石造りの住居跡!セント・キルダ諸島、ヒルタ島!最大な島ヒルダ島には今も住居跡が残る!
石造りの住居跡!セント・キルダ諸島、ヒルタ島!最大な島ヒルダ島には今も住居跡が残る。ハチの巣のような石造りの小屋です!!
英スコットランドの最西端セント・ギルダ諸島。
最大な島ヒルダ島の斜面には今も住居跡が残る。
石を積んだだけの壁が盛り土をした地面を囲み、塩分を含む潮風や作物を食べる家畜からオオムギを守っていた。
ハチの巣のような形の「クレイテアン」と呼ばれる石造りの小屋は、料理や暖房用の燃料として使われた泥炭の貯蔵庫だった。
今も数百残るクレイテアン の多くは、当時のまま草でふいてある。
行き方ー羽田空港ーインバネス空港=フランクフルト、ロンドン経由、約20時間ーステイン港=車で約3時間半ーデイクルーズツアーなどで現地へ。
日経新聞 NATIONAL GEOGRAPHIC より。
イギリス領の孤立した群島!最大の島はヒルタ島!
イギリス領の孤立した群島!最大の島はヒルタ島!聖キルダの名で知られる聖人はいない!
セント・キルダ (St Kilda、スコットランド・ゲール語:Hiort)は、イギリス領の孤立した群島。
北大西洋、ノース・ウイスト島の64km西北西にある。スコットランド、アウター・ヘブリディーズの最西端の島々である。
最大の島はヒルタ島で、イギリスで最も高い、海岸に面した断崖絶壁がある。
その他はダン島、ソアイ島、ボーレー島である。これらの島は家畜の放牧や海鳥の猟が行われていた。
セント・キルダは行政上はComhairle nan Eilean Siarのローカル・オーソリティー・エリアに属する。
セント・キルダには少なくとも2000年間、人が暮らしてきた歴史があったが、人口はおそらく180人を超えることはなかっただろう(1851年以降は100人を切った)。
1930年、4島のうち唯一の有人島であったヒルタから住民全体が避難した。
夏のあいだは科学者たちや保全作業員、ボランティアがやってくるものの、現在、唯一1年を通じて島に暮らすのは、防衛担当者だけである。
セント・キルダという名称の起源は推測だけである。
島の文化遺産には、有史以前の時代からの様々なユニークな建築の構造が含まれている。
しかし島での生活を記した最古の記録は中世後期以降のものである。
Hirtaにある中世の村は19世紀に再建された。
しかし、宗教的な熱意が影響して、観光を通じて外部との接触の機会が増え病気がはやり、
そして第一次世界大戦が1930年の全島避難を後押しすることとなった。
セント・キルダの物語は、オペラを含め芸術的な解釈を集めている。
群島全体を所有するのはナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(en)である。

世界遺産の1つとなり、セント・キルダはその自然と文化資質のため、世界でも数少ない地位を保持している。
1986年、スコットランドに5箇所あるUNESCO世界遺産の1つとなり、セント・キルダはその自然と文化資質のため、世界でも数少ない地位を保持している。
2つの種類の異なる古い種類のヒツジがこれらの離島で生き延びてきた。
新石器時代の種であるソアイ種、鉄器時代の種であるボーレー種である。
島は多くの貴重な、シロカツオドリやニシツノメドリ、フルマカモメといった海鳥の繁殖地でもある。
セントキルダミソサザイとセントキルダノネズミは島独自の亜種である。
夏になると、セント・キルダのかつての住民がそのままの状態で残していった多くの壊れた建物を修復するため、ボランティアの一団が島を訪れる。
島は、1957年にできた小さな軍事基地と共存している。
[由来]
1886年の島の通り
1580年のCarte of ScotlandeではHirtaのことであろう、Hyrthの名とSkaldar(Haskeir)の名がその北東に見られる
聖キルダの名で知られる聖人はいない。
16世紀後半にまで遡る名称の由来だと、諸説が挙げられている 。
ハズウェル=スミスは、セント・キルダの名称すべてが1666年のオランダの地図に初めて記されたと述べた(2004年)。
そして名前はノルド語のsunt kelda(清らかな井戸水)に由来するか、Tobar Childaの泉が聖人に捧げられたという、
誤ったオランダ語の仮説に由来する可能性をあげている(Tobar Childaは恒真式の地名であり、
ゲール語とノルド語で「井戸」または「水源」、「源」を意味するwellの組み合わせ、well wellに由来する)。
1697年に島を訪れているマーティン・マーティン(en、スコットランドの文筆家)は、
セント・キルダの名が「かつてこの地に住んでいた一人のKilderからとられた。
彼の名は大きなToubir-Kildaの水源からとられたものだ。」と信じていた。
マクリーンは、同じくヒルタ、Childaの泉は古ノルド語の破片からきたのだと示唆している(1972年)。
1588年の地図ではキルダ(Kilda)の名で群島が判別できる。彼はまた、カルディス(Culdees)を参照することができると推測する。
カルディスは島にキリスト教をもたらしたとされる隠者の名である。
または、カルディスは群島最大の島のゲール語名が崩れて生じたものだとする。島民がlのようにrを発音する傾向にあったからである。
従って、習慣的に島はHiltaと呼ばれていた。
スティールは、この案に重みを加えた。島民が「ややしわがれ声で」Hを発音することに注目したのである。
すると、HirtaはほぼKildaに聞こえるようになる(1988年)。
同様に、セント・キルダ住民が1960年代にエディンバラ大学スコットランド学部の聞き取りを受けた際、個々の話者がtの古い活用を用いた。
のようにhの子音弱化が起きていた。
マクリーンはさらに、オランダ人が単純な地図製作法上の誤りをしたのだと示唆する。
HirtaとSkildarを混同したのだという(1972年)。
Skilderとは、アウター・ヘブリディーズの中心に近い小島、Haskeir島の古い名称である。
クインは、名称が一連の地図製作上の誤りに由来するという仮説をあげている(2000年)。

セント・ギルダの地図!
古いアイスランド語で盾を意味するSkildirが最初に使われ始め、Skildarとして1583年のニコラ・ド・ニコレーの地図上に現れたとする。
こうして仮説が進むと、1592年のルーカス・J・ヴァゲナールの図表は、末尾にrがなく、Sの後にピリオドがつく誤りを転写し、S.Kildaとなっている。
これは、順番にそれぞれ異なる人物がセント・キルダは聖人に由来すると仮定したためで、数世紀にわたってSt.Kildaのかたちが使われてきたのである。
St.Kildaとなる以前からあるHirtaの語源は、同様に解釈が明らかになっている。
1703年にマーティンは、「Hirtaはアイルランド語で西を意味するIerからとられた。」と断言している。
マクリーンはいくつかの選択肢を提供している。
そこには、不特定だが、「ケルト語で暗がりまたは死を意味する」とか、
「スコットランド・ゲール語で西の土地を意味するh-Iar-Tìr」だというものが含まれている。
13世紀初頭のアイルランドへの航海を記したアイスランドのサガにおいては、Hirtirの島々を訪れたことが記載されている。
彼はHirtaの形状がシカに似ていると指摘している(Hirtirはノルド語でシカである)。
1998年にスティールは、1829年から1844年まで島で暮らしたニール・マッケンジー牧師の、
島の名前はゲール語で「高い土地」を意味する、Àrdに由来するという見解を引用する。
さらなる可能性として、ノルド語で羊飼いを意味するHirtが挙げられている。
似たような調子で、1966年にマリーは、ノルド語のHirðöは(Hirthaと発音する。意味は群島)語源かもしれないと挙げている。
島々の名前と上記に挙げられた名前はすべてコーツによって議論されている(1990年)。

セント・キルダ群島は第三紀の火成岩地層!花崗岩や斑レイ岩から構成!
セント・キルダ群島は第三紀の火成岩地層!花崗岩や斑レイ岩から構成!!
[地理]
セント・キルダ群島の地図
セント・キルダ群島は第三紀の火成岩地層、花崗岩や斑レイ岩から構成され、ひどく風化が進んでいる。
群島は、海面下の海底台地からおよそ40m上昇している、遥か昔に消滅した輪火山の跡である[27]。
670ヘクタールの範囲の中で、ヒルタ島が群島最大の島で、群島の陸地面積78%以上を占める。
次いで99ヘクタールのソアイ(英語でヒツジの島を意味する)、86ヘクタールのボーレー(英語で要塞化された島を意味する)である。
ソアイはヒルタの0.5km北西にあり、ボーレーはヒルタの6km北東にある。
群島には小島と、スタック・アン・アーミン(en)、スタック・リー(en)、スタック・レヴェニッシュ(en)といった海食柱がある。
南西の季節風から湾の村を守る役割を持つダン島は、昔は自然のアーチでヒルタ島とつながっていた。
マクリーンは、スペインの無敵艦隊敗北から逃れてきたガレオン船に当たってアーチが壊れたと示唆している(1972年)。
しかしミッチェルやフレミングのような他の説においては、より信頼できる(ロマン的要素は少ない)説明を掲示している。
アーチは単に、毎年冬に島々を打ちのめす複数の嵐の一つにさらわれたのだとしている。
ヒルタとダンの地図
群島の最高地点は、ヒルタ島にあるコナシェア(Conachair、信号を意味する)で、村のすぐ北にあり、標高は430mである。
南東にあるOisevalは標高290m、そしてコナシェアの真西にあるMullach Mòrは361mである。
西側の崖に面したRuivalは137m、Mullach Biは358mである。ボーレーは384mに達し、ソアイは378mである。
他には見られないスタック・アン・アーミンの海食柱は、高さ196mであり、スタック・リーは高さ172mで、これらはブリテン諸島内最大級の海食柱となっている。
現在のセント・キルダ群島唯一の定住地は、ヒルタ島にあるベイ村(スコットランド・ゲール語: Bàgh a’ Bhaile/och Hiort)である。
ヒルタ北岸のGleann Mòrとボーレー島の定住地は、ごく初期に定住した跡である。
ヴィレッジ湾に入ってヒルタに海側から接近すると、標高の高い丘陵に挟まれた半円形の小さな定住地が指し示される。
これはベイ村だと誤解を招く恐れがある。
コナシェアの北面全体は最大427mの高さの、海へ向かって切り立った崖で、ブリテン諸島内で最も高い海食崖である。
スタック・レヴェニッシュ。人の顔のようなシルエット
群島は、ブリテン諸島内で最も壮観な海食崖の多くある場所である。
バクスターとクラムリーは1988年に、セント・キルダは「神がかつて狂気の中で生み出した、
華美で豪華な景観は不必要であるとすべてを怒った、神の不完全な貯蔵物である。
島々は本土の腐敗した影響から100マイルの大西洋上に孤立して、最西端の島々からさらに40マイル西に、無作為に散らばった。
神は自分にとって最良の部分を保存し、狂気の証しとして周囲に島々の一区画を織り上げた。」と示唆している。
セント・キルダは最も近い陸地から64km離れている。およそ129km彼方にある、スカイ島のCuillinの山頂尾根からに限って見えるほどの遠さである。
気候は、雨の多い海洋性気候である。雨は1400ミリに達し、湿度が高い。気温は総じて冷涼で1月の平均気温は5.6℃、7月の平均気温は11.8℃である。
冬には特に季節風が強く、南からと南西から吹く。風速は平均時速13kmになり、時間の85%吹き荒れる。
さらに時速24km以上の風が時間の30%を占めている。
強風は1年で時間のうち2%未満発生するが、時速185kmの突風や、さらに速い風が定期的に発生する。
時速209kmの風が時折海面近くで記録されている。
干満の差は2.9mで、海のうねりが5mにまで頻発する。
このために一年中どんなときも上陸が困難であったり不可能であったりするのである。
しかし、海洋の存在が島々を雪から守っている。降雪は年間わずか10日間ほどしかない。
セント・キルダが遠隔地であることと、海洋性気候は、イギリス国内にある数少ない離島、フラナン諸島、
ノース・ロナ島、Sula Sgeir(en)、アウター・ヘブリディーズの南端にあるビショップ島と一致する。
行政上、セント・キルダは歴史的なインヴァネス・シャイア、ハリス島のシビル・パリッシュに属する。
現在はユニタリー・オーソリティー(en)であるComhairle nan Eilean Siarに属している。
後略 ウイキペディア。

ミツバチの巣のような形の「クレイテアン」と呼ばれる石造りの小屋!
ミツバチの巣のような形の「クレイテアン」と呼ばれる石造りの小屋!!!
セント・キルダ諸島、ヒルタ島
セント・キルダ諸島の斜面に今も残る住居跡。
しっくいを使わずに石を積んだだけの壁が盛り土をした地面を囲み、塩気を含む海風や作物を食べる家畜から、カラスムギやオオムギを守っていた。
ミツバチの巣のような形の「クレイテアン」と呼ばれる石造りの小屋は、料理や暖房用の燃料として使われた泥炭の貯蔵庫だった。
今でも数百残るクレイテアンの多くは、当時のままに屋根を草でふいてある。
惑星科学者の倉本圭さんは、太陽は今から約46億年前にできたと、推定されています!
銀河の中にガスの塊、これが自重でつぶれていった!こうした中心に太陽があるわけですが、
ガスが回転運動を起こし、平たい円盤状にガスが潰れていった!
こうした中心に太陽があるわけですが、そのガスの中に、重塩素という石のような氷を作る成分が含まれていて、
それは最初はチリみたいな状態ですが、その原子のまわりを、グルグル回りながらぶつかり合っていって、最終的には平たくなった!
なぜ太陽系探査を行ったか?
一つには我々の由来を知るという――-我々は一体どこからきたのか、我々は水とか息のほか、惑星と異なっていた!
これまで様々な非常に長い歴史をかけて――-実は地球ができた当時の情報が失われている!
地球以外の天体に行きますと、生まれた当時の情報が残っている。
これをつなぎ合わせていくことで、地球がどうできたかがわかる!
アポロ17号!1972年に月に、人類として最後の足跡を残して帰りますが、遠くない将来また戻ってきます。
アメリカの今日の挑戦が人類の明日の命運を切り開くのだと信じています!
私たちはここへきた時と同じように、又、地球へ戻りますが――-神の御心のままに!
人類の平和と希望と共に私たちは再び月へ戻るだろう。
太陽系の探査は宇宙において私たち生命がどのような存在か、理解をするために行います。
太陽系がなければ私たちは存在していないでしょう。
この地さな一つの惑星は、何故、太陽の周りに出現したのでしょうか?
このようなことは宇宙のあちらこちらで繰り返されているのでしょうか。
太陽系は広大で謎に満ちています。その謎に迫るため、私たち人類は、太陽系の様々な惑星に探査機を送ってきました。
今や7つの星の衛星や小惑星、彗星、そして冥王星のさらに先まで探査が行われ、高精細な画像データを手にしています。
探査に欠かせなかったのが、科学者や技術者の情熱です。
そこには果てしない冒険心がありました。
彼らはどんな思いで太陽系に挑んできたのでしょう??

「地の果て」とも称される世界遺産!セント・キルダは多くの島からなる群島!
「地の果て」とも称される世界遺産!セント・キルダは多くの島からなる群島!!
[イギリスの世界遺産の島セント・キルダ!住民の去った断崖絶壁の孤島]
スコットランドの北西の外れに浮かぶセント・キルダ諸島は、「地の果て」とも称される世界遺産。
イギリスで最も高い断崖絶壁があり、ブリテン諸島のなかでもっとも雄大で、荒々しい風景が見られることで知られています。
セント・キルダには、かつては人が住んでいましたが、現在は無人島。
ユネスコの世界遺産に登録されるとともに、自然保護団体であるナショナル・トラストにも登録されています。
北ヨーロッパのなかでもとくに特異な島の1つ、セント・キルダの魅力に迫ってみましょう。
[セント・キルダとは]
イギリスのブリテン諸島の最北端に位置するセント・キルダ諸島は、
約6,000万年前の火山活動によってできた群島で、世界で最も古いといわれる火山跡があります。
セント・キルダは多くの島からなる群島ですが、最大のヒルタ島が全体の面積の80%近くを占めています。

セント・キルダは多くの島からなる群島ですが、最大のヒルタ島が全体の面積の80%近くを占めています!
最も近い陸地からでも64km離れているセント・キルダには、新石器時代から人が住んでいたと考えられています。
記録に登場するのは古くとも13世紀からで、14世紀以降はハリス島のマクラウド家の所領として、年に1度だけ代官と牧師が派遣されていました。
当時の人口は、多くても200人たらずだったとみられています。
第一次世界大戦に際してイギリス海軍がヒルタ島に信号所を建設したことから、それまで外界から孤立していた島民が世界を知るようになります。
すると、若者が相次いで島を去ってしまい人口が激減。また、外からもたらされた病気やわずかな
耕作地の土壌悪化なども要因となり、1930年に全島民がスコットランド本土に移住することになりました。
第二次世界大戦後にはミサイル基地が建設されたため、駐在する関係者はいるものの、現在も「島民」はいません。
そのため、島内に残る大戦以前の人工物は、すべて「遺物」となっています。
また、セント・キルダには2種類の野生のヒツジが生息しているほか、多くの野鳥の重要な繁殖地となっています。
そのため、貴重な自然が残る島として、文化遺産と自然遺産双方の基準を満たす「複合遺産」に登録されました。
[セント・キルダへのアクセス]
セント・キルダは世界遺産ではあるものの観光地として整備されているわけではありません。
大きな港や飛行場もなく、アウター・ヘブリディーズ諸島の港町からツアーに参加するか、船をチャーターする必要があります。
アウター・ヘブリディーズ諸島へは、グラスゴーから飛行機でストーノウェーやベンベキュラの空港へ向かうのが一般的です。
アウター・ヘブリディーズは保守的なクリスチャンの多い土地といわれ、安息日には決して仕事をしないという人も少なくないので、交渉の際には注意しましょう。
また、出航できたとしても、セント・キルダは島民が漁で生計を立てることはしなかったというほど海の荒いところ。
上陸どころか島に近づけないこともあるので、その点は覚悟をしておいてください。
skytiket より。

セント・キルダの素朴で幸せだった暮らし!
文化的にも貴重なスコットランドの名所!セント・キルダの素朴で幸せだった暮らし!!
[【世界遺産】セント・キルダ群島は、絶景のみならず文化的にも貴重なスコットランドの名所]
北大西洋に突き出た断崖絶壁の島、ヒルタ(Hirta)、ボーレー(Boreray)、ソアイ(Soay)、ダン(Dun)の4つからなる群島が、
セント・キルダです。スコットランドの北西、ノース・ウィスト(North Uist)島からさらに64㎞ほど西にあり、
雄大な自然と独特の景観から1986年に世界自然遺産に登録されました。
その後、過酷な島の環境の中で、人が2000年以上も暮らしていた痕跡が認められることになりました。
原始的な島の生活が歴史的、文化的にたいへん貴重なものであるとして、2005年に世界複合遺産として再度登録されています。
[■セント・キルダの素朴で幸せだった暮らし]
4つの島のうち、実際に人が住んでいたのはヒルタ島で、1930年に最後の島民がスコットランド本土に引き上げるまで、
人々は家畜の放牧を生業とし、海鳥を食糧として、ほそぼそと暮らしていました。
周りを海に囲まれていながら、漁業を営むには天候も地形もあまりに苛酷な環境で、海の幸を口にすることはできなかったのです。
しかし、そのような暮らしにもかかわらず、島民は幸せそうだったと、この島を発見した研究者たちは語っています。
隔絶された地で、独自の文化を確立し、自分たちの価値観で暮らしていたためと、推測されています。
セント・キルダには小さなキャンプサイトがあって、1日6名まで、最長5日間宿泊できます。
北の孤島で自然に身を任せ、古代の暮らしに思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
[■自然の驚異、標高430mの断崖]
セント・キルダは、世界最古の火山活動によってできた群島としても知られています。
約6000万年前の噴火で形成された島は、気の遠くなるような長い年月をかけて氷河に浸食され、現在のような断崖絶壁の景観が生まれました。
ヒルタ島で最も標高が高いのは、430mのコナシェ(Coenchair)とよばれる地区で、ほかのボーレー島、ソアイ島も高いところで標高は370mを超えています。
島の周辺にも200m近い急峻な岩が存在し、その絶景にはまさに自然の驚異を感じさせます。
[古代ヒツジの棲み家、海鳥の繁殖地]
セント・キルダは、シロカツオドリ、コシジロウミツバメ、ニシツノメドリ、フルマカモメなど、希少な海鳥の繁殖地となっています。
その数は数十万羽に及び、種によってはイギリスで唯一の繁殖地となっています。
外来種の侵入がなかったため、たいへん珍しい野生ヒツジが、ソアイ島に残っています。
ヒルタ島とボーレー島では、ヒツジもいて、現在もボーレー島には、非常に希少な原始的品種のボーレー種が棲息しています。
また、島特有の地形からできた海中の洞窟には、この地方でしか見られない海中生物が多く存在し、研究者たちの注目を集めています。
[■セント・キルダへのアクセス]
セント・キルダへのアクセス方法は、「ナショナル・トラスト主催のクルーズ」、「チャーターボート」、「自己所有のヨット等で上陸」の3つです。
ほかにボランティア活動員として参加できるツアーなどがありますが、事前の確認が必要です。島に行くための定期船やほかの交通機関はありません。
スコットランド・ナショナル・トラストの 公式サイト で各アクセスの詳細が見られます。
Travel Book より。

セント・ギルダを向いている4インチ砲!
ハチの巣のような形の「クレイテアン」と呼ばれる石造りの小屋は、料理や暖房用の燃料として使われた泥炭の貯蔵庫だった!!
今日のまとめ。
英スコットランドの最西端セント・ギルダ諸島。
最大な島ヒルダ島の斜面には今も住居跡が残る。
石を積んだだけの壁が盛り土をした地面を囲み、塩分を含む潮風や作物を食べる家畜からオオムギを守っていた。
ハチの巣のような形の「クレイテアン」と呼ばれる石造りの小屋は、料理や暖房用の燃料として使われた泥炭の貯蔵庫だった。
今も数百残るクレイテアン の多くは、当時のまま草でふいてある。
イギリス領の孤立した群島。
最大の島はヒルタ島!
聖キルダの名で知られる聖人はいない。
16世紀後半にまで遡る名称の由来だと、諸説が挙げられている 。
群島全体を所有するのはナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(en)である。
セント・キルダ群島は第三紀の火成岩地層!
群島の最高地点は、ヒルタ島にあるコナシェアで、村のすぐ北にあり、標高は430mである。
花崗岩や斑レイ岩から構成!
ミツバチの巣のような形の「クレイテアン」と呼ばれる石造りの小屋!
「地の果て」とも称される世界遺産!
セント・キルダは多くの島からなる群島!
文化的にも貴重なスコットランドの名所!
セント・キルダの素朴で幸せだった暮らし!
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