国産時計の小宇宙!国産時計が世界の高級品市場で注目。時計師や小規模生産者の「マイクロブランド」や「マイクロメーカー」!
国産時計の小宇宙!国産時計が世界の高級品市場で注目。時計師や小規模生産者の「マイクロブランド」や「マイクロメーカー」!
国産時計が世界の高級品市場で注目を集めている。主役は個人の時計師や小規模生産者が立ち上げた
「マイクロブランド」や「マイクロメーカー」だ。
既存の販路に頼らず、
SNS=交流サイト で顧客と直接やりとりし、
発売直後に数百万する時計が売り切れるケースも珍しくない。
針1本、歯車一つにこだわり、
手作りされた機械時計は日本ならではの技巧や意匠が凝らされている。
世界の愛好家の心をつかむ、
国産時計の小宇宙を旅してみよう。

浅岡さんのの代表作「プロジェクトT」と「クロノグラフ」!
針一本、歯車1個にこだわり!2020年には「時計界のアカデミー賞!ジュネーブ・ウオッチメイキング・グランプリ!
東京都文京区のビルで9月、顕微鏡を覗き、
息を殺して腕時計の部品を調整する男性がいた。
ここは独立時計師、浅岡肇さん56 の時計工房だ。
独立時計師とは大手メーカーに属さず、独自に時計を
製作したり、ムーブメントの製作を請け負ったりする職人を指す。
浅岡さんが設立した東京時計精密=東京・文京 は3つの
時計ブランドを展開し、制作は全てゼンマイで駆動する機械式時計だ。
特に旗艦ブランドの「ハジメアサオカ」は設計から製作まで全工程をほぼ一人で手掛ける。
生産数は年2~3個、現行品は1個500万~900万円ほどするが、納品まで5年待ちの状況が続く。
顧客の9割が外国人で、世界の著名コレクターや王族らが名を連ねる。
なにが愛好家をひき付けるのか。
一つは部品へのこだわりだ。
世界の愛好家が好む1950~60年代の古典的仕様を再現するために
「ハジメアサオカ」では外装文字盤はもちろん、歯車一つから自作する。
例えば、当時の高級時計に倣い、時計が刻むリズムを決めるリング上の
基幹部「テンプ」を、現在一般的なサイズの1.5倍近い直径15mm前後まで大きくした。
直径を大きくしたことでゆったりとした動きになる。
全機種の裏側をガラス張りにしたのもこれらの部品を鑑賞するためだ。
「デザインで妥協しない」というのもプロダクトデザイナー出身の浅岡さんの信条だ。
曲面を生かした外観や、幾何学的なアールデコ調の針や文字盤などのデザインが高く評価され、
2020年には「時計界のアカデミー賞」といわれるジュネーブ・ウオッチメイキング・グランプリに、
海外向けブランド「クロノ ブンキョウドウ トウキョウ」の2製品がノミネートを果たした。

これが、海外向けブランド「クロノ ブンキョウドウ トウキョウ」の2製品!
表紙に乗せて新作時計は、アラブ首長国連邦アブダビのルーブル美術館別館で開かれる時計展に招かれ、年内にも出店予定だ。
浅岡さんが得意とするトゥールビヨン機構を搭載し、姿勢の違いで生じる時間の誤差を電子制御なしに機械的に修正する。
さらに新たな挑戦として、ムーブメントの主要部分をモジュール化し整備性を高めた。
従来は整備の度に全体を分解する必要があったが必要な部分だけを整備できる。
「当たり前としてきた伝統を疑い、よりスマートな考え方を見つけるのがポリシー」=浅岡さん
浅岡さんのように個人規模で、機械式時計のマイクロブランドを立ち上げるケースが近年、国内で増えている。
牧原大造さん42 の「ダイゾウ マキハラ」、菊池悠介さん34 らによる
「キクチナカガワ」など、この10年ほどで5~6のブランドが創業した。
彼らに共通するのは海外のマイクロブランドと同様、百貨店や時計専門店など既存の販路に頼らず、
「SNS=交流サイト 通じて作り手の顔を見せることで、海外の愛好家の共感を得ている」という。
4月、インスタグラムで事前通知した、200万円超の新作を含む腕時計3モデルが受注開始3日で40個を完売した――。
それが飛田直哉さん58 率いる「ナオヤヒダ&コー」だ。
同ブランドは注文の過半数が海外から舞い込む。
米著書ブロガーで、国際的な時計ディラーのエリック・クーさんが海外人気の火付け役だ。
彼が同社製品を購入したとSNSで公表し、海外からの問い合わせが急増した。
「自分でもこうしたいと思うようなデザインと、
『ヴァシュロン・コンスタン』
『F・Pジュルヌ』など好みの
時計ブランドの仕事に携わってきた飛田さん
自身の物語=キャリア に魅了された」とクーさんは語る。
飛田さんはデザイナー兼プロヂューサーで、設計や組み立ては時計師の藤田耕介さん41 が担う。
長年、高級時計の販売やマーケティングを手掛けてきた飛田さんは
「機械式時計の黄金期といわれる30~60年代の古典的デザインと、
現代に必要な性能を併せ持つ理想の時計を作りたい」と5年間、
構想を温め、18年にNH WATCH=東京・中央 を設立した。
制作の特徴は外観に使った「904L」という特殊なステンレスにある。
耐食性に優れ、「ロレックス」など有名ブランドも使うという素材だ。
加工が難しく、従来は数万単位で鋳造する必要があった。
そこで飛田さんは工作機械の展示会を行脚して、それまで時計作りと縁がなかった
工作機械メーカーの碌々産業=東京・港 を口説き、
最新の微細加工機で1個単位で部品を削り出してもらうことに成功した。
「作りたい時計のアイデアが次々に湧く。
今後10年、毎年どんな時計を開発・発表するか、
すでにロードマップは描けている」と飛田さんは意気込む。
マイクロブランドに共通するのは、時計作りへの飽くなき機探究心。
その情熱が世界の愛好家をうならせている。

菊野さんの近作「「朔望=さくぼう」は文字盤に朝の歯が透かし模様、周囲の造形には雪輪紋様を取り入れた!日本は魅力的なモチーフある!
日本の技術や意匠 世界を魅了!品質が高い上に価格が抑えられた日本の時計の存在感が高まった!日本は魅力的なモチーフある!
国産マイクロブランドの時計の魅力とはなんだろうか。
日本ならでわの繊細な技巧や意匠が、その一つであるのは間違いない。
子、丑などの十二支や九つ~四つで時刻を表す江戸時代の不定時報は、
夜明けと日暮を基準に夜昼を各6等分して1刻とした。
江戸時代の一般的な和時計は季節ごとに
時刻の目盛の間隔を手動で調整する必要があったが、
これを自動で調整する腕時計として蘇らせた
「和時計改」は独立時計師、菊野昌宏さん38 の代表作だ。
20代で製作した「和時計改」の原型がスイスの著名な
独立時計師の目に留まったことをきっかけに、スイスで新作時計を発表してきた。
高い技術力や独創性が評価され、2013年にスイスで高い技術を持つ
職人のみが加盟できる「独立時計師アカデミー=AHCI」で日本人初の正会員となった。
現在31人いる正会員のうち、日本人は菊野さんと浅岡さんの2人だけだ。
菊乃さんの作品の特徴は、随所に和風の意匠を取り入れている点にある。

菊乃さんの作品の特徴は、随所に和風の意匠を取り入れている点にある!
近作の「朔望=さくぼう」では文字盤に日本独自の
金属工芸である黒四分一という黒みを帯びた合金を使用。
船だんす風のツタや伝統的な麻の葉の紋様を透かしで入れた。
文字盤の周囲の造形は伝統的な雪模様が原型だ。
「ラグジュアリーな製品には、作っている土地ならではの物語が必要。
日本には魅力的なモチーフがたくさんある」と菊池さん。
日本的課題を確かな技術力で表現した時計には、国内外でファンが多い。
価格は和時計改が約2000万円、朔望が約550万円するが、注文殺到で受注を中止するほどだ。
日本流の意匠は、他のマイクロブランドも取り入れている。
浅岡さんが19年に発売した海外向けブランド「クロノ ブンキョウ トウキョウ」は

浅岡さんの「クロノ ブンキョウ トウキョウ」は文字盤のロゴが英語ではなく、あえてカタカナで「クロノ」と記す!
文字盤のロゴが英語ではなく、あえてカタカナで「クロノ」と記す。
漆を使った文字盤に漢字を入れた「茜」35万円 はインターネットで発売するや、
わずか1分半で200個が完売した。購入者の9割は海外顧客だという。
もっとも、単なる「ジャポニズム」や「オリエンタリズム」だけが、日本のマイクロブランドの売り物ではない。
数字を手彫りした文字盤など、機械式時計の黄金期を彷彿とさせる作りは海外の時計専門誌などでも評判だ。
近年、スイスの大手ブランドに飽き足らない時計愛好家は世界の小規模ブランドに目を向け始めた。
日本の時計は「日本生まれ」という物語を内包しつつ、
海外の古典的な機械式時計の良さを体現していると評価されているようだ。
1969年にセイコーが世界初の量産型クオーツ腕時計発売して以降、
日本の安価で高性能な腕時計は70~80年代に世界を席巻した。
日本時計協会によると79年に日本時計産業がスイスを抜き、
生産個数=懐中時計を含む で世界一になった。
だが90年代以降、スイスが高級時計で息を吹き返すのとは対照的に、
日本の実用時計は価格競争と携帯電話の普及で存在が薄れた。
とりわけ高級時計のカテゴリーでスイスの後じんを排してきた
日本だが、国産ブランドは再び世界の市場で羽ばたけるのだろうか。
その命運を担うのは時代の若き時計師たちだ。
20年、時計師の技術を競う欧州の国際コンクールで、日本の若手が相次ぎ躍進した。
3月に篠原那由他さん27 がドイツの大会で最優秀を獲得。
10月には関法史さん24 スイスの若手時計師の大会で優勝したのだ。

20年、10月には関法史さん24 スイスの若手時計師の大会で優勝した!
いずれも日本人の制覇は初めてだった。
現在、都内の時計専門店で修理や時計開発を手がける2人の共通点は、専門学校の
ヒコ・みずのジュエリーカレッジ=東京・渋谷 の時計職人を養成するコースの卒業生ということだ。
同校は菊野さんや牧原さんなど現在活躍する時計師を多数輩出してきた。
1997年から時計師の養成を開始。
現在は東京と大阪にコースがあり、東京は昼間部で約130人が学ぶ。
3年生の整備を学ぶコースのほか、同コースを修了生を対象に
1年間、OBの菊野さんが時計制作を教える講座もある。
修理の仕事を目指す学生が多いいものの、
「独立時計師を目指す学生もいる」と大友宏幸学長は話す。
若手時計師の台頭を小売店も注目する。三越日本橋本店=東京・中央 は
今年の9月、時計売り場でヒコ・みずのの卒業制作展示を開催し、
関さんや篠原さんらのオリジナル時計を並べた。
「将来は自分のブランドで製作する独立時計師になりたい」と関さんは夢を見る。
クロノス日本版の広田編集長は「日本の時計産業にとって次の100年は恒久化の時代になる」とみる。
セイコーウオッチが高級ブランド「グランドセイコー」
専門店を増やすなど、大手も高級カテゴリーの強化に動く。
「スイスの高級時計が自国通貨の上昇で相対的に割高になる一方、
品質が高い上に価格が抑えられた日本の時計の存在感が高まっている。
マイクロブランドの台頭によって、日本の高価な少量生産の
時計カテゴリー全体が底上げされつつある」と広田編集長は指摘する。
マイクロブランドの国産時計は、実用重視から
趣味性重視への舵を切る日本製品の象徴でもある。
日本の時計産業が復活する時は着実に刻まれている。
堀聡
山口朋秀撮影。
日経新聞。
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