戸井十月さんのユーラシア大陸横断・3万キロの旅・後半!凍てつくシベリアは過酷の連続だった!

Pocket

天山山脈に差し掛かった戸井さん、過酷な旅が始まった!!

戸井十月さんのユーラシア大陸横断・3万キロの旅・後半!凍てつくシベリアは過酷の連続だった!

 

戸井十月さんのライダー旅の前半は一月三十一日に紹介しましたが、今日はいよいよ旅の後半のスタートです。ロカ岬を出発して25日後天山山脈へ向かう!トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンを通過し、ここまでが前半でした。

後半はいよいよ過酷な天山山脈が待ち受ける—–中国へ入りますが、その前に95%が高原というキルギスを走る。ヒマワリの種を育てている地元民、ヒマワリのタネはキルギスの人たちの貴重な収入源のお陰で農家の人たちは豊かだ。羊やヤギの群れにしばしば、行く手を塞がれる。これからカシガルまでは山越えが続く。今日はここで泊まる予定、丁度うまい具合に、B&B=朝食付き宿 が見つかり少年が案内してくれた。他には4人で泊まるグループがあったが、我々には母屋を開けてくれた。ここで南米パタゴニアの極寒の宿が満室であったが、疲れた私の顔を見て泊めてくれたのが、フラッシュバック。

ロカ岬を出発してロシアのウラジオストックまでの3万キロの旅のルート。

天山を目前にして、横たわる天山山脈は2500kmもあって気を引き締めて臨むしかない!

ここでニュージーランドの登山家二人ずれと別れて天山に向かう!天山山脈を越えてナリンヘ向かうが、明日は食事どころが無い。自分たちでパンとハムとバターのお弁当を用意して明日に備える。9月10日この旅で一番長くなるだろーの1日が始まる。この先、山を越えなければ中国には入れない。午前7時気温マイナス1℃の中、天山に向かうが—–天山は長さ2500kmあって幅が500kmもある巨大な山脈で、昨夜の雪で真白だ!ナリンを後にしてから3時間120km、トルガルトをひた走るのだが、横にはヅット天山山脈が横たわる。標高2800m、辺りは一面白一色。トラックが走っているので、道はなんとかなるだろー!

ここで2005年の南米で泥水との格闘がベネズエラまで続いた、最も長い一日中が、フラッシュバック。

100kmは来たが、残りの60kmの天山が、この雪で果たして登れるのか不安になる!氷点下6℃の中、標高3000mを通過してゆくわけだが、スケートリンク状態だ!大型トラックもスピードを落とすとジ・エンド。雪の路肩を走るが、先にはトラックが道を塞ぐ、路肩から路肩へと歩いて渡る、進路を変えながら前へ前へと、標高3200mトルガルト峠まで後、60km。さらに標高が高くなり、戸井は息苦しい!

天山山脈へ向かう凍てついた道路、このまま走り続けなければ、ジエンド!!

中国国境で観光ガイドとの待ち合わせ時間が迫る!標高3600mで、後200mでトルガルト峠だ!どこへ行ってもトラック達がいる。だがいざという時にはトラックに助けられて来た!!キルギスから中国の国境へ、緩衝地帯が7kmもある。ここで昨夜作ったパンのお弁当を食う!キルギスタンを出て中国でパスポートのチェックがあり、100km先で本当の入国チェック。中国監視塔付近は通信は一切出来ない!更に50km降って入国審査と税関チェックを受けた!やがてカシュガルに辿り着いたが、この旅一番長い1日だった!カシュガルは、シルクロードの交差点で、この辺りはウイグル人。ここで約束していた旅行会社の人達と会う。ここでは臨時のナンバープレートを受け取る。中国はそう簡単では無い。何事も面倒なことばかり。ガソリンスタンドに着いたが、バイクへのガソリンの供給は、ヤカンで運び自分で入れるのが決まり。

そうですここは自分でガソリンを入れるのです。

西域南道を走り、多様民族が混在するオアシス都市マルカンド着。ここは今、断食で昼間の食事はダメで、日が落ちてからの食事で、祭りのような夜食街で夕食。更に東へ、西域南道は流通の大動脈で、バザールは賑やかだったが、人と車で渋滞だが、慣れているウイグル人同士は喧嘩にはならない。

ポータを後にして、タクラマカン砂漠の入口へ!一度入ったら二度と出られないの意味がタクラマカン。ここタクラマカン砂漠は日本と同じ広さで、世界第2位の砂漠の広さ。ここは油田で一万人が働く巨大油田がある。この街は往年のアメリカ西部のような町。うだるような暑さは朝まで続く。発電機とポンプで張り巡られた灌漑で植物を管理していた。そこの管理人の夫婦は、安賃金だが何故か満足げで、農民だから夢などないと—–それが頭から離れなかった!!

タクラマカンからトルファンへ入るが、乾燥していて暑い。オマールさんの家に招かれたが、麺を作ってもてなしてくれた。この辺りが麺の発祥地らしい。火焔山を見てカンシスク省に入る。ここは水が豊富でそれを生かして、タマネギとトウモロコシを作っている。祁連山脈は河西回廊とオアシス都市を結ぶ大事なルートだ。300万人超の南洲へ、ネイカリ族自治区だ、花火があちこちで挙げられていた。軍のパレードを見て大国中国はどこへ行こうとしているのか!ここでボリビアがF・Bする。—–中国60周年の独立記念日!

そしてモンゴルへ向かう—–明日はモンゴルだ、宗さんと趙さんと別れる時が来て、宗さんと趙さんの別れの歌と戸井さんの歌で閉めて、モンゴルの国境へ!一時間で出国30分で入国。中国の25日間は長かった。季節は確実に夏から秋に移っている、風雪のかなたのモンゴル、シベリアへ。ここからがモンゴルシベリア7000kmの旅のラストステージ。道は電線伝いにモンゴルのウランバートルを目指す。日本の4倍の国土に270万人。1.5キロ平方に一人だ。ウランバートルまで700kmを三日で走る予定だ。残り7000kmになり—–時が早く過ぎ去っていくように思えた。1日目、日が落ちても宿を探し続けて走る、日が落ちる前にホテルが見つかった。ここでアフリカがF・Bする!

 

シベリア寒気団に向かって突き進む、戸井さん!!

戸井十月さんの旅もいよいよ!佳境に差し掛かる!極寒のシベリア寒気団に突入!前に進めない事態に!!

 

二日目、道を見失う、昼食は中国で作ったカップ麺を啜る。ここが北海道と同じ北緯で、これより3000kmも北上するわけで—–ロシアの寒気団が心配になる!テヨイルには宿は一軒しかなかったが、暖房は完璧。テヨイルはウランバートルまで後200kmで、暖かい気候は既に去っていた。ウランバートルは100万人。ここで一ヶ月以上早い雪に見舞われた—–いよいよシベリアが心配になる。途中で食堂を見つけたが、この寒さの中ご主人は半袖、外の気温は0℃だと言うのに。オートバイで旅する二人を見たが、オートバイの旅人はイラン以来で、新婚旅行中だとか!アルダンボラフと言う国境の町へ着いた。ここで入国するまで最も長い10時間を要した。三軒目で宿がやっと取れた—–61歳の誕生日を乾杯した。国境で歳をとった—–61才にして日々勉強です!北アジア地域のロシアは日本の34倍の広さ、シベリア寒気団の到来が二ヶ月早く始まった。ここではアジア系のブリアート人とロシア人が仲良く暮らしている。冬を前にして風景までもが、寡黙になっていくようだ。キャンプしながらの新婚夫婦に又出あった。ペトロフスキ・ザヴォートは冬の色。ユーラシアは広大で多様だ。トラックに日本車を積んだ車にあったが、ウラジオストックから来たと言う、彼に日本のお土産を渡す。

凍りついた国道をなんとか走る戸井さん。このあとすってんコロリンの連続で、トラックドラーバーに助けを乞うた!!

9年前に亡くなった父の事を思い出したが、私より20才も若かったのが信じられない。ロシアが好きでよく旅をしていた—–十月と言う名前は十月革命から取った名前だそうだ。ロシアに入って6日目旅の残りが、4000kmで、シベリア寒気団の動きが一番気になる。M85から逸れて宿のあるネルチンスキーへ。今宵は、雪になった。シベリア寒気団の本格的な活動が始まったのだ!雪路に備えてオフロードタイヤに交換。ネルチンスクからM85までの風景が一変していた!バイクがコントロールできない—–すってんころりん!道が凍っていてM85までの30kmに2時間も費やした!長い30kmだった!雪はさらに激しくなり、風まで吹き始めた。結局前に進めない—–ネルチンクスへ戻り、トラックで運んでくれる人を探す事に。やがてトラックドライバーが見つかった!アンドレがトラックで運んでくれることになった。三日間で1200kmの計画。モゴチャは小さな町、10月中旬で各家はストーブを焚いていた。駅舎の上の宿はマイナス15℃。アンドレのトラックのタイヤは日に何度もパンクした。ここでは一部屋に四人で雑魚寝。残り455kmは未舗装。バイクのパンクをここで直した。また雪が降り始め、アンドレと別れる時が—–これ以上付き合わせると、アンドレ自身が帰れなくなる。1200kmをアンドレは帰っていった—–この男も忘れられない一人になった!

シベリア寒気団で凍りついた国道!一旦止まれば走り出すのは困難だ!

四日ぶりでオートバイに乗る!この後は山はあるが大丈夫でしょう。標高の高いところは凍っていた!もういい加減に勘弁して下さい!もうこれで十分でしょうと十月は叫ぶ!祈りは通じて午後には太陽が顔を出した。最後は雪もないM85をハバロフスクに到着。60万人が暮らす美しい町。ウラジオストックまで残り800kmを二日間で走る。そんな日々が明日で終わる—–無性に寂しい!!最後の走りだ!長いようで短い4ヶ月だった!3万キロの人々が走馬灯のように消えてゆく!10月27日ウラジオストクに到着!四人で最後の乾杯をして、サポートカーが船に運ばれました。オートバイお疲れ様でした。11月1日ウラジオストック出発。12年続けてきたオートバイの旅は終わった。

私は何故旅をするのか、何故、旅を続けてきたのか答へられない。無駄な13万キロだったのか、記憶こそが旅人が得られる財産なのでは、ないでしょうか!そこに広がる風景と道端に生きる人々と出会ってきた—–その記憶こそが旅人が得られる、ささやかだが—–他の何物にも変えることのできない財産だ!!

五大陸走破を果たした戸井十月さん、やがてこの後永眠しました!安らかにお眠りください!

荒んだ風景から目をそらしたこともあった、出会った全てが明日への希望に満ちていたわけでもない!しかし今、私は改めて思う—–人間は捨てたものではないと!!

旅が終わって改めて、戸井十月さんは立派な作家であり、立派な旅人だったと思いました!!戸井十月さんありがとう!!スタッフとバイクさん楽しい旅を届けてくれて、ありがとう!!この3万キロの旅は本当に楽しく観れました!!この2年後、戸井十月さんは63才でお亡くなりになりました!戸井さん安らかにお眠りください!ライダー旅お疲れ様でした!!

 

 

下をクリックすると、にほんブログ村の私のランキングが見れます。

sake.blogmura.com/wine/ranking_pv.html

[https://www.blogmura.com/point/01445752.html?type=image PVアクセスランキング にほんブログ村]

Pocket

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。