木と共に生きる!焦げた木肌が・人々を守る!かつて木が炎を遮り・人々を守った!!

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墨田区の飛木稲荷神社の「焼けイチョウ」も戦災樹です


木と共に生きる!焦げた木肌が・人々を守る!かつて木が炎を遮り・人々を守った!!

 

新型コロナウイルスの影響で外出がままならなかったこの春、みじかな木々が新しい葉を広げる様子に励まされた人は多かっただろう。

自然に親しむには遠出が必要と思いがち。

だが都会にも、長い時間を生きてきた木や、高層ビルの街の中に新たに作られた森もある。

そして人々も木と共に生き、木も人間に寄り添う、そんな物語がある。

焦げた木肌 人々が守る

「これが戦災樹です。焼けて炭化したところが残っていますね」6月上旬、東京都台東区の浅草寺。

明治大学の菅野博貢専任准教授が、幹が大きくえぐれたイチョウを指さした。

黒くひび割れた焦げ跡が生々しい。

東京23区には202本の戦災樹木が残っている――-菅野さんと明大の根岸尚代博士研究員の調査結果だ。

戦災樹木とは第二次世界大戦中、空襲による火災で損傷を受けながら生き残った木を指す。

菅野さんたちは戦災樹を守り残すため、グーグルアースで都心の大きな木を探し、

1本ずつ焼け焦げた幹の傾きなど損傷を確かめ、空襲時の目撃者の証言も得て特定を進めてきた。

戦後75年経っても多くの戦災樹が都心に残ったのは、大半が寺社の境内にある神木だったからだ。

「地域の人々にとって特別の存在だったため、焼けただれても残されたと思われます」菅野さん。

木が炎を遮り人々を守ったと言い伝えられることもある。

墨田区の飛木稲荷神社にある「焼けイチョウ」も戦災樹だ。

飛木稲荷神社にある「焼けイチョウ」です!

近所に住む田中稔さん89 は中学2年生だった。

1945年3月10日の東京大空襲時、神社の向かいの空き地からこのイチョウが炎に包まれるのを見つめていた。

「神社の本殿や神楽殿がまず燃え、火の勢いがすごくて、3月で葉が落ちたイチョウも燃えちゃったんです」

丸焦げになっても地域の人々は大切にし、木は戦後しばらくして再び芽を吹いた。

行き届いた手入れの結果、焼けた木と同じ根から新しい幹も伸び始め、今では立派に育っている。

10年ほど前に戦前に作った根元の石の囲いを補強し、

金属彫刻業を営む田中さんが氏子たちの名前を刻んで、木を守り続ける決意を新たにした。

菅野さんは今、戦災樹の内部を一本ずつ樹木診断装置で分析する研究に取り組んでいる。

空襲で傷んだうえ、戦時中の様子を証言できる人も減り歴史的な価値が一般に十分理解されていない。

調査対象とした木の中には、倒木のリスクを懸念して切り倒されてしまったものもあった。

「傷ついても緑の葉を広げる戦災樹はたくましく美しい。

必要な保全措置を明らかにして保護につなげたいと考えています」。

 

 

阿佐ケ谷駅の南北に伸びる中杉通りで、180ポンのケヤキ並木は地域のシンボル!


阿佐ケ谷駅の南北に伸びる中杉通り180本のケヤキ並木は地域のシンボル

 

都心の木々は戦後の復興の象徴でもある。

JR中央線の阿佐ケ谷駅の南北に伸びる中杉通りを、近くで生まれ育った小川勝久さん76 と歩いた。

およそ180本のケヤキ並木は地域のシンボルとして親しまれている。

阿佐ケ谷駅の南北に伸びる中杉通りで、私の同期生のビルがこれに面していて、よく行きました!

戦時中に住民を立ち退かせて作った防火帯の跡地が中杉通り、54年に地域の人々が資金を集めてケヤキを植えた。

2007年に伸びすぎたケヤキが強風で倒れた時は、東京都と杉並区、小川さんら住民が並木の保護計画を練り、樹形を整えるため大きく刈り込んだ。

いったんは寂しい姿になったが、だいぶ枝が伸びてきた。

「素敵な並木の背景には大勢の苦労があるんですよ。

行政に任せきりにせずみんなで守っていかなければ」と小川さん。

以前のように緑のトンネルができるまでもう一息だ。

取材が進むにつれ、町中に大きな木がたくさん残っていると実感した。

巨樹写真家の高橋弘さんによると、街は森の中より巨樹が育ちやすいという。

「光も届きやすいし周りが手をかけてくれる。街の巨樹は人と共生してきたんです」高橋さん。

神奈川県大磯町の静かな住宅街にある「高麗=こま ホルトノキ」も大切に守られてきた。

街が史跡名勝天然記念物に指定しているこの木バブルの頃に伐採の危機に瀕したことがある。

それを救ったのが昨年100歳で亡くなった画家の堀文子さんだ。

向かいの家に暮らしていた堀さんが借金をして敷地を買い取り、アトリエと小さな家を建てた。

家政婦として堀さんに40年寄り添った斎藤清江さん79 今も週4回家に通って風を通す。

堀さんが土地を買った時も「先生の性格から、なんとかしちゃうんじゃないかと思っていました。

どんな植物も大事にして『それはそこで生きてきたんだから』と言っていました」。

堀さんが体調を壊した晩年、斎藤さんは「先生を治してあげて」と語りながら木を撫でたという。

取材の後、斎藤さんとしばしホルトノキを眺めた。

樹齢は400年とも言われる。

きっと堀さんの前にも多くの人がこの木を愛しただろう。

 

 

「パン屋のヒマラヤスギ」も想定外の生命力を持つ木だ1


強き生命力!都会に息づく!パン屋のヒマラヤスギ!みかどパン店!

 

森林インストラクターの渡辺和郎さんは「都心の木を観察する面白さは、その生命力の強さだ」と話す。

街路樹は根を長く伸ばせない環境で育ち、剪定などの人の手も入る。

「でも自然はそれ以上の生命力を見せます」

一緒に京王相模原線の南大沢駅周辺を歩くと、街路樹のナンキンハゼの根元から別の種類の幼木が伸びていた。

「これはエノキ、こっちはクスノキ。鳥が実を運んできたのかもしれません」。

窮屈な四角い植え升に争うように、根がとぐろを巻いたり升を持ち上げたりする木も多い。

「コントロールしきれないところが面白いんです」。

オフィース街にいながら自然のたくましさを堪能できるのが、

東京都千代田区の超高層ビル、大手町タワーの敷地にある「大手町の森」だ。

地下1階から地上へと傾斜をつけた3600平方メートルに、

大手町の気候や地形にあったタブノキやアカガシが葉を広げる。

絶滅の恐れがある「レッドリスト」記載の植物が勝手に芽吹き、皇居に住むタヌキやハヤブサの目撃談もある。

自然な雑木林に近づけるため工夫を凝らしている。

下草がはげないよう森の中は通行禁止で「木の枝の選定も最低限。

強すぎる外来種を切るくらいです」東京建物ビルマネジメント第一部の関口洋佑さん

事前に千葉県の山林を造成してオフィース街と同じ環境をつくり、浅い土壌で森が育つか3年かけて実証した。

大手町の森の一部はその木をのそまま移植したものだ。

「森としてほぼ完成されてきました。

もっと成長して神木のような大木になってくれるといいですね」関口さん。

店舗を覆うように育った東京都谷中の通称「パン屋のヒマラヤスギ」も想定外の生命力を持つ木だ。

「みかどパン店」店主の斎藤陽子さん85 によると祖母が昭和の

初めごろに店先に置いた鉢植えがいつの間にか根付いたのだという。

この鉢植えのヒマラヤスギがこんな巨樹になるとは想像できません!

「1964年の東京オリンピックの頃は私の背よりちょっと高いくらい 」斎藤さん 

だったが、今では谷中の寺町にそびえ立ち、地中でも50m先まで根が伸びる。

ちょっとした観光スポットになり「ご神木みたいに拝んでゆく人や触っていく人がいます。

減るもんでもないしどうぞってね」。

 

 

これは大手町タワーの敷地にある「大手町の森」です!


街路樹にも栄枯盛衰がある!トウカエデを常緑ヤマボウシ植え替えた!!

 

ここまで大きくなったのは、数々の危機を強運で乗り切ったこともある。

戦時中は谷中でも店の周辺は空襲を免れた。

数年前には土地の所有者が変わり再発計画が持ち上がった時は、近隣の人々が署名活動をしてくれて伐採は当面見送られた。

昨年は台風19号で5本ある太い幹のうち1本が折れて屋根の上に倒れこんだが、建物も斎藤さんも無傷だった。

「まともにぶつかったらぺしゃんこになったと思うけど、枝がクションになったみたい」。

幹が1本減った以外は木も元気だ。

空襲で浅草の自宅を焼け出された母と共に祖母の家に身を寄せ、祖母と母を亡くした後はずっと一人で店を守ってきた斎藤さんに、木は長年寄り添ってきた。

常緑樹のヒマラヤ杉は日々大量の葉を落とす。

斎藤さんは毎日はそれを掃き、幹をなでる。

「夏は午前も午後も日陰を作ってくれるし、風除けにもなってくれますから」。

街路樹にも栄枯盛衰がある。東京では長らくイチョウやプラタナスが街路樹の代表格だった。

だが近年は成長が遅く手入れが楽なハナミズキの人気が高まり、今では都内の街路樹の本数でイチョウに変わり首位だ。

未来の東京を彩るのはどんな木だろう。

ヒントを得ようと立川市にある東京都農林総合研究所センターを訪れた。

敷地内の神樹種見本園国には国内外から集めらた木々400種が植えられ、木の展覧会のようだ。

緑化森林科の佐藤澄仁課長が、今後復旧しそうだという香港原産の「常緑ヤマボウシ」を見せてくれた。

大きな白い花や実など四季折々の変化が楽しめる。

しかも「実が乾いてから落ちるので道路を汚しません」。

これがヤマボウシに植え替えられた早稲田通り!

都内では最近、早稲田通りなど大きくなりすぎたトウカエデが常緑ヤマボウシに植え替えられた。

最初は細い苗木だった街路樹や庭木も大きくなる。

街の景観を形作り、人々の思い出に入り込む。

人の都合で切り倒されることもあるが、時に予想以上の生命力を見せる。

そして地域の記憶を次世代に繋いでくれる。

暮らしの中の木々とはそんな存在なのだ。   

日経新聞 北松円香  井上昭義撮影。

 

 

私の設計で南青山にあるクレセントヒルズというビルで樹木を大事に設計しました!


樹木がなければその家は未完成!樹木は、その家の命であり・見栄えが数段良くなる!!

 

私は建築家ですので、住宅や街の中の建物を設計しますが、その設計に必ず組み込むのが、樹木です!

もし仮に樹木がなければその家は未完成です!

樹木があって初めて住宅や建物が完成するのだと、強いこだわりがあります。

木を植えていない家を見ると、大変寂しい家に見えてしまいます。

それほど樹木には、家に人に必要なものなのです。

ですから時には、住宅の設計の前に樹木をどうするか、先に考えることがあります。

例えばその家は樹木のある家=そんなタイトルの家になります!

樹木は、その家の命であり、さらに見栄えが数段良くなるのです。

街をよく見てください――-いい樹木の植えてある家ほど素敵な家に見えます!

それは樹木があるからで、決して設計が良い家だけではないのです。

家をつくということは、そこに樹木があることが大前提なのです。

これは私の建築の哲学の一つなのです!

ですから街で時々見かける樹木のない家は、未完成に見えてしまいます。

私が好んで植える樹木に、ヤマボウシがあります。

この樹木は記事の中でも登場していましたが、樹形に温かみがあって、葉の形が美しいのが特に好きです。

さらに四葉の白い花が咲きますが、それが素敵な美しさです。

時にピンクの花を咲かせるヤマボウシがありますが、珍しい品種です。

このヤマボウシの樹木は箱根に山に沢山生えていて、ヒメシャラと箱根の樹木の重鎮と言われています。

私の家の狭い庭の一角にもヤマボウシがあります。


これは我が家のヤマボウシです!!

春先に綺麗な新芽が出てくるとそれからしばらくして、四つ葉に広がる白い花が咲きます。

街ではあまり見かけませんが、これを植えてある家は設計者のセンスの良さが垣間見れるでしょう!

記事の中にあったようにハナミズキをヤマボウシに変える街路樹の話がありました。

私もハナミズキよりも断然ヤマボウシが街路樹として、街が素晴らしい環境=街路 になると確信しています。

ヤマボウシには計り知れないポテンシャルがあるからです。

私がヤマボウシに初めて出会ったのは、日光のホテルを設計した時に、

造園設計の中谷さんが玄関先にヤマボウシを植えて下さり、

その樹形の見事さに魅せられて、それ以来すっかりヤマボウシのファンになりました。

樹木は建築にとって欠かすことのできない、大事な相棒の一つで命だと思っています。

これからも樹木を大事にして、設計に勤しみたいと思っています!!

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。