トクサツは日本の伝統文化である!人形浄瑠璃や歌舞伎に通ずる・虚実反膜の世界がそこにある!日本のトクサツの魅力は何か!

Pocket

東京都現代美術館で公開中の「生誕100年では」映画「空の大怪獣ラドン」のミニチュアセットが再現された!


トクサツは日本の伝統文化である!人形浄瑠璃や歌舞伎に通ずる・虚実反膜の世界がそこにある!日本のトクサツの魅力は何か!

 

「トクサツ(特撮=特殊撮影技術)とコンピューターグラフィックス

(CG)は対立させて考えるものではないでしょう」

CGを駆使した映画の前世時代にあって、

かつて「ゴジラ」など怪獣映画で子供たちを

熱狂させ世界から注目された日本のトクサツの魅力は何か

そんな問いかけに、日本の特撮に

深く関わり続けてきた原口智生さんは、そう答えた。

原口さんは子供の頃、縁あって映画会社の

特撮美術部門に出入りし、怪獣に壊されるミニチュアの街などを制作する現場に親しんできた。

その後特撮メイクの専門家として映画界で働いた。

現在はNPO法人、アニメ特撮アーカイブ機構の修復師としてミニチュアの船や航空機の修復に携わる。

庵野英明氏が総監督を務めた「シン・ゴジラ」での印象的な1シーン。

路上をはう「第二形態」のゴジラが東京・蒲田付近で自転車の群れを突き飛ばしていく。

ミニカーが空を舞う特撮にしか見えないが、実はCGなのだという。

「ミニカーが吹っ飛ぶように見えるCGをつくれ」と、監督の指示があったという。

公開中の「シン・ウルトラマン」(企画・脚本は端野秀明、監督樋口真嗣)でも、

ウルトラマンのCG人形を3次元スキャンしたデータから作っているそうだ。

ミニチュアのアナログ世界とCGのデジタル世界の間に切れ目はなく、

制作人は両世界の行き来を楽しみながら映像を作っているようだ。

精密なCGを使っていても、監督達の「脳みそはトクサツ」らしい。

「リアルな映像をひたすら追求するハリウッドからみれば、いったい何をやっているんでしょうね」。

アニメ・特撮研究家の氷川竜之介さん(明治大学大学院特任教授)はいう。

ミニチュア特撮は世界を脳内で一旦圧縮し、そのイメージに基づいて世界をミニチュアで置き換える。

そこには製作者の「世界にみえ」が入り込む。

観客も本物ではないことを前提に「置き換えのプロセス」を読み解きながら映像を楽しむ。

「人形浄瑠璃や歌舞伎に通づる虚実皮膜の世界がそこにある」と氷川さん。

特撮は日本の伝統文化のひとつだとみる。

東京都現代美術館の学芸員、森山朋絵さんは、

2001年に米ロスアンゼルスで開いた

CGの世界大会、シーグラフで目にした光景が忘れられない。

CGの巨匠、ロバート・エイブルらが登場し「日本のトクサツへのリスペクト」を語ったのだ。

映画「2001年宇宙の旅」で木星の地平線からの

「地球の出」はCGでなくミニチュアでとったと明かすと、

観客がざわめいた。

かつてCGは表現力が乏しく高コストだった。

「空気感や重量感の表現などはCGは未熟だった」と森山さん。

日本のトクサツは世界のお手本だった。

しかし技術の発展でCGは精密さを増しあらゆるものを画面上に「想像」する。

今や映画作りには欠かせない。

おかげで特撮の出番は減った。

「特撮マインド」のある作品は作られ続けていても特撮そのものは姿を消しつつある。

東京タワーのミニチュアを作った板金職人はもういない。

振り返れば1960年代の特撮黄金時代はものづくりの日本の高度成長期にあたる。

特撮技術や文化の喪失に危機感を抱いた庵野氏らの企画で、

2012年に「館長菅野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る 昭和平成の技」

と題した展覧会が都現代美術館などで開かれた。

倉庫などに眠っていたミニュチュアが集められて修復され。展示された。

一部はいま、須賀川特撮アーカイブセンター(福島県須賀川市)に納められている。

須賀川は「特撮の神様」、円谷英二監督の故郷だ。

都現代美術館では6月19日まで円谷とともに映画を作り続けた特撮美術監督、

井上泰幸氏の生誕100年を機に展覧会が開かれている。

一人の作家の個展として、特撮美術が取り上げられられるのは例がないことだという。

アニメやゲームは特撮より後に登場し、クールジャパンなどともてはやされ久しい。

比べて特撮は日陰者の感覚があった。

その文化的価値はいま再発見の過程にあるようだ。

滝順一  山口明秀。

The STILE CULTURE 文化時評より。

 

 

早わかりコラム「人形浄瑠璃と歌舞伎」!これは歌舞伎!

早わかりコラム「人形浄瑠璃と歌舞伎」!1598年、出雲の阿国という女性が、奇抜なファッションや行動で「傾き者」と呼ばれた人々の扮装をし、京都で「かぶき踊り」を始めたのがルーツ!

 

[早わかりコラム「人形浄瑠璃と歌舞伎」]

8月1日開催のおしゃべり古典サロン。

夏芝居の代名詞「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を題材に、

人形浄瑠璃と歌舞伎を見比べながら双方の魅力を再発見します。

今回はサロンに先立ち、

まずは人形浄瑠璃と歌舞伎とはなんぞや?

というサクッと解説をお届け!

[【人形浄瑠璃】]

【人形浄瑠璃】!

物語を語る「太夫」、情景を音で表現する「三味線」、

一体の人形を三人で遣う「人形」―この「三業」が一つとなった人形浄瑠璃。

ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、日本を代表する古典芸能です。

1684年、義太夫節の始祖である竹本義太夫が

大坂・道頓堀に竹本座を創設し、

作者に近松門左衛門を迎えることで、人形浄瑠璃は大流行します。

その後、豊竹座をはじめとした

小屋が次々と生まれますが、歌舞伎人気におされて次第に衰退。

しかし時は幕末、淡路の植村文楽軒の一座によって息を吹き返し、

今日では「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となっています。

[◆近松亡き後を盛り上げた三人の作者 ]

天才・近松門左衛門亡き後の竹本座を盛り上げたのが、

今作『夏祭浪花鑑』の作者である並木千柳、三好松洛、竹田小出雲です。

中でも並木千柳は、もとは竹本座の

ライバル豊竹座の立作者をつとめ、その後、歌舞伎作者に転身。

今度は竹本座に移籍し、

『菅原伝授手習鑑』

『義経千本桜』

『仮名手本忠臣蔵』の三大名作を生み出します。

そんな千柳を、竹本座の古株・三好松洛、座本の竹田小出雲が支えました。 

[◆希代の人形遣い・吉田文三郎 ]

三人の作者と併せて覚えておきたいのが、人形遣い・吉田文三郎。

それまでは専門に分かれていた立役・女形を両方演じることのできる

古今きっての名手で、三人遣いの人形操法も彼の功績です。

一方で、演出に注文をつけ太夫が退座する事件

(1748年『仮名手本忠臣蔵』初演時)を起こしたり、

自ら独立を企てるなどの野心家でもありました。

なお、1745年『夏祭浪花鑑』初演時の

本水・本泥を使った演出も文三郎の発案とされています。

[【歌舞伎】]

【歌舞伎】!

1598年、出雲の阿国という女性が、奇抜なファッションや行動で

「傾き者」と呼ばれた人々の扮装をし、

京都で「かぶき踊り」を始めたのがルーツと言われています。

その人気ぶりから、遊女ら女性たちの「女歌舞伎」や、

元服前の少年たちの「若衆歌舞伎」が生まれますが、風紀を乱すと幕府が禁止。

そこで登場したのが、現在の形にも通じる成人男性中心の「野郎歌舞伎」でした。

歌舞伎は、その成り立ちから、逆境の中で世間の常識を打ち破り、

常に最先端の流行を取り入れる反骨精神溢れる芸能だったのです。

[◆上方の和事と江戸の荒事 ]

京都・大坂から江戸へと広まった歌舞伎ですが、

町の気質とも相まって上方と江戸でその作風も違っていました。

上方では、優男による色恋沙汰を柔らかく

情感豊かに演じてみせる「和事」が人気を博し、坂田藤十郎が活躍。

江戸では、市川團十郎を創始者として、

勇壮な豪傑たちによるいわゆるヒーローものの「荒事」が好まれました。

[◆人気となった団七もの]

1698年初演、大坂で三人の

侠客が活躍する歌舞伎『宿無団七』が大当たりしたことから

派生作品が多数作られ、

今作『夏祭浪花鑑』もその系譜を受け継いでいます。

まずは人形浄瑠璃で上演され、翌月には歌舞伎化。

更に、今度は『夏祭浪花鑑』に影響を受けた

並木正三が歌舞伎『宿無団七時雨傘』を執筆しました。

なお並木は、廻り舞台を考案した江戸中期を代表する歌舞伎作者でありながら、

一時は並木千柳の師弟として人形浄瑠璃の作者も務めていました。

こうして、人形浄瑠璃と歌舞伎は時に同じ演目を上演し、

あるいは改良を加え、互いに切磋琢磨してきたのです。

三重県総合文化センター より。

Pocket

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。