日本が愛したフレディは日本を愛した!没後30周年、クイーン熱が続く!フレディは単独でお忍び来日しているほど、日本が好き!

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日本が愛したフレディは日本を愛した!没後30周年、クイーン熱が続く!

日本が愛したフレディは日本を愛した!没後30周年、クイーン熱が続く!フレディは単独でお忍び来日しているほど、日本が好き!

 

大阪から名古屋に向かう新幹線の車中で弁当をパクつくフレディ。

日本人庭師に日本庭園を造らせたロンドンのフレディ邸、女性用の着物を羽織ってステージに立つフレディ――-。

栃木県足利市の栗田美術館で7日まで開かれた企画展「フレディ・マーキュリーが愛した

日本と文化×栗田美術館」には、英国のロックスター、フレディ・マキュリー=1946~91年 の写真やポスター、

彼がボーカリストを務めた、ロックバンド「クイーン」関連のグッズなどが多数展示された。

フレディ存命中のクイーンの来日公演は85年が最後となったが、

翌86年9月から10月にかけてフレディは単独でお忍び来日している。

京都ホテルの和室に泊まり、陶芸家を訪ねて茶碗を注文。

東京では小石川後楽園で日本庭園を散策した。

9月26日に訪れた栗田美術館は伊万里や鍋島を所蔵する世界最大級の陶磁美術館だ。

フレディはいたく感激し、ここにある磁器を全部売ってく入れと駄々をこねたという。これが最後の日本訪問となった。

「あの映画が話題となって以来、ゆかりの地として、当館を訪れる人が急増しました」と栗田俊英館長は言う。

2018年~19年に大ヒットし、クイーンの人気に再び火をつけた映画「ボヘミアン・ラプソディ」だ。

アニメやドラマの舞台が「聖地」と呼ばれ、大勢のファンが「巡礼」と称して訪れる例は多いが、

ここ栗田美術館もフレディやクイーンのファンにとっては新たな聖地になっている。

今年はクイーン結成から50周年、フレディ没後30周年のイヤーでもある。

残るメンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラーに米ホップ歌手のアダム・ランバートを加えた

「クイーン+アダム・ランバート」の欧州公演は新型コロナウイルスのおかげで延期を余儀なくされているが、

代わりにバンド初の公式モバイルゲーム「クイーン・ロックツアー」=音楽ゲーム 

が今月1日から配信されるなど、相変わらず話題には事欠かない。

日本では今でもCMなどでフレディの歌声を頻繁に耳にするし、

4月からNHKーFMがクイーンの魅力を再発見する1時間番組「ディスカバー・クイーン」=日曜夜9時 

を一年にわたって放送すると言うから、まだまだブームに近い状態にあると言える。

なぜこれほどクイーン熱が続くのだろうか。

「クイーンと日本、とりわけフレディと日本は相思相愛だったんです」。

クイーンと日本、とりわけフレディと日本は相思相愛だった!

栗田美術館の企画展トークショウーに出演した有名な追っかけファンのえっついさんが、そう話してくれた。

来日したフレディを追いかけ、骨董品を買いあさる姿まで間近に目にしてきた

彼女は「フレディは日本の文化を深く理解し、愛していました」と振り返る。

クイーンは世界に先駆けて日本でブレイクした。

日本びいきなったのは一般にそのためだと思われているが、メンバーのロジャーは75年の

初来日の際に東京タワーの下のホテルで模様された野点=野外の茶会 を経験した時を

振り返って「フレディはあのとき日本と恋に落ちたんだ」と語っている。

クイーンを何度も撮影したカメラマン浅沼ワタルさんは

「フレディが開いた船上パーティーにカメラマンとしては1人だけ呼ばれて撮影したこともあります。

客はゲイの人たちが大半で、そいいう場所では彼は大はしゃぎで心から楽しそうな顔を見せるのですが、

普段はふと寂しそうな表情を見せることもありました」と明かす。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」でもフレディの性的マイノリティーとしての葛藤が描かれていた。

映画を通じて彼の内面への理解が深まり、クイーンの楽曲の奥深さにも一般の関心が向くようになったのではないか。

例えば「ママ、僕は1人の男を殺してしまった」と歌うフレディの作詞の「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞は難解だ。

しかし「ママ、僕は女性を愛する普通の男としての自分を捨ててしまった」の意だと解釈すれば、あの曲から彼の叫びが聞こえてくる。

フレディはソロの楽曲「リヴィング・オン・マイ・オウン」で次のように歌っている

「ひどく寂しい、寂しい 寂しい 寂しい きっと楽しい時が待っているはず」

=フレディ・マキュリー自らが語るその人生」よ、翻訳・新井嵩嗣。

本来なら没後30年の記念イベントや出版などが相次ぐ年。

コロナの状況が改善すれば、ファンにとって、きっと楽しい時が待っているはず、だ。   

吉田俊弘 山口朋秀撮影。 日経新聞。

 

ではこれから「フレディ」と「「ボヘミアン・ラプソディ」」について研究してゆきます。

 

 

映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしている!

クィーンのフレディが日本を愛した理由 etc.!映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしている!

 

[クィーンのフレディが日本を愛した理由 etc.]    

映画「ボヘミアン・ラプソディー」の大ヒットで、クイーンのことに関して初めて知ること多し。

ウエブロンザの「平成の挽歌が聞こえる」にも言及があり、朝日デジタルにも、有料会員限定記事として、「フレディが日本を愛した理由」とあった。

日本語でも歌っているらしい。それらの主なセンテンスをメモした。 

《ウエブロンザ》    ・・・ 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしている。

70年代に登場した英国のロックバンド「クイーン」のボーカルを務めたフレディ・マーキュリーが主人公である。 

フレディは少数民族のパールーシー(ペルシャ系インド人)であり、ゾロアスター教(拝火教)の信徒。ゲイでもあって、最後はエイズで死ぬ。 

いわばマイナリティの塊のような男が、困苦の中で音楽性を究めていく。

その命がけの姿に、年齢を超えた観客が映画館の床を鳴らし、ペンライトを振って共感する。

いま多くの企業が、ダイバーシティ(多様性)に取り組み、その一つとしてLGBT(性的少数者)を受容することが当たり前になってきた。

多様性は社会を活気づかせる力になる。平成の記録に残すべき変化である。 

LGBTを嘲笑する論考を載せた「新潮45」は休刊に追い込まれた。昭和から引きずってきた古い価値観が変わろうとしている。

マイナリティを自然に受け止める若い人たちの存在は、この国の希望の光になるだろう。 

木代泰之(きしろ・やすゆき) 経済・科学ジャーナリスト

経済・科学ジャーナリスト。

東京大学工学部航空学科卒。

NECで技術者として勤務の後、朝日新聞社に入社。

主に経済記者として財務省、経済産業省、電力・石油、証券業界などを取材。

現在は多様な業種の企業人や研究者らと組織する「イノベーション実践研究会」座長として、

技術革新、経営刷新、政策展開について研究提言活動を続けている。

著書に「自民党税制調査会」、「500兆円の奢り」(共著)など。

《朝日デジタル》  フレディが日本を愛した理由  劣等感・孤独との格闘の中  (米原範彦)

・・・ フレディは日本を愛した。九谷焼、薩摩焼などの伝統工芸にひかれ、

東京・日本橋の和紙店で購入した和紙を英国の自宅の壁紙として貼った。

来日時のインタビューで、フレディは東洋、西洋を問わず美術への強い関心を示している。

美意識は極めて高かった。

・・・「手をとりあって」では日本語で歌い、自作の

「レット・ミー・エンターテイン・ユー」には「日本語でも歌います」という英歌詞が出てくる。 

なぜ、日本を愛したのか。 

「75年の初来日時から日本のファンが大歓迎したからだと思う」と、

元「ミュージック・ライフ誌」編集長で音楽評論家の東郷かおる子さんは言う。

英国では酷評されていたものの、東郷さんはデビューしたてのクイーンにいち早く注目し、誌上で取り上げた。

「宗教的戒律が背景にある欧米社会より、日本の方が息苦しくなかったのかも。

一部でも自分に東洋系の血が流れていることも影響していたと思う。

居心地がよかったのでしょう」。

ゴシップをかぎ回る英国メディアと違い、正面から音楽の質問をする日本のメディアへの好感もあったという。 

「バルセロナ」には日本語歌詞を多用した自作の「ラ・ジャポネーズ」を収録。

「いつも君だけは心の友/遠い君の面影しのんで/あまりにも美しい夢のよう」と中音域で温かく歌う。

「きっと日本のファンに向けた言葉です。繊細で可愛いやつですから、大歓迎をいつまでも、

いつまでも忘れなかったのでしょうね」 劣等感、どう克服?  

レジェンドとなったフレディ。

だが、現実は激烈だったのではないか。 

映画でフレディ役を主演したラミ・マレックさんは話す。 

「フレディはステージでは天国から送られてきたような偉大なペルソナでしたが、

実人生では、自分とは何なのか、アイデンティティーを求めて葛藤した存在だったと思う

セクシュアリティーでも何なのか、探し求めて、もがいた」  

1973年のデビュー当時、ロッカーの属性は「青白く細い美少年」というロンドンの風潮にあって、ペルシャ系インド人の彼は異質だった。

出っ歯も揶揄(やゆ)の対象に。

性的少数者であることは現代以上に公言しにくかっただろう。

映画公開を機に、NPO法人・難民支援協会は今年11月、「彼は難民でもありました」とツイートした。

一家は、生まれ故郷ザンジバル(現タンザニア)の革命による政治難民でもあった。 

一家は、生まれ故郷ザンジバル(現タンザニア)の革命による政治難民でもあった!

強敵も居並んでいた。レッド・ツェッペリンのロバート・プラント、イエスのジョン・アンダーソンら驚異的ボーカリスト。

デビッド・ボウイら美形スター。

元ビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニーも、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーもいた。 

のしかかる劣等感。

行き場のない孤立感。

「まさに葛藤の克服こそ彼に課された現実の試練だった」とマレックさん。

だが、フレディは、未曽有の音楽的才能と歌声を支えに、葛藤に挑み、はねのけていく。

80年代、スタジアム級のロックシンガーへと脱皮できたのも、ファルセットではなくライブ用の強靱(きょうじん)な歌唱法を訓練し、身につけたからだろう。

プラントが年々、超絶高音を沈静させていったのに対し、フレディは年々力強い高音を研磨していく。

格闘に次ぐ格闘。

その渦中に、フレディは足早に天上へ逝った。 

しかし、残された音楽と歌声からは愛があふれだし、聴く者を祝福し続けてやまない。 

「クイーン」の伝説的ボーカリスト、フレディ・マーキュリーは作詞・作曲家、歌手、パフォーマーとして絶巓(ぜってん)を極めた。

今、世界が注目する映画「ボヘミアン・ラプソディ」で超人は光彩陸離たる歌声で降臨する。 

ステージ上の彼を見よ。

大きな出っ歯をむき出し、屹立(きつりつ)してシャウトする姿はたけだけしい。

目を閉じてピアノを弾き歌う姿は気高い。

70年代半ばごろは長髪、胸毛、レオタード。

異国の空想上の毒花のように細い四肢を伸ばした。

80年代にはスタジアム級のロックシンガーに。

口ひげも蓄え、けばけばしい黄色いジャケットも羽織り、狂騒的なネコ科の動物のようにおちゃめに動き回った。

そして何万人という観衆と一体となった。    

赤秋つれづれ より。

 

 

フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化×栗田美術館!

フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化×栗田美術館!婦人用の着物を羽織ってステージに立ったフレディ・マーキュリー!!

 

[特別催事『フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化×栗田美術館』開催]    

イベント『MUSIC LIFE CLUB presents「ミュージック・ライフが見た

クイーン フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化×栗田美術館」』

が2月9日から栃木・足利の栗田美術館で開催される。

1975年、1976年の来日公演では婦人用の着物を羽織ってステージに立ったフレディ・マーキュリー。

その後も来日の度に招き猫、着物、浮世絵、陶磁器、火鉢といった多くの古美術品を

イギリス・ロンドンに持ち帰ったほか、1986年にはプライベートで栗田美術館を訪れたという。

文化庁、博物館異分野連携モデル構築事業の一環として行なわれる同イベントは、日本文化を愛した

フレディの足跡を辿りつつ、伊萬里焼、鍋島焼の歴史に触れてもらうことを主旨として実施。

敷地内をフレディが来館した時と同じコースで巡るガイドツアー、フレディと縁の深い関係者による

トークイベント『クイーンが愛した日本 日本が愛したクイーン』、

東京からのバス移動などを組み込んだオフィシャルツアーも予定されている。

2月13日のトークイベントには1970年代のQUEENを撮影した写真家・浅沼ワタル、

QUEEN研究家・石角隆行、2月20日は東郷かおる子(『ミュージック・ライフ』)、

東芝EMI時代の担当ディレクターの森俊一郎と石井由里、

2月27日はえっつい、渡辺音楽出版の洋楽部でQUEENを担当していた柴田敏晴、

3月6日はフレディの専属ボディガード伊丹久夫、えっついが登壇する。    

CINRA NET より。

 

 

京都の骨董品店で小さな『招き猫』を見つけ、とても喜んでいた!

京都を愛したフレディ クイーン秘話!京都の骨董品店で小さな『招き猫』を見つけ、とても喜んでいた!

 

[京都を愛したフレディ クイーン秘話]    

イギリスの伝説のロックバンド「クイーン」にスポットをあてた

映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、大ヒットをとばしている。

クイーンは親日家で、中でもボーカルのフレディ・マーキュリーは日本の伝統や

美術品を好み、来日の際、オフには京都巡りも楽しんだという。

当時を知る日本人元ボディーガードに話を聞くと、その人柄や優しさがあふれてくる。(広瀬一雄)

■招き猫に感激    

「大阪で公演があるとオフには京都に行き、1日中、骨董品(こっとうひん)店などを回って美術品などの買い物。

よほど日本が好きなんだなと思いました」  

昭和50(1975)年の初来日から10年間でクイーンは6回来日。

フレディはプライベートでも1度来日している。

来日の際、必ずフレディのボディーガードを務めた伊丹久夫さん(72)

=現東京パトロール社長=は、懐かしそうに当時を振り返った。  

初来日の際も、神戸のライブの翌日に京都を訪れ、平安神宮(京都市左京区)の

境内を散策したり、料亭で食事をしたりしたという!

境内を散策したり(写真)、料亭で食事をしたりしたという。

「東京のホテルに着くと、すぐにアンティークの『招き猫』を探したが、東京では見つからなかった。

京都の骨董品店で小さな『招き猫』を見つけ、とても喜んでいた」と伊丹さん。

フレディ自身、猫を飼っていたこともあってか、小さな招き猫を、大事そうに持つ姿が印象的だったという。

すでに初来日の際に東京では1000人を超える熱狂的なファンの歓迎を受けていたクイーンのメンバーだが、

当時の京都では、変装などをしなくても、サインを求めてくるファンはいなかった。

フレディはリラックスして、静かにゆっくりと店を回り、買い物をしていたという。 

浮世絵、200万円もする陶磁器、着物…。

計7回の来日で、「購入した美術品で美術館ができるほど」(伊丹さん)いろいろな日本の美術品を買った。

購入した着物をライヴで着たこともあったという。

「インターネットもない時代なのに、フレディは日本の美術品のことをとてもよく知っていた。

通訳を通して『(陶器が)本物か』と聞かれたこともあった。

美術関係には造詣の深い人だった」(伊丹さん)    

産経新聞 より。

 

 

等身大のフレディ像を紹介する栗田俊英館長!


フレディが愛した日本文化!フレディをきっかけに、日本の伝統文化に触れるきっかけになればうれしい!!

 

[フレディが愛した日本文化 栗田美術館で企画展 陶磁器などクイーンの足跡も展示]      

伝説の英国ロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリー(一九四六~九一年)がお忍びで訪れた

足利市駒場町の栗田美術館で企画展「フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化×栗田美術館」が始まった。

伊万里焼、鍋島焼など二千点超を展示する同美術館内は、二十代の若者から中高年まで幅広い年齢層の観覧者でにぎわっている。 

(梅村武史)  

文化庁の「博物館異分野連携モデル構築事業」。

陶磁器や浮世絵など多くの古美術品を収集するなど日本文化を愛したフレディ。

その足跡をたどりつつ、同館で伊万里焼、鍋島焼の魅力にも触れてもらう狙い。 

最後の来日となった一九八六年九月、同美術館を極秘訪問したフレディは

陶磁器への造詣が深く、カメラ片手に館内を楽しそうに見て回ったという。

壮絶な半生を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が一昨年、大ヒットし、ブームが再燃している。 

「ボヘミアン・ラプソディ」が一昨年、大ヒットし、ブームが再燃している!

会場では等身大のフレディ像が出迎え、一九七五~八六年の計七回の来日時の

活動パネルや当時の公演チケット、特集雑誌、レコードなど約二百点を展示。

「好きなグループはビートルズ」と書いた直筆アンケートもある。

訪問時のメモリアル・スポットを歩いて楽しむこともできる。 

仙台市から約五時間、車を運転して駆けつけたという

会社員大沼光枝さん(46)は「フレディと同じ場所にいられることが感動。

彼が夢中になった陶磁器についても学んで帰りたい」と話した。 

新型コロナウイルス感染症対策で、密を避ける万全の体制を整えたという。

来場者多数の場合は入場制限する。栗田俊英館長(60)は

「フレディをきっかけに、日本の伝統文化に触れるきっかけになればうれしい」と話す。   

東京新聞 より。

 

 

[栃木県、足利市で「フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化 × 栗田美術館」スタート!


栃木県、足利市で「フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化 × 栗田美術館」スタート!!!

 

[栃木県、足利市で「フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化 × 栗田美術館」スタート。

案内動画公開! 

クイーン愛にあふれるイベント&展示品をお楽しみください!]    

2月9日(火)より栗田美術館にて開催が始まった「フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化 × 栗田美術館」。

展示品等を収めた動画が公開されました。栃木県は緊急事態宣言も解除され、みなさまのお越しをお待ちしております。

〈以下公式インフォメーションより〉

2月9日より3月7日まで、栃木県、足利市にて「ミュージック・ライフが見た

クイーン フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化 × 栗田美術館」が開催されます。

広大な美術館敷地内には、フレディの愛した日本文化の魅力を陶磁器を通して触れていただく

見学コースが設けられ、メモリアル・スポットにはボードが設置されました。

また、陶磁会館では、なんと実物大のフレディ像がお出迎えいたします。

クイーン縁の関係者によるトーク・イベントは、毎週土曜日に開催され、平日(火~金曜日)と日曜日は、

東郷さん、伊丹さん他4名の方で別収録した特別座談会の収録動画(約50分)も常時上映いたします。

同時に、展示につきましては、クイーンと日本のヒストリー・パネルの掲示、

ミュージック・ライフ所蔵アイテムの展示に加えて、クイーンのオフィシャル・アーカイヴァー

としても知られるグレッグ・ブルックス氏のレア・アイテムの一部が公開されています。どうぞお楽しみに。

 ※「フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化×栗田美術館」ご案内動画はこちら。    

MUSIC LIFE CLUB より。

 

 

1つの曲にクイーンが持つ魅力のすべてをつめ込んだ傑作!

『ボヘミアン・ラプソディ』は何のことを歌った曲なのか?!1つの曲にクイーンが持つ魅力のすべてをつめ込んだ傑作!

 

[『ボヘミアン・ラプソディ』は何のことを歌った曲なのか?]    

今回も、前回に引き続き、クイーンの特集をお送りします。

今回は「この声、大好きリクエスト」にちなんで日本人を魅了したフレディ・マーキュリーの歌声と、

名曲『ボヘミアン・ラプソディ』の“声”に秘められたストーリーをお届けします。 

クイーンの曲が現在も聴き継がれ、新たに若いファンも生まれている理由……

それは楽曲の良さと、フレディ・マーキュリーの圧倒的なボーカルにあります。

フレディは飛び抜けて声域の幅が広く、上下4オクターブの声が出せました。

フレディは飛び抜けて声域の幅が広く、上下4オクターブの声が出せました!

「フレディは、あれだけ声が出るわりには、のどがすごく弱くて、ライブの後で取材すると

驚くほど声がガラガラだったり、『のどの調子が悪いから取材は明日にしてくれ』ということもありました。

声の管理には人一倍気を遣っていましたね」と語るのは、日本の音楽誌でクイーンに

最も多く密着取材を重ねた『ミュージック・ライフ』の元編集長・東郷かおる子さん。

スタジアム級の会場で、2時間近く声を張り上げて歌うプレッシャーは相当なもの。

そんなフレディを演奏とコーラスで支えたのが、バックを務めるブライアン、ロジャー、ジョンの3人です。

「『ドント・ストップ・ミー・ナウ』のような、フレディの背中を押すようにせき立てる

クイーン独特のコーラスは、化学反応というか、あの4人だからこそできたことですよ」

75年、初の来日公演を大成功のうちに終え、イギリスに帰国したクイーンは、郊外の農場に作られた

スタジオにこもって、通算4枚目のアルバム『オペラ座の夜』のレコーディング準備を始めます。

このとき、スタジオへ取材に行った東郷さん。

いま公開中の映画にもそのシーンが出て来ますが、東郷さんによると

「あの農場はあんなに汚くなくて、すごくきれいな所でしたよ(笑)。

映画ではレコーディングシーンになっていましたけれど、実際にはあそこはリハーサルのためだけに使っていたんです」

朝から晩までリハーサルを繰り返すなか、日本での記憶がさめやらぬ4人は、東郷さんを大歓迎してくれました。

特にサービス精神旺盛なフレディは、「息抜きにテニスしてる写真はどうだい?」と撮影にもいろいろ気を遣ってくれたそうです。

しかし、音楽のことになると目つきが変わり、スタジオにはいつも一番乗りで登場。

演奏がうまくまとまらないときは、「ここは、こうした方がいいんじゃないか?」と問題点をどんどん指摘。

何度も練習をくり返したそうです。

スタジオではフレディがリーダーシップを発揮し、ボーカルも納得いくまで歌い直しを重ねました。

このときに作られた、名曲『ボヘミアン・ラプソディ』。

オペラ風の構成にしようというアイデアで制作されたこの曲も、4人のコーラスワークが絶妙ですが、

フレディは他のメンバーが「こんな声、出せないよ!」と言っても「いや、出るはずだ!」と何度も挑戦させました。

とりわけ高い「♪ガリレオ~」のコーラス部分は、ドラムスのロジャーに

何回も録り直しをさせていますが、その回数はなんと20回以上でした。

ようやく完成させました。東郷さんは言います。

「人がやらないことをやるセンスが、フレディは抜群でした。

クイーン独特のコーラスも『自分ができるんだから、みんなもできるだろう』とメンバーに要求して、

他の3人もそれに応えたからこそ、他に真似のできないものになったんです」

音程が絶対にぶれず、圧倒的な声量で、変幻自在なフレディの声。

そして、それを支える3人のコーラス。

『ボヘミアン・ラプソディ』は、1つの曲にクイーンが持つ魅力のすべてをつめ込んだ

傑作となり、アルバム『オペラ座の夜』ともども、初めてイギリスで1位を獲得。

クイーンは世界的バンドへと成長していきました。

東郷さんはあるとき、フレディにこんな質問をしたことがありました。   

ニッポン放送 ニュース より。

 

 

これを見ても、フレディはよほど日本文化が好きっだたと思います!

フレディはよほど日本文化が好きっだたと思います!フレディを通じて日本文化の良さを再認識できそうです!!

 

今日のまとめ。

日本が愛したフレディは日本を愛した!

没後30周年、クイーン熱が続く!

フレディは単独でお忍び来日している!

クィーンのフレディが日本を愛した理由 etc.!

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしている!

フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化×栗田美術館!

婦人用の着物を羽織ってステージに立ったフレディ・マーキュリー!

京都を愛したフレディ クイーン秘話!

京都の骨董品店で小さな『招き猫』を見つけ、とても喜んでいた!

フレディが愛した日本文化!

フレディをきっかけに、日本の伝統文化に触れるきっかけになればうれしい!

フレディが愛した日本文化!フレディをきっかけに、日本の伝統文化に触れるきっかけになればうれしい!

『ボヘミアン・ラプソディ』は何のことを歌った曲なのか?!

1つの曲にクイーンが持つ魅力のすべてをつめ込んだ傑作!

今日は日本が愛したフレディは日本を愛した!でした! 

フレディはよほど日本文化が好きっだたと思います! 

だからこれほど日本に密着し歌いづづけてきたのでしょう!

フレディを通じて日本文化の良さを再認識できそうです! 

没後30年経っても『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしているのは、

フレディが日本の心をとらへて離さないからでしょう!

これからもまだまだフレディ熱は続くでしょう!!

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。