土器のある風景!太古から人々の暮らしとともにあった土器!野菜を煮炊きし、ワインを飲む器として使うと、本来の味わいがある!

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土器のある風景!太古から人々の暮らしとともにあった土器!

土器のある風景!太古から人々の暮らしとともにあった土器!野菜を煮炊きし、ワインを飲む器として使うと、本来の味わいがある!

 

野焼きの火で焼いた自然の土の質感が心地よい。

太古から人々の暮らしとともにあった土器は、

過去のものと思いきや、

実は今も普段使いする人がいる。

野菜を煮炊きしたり、

ワインを飲む器として使ったりすると、

本来の味わいが引き出されるという。

その質感やデザインに魅せられて「現代の土器」

の創作に取り組む作家もいる。

今も使い手や作り手をひき付けてやまない

存在を見つめ直してみよう。

 

 

原始の土器からは物語が生まれ、ロマンがあります!

暮らしの器として味わう!原始の土器からは物語が生まれ、ロマンがあります!

 

古書やアンティーク家具に囲まれた店内に入ると、窓際のテーブルに並ぶ一際落ち着いた風合いの器が目についた。

縄文時代に作られた土器という。来客用のドライフルーツや甘栗がもられている。

見渡せば花入れやオブジェとして、そこそこに古い土器が溶け込んでいた。

現代美術講座などのイベントのみを営むブックカフェ「6次元」東京・杉並 

店主、ナカムラクニオさん49 は店内と自宅それぞれで土器を日常的に用いている。

「手の大きさが昔も今も変わらないのか、土器は使いやすいですよ」。

花を生けても素材の土の質感がマッチし、なんの違和感もなく受け入れてくれるという。

訪れる人には土器で茶菓子を振る舞い、割れた破片も鍵などの小物入れにするなど暮らしに取り入れている。

きっかけはテレビ番組の制作会社にいた20代後半のころ、東京・吉祥寺で出土した

1万年前の縄文土器という紋様入りの破片を骨董品の愛好家からもらったことだった。

1万年美の鼓動!

手元に置いておくだけで美しく「原始時代のクリエーティビリティに触れ、作った人の感覚が蘇るような感覚があった」。

骨董市などに足を運べば、縄文土器や破片は今も流通している。

初めて手にしたときの感動は今もなお衰えず、見つけては少しづつコレクションに加えている。

「原始の土器からは物語が生まれ、ロマンがあります」とナカムラさん。

水に濡らすと煮炊きなどに使われた残り香を感じる品もある。

誰がなんのために作り、どう使ったのか。思いをはせることも醍醐味だ。

土器は元々煮炊きに使う調理具や容器として、自然の土や火から生まれた。

じかに火にかけられる耐火性や吸水性の高さを生かし、

現代作家の新しい土器を調理用具や食器、酒器として取り入れる人たちがいる。

野菜料理店「さいめ」東京・新宿 は土器で調理した焼き野菜や茹で野菜などのコース料理=5千円 を提供する。

野菜料理店「さいめ」野焼き野菜!

焼き野菜ならば、平らな土器にたっぷり水を含ませた上でサトイモなどの根菜を乗せ、

別の土器で蓋をして数十分間じっくり炭火にかけていく

通常、食材は焼くと水分が失われていくが、オーナーの嶋田寛元さん32 は

「土器で水分補給して煮ると焼くの中間を作り、焼いているのに野菜が膨らんでいくのです」と話す。

「野菜は土から生まれます。

料理も自分ではなく、土がしてくれる感覚です」。

嶋田さんに勧められて焼き色もなくふっくらとしたサトイモを皮ごと丸かじりすると、柔らかな食感と素材のうまみが口に広がった。

ワインに土器を用いる店もある。

ワインバー「ヴィネリア・パッサージョ」東京・中央 のオーナー、佐竹厚紀さん41 は以前はイタリア料理店のソムリエ。

ナチュラルワインにこだわり、グラスを探求するうちに土器に行き着いた。

「ワインの表層的な部分の奥に、自然からくる複雑で繊細な味がよりくっきり見えるのが土器だった」。

液体に親和性の高い土器にはワインがよくなじむ。

佐竹さんは土器のつぼでワインを落ち着かせてから注ぐ!

それにより隠れた味の要素が引き出され、奥行きを感じさせるのだという。

ワインに合わせる土器の形は平皿やナカムラさんが初めて手にした縄文土器の破片。

東京吉祥寺で出土した1万年前のものという。

鉢、つぼなどに驚かされるが、口当たりも味わいも柔らかい。

「あと、土器の色が変わってくるのがすごくきれいなんです」。

佐竹さんの言葉で手にした土器を改めて見ると、

ワインの色素が染み込み赤褐色の美しいグラデーションを描いていた。

この縄文土器はシンプルで美しい!

セレクトショップ「アウトバウンド」東京都武蔵野市 では、新しい土器を30~40代の男女らが買い求めていく。

オーナーの小林和人さんは「アスファルトとコンクリートに覆われた環境で生活していると、

土に触れる機会は意識的に持たなければならない。

土に飢え、無意識的に求めているというのはあると思うんです」。

使い込むほど変化するエイジング=経年変化 に魅力を感じる人も今は多い。

日本は古来、海外から様々な技術を取り入れ発展してきた。

1万3千年前から始まる縄文時代から弥生、古墳時代にかけて焼き物の主流だった

土器も5世紀以降、窯や釉薬が渡来し、丈夫で薄い陶器や磁器に主役を譲った。

だが、庶民は江戸時代に至るまで煮炊きの道具や煎ったり焼いたりする焙烙=ほうろく として土器を使った。

貴族らも長らく「かわらけ」と呼ばれた土器で食事し、伊勢神宮=三重県伊勢市 

などでは現在も使い切りの土器が祭事に用いられている。

土器に詳しい東京国立博物館=東京・台東 名誉館長の矢部良明さん77 は

「縄文・弥生の土器は純粋培養的な日本の造形。

ベーシックな日常の食器として、海外から最高の技術が入っても土器だけはかたちをかえて守られた。

今も日本の精神の中に食い込み、生き続けている」と話す。

土器が現代になじむ理由は物質的な魅力だけでなく、そんなところにもありそうだ。

 

 

縄文土器にスイートピーが映える!6次元のナカムラクニオさん!


原始の美として生み出す!土器は日本中で出土しますが、その土地に良い土ばかりあるとは限らない。昔の人も土を調合したんじゃないかと思います!

 

そもそも土器とはなんだろう。

焼き物の研究者や愛好家でつくる日本陶磁協会=東京・千代田 事務局長の坂井基樹さんに聞くと

「絶対的な定義はないが、陶器や磁器との決定的な違いは焼く温度のあります」と話してくれた。

陶磁器は窯の中で1200~1300度以上に高温焼成して土や石を固く焼きしめる。一方、土器は野焼きの火でもいい700~900度。

無機質な石ではなく有機物を含む土を主原料とし、表面を覆う釉薬をかけないのも特徴だ。

耐久性は劣るが土そのものの質感が濃い。

先程の野菜料理店やワインバーでも作品が使われる土器作家、

熊谷幸治さん42 その土の質感に魅せられて土器の道を進んだ。

熊谷幸治さん42 その土の質感に魅せられて土器の道を進んだ!

「硬すぎず、柔らかい状態が十分残ったまま器として成立しているのが土器の魅力」。

美大生時代に縄文土器と出会って以来、温かみのある土器を求めて没頭してきた。

「土器は日本中で出土しますが、その土地に良い土ばかりあるとは限らない。

昔の人も土を調合したんじゃないかと思います」と熊谷さん。土器は陶磁器ほど土を選ばないが、熱ではぜる土、まとまらない土もある。

山梨県上野原市の工房では近くの知人の土地から掘った自然の土をベースに、鉄分の多い赤い土や少ない白い土、

時には川砂なども試しながら調合してこだわりの原料を練り上げている。

作品は「現代の生活にどう融合できるか」をテーマに実用性を重視する。

ナカムラさんが初めて手にした1万年前の縄文土器の破片!

世界の土器を研究した成果をもとに、蜂のミツロウを使うことで自然の風合いを失わず防水性を高めた食器なども生み出してきた。

華美な装飾は施さず、すっきりしたデザインが主体だ。

野焼きは周辺環境への配慮から機会が限られるが、自作の窯で低温焼成に使うエネルギーも陶磁器の「半分から10分の1」というエコな焼き物である。

縄文・弥生土器のデザインに目を向けよう。

炎のような突起が立ち上がる火焔型土器=かえんがた など独創的な装飾の縄文に、機能美へ舵を切った弥生。

土器との出会いから焼きもののギャラリー「桃居」=東京・港 を開いた店主の広瀬一郎さん72 は

「日本の文化は簡素で静謐な弥生的なものを主流に情動を引き出される縄文的な表現が時折噴出し、両方が混合している」と話す。

創造力のまま形作る土器は焼きものの始まりであり「人間に造形なるものの根源」。意匠は今も陶芸家を刺激する。

300年以上も続く窯元で生まれた陶芸家でもあり、建築家でもある奈良祐希さん32 は

建築設計を応用した3次元CAD=コンピューターによる設計 などを駆使し、

役物の板を組み合わせてシルエットを織りなす複雑な形状の作品を生み出している。

奈良さんが制作するのは磁気だが、とがった先端が無数に連なる作品や、柔らかな丸みを帯びた作品のモチーフは

縄文・弥生土器だ。

「縄文」の由来は土器の網目模様!

時代によって姿を変えた土器を、歴史を映し出す鏡と捉え「現代の土器」へのアップデートを目指している。

縄文・弥生土器は考古学の研究対象だったこともあり、長らく美術品としてはあまり評価されていなかった。

新潟県の笹山遺跡で出土した縄文時代を代表する火焔型土器も、国宝に指定されたのは1999年と新しい。

再評価の源流にあるのが1970年大阪万博の「太陽の塔」などで知られる芸術家・岡本太郎だ。

パリ大学で民俗学も学んだ岡本は50年代、縄文土器の美を発見する論文や著書を発表。

「いやたらしさを主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄み」=光文社知恵の森文庫「日本の伝統」などと美観の凄まじさを訴えた。

社会的な高まりとともに研究も進み、土器は美術史の表舞台に押し上げられた。

2009年に大英博物館が開いた土偶の企画展などを機に欧米でもクリミティブアート=原始芸術 として知られ、

18年の東京国立博物館の特別展「縄文ー1万年の美の鼓動」を経て国内でも評価が進む。

15年にはロンドンのオークションで縄文の遮光器土偶を日本人コレクターが約2億円の高額で落札したことが話題となった。

国内の縄文・弥生土器は原則として1950年の文化財保護法施行以前の出土品に限り、美術品市場で取引される。

土器を専門に扱う数少ない古美術商「去来」=東京・中央 を訪れると、文様の浮き立つ土器などが並んでいた。

芸術性を求める人、手の届きやすい破片で原始の息吹を求める人など「ここ数年で客層は広がっている」と店主の松沢京子さん70。

全国の有力美術商でつくる東京美術商協同組合=東京・港 も「土器は考古美術の新たなジャンルとして認められつつある」とする。

美術品の異端児だった岡本がこの世をさってことして半世紀。

原始の土器の美は作り手や使い手に浸透し、自然を感じさせる暮らしの品として再び今に生かされ始めている。 

小沢一郎 山口朋秀撮影。 日経新聞。

 

では「この土器のある暮らし」について研究してゆきます。

 

 

「土器」から縄文の豊かな文化を探る!古くて新しい火焔型土器!

「土器」から縄文の豊かな文化を探る!古くて新しい火焔型土器!過剰な装飾がおもしろい!

 

[「土器」から縄文の豊かな文化を探る]    

燃えさかる炎をかたどったような独特のフォルム。

火焔型土器は、縄文時代中頃の約5,000年前に作られた土器のひとつの種類です。

しかし、火焔型土器の出土は新潟県内の信濃川流域に集中。

他の地域には、類型はあっても、あのデザインと大きさを備えた物はありません。

なぜ新潟県内に集中しているのか、なぜあの形なのか、そして、火焔型土器が作られた時代の「新潟」では

どのような暮らしがあったのか――土器を手がかりとして、古代の謎にせまります。

[古くて新しい火焔型土器]    

「新潟県は火焔型土器のふるさと」    

火焔型土器が作られたのは、5,300年前から4,800年前の約500年間と考えられています。

その土器が現代人の目に触れたのは、製作時から約5,000年を経た昭和11年(1936)大晦日。

長岡市の馬高遺跡を発掘していた近藤篤三郎さんが見つけたときです。

その後、県内で共通の形やデザインを持つ土器が多く見つかり、平成11年(1999)には、

十日町市の笹山遺跡から出土した火焔型土器を含む土器・石器類が国宝に指定され、広く知られるようになりました。  

 「過剰な装飾がおもしろい」と、新潟県立歴史博物館の宮尾亨さん

新潟県で唯一の国宝・笹山遺跡出土品は、現在、十日町市博物館に収蔵されています。

特設展示のコーナーでは、縄文時代の人々の暮らしや芸術・文化を知るうえで

極めて貴重な学術資料である火焔型土器や石器類の多くを実際に見ることができます。

新潟県立歴史博物館・専門研究員の宮尾亨さんは、「同時代の土器の半分ほどが

 

 

火焔型やそれに類する王冠型ですが、その存在感から縄文時代を象徴する土器になっています!

火焔型やそれに類する王冠型ですが、その存在感から縄文時代を象徴する土器になっています。

 

パーツパーツを見ると、他地域との類似点もありますが、4つの大きな鶏頭冠突起(けいとうかんとっき)

とフリルのような鋸歯状の縁取りの組み合わせなどパターン化されているのは、新潟の火焔型土器ならでは」と言います。  

 火焔型土器90点などを展示する新潟県立歴史博物館の常設展示「火焔土器の世界」

県内とはいえ、分布域の村上から糸魚川までは距離があります。

大型の火焔型土器そのものを運ぶのは難しく、設計図や文字がなかったこの時代、人々はどのように作り方を伝えたのでしょう。

「同じ言葉を使うエリア内で伝えあい、その際に、土器作り歌のような存在があったのではないでしょうか。

そこに、地域それぞれの工夫や模様を盛り込んで、方言のように少しずつ変化して定着したのでは」と、宮尾さんは考えています。  

 十日町市博物館の菅沼亘さん(左)と、佐野誠市館長(右)

 一方、用途ははっきりしています。火で焦げた部分や吹きこぼれの跡があることから、

火焔型土器も他の縄文土器同様、調理用の鍋でした。

十日町市博物館館長・佐野誠市さんは、「世界の四大文明では土器は単純に

器として用いられていましたが、日本の縄文土器は煮炊きをする鍋として用いられていました。

深鉢形土器の下部に比べて上部が大きく張り出しているのは、煮炊きのふきこぼれを

防ぐために考案されたのではないかという人もいるので、機能性も考えられていたかもしれません。

火焔型土器は芸術性と実用性の両面を持ち合わせているのではないかと言われています」と話します。  

 土器作りを担っていたのは女性。新潟県立歴史博物館「縄文人の世界」

また、宮尾さんは、装飾が多いのは人々の崇拝の気持ち、世界観が表されているのかもしれないと、考えています。

「土器で調理すると、固い物が柔らかくなり、あるいはアクが抜けて、食べられなかったものが食べられるようになります。

そのときの感謝や土器のもつ不思議な力を装飾で表現したのかもしれません。

土器は単なるモノではなかったのでしょう。

現在でも調理容器を擬人化して、その部位を口や胴などの言葉で表現しますが、

似たような感情は縄文人の方が強く抱いたのではないでしょうか。

縄文人にとって、土器は単なる調理容器を越えた存在で、それゆえに

過剰に装飾されたのではないでしょうか」遙かな時間を超えて、縄文時代と今はつながっているようです。

 

 


これは信濃川火焔街道ガイドブック!


芸術家の心をわしづかみ!土器のアシンメトリーで動的な、内面からわき出てくる美に感動した岡本太郎!

 

[芸術家の心をわしづかみ]    

火焔型土器の美術性について、佐野さんに伺いました。

 縄文土器を見て「なんだ、コレは!」と叫んだのは、芸術家・岡本太郎です。

昭和26年(1951)、偶然、国立博物館で見た縄文土器に対して、「ドギっとする」と大いに驚いたことを

「四次元との対話――縄文土器論」に記しているのだそうです。

「土器のアシンメトリーで動的な、内面からわき出てくる美に感動した

岡本太郎は、弥生時代以降のシンメトリーで静的な美が、わび・さびという

日本の美意識につながるという、従来の考え方に疑問を抱きました。

日本文化の原点にはいびつで不安定なパワーがあったのだとして、

この後は民俗学的な視点を持って日本各地を巡りました。

それが後に、大阪万博の『太陽の塔』などの作品につながったのかもしれませんね」

岡本太郎は、その後に長岡市立科学博物館を訪れ、

 

 

馬高縄文館所蔵「火焔土器」第1号!


火焔土器を見て「火焔土器の激しさ、優美さ」と書き残しています。

 

 「河岸段丘の風景は縄文時代と同じはず」と津南町教育委員会の佐藤信之さん

 デザインが何を表しているのかは諸説があります。最初に発見した近藤篤三郎さんの仲間たちは炎と見ました。

十日町市博物館・学芸員の菅沼亘さんは「植物が芽吹いて伸びていく様子を描いて、

春への喜びを表しているのでは」と考え、津南町教育委員会文化財班・文化財専門員の佐藤信之さんは、

何を模したかを探るのは考古学の範疇ではないから、あくまでも想像の上でとしながら、

「模様には、何らかの言葉や意味など物語が隠されている可能性があります」と言います。  

 出土は信濃川に沿って分布/信濃川火焔街道ガイドブック

土器だけでなく、住居跡や道具、また当時の気象や地形、植物などを重ね合わせ思いを馳せると、

森の民・縄文の人々の暮らしが見えてくる――ここに焦点を当てた取り組みがあります。

新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町による「信濃川火焔街道連携協議会」が発信した

「『なんだ、コレは!』信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」が、

平成28年(2016)4月、文化庁の日本遺産に認定されたのです。

8,000年前に気候が変わり、深い雪が積もるようになった信濃川流域で生まれ、

伝わってきたモノ作り、自然と共生する暮らし方。

そうした文化こそ、日本文化の源流であるとして、

「火焔」と「縄文」をキーワードに様々な展示やイベントを展開。地域の魅力を発信しています。

「信濃川水系の上流の津南町から、河口の新潟市までをつなぐ

『火焔街道』には、縄文時代の遺跡が集中しています。

越後川口を境に上流と下流では、川の様相が変わり、深山・里山エリアと

平野エリアのように生活環境も変わるので、石器の種類には大きな違いが見られます。

土器についてもさらに研究を続けていくと、地域性や分布について、新しい見解が出てくるのではないか思います。

そして、幻の布といわれる『アンギン』についても」と、佐藤信之さん。

 「アンギン」とは、縄文土器の底に残っていた痕跡から存在が明らかになった縄文時代の布です。

後編では、いったんは途絶えたアンギンと技術復活への取り組みを紹介し、縄文文化の新たな側面に光をあてます。  

■ 取材協力     

宮尾亨さん/新潟県立歴史博物館・専門研究員    

佐野誠市さん/十日町市博物館・館長    

菅沼亘さん/十日町市博物館・学芸員    

佐藤信之さん/津南町教育委員会文化財班・文化財専門員    

佐藤雅一さん/津南町教育委員会文化財班・主幹学芸員

新潟県立歴史博物館    

十日町市博物館    

農と縄文の体験実習館「なじょもん」    

信濃川火焔街道連携協議会

■ 参考資料    

「日本の伝統」岡本太郎著 知恵の森文庫    

新潟文化物語 より。

 

 

多数の火焔土器が出土した馬高遺跡!


縄文を旅する「新潟・上越コース」!火焔土器の発見地、馬高遺跡と火焔土器ミュージアム!

 

[縄文を旅する「新潟・上越コース」]   

紀元前1万3000年から紀元前300年まで続く、とてつもなく長い歴史を有する「縄文」を〝旅〟してきました。

縄文文化は日本列島の西から各地へ伝わり、各地で土地ごとの特色ある遺跡、土器、土偶が見られます。

当社では今年、縄文をテーマに「青森・秋田」、「諏訪・山梨」、「新潟・上越」の3コースを発表しました。

私が今回添乗した「新潟・上越」では、信濃川沿いを貫く縄文の歴史街道「火焔街道」を訪ね、

装飾技術が高く、洗練された装飾の火焔型土器を見てきました。

新潟を通り東北へ、そして長野にも伝わって、縄文土器をはじめ縄文文化が開花していきましたが、

今回見た火焔型土器は新潟でしか見られないものでした。

新潟の食、越後平野や弥彦山、日本海の景色に感激しつつ、随所に「縄文」をたっぷりと感じられる旅でした。

 

 

火焔土器の発見地、馬高遺跡と火焔土器ミュージアム!

[火焔土器の発見地、馬高遺跡と火焔土器ミュージアム]

    

今回、縄文に関連する遺跡、博物館をいくつか訪ねましたが、2日目に訪れた

縄文遺跡「馬高遺跡と博物館」は、新潟の縄文文化を知るのにとても重要な場所でした。

馬高遺跡で「火焔土器」の第1号が発掘されたのは、わずか85年前のこと。

新潟各地で発見された美しい縄文土器を私たちが知るきっかけとなったものです。

紀元前5800年から紀元前5300年の間に、装飾性の高い土器が火焔街道沿いで数多く製造されますが、

厳密には馬高遺跡で発掘された第1号のみが「火焔土器」であり、他の類似した土器は「火焔型土器」と称されます。

それほどに貴重なものなので、土器を目の前にお客様から歓声が上がり、じっくり何度もご覧になるお客様もいらっしゃいました。

多数の火焔型土器が出土した馬高遺跡

焔(ほのお)が燃え上がる様が精緻に編まれた、大小様々、製作された時代が異なる火焔型土器が展示されており、

別名「火焔土器ミュージアム」と呼ばれることも頷けます。

「火焔土器ミュージアム」では火炎土器を展示!

すぐ隣が火焔土器の見つかった馬高遺跡で、当時の竪穴式住居が復元されています。

縄文中期には広場を囲むように馬蹄形に集落が並んでいた大集落であり、解説員の方の説明を聞きながら当時の暮らしぶりを思いました。

[十日町市博物館では、国宝「縄文のヴィーナス」を特別展示3つの国宝の競演]    

十日町にある笹山遺跡からは900点を越える縄文時代の品々が出土しており、多くが近くにある十日町市博物館に収蔵されています。 

展示品を見ていると、新潟でも時代、場所により火焔土器の様式が変容してゆくことがわかりますが、国宝の火焔型土器は出色でした。

縄文時代中期、紀元前3300年頃のものとされる迫力ある国宝の土器は、360度どこからも眺められるように展示されています。 

たた、幸いなことに、特別展では長野県の国宝「縄文のヴィーナス」と呼ばれる土偶が公開されていました。

縄文のヴィーナスは、縄文時代の文化財として初めて国宝に指定されたもので、

像高30センチに満たない小さな土偶ですが、美しい妊婦の姿をしています。

他にも山梨県の外面に人体が装飾された縄文土器の特別展示もあり、新潟、長野、山梨の縄文文化の競演が見られました。 

古代、世界の四大文明よりもはるかに長い時代続いた縄文の文化。

後に始まる弥生時代と比べても芸術性、装飾性という点でより素晴らしいものばかりでした。 

日本の古代史に少し迫る旅、今後もバリエーションを増やしてご案内をしたい!と思いました。

ぜひ、皆様のご参加をお待ち申し上げております。    

ワールド航空サービス より。

 

 

この縄文土器で赤ワインを飲んでみたくなりました!!

縄文・弥生の土器には稀に見る優れた作品があり、嬉しく思いました!この縄文土器で赤ワインを飲んでみたくなりました!!

 

今日のまとめ。

野焼きの火で焼いた自然の土の質感が心地よい。

太古から人々の暮らしとともにあった土器は、過去のものと思いきや、実は今も普段使いする人がいる。

野菜を煮炊きしたり、ワインを飲む器として使ったりすると、本来の味わいが引き出されるという。

その質感やデザインに魅せられて「現代の土器」の創作に取り組む作家もいる。

今も使い手や作り手をひき付けてやまない存在を見つめ直してみよう。

暮らしの器として味わう!原始の土器からは物語が生まれ、ロマンがあります! 

原始の美として生み出す!

「硬すぎず、柔らかい状態が十分残ったまま器として成立しているのが土器の魅力」。

土器は日本中で出土しますが、その土地に良い土ばかりあるとは限らない。

昔の人も土を調合したんじゃないかと思います! 

原始の土器の美は作り手や使い手に浸透し、

自然を感じさせる暮らしの品として再び今に生かされ始めている!

「土器」から縄文の豊かな文化を探る!古くて新しい火焔型土器!過剰な装飾がおもしろい! 

芸術家の心をわしづかみ!

土器のアシンメトリーで動的な、内面からわき出てくる美に感動した岡本太郎!

縄文を旅する「新潟・上越コース」!

火焔土器の発見地、馬高遺跡と火焔土器ミュージアム! 

今日は土器のある暮らしについて研究してきましたが。

流石に縄文・弥生の土器には稀に見る優れた作品があり、嬉しく思いました! 

土器は暮らしの器として 味わう楽しみがあり、太古の人々の暮らしには、そのような楽しみが感じられました! 

縄文文化の豊かな暮らしが、土器を通じてよく伝わってきました! 

原始の土器からは物語が生まれ、ロマンがあります! 

やはり、縄文・弥生の土器文化の水準は、非常に高かったのです!! 

この縄文土器で赤ワインを飲んでみたくなりました!!!

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私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。