する。

東側はエジプトに面し、スーダンとニジェール川を南の境とする。

標高300メートル程度の台地が広がり、

中央部にはホガール山地(アルジェリア南部)、アイル山地(ニジェール北部)、ティベスティ山地(チャド北部)がある。

サハラ砂漠の最高点は、ティベスティ山地のエミクーシ山(3,415メートル)である。

約70パーセントは礫砂漠で、残りが砂砂漠と山岳・岩石砂漠である。

サハラ砂漠は、アフリカ大陸を北アフリカとサブサハラ(サハラ以南)に分割している。

2つの地域は気候の上でも文化の上でも大幅に異なっている。

サハラ砂漠より北は地中海性気候であるのに対し、砂漠の中は砂漠気候(BWh)である。

一方、砂漠の南端はステップ気候帯に隣接している。

南部限界は、年150ミリの降水量線に相当している。

サハラ砂漠の成因はハドレー循環による北緯20度から30度にかけての亜熱帯高圧帯の直下に位置し、

年中アゾレス高気圧に覆われることによって降雨が起こらないことである。

インドや中国南部のようにこの緯度にあっても地形の関係で大量の降雨がある地域もあるが、

サハラ砂漠はアジアのヒマラヤ山脈のような広域気象に影響を与えるような大山脈が存在せず、

北のアトラス山脈を除いてはほぼ平坦な地形であることから緯度がそのまま乾燥度に関係し、広大な砂漠を形成している。

アトラス山脈を除いてはほぼ平坦な地形であることから緯度がそのまま乾燥度に関係し、広大な砂漠を形成している!

しかし、亜熱帯高圧帯は地球全体の気象の変化によって数千年単位で北上・南下を繰り返すため、

過去には何度も湿潤地帯となったことがあった。

[資源]

サハラはさほど鉱物資源の多い地域ではないが、それでもいくつかの大規模鉱山が存在する。

もっとも豊富で価値のある資源は石油である。

とくに砂漠北部のアルジェリアとリビアには豊富な石油と天然ガスが埋蔵されており、

アルジェリアのハシメサウド油田やハシルメルガス田、リビアのゼルテン油田、

サリール油田、アマル油田などの巨大油田が開発され、両国の経済を支えている。

また、モロッコと西サハラには燐酸塩が埋蔵されている。

西サハラのブーカラーで採掘されるリン鉱石は、全長約90キロメートル以上のベルトコンベアーで首都アイウンまで運ばれ、船に積み込まれる。

この採掘は、全域が砂漠の西サハラにおいて最大の産業となっている。

このほか、砂漠西部のモーリタニア北部、ズエラットには巨大な鉄鉱床が存在し、

ここで採掘される鉄鉱石は近年大西洋沖合いにて石油が発見されるまでモーリタニア経済の柱となってきた。

また、砂漠中央部、ニジェール領アーリットにはウランの鉱床があり、

アクータ鉱山とアーリット鉱山の2つの鉱山が開発されて、ほかに見るべき産物のないニジェール経済の牽引車となってきた。

北東部のリビア砂漠においては、リビアングラスという天然ガラスが埋蔵され、

古代エジプト時代より宝石として珍重されてきた。

また、サハラ北部には砂漠のバラが多数存在し、土産物となっている。

歴史上においては、サハラでもっとも貴重な鉱物は塩であった。

サハラでもっとも貴重な鉱物は塩であった!

1030年ごろ、現在のマリの最北端にタガザ塩鉱が開かれ、サハラ交易の最重要拠点のひとつとなり、

ここをめぐってモロッコのサアド朝がタガザの支配権を握っていたソンガイ帝国を滅ぼしている。

タガザ塩鉱はこのころには枯渇していたが、

その160キロ南にあるタウデニの塩鉱が代わって開かれ、現在でも重要な塩の産地となっている。

タウデニから南のトンブクトゥまでは、現在でもラクダのキャラバンによって塩の板が運ばれていく。

サハラにおいてもっとも希少な資源は水であるが、サハラは数千年前までは湿潤な土地であり、

そのころに蓄積された化石水が地底奥深くに眠っている。

それに目をつけたのがリビアのカダフィ大佐であり、1984年にリビア大人工河川計画を発表した。

これはフェザーンやキレナイカ南部の化石水をくみ上げてトリポリやベンガジといった海岸部の大都市に供給するものであり、

計画は一部完成して1993年にはベンガジに、1996年にはトリポリに送水が開始された。

しかし、この化石水は現在の気候条件下では再生不可能なものであり、

使用しきってしまえば一瞬にして無用の長物と化すため、浪費であるとの批判もある。

また、地下帯水層の枯渇によってリビア南部のオアシスに重大な影響が出る恐れがあるなど、

環境破壊の観点からも批判がある。

 

 

サハラ砂漠はエジプト、チュニジア、リビア、アルジェリア、モロッコ、西サハラ、モーリタニア、マリ、ニジェール、チャド、スーダンにおよぶ!


エジプト、チュニジア、リビア、アルジェリア、モロッコ、西サハラ、モーリタニア、マリ、ニジェール、チャド、スーダンに!!!

 

[地理] 

主要地形区    サハラ砂漠はエジプト、チュニジア、リビア、アルジェリア、モロッコ、

西サハラ、モーリタニア、マリ、ニジェール、チャド、スーダンにおよぶ。

砂漠地形は風と季節雨が形成する。砂丘、砂平原、砂海(エルグ)、

岩石高地(ハマダ)、礫平原(レグ)、涸れ谷(ワディ)、塩類平原(シャット)などがある。

エルグは砂丘が連なる光景で、サハラ砂漠といえばまず連想される光景ではあるが、

エルグは砂漠全体の14パーセントにすぎず、多くは台地状の岩石砂漠である。

深く切り裂かれた山地や山脈、火山などの高まりも見られる。

サハラ砂漠で最高峰は北部チャドのティベスティ山地に位置するエミクーシ山(標高3,415メートルの火山)である。

サハラの西部、モーリタニアの中央部にはリシャット構造と呼ばれる巨大な環状構造地形が存在する。

これは長年の風化と侵食によって柔らかい岩石の部分が削られてできたもので、

同心円状の山地が50キロメートルにわたって続き、その特異な形状から「サハラの目」とも呼ばれる。

サハラ中央部、チャド北部にはボデレ低地と呼ばれる広大な低地がある。

この低地はガザール・ワディによって南のチャド湖とつながっており、

過去の湿潤期にはチャド湖方面から流れ込んできた水によって大きな湖となっていた。

8000年前の最湿潤期にはチャド湖と一体化した大チャド湖の一部となったこともある。

そのころにたまったシルトや砂によって現在は一面の砂丘地帯となっており、

サハラから近隣地域にまで拡散する膨大な砂塵はその多くがボデレ低地から運ばれたものとされる。

また、サハラで最も低い土地はサハラ北東部、エジプト西部にあるカッターラ低地(標高マイナス133メートル)である。

リビア上空を覆う砂嵐。地中海にまで大量の砂塵が巻き上げられている様子が衛星軌道からも確認できる。

2005年1月1日。

サハラからは季節によって周辺地域に風が吹き込む。

冬にギニア湾や大西洋岸に向けて吹き込む風はハルマッタンと呼ばれ、

熱風ではなくむしろ涼しい風であるがきわめて乾燥しており、この地方に乾季をもたらす。

夏に北のリビア方面に吹き込む風はギブリと呼ばれ、熱く乾いている。

この風がイタリアにまで到達するとシロッコと呼ばれるようになるが、

間の地中海で水分を吸収するため湿った風となる。

春にサハラからリビアやエジプトに向けて吹き込む熱く乾いた風はハムシンと呼ばれる。

いずれの風もボデレ低地を中心としたエルグから巻き上げられた砂塵を大量に含むため、

周辺地域に大量の砂塵を降らせ、市民生活に多大な支障をもたらす。

この砂塵はさらに海を越え、ヨーロッパや北アメリカ、

南アメリカといったほかの大陸にまで到達する。

砂塵はさらに海を越え、ヨーロッパや北アメリカまで到達する!!

巻き上げられる砂塵の量は年間20億から30億トンにもなり、

2月から4月にかけてはカリブ海や南アメリカ大陸に、6月から10月にかけてはフロリダ州などに降り注ぐ。

この砂塵は黄砂のようにさまざまな害をもたらす一方、

アマゾン熱帯雨林に必要な栄養素を補給するなどの役目も果たしている。

アハガル山地のオアシス

ナイル川を例外として、ほとんどの河川は季節的か間欠的に見られる。

地下水が地表に現れオアシスを形成する。サハラ砂漠中央部は極度に乾燥しており、植生はほとんどない。

砂漠の端で山地から水の供給のあるところでは草、潅木、高木が生えている。

かつて湿潤だったころの名残として、ニジェール中部のテネレ砂漠にテネレの木と呼ばれるアカシアが生えており、

世界でもっとも孤立したところにある木として知られていたが、1973年に倒されてしまった。

南部のサヘルとの境界は気象学的に年間降水量150ミリの線である。

[住民と生活]  

サハラの先住民は、西部全体に居住する白人系のベルベル人と、

ティベスティ山脈周辺に居住する黒人系のテダ人(トゥブ人)である。

これに、6世紀以降東からやってきたアラブ人と、

アラブ人とベルベル人の両方の祖先を持ちイスラム化されたムーア人がいる。

ムーア人は西方のモーリタニア周辺を中心に居住する。

サハラの伝統的産業は、オアシスでの農業と遊牧である。

フォガラと呼ばれる地下水路によって水をオアシスまで引き込むことも多く行われる。

オアシスで栽培されるものはナツメヤシが中心である。

 

 

2万年前から1万2000年前はサハラ砂漠がもっとも拡大した時期!


2万年前から1万2000年前はサハラ砂漠がもっとも拡大した時期!!!

 

[砂漠化の進行]  

サハラ一帯は、完新世(1万年前 – 現在)以降は湿潤と乾燥を繰り返してきた。

2万年前から1万2000年前はサハラ砂漠がもっとも拡大した時期で、

現在のサヘル地帯のほとんどがサハラ砂漠に飲み込まれていた。

その後最終氷期の終焉とともにサハラは湿潤化を開始し、

およそ8000年前にもっとも湿潤な時期を迎えた。

この時期の砂漠はアトラス山脈直下の一部にまで縮小し、

サハラのほとんどはサバンナやステップとなり、森林も誕生した。

7500年前に一時乾燥化したがすぐに回復し、5000年前までの期間は湿潤な気候が続いた。

その後、徐々に乾燥化が始まり、以来現在にいたるまでは乾燥した気候が続いている。

5000年前と比べると砂漠の南限は1,000キロメートルも南下している。

乾燥化は歴史時代を通じて進行しており、砂漠の南下も進行中である。

20世紀以降では、1915年ごろ以降降水量は増加したが、

1920年代以降現在までは降水量は減少傾向にある。

1960年代以降、サハラ地域を含めアフリカでは人口爆発が続いている。

食料増産・生活のため、焼畑農業・過放牧・灌木の過度の伐採が行われ、

生態系が破壊される悪循環が繰り返されている。

1968年 – 1973年にかけて、サハラ一帯に2,500万人が被災した大規模な旱魃が発生した。

なお、これを契機として、1977年に国連砂漠化防止会議(UNCOD)が開催された。

しかし1983年 – 1984年にかけ再び大旱魃が発生した。

モザンビーク、アンゴラ、スーダン、チャド、エチオピアでは、

旱魃に加え政情不安定もあり、飢餓で多数の死者を出した。

人口爆発・旱魃により、砂漠化は急速に進行し始めた。

貧困・気候変動も密接に関連しているため、決定的な解決策は存在しないに等しい。

現在でもサハラ南縁部は世界でもっとも砂漠化が進行している地域で、

毎年約6万平方キロメートルのスピードで砂漠の面積が増加し続けている。

国連環境計画(UNEP)の調査では、南側で毎年150万ヘクタール(15,000平方キロメートル)

ずつ広がっていると報告されている。

ところが、地球温暖化による気候変動によって再び植生が変化しつつあり、南縁部には緑化の兆候もあるという。

このような近年の調査研究による予想モデルでは、雨量が増加し湿潤化されるとの説もある。

[国際関係と政治情勢]  

サハラ周辺各国が一堂に会しサハラについて話し合う国際機関や協定は存在しない。

アフリカ連合も、西サハラの独立派武装組織ポリサリオ戦線が樹立した亡命政府サハラ・アラブ民主共和国が

アフリカ連合前身のアフリカ統一機構に1985年に加盟したことを受けてモロッコが同年脱退し、

周辺各国がすべて加盟しているわけではない。

独立以後、サハラに引かれた国境線をめぐっては何度か国境紛争が起こっている。

また、特にサハラに住むトゥアレグ人やトゥブ人などが中央政府に対して

反乱を起こすことも多く、政情は安定していない。

1960年のアフリカの年にほとんどの国家が独立したあと、

最初にサハラで混乱が起きたのはチャドであった。

フランソワ・トンバルバイ大統領率いる南部の黒人中心の政権に対して

1965年に北部のイスラム系住民が反乱を起こし、断続的に1990年まで内戦が続いた。

この内戦には北のリビアが介入し、

1973年にはリビアが領有権を主張していたチャド北部のアオゾウ地帯を占領下に置いた。

ラス・ナーバス・デ・トローサの戦い!

さらにリビアは内戦への介入を強め、

イッセン・ハブレとグクーニ・ウェディを交互に支援して何度か首都ンジャメナまで侵攻した。

しかし1986年にはハブレ政権がリビアと対立を深め、リビアはチャドに侵攻。

これに対しチャドは反撃し、

1987年のトヨタ戦争においてテクニカルを駆使してリビアの戦車部隊を壊滅させ、アオゾウを奪回。

1994年の国際司法裁判所の判決によってこの地域はチャド領と裁定され、リビアも撤退した。

ついで紛争が起こったのは、サハラ西端のスペイン領サハラにおいてである。

この地域にはモロッコとモーリタニアが領有権を主張していたが、

1975年11月にモロッコが緑の行進と呼ばれる大デモンストレーションを行ってスペインに割譲を同意させ

同地域は北の3分の2をモロッコが、南の3分の1をモーリタニアが支配することになった。

これに対し、西サハラの武装勢力であるポリサリオ戦線が激しく反発し、

サハラ・アラブ民主共和国の建国を宣するとともにこの地域でゲリラ戦を展開、

特に弱体なモーリタニア軍に対して圧力をかけた。

モーリタニアは1976年6月には首都ヌアクショットにも侵攻され、

さらに西サハラとの国境線上にあるフデリックの鉄鉱山に甚大な被害を受けた。

この被害に耐えかねたモーリタニアはポリサリオ戦線と和平を結び、1979年にはこの地域の領有権を放棄する。

しかし同時にモロッコ軍が放棄された南部にも侵攻して支配下に治め、南部諸州として実効支配下に置いた。

この状態を解決するため国際連合が仲裁に入り、1991年には解決計画が両者間にて合意が成立し、

住民投票によって帰属の意思を問うことが決定され、停戦が成立した。

同時にこの停戦を監視する国際連合西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)の平和維持軍も設立された。

しかし投票資格をめぐって両者間は対立し、停戦は継続しているものの投票は無期延期となったままである。

現在ではモロッコ軍は内陸部の無人地域との間に砂の壁と呼ばれる壁を築いて

海岸沿いの有人地域を制圧しており、西サハラ側は壁の外側を支配している。

1990年代に入ると、気候の乾燥化による経済の悪化や中央政府の腐敗などに反対して、

マリやニジェール北部に居住するトゥアレグ人が反乱を起こすようになった。

この反乱はすぐに中央政府と和平が結ばれたが、

2012年にはマリ北部で反乱が再燃。北部を完全に掌握し、アザワドとして独立を宣言した。

21世紀にはいるとイスラーム・マグリブのアル=カーイダ機構(AQIM)の勢力拡大に対抗するため、

対テロ戦争の一環として2007年よりトランス・サハラにおける不朽の自由作戦が開始された。

[歴史] 

サハラ砂漠周辺への人類の定住は古く、50万年前にさかのぼる。

石碑などの出土品からは、当初この地帯は湿潤な気候で、野牛などの狩猟が行われたことが伺われる。

アフリカ沿岸の航路が開拓されるまでは、サハラ砂漠内にはいくつかの重要な通商路が存在した。

考古学的にも、サハラ周辺とほかの地域との交易が有史以前から行われたことが明らかにされている。

アルジェリア南東部のタッシリ・ナジェールやニジェール北部のアイル山地、

リビア西部のタドラルト・アカクスなどでは洞窟壁画が発見され、その移り変わりによってサハラの気候変化と、

それにともなう人々の生活の変化がわかる重要な資料となっている。   

後略  ウィキペディアより紹介しました。

 

 

サハラ砂漠のはずれで満点の星を期待していたのですが?満天の星などなかった!!


私が訪れた・サハラ砂漠のはずれでは・満天の星はなかった!何故なのか??!

 

今日のまとめ! 

舞台はまだ「西サハラ」がまだスペイン植民地だった1970年代半ば。

中国建国前の重慶に生まれ、幼い頃台湾へ移った著者のサンマウ=三宅 は、

台湾の学校にうまくなじめず、7年間もの引きこもり生活を送った。

そしてスペインへ留学し、そこで出会った、後の夫、ホセと西サハラへ向かった。

妻の砂漠行きを諦めさせることができず、夫が仕方なく現地に仕事を見つけたのが実情だった。

「自分でも説明できない前世を追憶するような哀愁が、わけもなく、

ことごとくその見たこともない大地に呼び寄せられた」「サハラ砂漠は、

私の心の奥底にあって、長年ずっと私の夢の恋人なのだ!」

人とうまく交流することができず、本の世界に埋没して外部との接触を一切遮断していた彼女は、

砂漠で羽を得た鳥のように、突如羽ばたき始める。

台湾から送られた食材で中華料理を作り、時折天井から大家のヤギが落ちてくる殺風景な生活空間に、

植物や手作りの家具で彩りを与える。

全く異なる価値観で生きる原住民、サハラウィのご近所さんと対等にわたりあい、

あまりのギャップに怒ったりわめいたりもしながらも、心の交流を重ねていく。

止まっていた人生の時計がいきなり猛スピードで回り始めたかのように、

彼女は砂漠での生活を一生懸命に生きた。

砂漠へ行ったことのある人間なら経験があると思うが、大地を容赦なく照りつける強烈な太陽が隠れると、

砂漠は一転して、震え上がる闇の世界へと化し、人間が砂の一粒のように非力な存在であることを見せつける。

その強烈なコントラストこそ、砂漠の魔力である。

喜怒哀楽に満ち、躍動感溢れる彼女の生活にも、ひたひたと漆黒の世界がつきまとっている。

それは通奏低音のように全編を通じて流れる、死の予感のようなものだ。

私も以前、サハラ砂漠の東のはずれにある「アスワンハイダム」へ立ち寄った時、

サハラ砂漠のはずれで満点の星を期待していたのですが、

ここのサハラ砂漠にはわずかな星が見えるだけで満天の星などなかった!

それは何故なのかいまだにその理由がわからない!

調べてみても!

サハラ砂漠に泊まる!!

満天の星に大感動!!

☆人気の青い街シャウエンと2大迷宮都市フェズ&マラケシュも訪問☆モロッコ周遊ハイライトの旅!

又、ラクダに乗ってサハラ砂漠で満天の星空を見に行こう!

とありますが、私が見たサハラ砂漠には満天の星はありませんでした!!

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私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。