ここに276人が暮らしています。人が住むのはこの一箇所だけです。
世界で一番・遠い島!トリスタン・ダ・クーニャ!南大西洋にある、世界一・孤立した島!
突然ですが、あなたは「トリスタン・ダ・クーニャ」という島をご存じでしょうか?
今日はその世界で一番遠い島で、その紹介をします。
その島は「トリスタン・ダ・クーニャ」で世界一遠くて且つ孤立した島です。
トリスタン・ダ・クーニャは大西洋に浮かぶ絶海の孤島で、島には空港もないので、
南アフリカ経由で船で向かうしかありません。
日本にも飛行機で行けない小笠原諸島がありますが、
小笠原諸島が東京から約1000km離れているのに対して、
トリスタン・ダ・クーニャは大陸から約3000km離れています。
東京から小笠原まで船で片道25時間半かかりますが、
ケープタウンからトリスタン・ダ・クーニャは船でなんと片道七日間もかかります。

南アフリカと南米のほぼ真ん中にトリスタン・ダ・クーニャがあります。船しかなくて七日間はかかる。
船で7泊してたどり着いた島はトリスタン・ダ・クーニャと呼ばれるイギリス領で、
ケープタウンから2500キロ、 南米のリオデジャネイロから3500キロで、
南大西洋のど真ん中にあり、世界で最も遠くて、孤立した有人島としてギネスブックに載っています。
標高2000強の、頂上には常に雪が積もっているほど。前記したように、
トリスタンにはケープタウンから船でしか行けない、
トリスタンの人々もどこかへいく場合は、まずケープタウンに出なければならない。

これが絶海の孤島「トリスタン・ダ・クーニャ」です。人が住んでいるのは平らな一部だけです。
船は猛烈に揺れまくれ、毎日酔い止めをのみ、
運動したくてもあまりの揺れにまともに歩けないし、
まさに病院から出れない患者のように感じたとのこと。
自分の 身長は決して高くはない。
それでもベッドに足を伸ばせない。足をたたんだ状態でしか寝れない。
と言うか、揺れがひどくて数分置きに目が覚めてはまたうとうと とするのです。
30時間ぐらい船に乗ったことあるが、丸7日間陸を見なかったのははじめてだと。
運動不足と閉所で正直かなり「めげた」。
島が近づくにつれ 船の周りを飛び交うカモメが増え、
今だ島は見えなくても陸の近さを感じ、
カモメにあんなに希望を感じさせられたのは始めてでした。
この恐ろしい荒波、冷た く暗い大海を2、3百年前に、帆船で妻、子供を乗せて挑んだ勇敢、
もしくは蛮勇な冒険家には脱帽であるが、ほとんど自殺行為です。
船が豪華客船ではない。貨物船に乗せてもらうのである。船員はロシア、
東欧からの人たちで英語が全く通じず。
しかも、降板長などと話そうとしても
無愛想でしかもこれが普通なのか怒鳴るような口調だとか。
ポーランド人の船長は英語が話せフレンドリーでインタビューにも気軽のおおじてくれたが
「ノープロブ レム」を連発していた。
本当に大丈夫なのか。
予定到着の時間を毎日のように聞いたが全部外れた。
やっと島に到着。
でも、貨物船はでかすぎて島に横付けできないので沖合いに錨を下ろし、
島の人に漁船で迎えに来てもらうのです。
貨物船から漁船 に乗り込むのが粗野な船員のおかげで
どれだけ危険だったかは映像でしか説明できません。
観光課のドーンが港で出迎えてくれた。監督、カメラマン、音声、文学 役者と自分の5人。
90分フルのドキュメンタリだと普通最低2週間はほしいと監督は言われていたが
次の船が出るのが1週間後でその船を逃すと次は2ヵ月 後で、
なんと船が来るのは1ヶ月にただ一回だけ。

こんなにのどかな平地もあります。
島は火山の噴火でできたもので周囲のほとんどは
崖でとても集落に向いているとはいえない。
島自体は丸っこく直径が11キロと小さくはな い。
自分の地元の島より一回り小さいくらいである。
その過酷な火山島の一角にちょこっと見える緑で緩やかな傾斜のところに村はあり、
島の人々が暮らしてい る。
村は500mx500mほど。
島の全人口は260人程度で島から出たことがないという人もいる。
学校はひとつ、病院もひとつ、警察官はひとりだけ。

まさに絶海の孤島!
こんなに不便なのに!ここの人達は、島を出ても必ず戻る!それだけでこの島が良いと言う証!
彼らの 純粋さ、ひたむきさ、高潔さ、暖かさに心打をたれた。
島も島の人とこの先ずっと変わらないだろうと確信できた。
島を出ても島に、戻る理由がよくはわかる。
自分の島でも高校終 了と同時にほぼ全員が島をでる。
こんな田舎にいられないと。
でも、数年後、10年後に島に戻って農業を始めたりする人がほとんどだ。
それでも、大都会までは 船で2時間半でいつでも行きたいときにいける。
だので、トリスタンの島は刹那さを感じさせるほどに孤立している。
なぜ、皆、島へ戻ってくるんだ!
ほんの1週 間ではあるが島を体験し
その答えはなんとなくわかる気がする。
今度は個人的に行きたい。本当に行くかはわからない。
あまりに遠く、しんどい船旅。でも、
あの島に1ヶ月も住むと帰ってきたくなくなるだろう。
旅なれたバックパッカーに比べたら自分の旅歴はたいしたものではない。
それでも、トリスタン・ダ・クーナに行ったことはとても誇りなのです。
とドーンは言った。「観光客がたくさん来るとは期待していないわ。
でも、こういったドキュメンタリで世界の人がトリスタンのことを知り、
こういった島が大西洋のど真ん中にあり、
人々が力強く生きているということを知ってもらうことはとても大切だわと—–。」
漁がある日は朝6時ごろに鐘(空のガスボンベ)を打ち鳴らす。
村中に響きわたり、今日は漁があるなとわかり、皆準備をする。
少女たちが港へサンドイッチとコーヒーを届ける伝統があるそうです。

唯一生計が立てられているのが、この漁!!
僕らが貸しきった家。ご飯を作る暇がなかったので、
おばあちゃんにご飯を持ってきてもらっていたが猛烈にうまかった。
魚、ポテト、羊が最高だった。また、山から流れてくる水も最高ですよ。
火山の後から。1961年村のすぐ横で火山噴火。全村人がイギリスへ避難。
2年後に投票を行い90%以上が島へ戻る案に投票し、村人は2回に分けて島へ戻った。

トリスタン・ダ・クーニャが噴火した時は、島民はイギリスに二年間避難しましたが、全員帰島したと言うから凄い。
[私たちの故郷-トリスタン・ダ・クーニャ]
私はトリスタンという島に住んでる。
とてもきれいなところ 山には鳥たちが 家には皆が私と貴方を見守ってくれる。
殺人もないし、危険もない。
私たちはどこに行っても自由。皆お互いを知っている。
だから問題なし、ほら、トリスタンでは私たちは本当に自由。
これらを読み終えて思った、こんな遠くて、船が来るのが一ヶ月に一度だけの、
こんなに不便なところによく住んでいられるなと思う!
だけどよく考えてみよう、これは島がいかに素晴らしいかは、
住んでみないと分からないのだ!
島を出て都会に住んでみても、
また必ずトリスタンに返ってくる!
気持ちとしてはよくわかるが—–やはり住んでみないと、
ハッキリとした答えが出せない!
ここに住むには、自分の人生観を180度転換しても、やはり迷うだろうー!
自分でもどうしたら住めるのか真剣に考えてみたが、
やはり答えが出てこなかった!
ここに住み続けるのは、それだけ凄い事なのです!
皆様もよく考えてみて下さい、
このトリスタン・ダ・クーニャに住めるかどうかを!!!
島の全景写真が東京都青ヶ島村の写真になっています。
それにしてもお恥ずかしい話です!すぐに訂正しました!
Tenさんはよくぞお気づきになりました!
ご指摘ありがとうございました!!