今ツツジが満開の根津神社!見事なインスタ映えに・多くの人がスマホを手に!

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見てください、この見事なツツジの群落これが根津神社のツツジです!皆さんシャッターを切っています。

今ツツジが満開の根津神社!見事なインスタ映えに・多くの人がスマホを手に!

 

今日は散歩仲間8人で根津神社のツツジを見に行きました。

このメンバーで今日1日を楽しみます。

今日は10連休の初日とあって、曇天にも関わらず多くの人で賑わっていました。それもそのはづ見事に咲き誇ったツツジに多くの人がカメラを構えインスタ映え狙いでした。まづ神社で参拝を済ませて—–ツツジが見事な園内に入ると満開のツツジが、咲き誇っていて思わずシャッタを切ります。ツツジは満開ですが、よく見るとこれから咲き出す蕾の株もあれば、既に散り始めた株や散りきった株などがうまい具合に入り混じっていて、いつ行ってもツツジが見られるような、配置になっています。ですので5月になってもまだまだツツジの群落を鑑賞できます。

これが根津神社の広大な境内。

これはあれだけ広大な園内をいつでもツツジが見られるような配慮の元、植栽に工夫を凝らして配置しているので、長期間園内にツツジが見られ続ける工夫の現れです。それにしても見事なツツジで、赤く咲き誇る株もあれば、白い花の株が群落をなしていたり、あるいは色とりどりの株が上手い具合に配置されていたりと、造園家の力量が遺憾なく発揮された庭園設計の姿が見て取れました。さらに園内には巧みな高低差があり人の動きに合わせて見え方が変化して、インスタ映えの楽しさも配慮されていて、それまで設計思想の中に組み込まれていたのでしょう。ゆっくりとツツジに見とれながら、流れてゆく時間、カメラで構図を考えながら、ツツジの香りと花々の綺麗な色合いに包まれながらの散策が楽しめた1日になりました。今日はつつじ祭りで、多くの屋台がお店を出していました。

インスタ映えの場所には多くの人で渋滞中です。

ウキペディアによると、根津神社(ねづじんじゃ)は、東京都文京区根津にある神社。旧社格は府社で、元准勅祭社(東京十社)。古くは「根津権現」とも称された。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。境内はツツジの名所として知られ、森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されている。

現在の社殿は宝永3年(1706年)の創建である。宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣(第6代将軍)が入ったため、元の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営されたものである。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。

1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した。

宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。

「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。東京大学の移転にともない、門前に形成されていた根津遊郭は廃され、江東区の州崎遊郭へと移転した。

江戸と文学、和の情緒溢れる縁結びのパワースポット

根津神社は、1900年前に日本神話の英雄・ヤマトタケル尊が創建したとされる古社で、東京十社の1つです。

境内には、縁結びで有名な「願掛けカヤの木」や乙女稲荷神社、日本らしい和の景観の千本鳥居や楼門があり、外国人も多く訪れる人気のスポットになっています。

境内には大きな樹木がたくさんありますが、このイチョウの樹木見事でした。

[根津神社根津神社]東京大学からほど近い文豪ゆかりの地で、夏目漱石や森鴎外らが腰掛けた「文豪憩いの石」があり、漱石・鴎外など多くの文学作品に「根津権現」の名で登場します。また、江戸城の真北を護る神社で、江戸時代の建造物が震災や東京大空襲をくぐり抜けて奇跡的に残っていて、江戸の色香を残す「強運の神社」でもあります。

神池・苔庭やつつじ苑などがあり水と緑豊かな境内は、司馬遼太郎が「閑寂な境内・剛健な建築」と感嘆したご神域です。

境内はつつじの名所で、4月中旬-5月上旬のつつじまつり期間中は、3000株ものつつじが咲き乱れ、露店が立ち並びます。また、毎年9月21日の例大祭は、江戸の代表的なお祭・天下祭の一つです。

この写真は吉越さんの撮影です。私が写っているので更新しました。

[根津神社のパワースポット地点] 根津神社のパワースポット地点は、以下の4ヶ所です。入口から順にご紹介します。

★1.拝殿・本殿 ★2.願掛けカヤの木 ★3.乙女稲荷神社・千本鳥居 ★4.駒込稲荷神社

根津神社には、本殿の他にも心安らぐ景色・見所がたくさんあります。

本殿だけでなく、全てを廻ることで縁結び効果が増すので、ぜひ廻ってみて下さい。

 

これは和館のビリヤード館ですが、繊細なディテールが美しい建築。

旧岩崎邸庭園・見事な建築に感激!コンドルの設計でした!

 

食後は旧岩崎邸庭園へ回りましたが、流石は三菱財閥岩崎家の本邸だけあって見事な建築に素晴らしい庭園が見られます。

旧岩崎邸庭園は、東京都台東区池之端一丁目にある都立庭園である。三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもので、園内の歴史的建造物は、国の重要文化財に指定されている。 ウィキペディア。

三菱財閥初代、岩崎家の旧邸宅を散策しました。上野恩賜公園へ行くなら、その南に位置する緑豊かな庭園、三菱財閥初代、岩崎家の広大な旧邸宅も訪れてみましょう。和風建築の建物のほか、スイススタイルのビリヤードルームや、アメリカとイギリスの影響を受けたペンシルバニアとジャコビアンスタイルが取り入れられた造りもあり、さまざなま建築様式は大変見ごたえがあります。

旧岩崎邸は、1896(明治29)年に三菱を創設した岩崎家の第三代当主・久彌の本邸として建てられ、往時の3分の1の面積を持つ園内には、洋館、和館、撞球室の3棟が現存し、洋館と撞球室は、日本の近代建築史に名を残す英国人建築家、ジョサイア・コンドル。洋館に併置された和館は、名棟梁大河喜十郎の施工と言われています。

洋館は、明治期の上層階級の邸宅建築を知る上で貴重な遺構です。

建築面積は160 余坪、木造2 階建・地下室付の建物は、1 階が主に接客に利用された諸室が配され、2 階に私的な部屋が設けられました様式は17 世紀初頭の英国のジャコビアン様式を基調にし、ルネサンスやイスラム風のモティーフなど複数の様式を折衷しながらも整然としたデザインになっています。旧岩崎邸庭園には、1896(明治29)年に完成した和洋ふたつの館が併置されています。洋館は主にゲストハウスの役割をもち、和館は岩崎家の日常生活の場となっていました。和館の棟梁は念仏喜十の別名をもつ名棟梁の大河喜十郎といわれています。和館は、書院造りの大広間を中心とした三部屋のみが現存し、今では貴重な木材がふんだんに使用された、主に岩崎家の行事に使用された場所でした。

今日は散歩の仲間たちと根津神社のツツジのお花見会で—–満開で感激した1日でした!今世の中はインスタ映えに夢中の人が多く、それで多くの人が訪れていたのでしょう。又、旧岩崎邸はジョサイア・コンドルの作品だけあって、洋館と和館共に見応えのある様式美に、建築に携わるものとして勉強になる1日でした。私は腰が痛くてここで皆さんとお別れです。この後の湯島神社楽しんでください。幹事の上条さんありがとうございました。吉越さんツツジの満開に合わせていただきありがとうございました。

今日一日お疲れ様でした、一人ははぐれて写っていません。

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私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。