メスカルティタンとは何!湖に浮かぶ謎の水上都市!街はカラフルで質素な佇まい!

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メスカルティタンとは何!湖に浮かぶ謎の水上都市!街はカラフルで質素な佇まい!心が休まる「やすらぎ」が!

 

今日紹介するのは、湖に浮かぶ謎の水上都市メスカルティタンのお話で、

鈴木亮平のメキシコ旅で紹介されました。

このメスカルティタンは12世紀には今の形になりましたが、

その形が美しく、都市計画の意識の高さが見て取れます。

今はなきテノチティトランですが、1091年にアステカ族がメスカルティタンを出て理想郷を探す旅に出て、

そして辿り着いたのがテノチティトランですが、1521年にコンキスタドールの侵略を受けてメキシコシティとなった。

テノチティトランとのつながりにはそんな歴史が刻まれていました。

テノチティトランはアステカの始まりの地でもあります。

メスカルティタンは湖の中に忽然と現れる謎の水上都市!!

町のシンボルの教会はコロニアル様式の美しい黄色の建物はヨーロッパのようです。

街はカラフルで質素な佇まいだが、歩いていて心が休まる「やすらぎ」があります。

この街は何かから隠れるためなのか?ミステリー遺産なのか!!

メスカルティタンは雨季には湖の水位が上がり通路は水没します。

その為に家々はかさ上げして、それを防いでいます。

メスカルティタンは広場を中心にした、井桁のまちで、

春分と秋分には井桁の東から日が昇り井桁の西に陽が沈み、カレンダーをも表していて、素晴らしい形が特徴的。

このパターンがメスカルティタンの最大の特徴。

メスカルティタンの名産は天然海老で「海老のセビーチェ」は、物凄く辛くそれが絶品だそうです。

アステカ料理の揺りかご。

更にはエビをトウモロコシの葉で包んだ「タマーレス・タマロン」は島の郷土料理。

さらにメスカルティタンの絶景は夕暮れに訪れる最高の夕焼け。

これを題材にした歌が「タヤケとギター」これがメスカルティタンの歌で、

メスカルティタンはテノチティトランではないのか!

と歌で歴史を伝えています。

今はなきテノチティトランその姿を、今に伝えているのがメスカルティタンで、

歴史を今に伝えている歴史の街で現在進行形!

それにしてもメスカルティタンの形は独特で、俯瞰の美しさを存分に見せつけています。

2本ずつの井桁に組まれた道が、この謎の村の正体で、

この形に島の謎の美しさの秘密が隠されています。

建築家としてはこの形にどうしても惹かれてしまいます!

それがこのメスカルティタンの謎!!

この美しさに目を奪われるそれがメスカルティタンで、この形になぜか惹かれます!

メスカルティタン(Mexcaltitan) はメキシコ合衆国・ナヤリット州の湖に浮かぶ人工島の小都市である。

州都のサンティアゴ・イスクイントラから約36km北西に所在する。

アステカの神話上の故郷の地、アストランであったとされる(諸説あり)。

1091年、アステカ族はウィツィロポチトリの神託を受け、メスカルティタンを出て理想郷を探す長い旅に出る。

そしてついに辿りついた湖の島に1325年に建設されたのがテノチティトランであり、

1521年にコンキスタドールの侵略を受けてメキシコシティとなった。

現在のメスカルティタンは人口895人(2005年)。観光地として栄えており、

2001年にはプエブロ・マヒコに真っ先に選出された。

(しかし2009年に除外された。)近隣のラ・バタンガから6km、エル・マタデロから2kmの位置にあり、

いずれの町からも船でアクセスできる。

メキシコにある湖に浮かぶ謎の水上都市「メスカルティタン」は、

アステカ神話の、鷲が蛇をくわえている場所が聖地でありそこに都市を作るように、

と言う神託から生まれたそうで、本来は神にささげる特別な儀式をする場所であり、

その都市は井桁状の道路で作られているとのこと。

この間から、このアーリオーン・メッセージが引っ掛かっていたら、

昨日の番組を見て一気に新たな解読のヒントがやってきました。

アステカ王国(現メキシコ)の人々は、メキシコの北西の地から神の導きによって長い放浪の末、

神のお告げの地、テノチティトランに到着しそこに定住します。

彼らが出発してきた故郷は、アストランと言います。

一般的にはアステカというのが良く知られた名前ですが、

放浪の旅の途中で、彼らは神に名をメヒカと変えなさいといわれたのである。

メヒカの人々の場所と言う意味がメヒコである。

アステカ、メヒカ人の故郷、アストランと言うのは、

現存する場所として、ナヤリー州のメスカルティタンになります。

(浮き草の島。現在は人工島です。)

実際、アステカの古文書の放浪の歴史が書かれた書物に、

アストランの地は河口の潟の中の小さな島だったという。

アストランの意味は鷺(さぎ)の場所という意味だそうだ。

メスカルティタンも塩水の潟湖の中に浮かぶ小さな島である。

今現在は、400世帯ほどが住む村である。


メスカルティタンとテノチティトランとてもよく似ています!繋がりがない訳は無い!

 

潟湖の魚、スズキや海老が実に美味しい。

ところで、アステカの人々が、神のお告げでたどり着いた島、

テノチティトランはテスココの塩湖の中に浮かぶ小さな島であったのだ。

そう、メスカルティタンとテノティトランは海の近くと2200m海抜の内陸の地の違いはあるが、

とてもが環境が似ているのだ。

そこは、田舎の静かな漁村。

ここが、アステカの故郷であったかもしれないという事に思いを馳せる。

これがテノチティトランで、メスカルティタンとよく似ている!

後にコンキスタドールの侵略を受けてメキシコシティとなった。

田舎の小さな島の村で潮風に身をゆだねていると、ふっと現実の雑多を忘れ、

旅の安らぎを感じる。美味しい海産物でお腹も満足し、安堵の眠気がやってきた。

この島は観光の名物と呼び物がある訳ではないが、そう、そんな物はなくってもいい。

そよ風と、自然と。少し物恥ずかしげな村人がいて。

それだけでじゅうぶんだ。

そう、ここは、メヒカの、アステカの故郷そのものなのだから…

*メスカルティタン(Mexcaltitan) はメキシコ合衆国・ナヤリット州の湖に浮かぶ人工島の小都市である。

州都のサンティアゴ・イスクイントラから約36km北西に所在する。

アステカの神話上の故郷の地、アストランであったとされる。

1091年、アステカ族はウィツィロポチトリの神託を受け、

メスカルティタンを出て理想郷を探す長い旅に出る。

そしてついに辿りついた湖の島に1325年に建設されたのがテノチティトランであり、

1521年にコンキスタドールの侵略を受けてメキシコシティとなった。

現在のメスカルティタンは人口895人(2005年)。観光地として栄えており、

2001年にはプエブロ・マヒコに真っ先に選出された。

1325年に建設されたのがテノチティトランで、これがその模型。

今日紹介した「メスカルティタンは広場を中心にした、

井桁の街」でその形の美しさに惹かれて記事にしました。

そのメスカルティタンとかつてのテノチティトランは形的にもそっくり似ていて、

歴史的な繋がりもあり、形まで同じで、更には、それが歌で歌われていました。

美しい「小さな謎の水上都市メスカルティタン」は是非一度訪れたい「魅力に富んだ佇まい」でした!!

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私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。