ヴァージル・アブローが残したもの!流行は夭折=わかじに する!ジャン・コクトーの一節!流行には、あんなに重い軽さがある!

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2021年11月ロンドンで開催された「ファッション・アワード2021」!


ヴァージル・アブローが残したもの!流行は夭折=わかじに する!ジャン・コクトーの一節!流行には、あんなに重い軽さがある!

 

「流行は夭折=わかじに する。さればこそ流行には、あんなに重い軽さがあるのだ」。

澁澤瀧彦がこう訳したジャン・コクトーの一節を、

2021年11月28日にシカゴで急逝したデザイナー、

ヴァージル・アブローに捧げたい。享年41。

アブローは18年にルイ・ヴィトン・メンズの黒人初の

アーティスティック・ディレクターに抜擢=ばってき された。

20年7月にはモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)の

75のブランドを統括する新しいポジションに昇進し、

世界最強の黒人エグゼクティヴとなった。

また、自身のブランド「オフーホワイト」のデザイナーでもあった。

アブローは自身のブランド「オフーホワイト」のデザイナーでもあった!

真面目すぎる純朴さと恥じらいに満ちたチャーミングな笑顔。

自分に憧れる若き黒人デザイナー達に道を開くことを使命と考えて、とにかく働きすぎた。

19年にはすでに希少ながんである心臓血管肉腫に

侵されており、闘病が始まっていたといわれる。

モードの都、パリに通じる道はローマから始まった。

09年、親友であり戦友であったラッパーのカニエ・ウエストと、

フェンディで月500ドルのインターシップを始めた。

ルイ・ヴィトン初のコレクション後、アブローとカニエ・ウエストは抱き合って喜びを表現した!

当時すでに有名人だったウエストがインターンとは驚きだが、

目標がしっかりと定まっていたこと、

グローバリズムで黒人文化への畏敬という新しい風が吹き始めたことが強運をもたらした。

彼らの目標とは、「スニーカーとハイファションの融合」、

言い換えればハイプビースト

(ファッションオタク)・カルチャーとラグジュアリーの架け橋となることだった。

インターンを終えたアブローは、ウエストが興した会社「DONDA」に

クリエイティブ・ディレクターとして加わった後、

2人でストリートファッションとアートを

融合させた映像プロジェクト「Pyrex Vision(パイレックスヴィジョン)を開始。

13年には「OFF-WHITE c/o VIRGIL ABOLOH(オフホワイト c/o ヴァージル・アブロー)」と

改名して15年のLVMHヤング・ファッション・デザイナー・プライズに参加、最終選考に残った。

このブランド名も彼が目標とした

「ハイファッションとストリートウエアの対話を伝えること」から

つけられ、白と黒の間、両ジャンルの混合を意味したという。

彼が目標に向かって這い上がれた要因は何だったのだろう。

3年ほどでのルイ・ヴィトンでのアブローの仕事は

「ミレニアル世代へのカール・ラガーフェルド」とも評されている。

新しいシルエットを生み出すような

クリエイティヴで偉大なデザイナーというより、

時代の空気を読んでアレンジすることに長け、

コラボレーション手法を駆使して

チームをまとめることに優れたセンスを発揮した。

いわばファッションDJだ。

実際のコラボの相手もナイキからSpureme(シュプリーム)、

イケアまで幅広い。

だが、アブローにとって服はただの衣類ではない。

大学で学んだ建築(修士号を取得している)、

現代アート(自身の作品も多い)、

ヒップホップなどの音楽(DJでもある)、

黒人としての哲学や政治的視点の

接点に位置するアイデンティティの象徴なのだ。

さらに絶大な人気を誇るインスタグラマーとして

知的なムードの写真や動画を配信し、

ブランドの世界観に文化的なオーラを与えた。

ニュヨーク・タイムズのファッションディレクター、

ヴァネッサ・フリードマンはアヴローを

「ユビキタス(偏在する存在)」と評する。

地震に内在する文化と消費文化(顧客が求めるもの)をバランスよく、

広告宣伝を含めてディレクションし、

ファッションの意味を変えたといわれるアブローだが、

彼はこの消費文化のあり方を東京の

「裏原系」デザイナーの仕事と古着からおおいに学んだ。

浦原圭人は、1995年ごろから始まった

ストリートカルチャーとファッションを融合させたムーブメントだ。

ア・ベイシング・エイブ創業者のNIGOとの出会いも強運だった。

06年にフェンディのパーティーのプロヂュースを担ったNIGOが、

パーティーに来ていたアブローとウエストを

フェンディー最高経営責任者(CEO)のマイケル・バーグに紹介した。

その後、バークはルイ・ヴィトンのCEOとなり、

NIGOは21年9月グループ傘下の

KENZOのアーティスティック・ディレクターに就任した。

裏原系から吸収したエッセンスを巧みに消化した

アブローは、ルイ・ヴィトンのコレクションをわかりやすい色で

端的に表現し、構築的なデザインで大胆にまとめた。


「オフホワイト ヴァージル・アブローの」秋冬コレクションより!

結局、黒人だけでなく白人のミレニアルズやZ世代までも引きつけた。

上質さとビジネスでの成功を両立させたいという点では

グッチのクリエイティブ・ディレクター、

アレッサンドロ・ミケーレと双璧だろう。

彼がアイロニーを込めて演出する

キッチュなイタリアらしさを、

何よりイタリア人自身が認めているのだ。

僕自身はやはり、残念な夭折だと沈む。

彼が今後どのようなブラックラグジュアリーを体現するのか、

文化の力を深く信じ、

そこから生まれる新しい世界をデザイナー志望の

未来の世代にどう提示するのか、見ていたかった。  

モード評論家  平川武治  (写真は全てゲティ共同)

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私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。