中庭という楽園!紀元前に中庭文化をもった古代ペルシャは 壁で囲った庭園を!パイリダエーザと呼び!パラダイス=楽園の語源!

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中庭という楽園!紀元前に中庭文化をもった古代ペルシャは 壁で囲った庭園を!パイリダエーザと呼び!

中庭という楽園!紀元前に中庭文化をもった古代ペルシャは 壁で囲った庭園を!パイリダエーザと呼び!パラダイス=楽園の語源!

 

建物や塀で囲い、

敷地の外と遮断することで

プライバシーを保ちながら、

屋外の豊かな自然を取り入れる。

紀元前から洗練された中庭文化をもった古代ペルシャでは

壁で囲った庭園を「バイリダエーザ」と呼び、

これがパラダイス=楽園の語源となった。

外界を気にせず家族や友人と憩い、

あるいは一人でくつろげる快適な空間、

そんな現代の中庭について考えてみる。

 

 

ダイニングルームから中庭を眺める!


緑あふれる私だけの空間!中庭を中心とした家を提案した!中庭の中央には築山を設け、岩を埋め込み周囲をコケで覆った!アウトドアリビングという野外空間が注目!

 

京都市郊外、洛北の地に日本庭園のような中庭のある住宅が2020年春に完成した。

コの字型の住居と塀で囲われた中庭は、約300平方メートルの敷地のうち8×9mという小さな空間だが、

居室や廊下など家の至る所から見える縁や自然光のゆらめきが、住み手の心を和ませる。

施主である70代の男性は、長年、大学で研究職に就いていた。

定年後も研究に打ち込もうと「隠居ではなく新しい人生の出発点」として新築を決めた。

期待はいくつかあった。

民家が密集し隣家のベランダなどと接した土地だったが「隣人の視線を気にすることなく自然を感じたい」。

客を迎えるスペースと住空間をできるだけ離したい。

書庫を設けたいが、部屋が多いと日当たりの悪い場所ができるのではないかという懸念もあった。

施主の思いを踏まえ、建築家の中村拓志さんは中庭を中心とした家を提案した。

中庭の中央には築山を設け、岩を埋め込み周囲をコケで覆った。

縮景=しゅつけい と呼ばれている技法で、東にそびえる比叡山の風景をスケールを小さくして再現した。

「洛北の地には山岳信仰が残っており、また山を見て天気をよみ季節を感じるなど山と暮らしが近い。

そうした地域の文化や振る舞いをこの中庭にも込めたい」と中村さんは語る。

玄関のある西側は1階に1LDK、2階に和室を設け来客に対応する。東側には寝室、浴室、書斎を配した。

東西の棟を窓のある10m程の渡り廊下でつなぎ、書棚を並べてインテリアとしても活用。

施主は「中庭を訪れる野鳥や四季折々の植物の変化を見ると心が晴れます」と満足げに語る。

中村さんは、上勝町ゼロ・ウエストセンター=徳島県上勝町 などを手掛け、

21年日本建築学会賞の作品部門を受賞した気鋭の建築家だ。

これまでにも中庭のある家を設計してきた。

「都市部て庭付き住宅を造るとき、建物と駐車場がまずあって、あまりを庭にする感覚になってしまう。

『庭屋一如=ていおくいちにょ』という言葉があるように、

庭は建物と同じ価値があり暮らしにおける心のよりどころとなるべきだ」と考える。

新型コロナウイルス渦で在宅時間が増え、庭の重要性を再認識する向きもある。

ミサワホーム総合研究所がコロナ渦で在宅勤務をした人に20年6月、行なった調査では、

「家で過ごす時間を快適にするために住まいの環境を変えた」人の中で、

「庭」は23%、

「バルコニー・屋上」が11%と

屋外に手を加えた回答が一定数あった。

研究員の八木邦果さんは「アウトドアリビングという、居間のようにすごせる野外空間が注目されている。

コロナが長引き、庭を充実させたいという意向はより高まるだろう」と見る。

中村さんが中庭への関心をより深めたのが、13年に訪れたモロッコの古都マラケシュでの経験だ。

目に入る建物の外観は、ほとんどが土色。

砂塵が舞うひどい暑さの中汗をかきながらホテルに到着すると、外界とは正反対の世界が広がっていた。

「掃き清められた中程空間、壁や床には幾何学的紋様を描いたタイルが使われ、水が張られて涼しい風が流れる。

オレンジの木があり、鳥の鳴き声と水の音がこだましていた。

中東から伝わった伝統的な中庭の思想を肌で感じた」

古代ペルシャでは壁で囲われた庭=中庭 をパイリダエーザと呼び、これがパラダイス=楽園 の語源となった。

中村さんが設計し、洛北の家と同じ二十年に東日本に完成した二世帯住宅も、そんな楽園としての中庭の考えを反映している。

600平方メートルの敷地には、L字型の2階建て住宅と高さ7mのガラス塀で囲われた中庭がある。

中央には撥水性のある素材でできたソファとガス暖炉を置いて団らんのスペースに。

周辺に水盤や木々を配置し、陽光や風の動きを視覚的に楽しめるようにした。

施主の50代会社経営者はもともと庭付き住宅を望んでいたが、防犯面での心配があった。

そこで中村さんはモロッコでの体験を伝えつつ、高く囲った中庭のある家を提案した。

バス通りに面した敷地は騒音も気になったが、遮音性を備えた高額ガラスのブリックと

青白い肌のブリックを積み上げた塀が、外界とは切り離されたような静けさをもたらす。

「中庭があることで開放感を得られ、独立形の二世帯住宅でもそれぞれが閉鎖的にならずに暮らせる」施主 という。

自分たちだけの快適な楽園を体現する中庭。

「ただし」と中村さんは補足する。

「現代の中庭は、全く下界から隔絶した空間ではいけないとも思う。

建築が外の世界は信用できないと表明してはいけない」。

京都の家には縮景を取り入れ、都内の家はおぼろげに外の車や人の動きが感じられる。

「外の世界の気配を緩やかに感じつつ、自分の理想世界に広がりを持たせるような空間が求められているのではないか」

 

 

スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿「獅子の庭」!


囲われた理想郷を求めて!ムハンマドの考える楽園の具体的なイメージの元となったのが、バイリダエーザだった!!

 

中庭文化が古代ペルシャで培われてきた背景には、砂漠という厳しい自然環境がある。

中東の建築に詳しい建築家の神谷武夫さんは「砂漠が延々と続く中東では、自然とは人間に牙を向く恐ろしいもの。

自然から日々の暮らしを守るため、塀や壁で囲い、日陰をつくり水を流して涼をとる。

古代ペルシャのバイリダエーザは避難所としての機能が根本的にある」と話す。

7世紀以降、ペルシャがイスラム教とによって征服されたことをきっかけに、パイリダエーザは楽園のイメージと結びつく。

「ムハンマドがイスラム教徒を布教する際、信仰が厚ければ来世は楽園に行けると説いた。

イスラムの聖典『コーラン』でも楽園はしばしば言及される。

ムハンマドの考える楽園の具体的なイメージの元となったのが、バイリダエーザだった」神谷さん。

そんな「楽園」を現実にしようとイスラムの建築家や造園家は切磋琢磨を重ねた。

壁て囲った空間を水路で区画し、影をもたらす半屋外の屋根には荘厳なアーチやドームを据える。

水のせせらぎや風にそよぐ木々の緑などを五感で堪能する官能的な美の小宇宙がかたちづくられた。

水路で田の字に4分割され、ペルシャ語で「チャハルバーグ=四分庭園」 

と呼ばれる洗練された庭園様式はイスラム勢力の拡大とともに広く東西へ伝わり、

「スペインやインドなどのイスラムにとっての辺境地で花開いた」神谷さん。

よく知られるのはスペインのアルハンブラ宮殿に王の私的空間として造られた「獅子の庭」だ。

中央に12頭の獅子が支える水盤があり、10時の水路が庭を4つに分割する。

13世紀ごろ現地を支配したイスラム王朝によって整備されたこの宮殿には、

「天人花の庭」

「ダラクサの庭」など観光客を魅了する数々の中庭があるが、獅子の庭は家来たちも入れない王のハーレム。

まさに権力者のプライベート空間だった。

16~19世紀に北インドを支配したムガル帝国時代に建てられた

「タージマハル」の庭園も、チャハルバーグの様式が取り入れられる。

この時代には細密画が隆盛し、初代皇帝の回想録には皇帝自身が庭園の造営を監督する様子も描かれた。

ところで、隔絶した「楽園としての中庭」は日本にもあるだろうか。

「日本の多くの庭園は権力者が自身の富や権力を誇示するために造られた」。

日本庭園協会会長の高橋康夫さんは、そう解説する。

「囲われた庭」という意味では、長屋の奥に光を取り入れるために設けた坪庭などがあるが、

「外からの隔離を目的とする中庭は日本の庭園史では主流にならなかった」と高橋さん。

一方で、「楽園を求めるという意味では平安時代以降に発展した

浄土式庭園に似たような思想が見えるかもしれません」と指摘する。

極楽浄土を模した浄土式庭園は、仏堂や大きな蓮池が配置され、広々とした空間というイメージがある。

だが近年では、周囲を建物や山々や囲まれた閉鎖空間になっていたと見る研究もある。

庭園しに詳しい日本庭園学会理事の多々良美春さんは、

「例えば京都の平等院には、かつて広い阿字池の出島に阿弥陀堂=鳳凰堂 

と本尊の阿弥陀如来像を排するために設置された小御所があった=現在は焼失。

そこから阿弥陀堂を望む視野の大分部分が池と阿弥陀堂で占められる。

一見、開放的な庭園だが、実は閉鎖的で急進的な瞑想空間を目指したのではないか」という。

極楽や楽園とは、現実にはない一つの理想郷ともいえる。

それは庭そのものの美しさだけでなく、下界と隔てられ自分の内面と対峙することで体現されるのかもしれない。

かつてペルシャ帝国として隆盛を誇った現在のイランでは、2011年に国内9つの庭園が

「ペルシャ庭園」として世界遺産に登録され、その伝統を脈々と伝えている。

その一つ「フィン庭園」は、砂漠に接したオアシス都市化カシャーンにある王宮庭園だ。

イラン・カシャーンにある「フィン庭園」!

4本以上の水路が回らされているため完全な田の字ではなく、チャハルバーグの一変種とされているが、

城壁に囲まれた中庭では、水路や水盤が生む光のゆらめき、

背の高いイトスギの並木が発する樹脂の香りが、周囲の砂漠から切り離された別世界を彩っている。

元来、日本人は自然に親しみを持って接してきた。中東の人々の厳しい自然観とは対極にあると言える。

だが時に砂漠と形容される都市空間の中で、緑と水にあふれた静謐な中庭に感じる心の安寧は、

パイリダエーザがめざした楽園の感性と、案外同じなのかもしれない。   

安芸悟  竹邨章撮影 日経新聞。

 

ではこれに関する研究をします!

 

 

楽園のデザイン・イスラムの庭園文化!

楽園のデザイン・イスラムの庭園文化! 古代ペルシャでは、壁や塀で「囲われた庭園」のことを、パイリダエーザと呼んだ!!!

 

[楽園のデザイン]   

 ― イスラムの庭園文化 ―GARDENS OF PARADISE  

イスラム以前の中東における庭園から始めて、楽園としてのイスラム庭園の概念を明らかにしながら、

イスラム圏全体の庭園史を、主にスペイン、ペルシア、インドの実例を通じて明らかにする。

図版多数。

[【 訳者あとがき 】 より]    

古代ペルシャでは、壁や塀で「囲われた庭園」のことを、パイリダエーザ(Pairidaêza)と呼んだ。

――なぜ壁や塀で囲ったのか。

中東地域はその大部分が砂漠的風土に属し、灼熱の陽ざしと砂ぼこり、延々と続く荒蕪地や砂漠、

といったもので構成される「自然」そのものは、人間を優しく包み込むものではなく、むしろ敵対するものであった。


それだから、人々が快適な環境を得ようと思うなら、周囲の自然から隔離され、保護された「避難所」を作らねばならなかったのである。

熱風や砂塵、陽ざしや獣をさえぎるべく壁や塀で囲いとられ、涼しい日陰と水をたっぷり備えた場所、

それが中東の人々にとっての庭園であり、英語のパラダイス(Paradise)の語源となったパイリダエーザなのであった。

 この<楽園>の概念は7世紀に中東に起こったイスラム教に受けつがれ、

ムハンマドは『コーラン』の中で、選ばれた者に約束された来世の楽園について 繰り返し語っている。

来世の(天上の)楽園のイメージのもとになったのは このパイリダエーザであり、

そしてこの楽園のイメージを 現実のものとしようとした<パラダイス・ガーデン>こそが イスラム庭園の理念であり理想であった。

この「楽園としての庭園」、すなわち「地上の楽園」を実現しようとした王侯や庶民、

造園家や建築家たちの営為の歴史が イスラム庭園の歴史であり、現代のランドスケープ・デザイナーである

ジョン・ブルックスが 本書で描こうとし、そして見事に成し遂げたところの世界である。

 本書は John Brookes : GARDENS OF PARADISE、の全訳である。

著者のジョン・ブルックスは英国の第一線で活躍するランドスケープ・デザイナーであり、

世界をまたにかけているが、その本拠はウェスト・サセックスに置いて、自ら造園の学校も開いているとのことである。

また実務家であるばかりでなく、学級肌の人でもあって、既に著作が 10冊ほどある。

その主なものとしては、

“Room Outside”,

“Garden Design and Layout”,

“The Small Garden”,

“The Garden Book”,

“A Place in the Country”,

“The Indoor Garden Book” 等がある。

1978年から 79年にかけて、ちょうど革命をはさむ2年間、イランに滞在して

テヘランのデザイン学校でランドスケープ・デザインを教えたことが、本書を著すきっかけとなったらしい。

その他のイスラム地域の庭園も調査し、歴史的文献にも広く眼を通しているが、

歴史的な記述だけでなく、現代のイスラム庭園の問題をも深く論じ、更にイスラム諸国で

造園を行う人に対するアドバイスまでも添えているところは、現役の造園家ならではのことと言えよう。

 ただし、もともと文筆家ではないので、その文体は必ずしも整然としたものとは言えないので、

直訳調ではわかりにくい訳文となってしまうことを恐れ、その意味をくみとりながら、

極力論理的な文脈の文章となるよう、翻訳を心がけた。

しかしそのために 原文のもつポエジーがそこなわれてしまったとすれば、著者に対して申し訳ない気もする。

訳者にとって本書は、前回訳出した『イスラムの建築文化』(アンリ・スチールラン著、原書房、1987)の姉妹編というべきものである。

日本の建築界が明治以後ひたすら欧米の建築に学び、追いついてきた現在もなお欧米にばかり顔を向けていて、

インドやイスラム、その他第三世界の建築文化を無視している状態の改善に少しでも役立てばと、

一介の建築家の身でありながら イスラム建築史の書物を翻訳し、出版にこぎつけたのが『イスラムの建築文化』であった。

幸い好意的な評価を受けることができたので、更に不遜にも、今度は<イスラムの庭園文化>の書物までも

翻訳出版する役割を担うこととなった。著者のブルックス氏が英国人であるにもかかわらず、

かつてのヨーロッパ人のような「文化的帝国主義者」としてではなく、謙虚にイスラムの庭園文化に学ぼうとしている姿勢に 共感をしたからである。

イスラムの人々にとって その環境を形成する三大要素は、都市と建築と庭園であろう。

我が国のイスラム関係の研究者たちが総力をあげて「イスラムの都市性」という大がかりな

合同研究を進めている現在、それを補完するように、イスラムの建築文化と庭園文化の本を

出版することができたのは、時宜にかなったことと言えるのではないかと思う。

さて周知のように、我が国は諸外国に比べて 都市内の人口当たりの公園面積が極端に小さい。

ストレスの多い現代にあって、これからの都市開発は商業施設ばかりでなく、

むしろ公園の整備拡大にこそ 意を用いねばならない。

その時に、日本庭園の方法や西洋庭園の方法と並んで、

イスラム庭園の方法もまた 大いに参考にすべきではないかと思われる。

そしてまた、ますます過密化する都会生活において、イスラムの「囲われた庭園」、

パラダイス・ガーデンの考え方は、これからの住宅の庭に対しても示唆するところ大きい。

我が国における新たな人間環境を作って行く上で、本書が多少とも役立つならば幸いである。      

ジョン・ブルックス著,1989年, 鹿島出版会 より。

 

 

これが四分庭園(チャハルバーグ)!


傑作は イスラーム圏の辺縁の地に生まれた!西は スペインのグラナダにある『アルハンブラ宮殿』、東は インドのアーグラにある『タージ・マハル廟』であろう!!

 

[傑作は イスラーム圏の辺縁の地に生まれた]    

イスラーム建築として 世界に最も名高いのは、西は スペインのグラナダにある

『アルハンブラ宮殿』、東は インドのアーグラにある『タージ・マハル廟』であろう。

イスファハーンやダマスクスにある大モスクを知らない人でも、

この二つだけは名前を知り、写真を見たことがあるはずだ。

けれども スペインとインドというのは 広いイスラーム圏の中心でもなければ

発祥の地でもなく、むしろ西と東のはずれ というべき地である。

イスラーム庭園もまた同じように、スペインとインドにおいて最も豊かな発展をとげた。

アルハンブラ宮殿のパティオ(中庭)群や その近くの『ヘネラリーフェ庭園』、そしてインドは

カシュミールにある『シャーラマール庭園』や『ニシャート庭園』など、

幾何学的な造景の中に 園路や水路、園亭や噴泉が配置されたイスラーム庭園は、

まさに地上の楽園というべき 香気と安楽さに満ちている。

では、イスラームの建築や庭園の傑作が、なぜイスラーム圏の辺縁の地に生まれたのであろうか。

スペインのイスラーム王朝は ダマスクスのウマイヤ朝の支流が移植されたものであり、

インドのムガル朝は ペルシャ圏のカーブルからやって来た文人皇帝 バーブルが創始した帝国である。

したがって スペインのイスラーム庭園の源流をたずねるなら 現在のシリアに、そしてインドの

ムガル庭園の源流をたずねるなら 現在のイランに行き着くのであるが、しかし そうした

中東の庭園よりも スペインやインドの庭園のほうが名高いのはなぜであろうか。

[細部まで幾何学的に構成された 中東庭園]    

イスラーム庭園の起源は 中東、特にペルシアにあるとされる。

乾燥した砂漠的風土においては、自然は人を守るよりも 敵対する要素としてはたらいた。

酷暑や熱風、砂嵐や炎天といった 厳しい自然から身を守り、また快適な環境を得るためには、

外界の自然から隔離された 避難所(サンクチュアリー)を作らねばならなかった。

こうして 塀や建物で囲まれ、涼しい木陰と水とを配した庭が求められ、これを「パイリダエーザ」と呼んだのである。

それは 7世紀にイスラーム教が生まれるよりも 以前からの伝統であって、イスラーム教は

これを受け継いだのであるから、この形式はむしろ「中東庭園」と呼ぶべきだったかもしれない。

イスラーム教を創始したムハンマド(かつては マホメット と表記された)は『コーラン』の中で

敬謙な信者に約束された来世の庭園、すなわち天上の楽園について

繰り返し語っているが、それは こうした中東庭園をモデルにしたものだった。

この「パイリダエーザ」がヨーロッパに伝わって、楽園を意味する英語の「パラダイス」の語源となったのである。

砂漠においては 当然ながら植物が少ないので、むしろ 水が庭園の主役となった。

近くに川があれば 水路を造って水を引く。

なければ イランの「カナート」に代表されるように、水は遠くの山から はるばると地下溝を通じて引いてこられたりもする。

この水によって 乾いた土地を灌漑し、木や花を植える。

それはヨーロッパ人や日本人から見れば ずいぶんと貧弱な植物かもしれないが、

砂漠の民にとっては 塀や壁で外界から守られて 水と緑と日陰のある庭園(バーグ)は、まさに楽園だったのである。

灌漑を最も効率よくするには、碁盤目状に規則正しく水路を通すことである。

ここからイスラーム庭園を代表する形式である「チャハルバーグ」が生まれた。

それは「四つの庭園」という意味であって、つまり正方形の庭園を水路によって田の字形に分割する形式で、これを「四分庭園」と訳す。

四分庭園(チャハルバーグ)

一方で イスラームでは偶像崇拝が厳しく禁じられていることから、生き物の姿を

写す彫像や壁画が発展せず、建築は アラベスクなどの幾何学紋や唐草模様で飾られた。

これが庭園にも影響して、細部まで幾何学的に構成された庭園が発展し、中東庭園の特徴となるのである。

[過酷な自然が 天上の楽園への憧れを強くする]    

けれども、単に幾何学的に分割されて 塀で囲まれただけの庭園よりも、もっと 水と緑が豊富で、

「せんせんと流れる」水路に 多くの噴泉が吹き上げ、亭々と樹木が茂り、花々が鮮やかな

色彩で咲き乱れる庭園のほうが、天上の楽園のイメージに近づくことは 言うまでもない。

中東では 自然が過酷であるだけ、よけいに そうした天上の楽園に対する憧れが強かったのである。

アッバース朝に滅ぼされた ウマイヤ朝の分枝が逃れたスペインのアンダルシア地方は、

中東に比べれば ずっと水と緑に恵まれた地であったから、中東庭園の理念と

この自然を結び付けて、より快適な庭園を造ることができた。

また、カーブルからインドにやって来て ムガル朝を始めたバーブルは 中東の幾何学庭園を伝えたが、

その後継者たちは 治世が安定するにつれ、酷熱のインド平原の夏を逃れて

ヒマラヤのカシュミール地方に避暑に出かけるようになる。

そこは 日本の北海道ぐらいの気候なので、彼らにとって 雪山に囲まれた澄んだ水のダル湖周辺は

まさに地上の楽園であり、湖に面した斜面に山から水を引いて水路を設け、

緑豊かな幾何学庭園の傑作を いくつも造営したのである。

そうなってくると、アンダルシアやカシュミールにある こうした庭園を 中東庭園というわけにはいかない。

イスラームの支配地の拡大とともに もたらされた庭園形式の発展である以上、これは「イスラーム庭園」と呼ぶしかないのである。

アレッポの バシール邸と ワキール邸の中庭

アレッポの バシール邸と ワキール邸の中庭!

 一方、イスラーム圏の中央部では ペルシアの庭園が豊かな発展を見せたが、シリアやエジプトの都市住宅における庭も 忘れがたい。

たとえば シリアのアレッポの街並みは黄土色の塀が建ち並ぶ 索漠とした景観をしているのに、

一歩 塀の中に入ると そこには植物や矩形の池、噴水といった装置で

彩られた中庭があり、日本とはまた異なった「家と庭」の融合がある。

外界から切り離され、水盤の水音が響く 囲われた庭の中で、円柱の立つ半外部の空間で

お茶を飲みながら語り合う人々の姿には 深い安らぎが満ちているのである。   

イスラム庭園 神谷武夫 より。

 

 

 

中庭は家の中心となり、家全体を支配する大事な存在です!

中庭のある家を鎌倉に以前作ったことがあります!中庭は家の中心となり、家全体を支配する大事な存在です!ですので実に大切な存在になるような設計が大事!!

 

今日のまとめ。

中庭のある家が注目されている。

建物や塀で囲い、敷地の外と遮断することでプライバシーを保ちながら、屋外の豊かな自然を取り入れる。

紀元前から洗練された中庭文化をもった古代ペルシャでは壁で囲った庭園を「バイリダエーザ」と呼び、これがパラダイス=楽園の語源となった。

外界を気にせず家族や友人と憩い、あるいは一人でくつろげる快適な空間、そんな現代の中庭について考えてみる。 

緑あふれる私だけの空間!中庭を中心とした家を提案した!

中庭の中央には築山を設け、岩を埋め込み周囲をコケで覆った!

アウトドアリビングという野外空間が注目! 

囲われた理想郷を求めて!

ムハンマドの考える楽園の具体的なイメージの元となったのが、バイリダエーザだった! 

楽園のデザイン・イスラムの庭園文化! 

古代ペルシャでは、壁や塀で「囲われた庭園」のことを、パイリダエーザと呼んだ!  

傑作は イスラーム圏の辺縁の地に生まれた!

西は スペインのグラナダにある『アルハンブラ宮殿』、東は インドのアーグラにある『タージ・マハル廟』であろう!

今日は中庭について記述しました!

古代ペルシャでは壁で囲われた庭園を「バイリダエーザ」と呼びこれがパラダイスの語源となった! 

私は建築家なので、中庭のある家を鎌倉に以前作ったことがあります! 

中庭は家の中心となり、家全体を支配する大事な存在です! 

ですので実に大切な存在になるような設計が大事!

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。