石積みの僧坊・アイルランド=シュケリッグ・ヴィヒル!石積みの修道院の跡が今も!

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これが石積みの僧坊でシュケリッグ・ヴィヒルです!!


石積みの僧坊・アイルランド=シュケリッグ・ヴィヒル!石積みの修道院の跡が今も残されている!

 

アイルランドの最西端ケリー州に浮かぶ、ゴツゴツとした険しい岩山からなる孤島「シュケリッグ・ヴィヒル」。

世界で二番目に大きなシロカツオドリの繁殖地があり、他にも多様な海鳥が生息する。

また、6世紀に建てられた石積みの修道院の跡が今も残されている。

島へのアクセスは小型船のみ。

到着すると、修道院へと続く600段の階段が訪問者を待ち受ける。 

行き方ー成田空港ーカリー空港 アムステルダム、ダブリン経由で約23時間ーポートマギー 

車で約1時間半ー船で約1時間。      日経新聞 NATIONAL GEOGURAPHIC 記事から紹介しました。

次に「シュケリッグ・ヴィヒル」について詳しく検討していきます。

シュケリッグ・ヴィヒル(スケリッグ・マイケル島とリトル・スケリッグ島):

アイルランド、ケリー州沖に浮かぶ島に、石積みの僧房が残る。

6~8世紀、苦行を求める修道僧が神との結びつきを強めようと、修道院を出てここへやって来た。

 

 

はるか遠方にアイルランド島が霞んでいる!


はるか遠方にアイルランド島が霞んでいる!ケルト人により修道院が建てられたという説!!

 

シュケリッグ・ヴィヒル    

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』   

座標: 北緯51度46分 西経10度32分。

シュケリッグ・ヴィヒルからリトル・シュケリッグを望む。

はるか遠方にアイルランド島が霞んでいる。

シュケリッグ・ヴィヒル(アイルランド語: Sceilig Mhichíl)は、

アイルランド島の西方ケリー州の沖合16キロメートルに位置する

面積0.18平方キロメートルの岩山からなる孤島。

英語名はスケリッグ・マイケル(英語: Skellig Michael)。

[概要] 

588年に標高218メートルの島の山頂付近にケルト人により

修道院が建てられたという説があるが、確かな記録はない。

1996年にはユネスコの世界遺産に登録されている。

島の位置とその急峻さにより、

現在にいたるまで修道院はその原型を良くとどめている。

アイルランドにおける初期キリスト教の僧侶たちは垂直に切り立った崖の下に、

石を積み上げてつくった小屋で暮らしていた。

キリスト教の僧侶たちは、石を積み上げてつくった小屋で暮らしていた!

シュケリッグ・ヴィヒルの修道院は、

823年のヴァイキング襲来にも耐えて西暦1000年前後には教会が拡張された。

遅くとも1044年までに聖ミカエルを祀る修道院になったとみなされる。

その後100年ほどして施設は放棄され、島には人が住まなくなった。

西暦1500年頃になると毎年海が穏やかになる時期を見はからって巡礼が訪れるようになる。

1826年には灯台が建設され、1986年には一部の建築物の修復が行われた。

しかし、近年観光客の増加により遺跡が損傷していることから、

島への渡航が制限されるようになっている。

アクセスはアイルランド島西岸のポートマギーからの小型船のみで、

修道院へ辿り着くにはは600段の石段を登る必要がある

シュケリッグ・ヴィヒルには、シロカツオドリの世界で2番目に大きな繁殖地がある。

このほかマンクスミズナギドリ、ウミツバメ、ウミガラス、オオハシウミガラス、ミツユビカモメ、

フルマカモメ、ニシツノメドリといった海鳥が生息し、自然保護区に指定されている。

2015年公開された映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』、

2017年公開された映画『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の撮影で利用された。

スター・ウォーズシリーズの主要登場人物、ルーク・スカイウォーカーが隠棲していた島という設定だった。

[登録基準]  この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、

以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。  

以上はウィキペディアより。

 

 

巨人の墓!真実の岩!石が単なる石でなくなる時!


石が単なる石でなくなる時は?! 巨人の墓!真実の岩!不敬を働いたかどで石に変えられてしまった?!

 

[石が単なる石でなくなる時は?]

結婚祝いになったり、巨人の墓になったり、踊り手が石に変えられたり…

アイルランドいにしえの東部では、一歩ごとに物語を見出すことができます。

ですから、この地の石が物語を語り始めても不思議ではありません。

足元にお気を付けください。

伝説の上を歩いているかもしれませんよ…

1 求婚の石で胸の高鳴りを

かつて、このような石の椅子は妖精の木や妖精の砦のすぐ近くにあり、恋人たちはここを訪れ求愛していました。

後年、これらは教会や大聖堂近くの宗教施設に移築されましたが、そこに寄せる想いは変わりません。

ここで愛する人に求婚すると、その結婚は祝福されると言い伝えられているのです。

ラウス州ガン・ロードにあるカーリングフォード・ロッホがその良い例です。

海にきらめく太陽、波が重なる音、隣には愛する人 – 最高にロマンティックです!

2 危険と隣り合わせの踊り

ウィックロウ州アスグリーニーのパイパーズストーンには不気味な物語が伝えられています。

歴史によると、このストーンサークルは何らかの目的で青銅器時代に立てられたものとされています。

しかし、地元では別の物語が伝えられています。

ある安息日に1人の笛吹きが他の者たちと踊ってお祭り騒ぎをしていました。

そして彼らは聖なる日に不敬を働いたかどで石に変えられてしまったのです。

真相は果たして?

この地を訪れて、ご自分の目で確かめてください…

3 唯一無二の結婚祝い

これはただの石ではなく、ある巨石の話です。

ロック・オブ・ドゥナメースはリーシュ州の風景の中心を占める巨大な石灰岩露頭で、

その上には城が建っています。

14世紀に廃墟と化したこの城はその昔、贅沢な結婚祝いとして贈られました。

1170年。

レンスターの王は娘イーファが伝説的なノルマン人戦士ストロングボウと結婚する際に、

持参金として城を与えたのです。

現在、この城は一般に開かれており、のどかなアイルランドの内陸部の素晴らしい眺めを堪能できます。

4 巨人の墓

プロリーク・ドルメンは、5世紀以上にわたってラウス州の土地を支配してきました。

紀元前3000年に立てられた古代の門状墓で、その冠石の重さは40トン以上です。

歴史家たちは、新石器時代の人々がどうやって

巨石をこのような配置に動かすことができたのかと考えを巡らせてきました。

しかし、神話の答えはいたって単純です。

有名な巨人フィン・マッコールが、打ち倒したライバルであるスコットランドの巨人の武勇に敬意を表し、

この墓を立てたと言うのです。

5 真実の岩

ウォーターフォード・グリーンウェイを旅すると、とっても不思議なものに遭遇します。

クロウロウリッシュ・ストーンは、伝説的な氷河時代の岩です。

この周りで嘘をつくと巨岩が2つに割れると言い伝えられています。

この類まれな巨岩は、氷河時代の迷子石の好例です。

Ireland 記事より紹介しました。

 

 

石垣”土をつくる”とはこれ!


アイルランドの自然!よく見ると木らしい木は生えておらず!石垣“土をつくる”!!

 

[アイルランドの自然]

ゆるやかな丘の続く自然の地形なりの畑や牧草地の豊かな緑。

そんな風景の中に点々と見えかくれする村々。教会の塔が愛らしい。

フランスロマネスクの風景である。美しい。

そうは思いながら、目本の自然を思う。

豊かな木々、水面をたたえながら段々と広がる棚田。

こんな以前にはあたり前の風景も今では少なくなったが、

それにもまして本当に日本の緑は豊かであり、美しい。

贅沢な感さえ覚える。

フランスの田園風景のただ中にいながら、至極自分が東洋人であることを感ずる。

アイルランド。 

ダブリンの町を出る。

緑のじゅうたん。

アイルランド・タブリン=緑の絨毯!

風が強いのと、天気がめまぐるしく変わるのを除けばフランスの田園風景と同じように思えた。

しかし車で進めば進むほど、よく見ると木らしい木は生えておらず、

はかなげに緑がはげている所は石灰岩の岩盤があらわれている。

これは尋常ではない。

比較的肥沃な地に「タラの丘」はある。

島国でありながら、その広さと開放感には圧倒される。

アイルランド系アメリカ人、マーガレットミッチェルが小説「風と共に去りぬ」の最後のシーンで、

主人公スカーレット・オハラに「タラヘ」と言わせしめたアイルランド人の心のふるさとであり、ケルトの聖地である。

日本人の私でさえも、その丘の上に身を置けば、大地を感じ、その風景は心にきざみつけられる。

[石垣“土をつくる”]

アイルランドを西へと進む。

高さ1メートル程の石垣が、道の両側といわず牧草地を縦横に延びる。

牧草地、洋芝とクローバーである。

時々ポツンとゴールが建ててあれば、そこがサッカー場となる。

日本の公園の芝と違い、こちらでは芝は牧草であり、特別な存在ではなく雑草なのである。

限られた肥沃な地域を除いて、畑はほとんど見あたらない。

この石垣、島の西へ行く程間隔がせばまり、密度が高くなる。

アイルランドの最西端ケリー州に浮かぶ孤島が「シュケリッグ・ヴィヒル」です!

専らの土地の境界や牧畜の柵の役目もあるが、

さらに白然のきびしい地域ではなんとわずかに

“作った土”を飛ばされないための風よけの役目もはたす。

この辺の事情は1934年のドキュメンタリー映画の古典といわれている

フラハティー監督の「MAN OF ARAN」に詳しい。

アランとはアイルランド本島のさらに西、小さな島々の名称である。

岩盤をハンマーで砕き、妻は本土から飛ばされて岩の裂け目や窪みにたまった土を手でかき集める。

嵐の後、海岸に打ち上げられた海藻を家族総出で運び、これらと混ぜ合わせ“土をつくる”。

ジャガイモを作る畑までいかなくとも、牧草が表面を覆う。

こうした昔ながらの生活は、近代が進んだ現在でも一部で行われているそうである。

アイルランドは文字通りケルト人の手で作った国なのだ。

紀元前600年頃から、ケルト民族は波状的にアイルランドに侵入してきた。

ヨーロッパ大陸からの言語や文化を先住民に押しつけたと言われる中で、引き継いだ慣習もあった。

優れた埋葬様式に関わる石の文化がその一つである。

ケルトの人々は石の圧倒的な存在感と神聖さを直感的につかみとり、自らの文化の中に守り育てたといえよう。

ヨーロッパ大陸のロマネスク時代の彫刻が建築と一体となっているのに対して、

ケルトは先史の巨石モニュメントである野外の「立石」そのものに、

ケルトは先史の巨石モニュメントである野外の「立石」そのもの!

決して静的ではない互いに中心をずらしながらの渦巻きやその他の図像、象徴を刻み込んだのである。

風雨にさらされながらも大地に根をはったように立つ文様が施された立石の遺跡のいくつかを目の前にすると、

その迫力とともに人知を越えた普遍的な神秘的な力を感ずる。

ここで忘れてならないのが石積造における労働の意味である。

ローマ時代には奴隷の豊富な労働力を利用し、巨大な石材を自由に用いた

つなぎの石灰は用いる必要はない。

中世の場合は奴隷による組織的な労働力はなく、建設現場のスケールは自然小さくなった。

石は原則として人間が運べる程度のものである。

当然それを石灰、漆喰でつながなければならない。

石灰は重要な意味を持つ。

ローマの石灰は極めて良質だが、中世の現地で石灰岩を焼成、沸化したそれは粗悪でもろい。

言わばローマに比べ、ある意味では材料、構法の稚拙な中世の聖堂は、

しかしながらその石の一つ一つを民衆の手で少なくとも自らの意志で積み上げて出来ているのである。

しかも現代でいう実用的な意味のない、祈りの空間のためにである。

石に対する畏敬の念にもまして、中世の石積造に無条件の美しさを感ずる。

 

 

これはケルト文様で犬が三匹描かれています!


ケルト修道院!ケルトの氏族社会は修道院を中心とする共同体へと変わっていった!!

 

[ケルト修道院]  

世俗から離れ、禁欲と苦行により救いを得ようとする修道の道は、洋の東西を問わず宗教上の現象であろう。

キリスト教の場合も4世紀エジプトに修道制の2つの祖型がみられるといわれる。

完全な孤立的な行き方を取る隠修士(ハーミット)とよばれる修遺制と、各々個別的な生活を送るが、

共同の修道日課に従って生活する集団的な生き方、

共住制(シーノバイト)の2つであり、ともに広まっていくことになる。

聖パトリックによってアイルランドにキリスト教がもたらされたのが432年、

土着のケルト社会の自然信仰との融合を計りながらの布教により、

ケルトの氏族社会は修道院を中心とする共同体へと変わっていった。

たしかにそれはローマ教会のシステムとはずいぶん違っていたようである。

まず教会よりも修道の場としての修道院が中心だったこと。

ピラミッド型のローマ教会と違い、各教区を統括する首位司教がおらず、

各々の修道院長を頭にあちこちで信仰による家族的集落をつくった。

大きな建物の中に人がたくさん住んでいるのではなく、

囲いの中に礼拝堂、食堂、学校、写本工房、それに蜂の巣状僧坊(ビーハイブハット)など、

いずれも小さな建物がぽっぽつとあり、まわりには墓地が広がっている。

8世紀の「モリングの書」は聖モリング創設の修道院共同体の平面図をその最後の頁に付している。 

そして、エジプトの砂漠の修道士とならび称された

「エグザイル」精神-自らを故国から追放する精神-のケルト修道院士の禁欲主義的な修行は、

その自然環境から触発されたのか

時としてなぜこんな所にと思われるような絶海の孤島に洞窟のような修道所を生み出すことにもなる。

いずれにしてもそれらが大陸へとキリスト教の逆輸入の形となり、国外からも「聖人の島」と称されるようになる。

具象的なさし絵を使わない文字等を抽象化、

装飾化した独特のケルト系聖書の写本が生まれたのも、これら修道院からである。

[素材]  

修道院の諸建物は、この地方の民家を見る限り、少なくとも屋根は木造が多かったであろうと思われる。

それらは消え、今残っているものは全て石造である。

これはケルト十字!

 

石は主として石灰岩、砂岩、片岩、小石が混じったような

人工的と思われる堆積岩風等であり、必要な所に花岡岩も使われている。

もう一つ重要な材料は、前述よりの石灰である。

主に石積造の石と石の問の目地材となっている。

風雨の強い地方の遺跡の外部には目地材を使用した形跡のほとんどないものもあるが、

基本的には内外とも石灰の目地材で固めながら築いたと思われる。

石灰岩の豊富な土地柄、おそらく生石灰をその場で沸化してそれに砂や土、

砂利類を混ぜ使用したものと思われる。

前述のようにローマの石灰はドロマイト系の良質のもので、

フランスやアイルランドの石灰は粗悪なものが多く、もろい。

各所の遺跡では色セメントで補修してある所も多かった。

しかし、石灰と石との付着力の強さは想像以上と思われる。

バイキングによって崩されたまるで大きな石のような石積造のかたまりを見ると、

石と石灰との関係はどうしても何か表面的以上に計り知れない深いものがあるように思え、

近代の強度追及の結果出来たセメントではどうしても換わることの出来ない部分があるのではと思えてならない。      

ATERIER BEAUNEより紹介しました。

 

 

巨石モニュメントである野外の「立石」!


国外からも「聖人の島」と称される!巨石モニュメントである野外の「立石」!!

 

今日のまとめ! 

アイルランドの最西端ケリー州に浮かぶ、ゴツゴツとした険しい岩山からなる孤島「シュケリッグ・ヴィヒル」。

また、6世紀に建てられた石積みの修道院の跡が今も残されている。

到着すると、修道院へと続く600段の階段が訪問者を待ち受ける。

シュケリッグ・ヴィヒルからリトル・シュケリッグを望む。

はるか遠方にアイルランド島が霞んでいる。

1996年にはユネスコの世界遺産に登録。

シュケリッグ・ヴィヒルの修道院は、

823年のヴァイキング襲来にも耐えて西暦1000年前後には教会が拡張された。

人々は石の圧倒的な存在感と神聖さを直感的につかみとり、自らの文化の中に守り育てたといえよう。

ケルトは先史の巨石モニュメントである野外の「立石」そのものに、

互いに中心をずらしながらの渦巻きやその他の図像、象徴を刻み込んだのである。

風雨にさらされながらも大地に根をはったように立つ文様が施された立石の遺跡のいくつかを目の前にすると、

その迫力とともに人知を越えた普遍的な神秘的な力を感ずる。

いずれにしてもそれらが大陸へとキリスト教の逆輸入の形となり、国外からも「聖人の島」と称されるようになる。

具象的なさし絵を使わない文字等を抽象化、装飾化した独特のケルト系聖書の写本が生まれたのも、これら修道院からである。

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。