南牧村は最上級の自然が綺麗な村!過疎化で消滅の危機!だが南牧村は二つあった!

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南牧村は最上級の自然が綺麗な村!過疎化で消滅の危機!だが南牧村は二つあった!

 

8月5日のブログで「日本で最も消滅が近い村」で紹介したのが群馬県の南牧村でしたが、ところがよく調べてみると、実は南牧村は二つありました!群馬県の南牧村は過疎化で消滅の危機にあります。実はこの村は長野県と群馬県の県境を境にしてそれぞれ呼び名が違います。南牧村(なんもくむら、みなみまきむら)南牧村 (群馬県) – 群馬県 甘楽郡 南牧村(なんもくむら)で、南牧村 (長野県) – 長野県 南佐久郡 南牧村(みなみまきむら)  注:この二つの村は、県境を隔てて非常に近い位置にあるため、地図上でも混同しやすい。南牧村(なんもくむら)は、群馬県甘楽郡の村。高齢化率日本一の自治体で、今日の主人公です。

この自然に映える美しさが南牧村の象徴。

群馬県の南西部の山間に位置しています。村域は東西に16.5キロメートル、南北に9.2キロメートルで、面積は118.83平方キロメートル、標高は最低320メートルから最高1442メートルです。隣接している自治体は、群馬県甘楽郡下仁田町 多野郡神流町・上野村です。

一方長野県 佐久市と南佐久郡佐久穂町に南牧村=みなみまきむら があります。こちらは野辺山(南牧村)の往時「南牧村」、と言っても、いま現在私たちが山墅を構えている長野県側の「南牧村」(みなみまきむら)のことですが、今でこそ高原野菜のメッカで「キャベツ御殿」とか「レタス御殿」 が立ち並び、冷涼な空気の中に週末を過ごすべく首都圏からやってくる人が多いが、少し前までススキが生い茂り「野辺山が原」と呼ばれる寒村でした。戦後も開拓のために入植した人たちの 汗と涙が染み付いたところです。島崎藤村は野辺山が原からの光景をこう描写しています。

これが南牧村に広がるレタス畑で、早朝3時からの収穫で有名。川上村のレタス畑は渓流釣りの時に近くを通りました。早朝3時には投光器を照らし作業するのにはビックリしました。

群馬県の南牧村は最上級の自然で、きれいな山と川!実はこの村が高齢化率日本一で、消滅の危機にあるのです!群馬最大の秘境、南牧村。土地の大半が山間地帯であり、川沿いの深い谷間を縫うように集落が形成される。村には平地が殆ど存在せず、人々は山を削り石垣を作り僅かな平地を生み出し耕作や居住に充てていた。そのため南牧村では石垣文化が大いに発達し、村内全域で見事な石垣を見る事が出来る。今でも古き町並みや石垣が残りるものの、主要県道沿いはコンクリート製の擁壁が目立ってきた。少子高齢化が進み土地の需要も少なる事から、この先南牧村の石垣文化が衰退するのは間違いない。是非、雄大で見事な石垣と歴史ある町並みを見て貰いたい。

これが石垣文化の村です。

南牧村がどういう場所に位置するか、一目で分かりやすい写真を撮影した。田舎と言うより、山、という感じ。深い谷間にポツポツと見えるのが集落だ。ここから見えるは(多分)砥沢・羽沢・勧能・星尾地区になる。これらの地区は南牧村でも特に山間部に位置し、石垣が多くみられるのもこの深い山に佇むこれらの集落となる。下仁田寄りの磐戸や大日向地区では平地が比較的多く、平地に反比例して石垣も少なくなる為、石垣を見るなら砥沢より西が望ましい。ちなみち撮影場所は南牧村の大岩から。標高は高くないが岩場が多く上級者向けの山なので行く人はご注意を。

江戸時代から昭和初期まで砥石の産地として栄えた南牧村。主要産業が衰退し現在の人口は約2000人と激減したが、数十年前までは4倍の8000人以上がこの地で暮らしていた。今の4倍の人口となると、単純に計算すれば住居や畑も4倍必要と考えられる。全盛期は、今の景観よりさらに見事な石垣や住居、段々畑が見られたことだろう。聞いた話だと、山の尾根まで段々畑が築かれ、頂上まで行くのに1時間も掛かったと言う。

人口が減り、高齢化を迎えた現在では、放置された畑が目立つ。写真の樹木が生えてない場所は勿論以前畑だった場所だろうが、現在木が生えている場所も石垣があった。今では杉や灌木や土砂に遮られ見えづらいものの、実際近づくと斜面まで幾重にも延びる石垣が残っている。

現在では高齢化が進み、ほとんどの畑は何も植わっていない。昔は蒟蒻が高い値で売れ、下仁田ネギと共に段々畑に多く植えられていた。

この谷合に沿って作られたのが南牧村。この写真から自然の雄大さがよく伝わってきます。

60年前はコンニャクイモを中心に農業で栄えていた。南牧村は山間部にあり、傾斜地の畑は水はけが良い。この環境がコンニャクイモの栽培にはぴったりだった!ただコンニャクイモも品種改良が進んで平地でも作れるようになり、価格が暴落した。農業機械も傾斜地では使いにくく、平地栽培に対抗できなくなった!村面積の9割は山林。農業も産業も広げようがない。まず買い物だ。村に10軒あった商店が今や3軒。10年後にはゼロになる。そうなると、極端に言えば暮らせなくなる。10年がぎりぎりだろう。生活サービスも同じだ。例えば3000円の散髪のために1万5000円のタクシー代を払って村外に出かけることになる。これでは住み続けられない。

村を象徴する石垣。十数段の石垣が天高く積まれる。この地区はあまりに山奥の為、今でも自給自足の必要がある。そのため、段々畑の石垣は現役で使われ、所謂「生きた石垣」が見られた。「耕して天に至る」とはよく言ったもので、厳しい環境の中、人々は自然と向き合い、天まで届きそうな石垣を築き、必死で生きてきた。それは単純に生きる為の手段としてはではなく、そこに暮らす人々の誇りを感じた。築いてきた物は石垣だけでなく、天まで届きそうな誇りだんだ!

 

空き家の活用方法は!アルベルゴ・ディフィーゾに学べ!イタリアとの交流を!

 

今日はこの群馬県の南牧村は最上級の自然ときれいな山と川を世間に発信して、この村に観光客を世界から呼び寄せ、村の消滅を組み止める策を提案したいと、思います。これは南牧村だけの問題ではありません!縮小し続ける日本そのものへの大事な提言でもあります!これは南牧村単独で問題を解決してゆくより、それぞれ同じような問題を抱えている村同士を連携して解決にあたる必要性を感じます!私には秘策がありますので、次にそれを記述します!!

アルベルゴ・ディフィーゾで南牧村との繋がりを作らなければならないのです。

世界のあちこちに点在する、空き家の活用方法を検討する必要があります。そこで私が1月9日に提案した「アルベルゴ・ディフィーゾ=分散型ホテル」との連携構想です。「アルベルゴ・ディフィーゾ」とは空き家 ・ 空き店舗を活用し、観光客を呼び込み、地域を活性化させようしてイタリアで始まった、宿泊形態が「アルベルゴ ・ ディフーゾ」です。南牧村の空き家を、ホテルにして「暮らすように滞在する」と言うはどうでしょうか!しかもイタリアと提携して行き来できれば、こんな素晴らしいことはないでしょう!イタリア人が訪れて、集落の空き家に滞在する—–イタリアとの交流が南牧村で始まれば、こんな素晴らしいことはありません!是非南牧村の人達と協力して、これを実現できたらというのが私の構想ですが、専門家の協力も必要です!「アルベルゴ・ディフィーゾ」は既に岡山の矢掛町の矢掛屋がイタリアとの交流を始めていますので、そこで参考意見は聞けるはずです!南牧村を残すために、是非実現したい私の新年の祈願でもあります!また日本一美しい村「十津川村」も消滅の危機にあって懸命に回復する道を模索しています。

これが日本一美しい十津川村。

もし仮に「アルベルゴ・ディフィーゾ」で、イタリア、十津川村、南牧村が分散型ホテルで連携してつながれば、観光客の呼び込みにも一層の効果が上乗せできますし、こんな素晴らしいことはありません!私が主張し続けているのは、この三者の連携です!!

 

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。