戸井十月さんのユーラシア大陸横断!3万キロ・前半のライダー旅は面白い!

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戸井十月さんのユーラシア大陸横断!3万キロ・前半のライダー旅は大変に面白い!

 

2013年に亡くなられた—–戸井十月さんのライダー旅は凄く面白かったので紹介します。

ありのままの世界を見てみたい—–の思いで出発したのですが、自然は過酷でした。120日間の旅の記録です。戸井さんをサポートをするのはメカニックを含めて3人。

楽しみと不安が交錯する旅の始まりでした。2009年7月9日—–ここで「地果て海が始まる」のがロカ岬。ホンダのバイクで大陸を走る戸井さん颯爽と走るその姿は実に羨ましい限り。このBSを見て私の「北海道一人旅」を決断しました!!

北米、オーストラリア、アフリカ、南米と、四つの大陸を繋いできた道は、いよいよ最後の、そして最大の大陸、ユーラシアへと延びてゆきます。悪戦苦闘の挙げ句にささやかな、しかし確かな真実と希望とに出会う体験こそが旅と信じて、戸井十月は走り続けてきました。

2009年7-11月ユーラシア大陸のライダー旅は、60歳となった戸井十月の、還暦などどこ吹く風の大紀行。旅の伴侶ホンダ・アフリカツインで、西の端から東の我が町までの3万キロの旅。ポルトガルを出発し、スペイン、フランス、イタリアを通りクロアチアへ。途中、マケドニア、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンを通過し、中国国境近くからモンゴル、そしてロシアへ。ロシア・ウラジオストックからは、航路で富山に戻り、東京でゴール。言語も人種も文化も異なる20カ国、3万キロ、延べ140日を越える大紀行の模様を、ハイビジョン映像で12話に渡りたっぷりとお届けします。

アジアとヨーロッパが出会うのがユーラシア大陸。そのユーラシア大陸の最西端「ロカ岬」を出発し南下するとやがて、ジブラルタル海峡が見えてスペインへ、コスタ・デル・ソルの地中海沿岸を走るのが、旅のスタート。一週間で南フランスのマルセイユへ到着。プロヴァンスを走り抜け、やがてコート・ダジュールを快適に走るが、フランスは物価が高いので長居はできない!

モナコ公国からマントンを経てイタリアへ!この間、コスタ・デル・ソルを快適に飛ばし、コート・ダジュールを疾走と走り、やがてリヴィエラだ!

北イタリアのコルニアに到着—–ここはチンクエ・テッレで、ここで披露したのが、フランコ・カッサーノの「南の思想」で、何故か北イタリアで、南の思想なのが面白かった!北海道一人旅で私の旅のお供が、「南の思想」でした。時が止まったような姿が残った!本当の豊かさとは何か、それを旅人に突き付けてくる!それが南の思想で、そんな思いがここチンクエ・テッレで頭をよぎった!以下が南の思想の私の好きな一節です。

ゆっくりしなければならない。

田園をゆく古い列車や黒衣をまとった農夫のように。

徒歩で進み、

世界が魔法の力によって開かれるのを目の当たりにする人のように。

なぜなら、歩くとは本のページをめくることなのに、

急いでいるときは本の表紙にしか目を止めることがないから。

ゆっくり歩くとは、思いを巡らすことであり、

牡牛の無限の眼差しや忍耐強く待つ犬を真似することであり、

日暮れとパンとオリーブオイルだけで1日満たされることである。

そのコルニアでは夫婦が別荘を手作りしていましたが3年かかるそうで、優雅でそしてユックリを見た思いがしました!

イタリアを後にすると次は四国くらいの小さな国スロベニアだ!次のクロアチアでは中世の暮らしを再現したお祭に遭遇—–楽しげなお祭りでした!アドリア海のクロアチアを南下すると「アドリア海の真珠」ドブロヴニックに到着。

街は戦争の傷跡は修復されて綺麗になっていて、その城壁を歩く!ドブロヴニックは人が温かかった!バルカン半島をさらに南下しモンテネグロへ!このモンテネグロは福島県ぐらいの小さな小国だが、各地から多くの観光客で賑わっていた。そしてアルバニアからバルカン半島最後に国マケドニアへ—–ここに入ってイスラムやアジアの気配がする!さらにパタゴニアの原野を走り、ギリシャのエーゲ海に辿り着いた!ここで持ち歩いて来た「ヨーロッパの地図」を捨てる時が来た。ギリシャからトルコへ向かう!トルコは走っていて楽しい。イスタンブールでは宿が取れないほど混んでいたが、いきな青年の計らいで店の屋上を使って、バーベキューをしてくれた!ここで思わぬ楽しい一夜になり、この突然の出来事が旅の一つの醍醐味だと!

 

楽しくて美しいヨーロッパを後にする時が来た!ここからは未知の中央アジアへ!

 

ヨーロッパを走って約1ヶ月—–未知の中央アジアへ!ここからが第二話へ!ヨーロッパからボスボラス海峡をアジアへ渡る。アナトリア高原のヒッタイト帝国のカマンで、考古学の大村さんに会う。戸井さんがあらかじめ連絡してあって、アナトリアの調査を案内して頂いた。

次が奇岩で有名なカッパドキアへ!9世紀頃、人が暮らし始めていて—–アフリカのマタと同じようで、フラッシュバックする。

アナトリアからは砂っぽい村へ!アラット山を越えるとイランだ!8月18日イラン入国。この先はカスピ海に沿ってイランの旅!この先は日本で6年間働いたメヘディさんの案内が付いてくれる。イランは日本の4.5倍の広さに7000万人のイラン人が暮らす。トルコは親切な人が多かったが、イランはそれ以上だ。

イランで縁日に出くわした。メへディさんオススメのチャイハネを頂く。カスピ海は湖岸の長さが7000kmで、まるで海だ!カスピ海の南には、日本の農村のような風景が広がっていて懐かしかった。8月24日この旅で初めての本格的な雨—–秋が確実に近づいている証。

この先は中央アジアの国々へ!トルクメニスタンで遊牧民との出会いが—–一年に三ヶ所で暮らしていると言う。どこへ行っても手厚いおもてなしを受けるが—–自分にはこれと同じことが出来るのかの自問が!メへディさんのお陰で、イランでは楽しい日々であった。ここでメへディさんと別れて、トルクメニスタンへ!8月26日大理石の真っ白な「アシュガバット」へ!ここは愛の街、白い街。SF映画のセットのような街。この街のシンボルの塔がまさにそれ!!トルクメン人はそもそも遊牧民だ!ここは道が悪いが、綺麗な大理石の街でもあり、格差の街でもあった。カラクム砂漠は真夏には、80℃にもなると言う。ここでウズベキスタンの国境へ向かう!

この国境でトラブルが発生!パスポートに六日間の手違いがあって—–緩衝地帯1kmに出入国を待つトラック達とで、キャンプをすることに。大量に舞う蚊に刺されながら、ラーメンをすする。タシケントからパスポートが戻ってきたのは三日後の昼過ぎで、やっとウズベキスタンへ入国。さらにキルギスタンを目指して東へ—–一時はどうなることかと気が気ではなかった!女性達が一段と元気がいいのが、ウズベキスタン。タシケントは200万人の大都会。チャールズバザールは大変な賑わいでしたが、これは庶民の大事な台所。

タシケントではソ連時代に大量に捕虜で亡くなられた方のお墓が、綺麗に整備されていて、ここで戸井さんは手を合わせた。これが戸井さんの習わしだとか。

七日をかけてウズベキスタンを駆け抜けキルギスへ!キルギスの山々は1000m以上が連なる。9月7日キルギスに入国。ここまでで2ヶ月が経過していた!この先は天山山脈が待っていて、中国の天山山脈だ!!

ここまでが旅の前半で、この先は旅の後半後日に案内します。

戸井十月ユーラシア横断3万キロの旅(4編一挙再放送) 2011年05月03日 | バイクあれこれ 戸井十月がホンダXRV750 アフリカツインで走り回る激走の記録でした。

私はこの「ユーラシア大陸ライダー旅」が面白くて、CDに録画して全4編を何回も見ました。これを見ているうちに北海道一人旅に無性に行きたくなった!!

前半のハイライトは緑に覆われたヨーロッパの素晴らしい風景の連続で—–ボスボラス海峡に差し掛かった、イスタンブールまでです。そのあとのトルコから中央アジアの各国は、埃っぽい匂いが感じられた?スペインのコスタ・デル・ソルからヨーロッパ随一のコート・ダジュールをすぎ、やがてリヴィエラも通過しアドリア海の真珠ドブロヴニックで、一休みし、バルカン半島を横断し、ギリシャのエーゲ海を通過し、トルコに入った—–戸井さんから伝わる楽しさの体験が、映像によく現れていました!豊かな豊穣の海が広がる地中海沿岸は見ていても飽きない、美しい街並みが続き—–旅する戸井さんも楽しそうで、それがよく伝わってきました。ここまでが前半のハイライト区間で、最も楽しめました!

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私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。