ジャガイモ精神で挑む!レナード・バーンスタインとの出会いは衝撃だ!
ジャガイモ精神で挑む!レナード・バーンスタインとの出会いは衝撃だ!派手ではないが、才能はある。音楽をよく理解している!!
僕はジャガイモ! 佐渡裕!
1961年京都生まれ。
84年京都市立芸術大学音楽学部フルート科卒業。
89年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。
95年レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール優勝。2005年阪神大震災からの心からの復興を目指す。
兵庫県立芸術文化センターの芸術監督に就任し、癌剤も活躍中。
「題名のない音楽会」の5代目の指揮者=08~15年 となり、温かい人柄でお茶の間の人気ものに。
世界的指揮者の佐渡裕さんは、新型コロナ渦の中でもオンラインを駆使した
「サントリー1万人の第九」など演奏会を次々と成功させ、人々の心を癒し続けている。
情熱の源にあるのが恩師バーンスタインから授かった「ジャガイモ精神」だ。
憧れの巨匠、レナード・バーンスタインとの出会いは衝撃だった。
1987年夏、米マサチューセッツ州のタングルウッドで毎夏開かれる音楽祭に参加した。
オーデションで指揮を受けられる三人に奇跡的に残り、公開レッスンを受けることに。
指指揮はほとんど独学だっただけに緊張と不安で胸が張り裂けそうになる。
課題曲のチャイコフスキー「交響曲第4番」第2章を何とか振り終えた。
派手ではないが、才能はある。音楽をよく理解している――-。
バーンスタインはその思いを「シブイ」と言う言葉に込め、握手を求めてきた。
ところが手を握ろうとしない。20cmほどの距離をとり、ゆっくりと手を近づけてくる。
2分ほどたただろうか。
突然手をガッチリと握りしめ、佐渡さんの体に電流のようなショックが走った。

仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝!
コンプレックス見抜き「能の極意で指揮を」!仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝!
まさに能の「はこび」のようなすり足を見せたバーンスタイン。そこから能の講義が始まる。
「能面の種類はどれほどあるか知っているか」「能面の表情は音楽や動きによって変わる」「静かな動きに膨大なエネルギーが秘められている」。
マーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」は能の極意で指揮をするんだと言う。
佐渡さんは当時「西洋のクラシックを日本人が指揮して良いのか」
「米国で指揮を学ぶのに英語がよく話せない」といったコンプレックスにさいなまれていた。
バーンスタインはこれを見抜き、一瞬にして打ち砕く。
「日本人の誇りを持って指揮をすればよい」と言うメッセージだったのだ。
翌88年夏、再びタングルウッドへ。彼に心酔する佐渡さんは募る思いを爆発させる。

「あなたのそばで勉強したい」。するとバーンスタインは「ユタカ、ウイーンへ行け!」
「あなたのそばで勉強したい」。するとバーンスタインは「ユタカ、ウイーンへ行け!」
「ウインフィルハーモニー管弦楽団とのレコーディングや70歳の記念ツアーがあるから勉強に来いというのだ。
「えつ」と思ったのだが、そのままウイーンに向かった。
ウイーンの2年間はバーン・スタインとウイーン・フィルに必死に食らいつく。
バーン・スタインが欧州各地の楽団を指揮する際は同行。プライベージャットで移動するバーン・スタインを夜行列車を乗り継ぎ追った。
独ハンブルクでは寝袋で世を明かしたことも。公演は練習から見学し一挙手一投足に注目した。
「指揮棒をどう振るかではなく、音楽をどう創るかを学んだ」。
ウイーンフィルもリハーサルから見学し、ホールに入れない時はステージのドアの覗き穴から見た。
そして89年。
かつて小澤征爾が優勝した仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝する。
90年に72歳で肺ガンでなくなるバーンスタイン。
悲しみに暮れていたときに聞いた、彼が親しい日本人に佐渡さんについて話した言葉は今も心に刻まれている。
「彼はジャガイモを見つけた。
今はまだ泥がいっぱい付いているけれども、泥をきれいに拭い去ることができたら、
世界中の人々が毎日聞きに来るような音楽を創るだろう」
仏ブッサン優勝後は、バーンスタインが期待した通り、世界中から指揮の依頼が殺到する。
だが浮かれることはなく仏ラムール管弦楽団=首席指揮者 など地道な音楽活動を始める。
「僕はジャガイモ」。
多くの人々に音楽の感動伝えるには自信がもっと努力し、もっと泥を落とさなくてはならない。
恩師の言葉が心に響いたのは自身の経験が決して音楽エリートでないこともあったかもしれない。
父親は校長も務めた中学の数学教師。母親は声楽家ではあったが、有名ではない。
2歳からピアノを始め、少年合唱団に入った。大学は京都市立芸術大学。
指揮とは関係ない音楽学部フルート科だ。

高校部活にママサークル!幸福感は名門楽団と同じ!
高校部活にママサークル!幸福感は名門楽団と同じ!
指揮の喜びに目覚めたのも大学時代のアルバイトだ。
女子校の吹奏楽部のコーチになり、コンクールで金賞を目指した。
生徒たちと夏休み返上で頑張ったことは、結果は銅賞だったが音楽と向き合う大切さを学んだ。
ママさんコーラスのバイトでは、楽譜を読めない人たちと一緒に音楽を創る一体感を味わった。
「あの時の幸福感は欧州の名門楽団で感じる幸福感と同じ。
音楽作りの原点になっている」という。
佐渡さんはコロナ渦で音楽の感動を発信し続けている。
昨年には動画投稿サイトに「すみれの花咲く頃」の演奏動画を投稿。
昨年には密を避けつつホールに約120人を配置し、ルヒャルト・シュトラウスの大曲「アルプス交響曲」に挑んだ。
昨年末には「1万人の第九」を指揮。約1万2千人のオンライン合唱をまとめ上げた。
「音楽は様々な立場の人とつながることができる芸術。
世界が混乱している今こそ音楽の喜びを分かち合い、心を一つにしたい」。
中学校の吹奏楽部をサポートするなど子供向けのプロジェクトにも情熱を傾ける。
「次代をになうこどもたちに音楽の面白さを伝えることはバーンスタインの仕事の継承であり、僕に与えられた大事な使命」という。
これまでの実績で一つの頂点と言えるのが世界最高峰ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団への客演だ。

「大きくなったらベルリンフィルの指揮者になる」と書いたことが11年5月21日から3日間の公演で実現した。
小学校の卒業文章に「大きくなったらベルリンフィルの指揮者になる」と書いたことが11年5月21日から3日間の公演で実現した。
特に三日目の演奏は忘れられない。
ショスタコーヴィッチ「公響曲第5番」。
もう迷いはない。アクセル全開だ。
これまで感じたことことのない宇宙と一体化したような至極の幸福に包まれる。
指揮をしながら涙があふれでて来た。最後は祈りのポーズ。
カーテンコールが鳴りやまない。
1人で舞台に行き、万雷の拍手を浴びた。
15年にはウイーンの名門、トーンキューンストラー管弦楽団の音楽監督に就任。
ジャガイモの泥はもう十分きれいに拭い落とされたように見える。
だが佐渡さんは「まだまだ」「不十分」「全然」59歳、挑戦は終わらない。
浜辺貴司 玉井良幸撮影 日経新聞。

帰国時は必ず神戸市のバーへ!極上ハイボールを傾ける!
帰国時は必ず神戸市のバーへ!ミスターラクビーの故平尾誠二さんとも何度も酒を酌み交わし、会話を弾ませた!
世界を飛び回る佐渡さんが、地元関西に帰って来て必ず行く場所が二つある。
一つは神戸市のバー「Keith」だ。落ち着いたムードの店内ではマスターとの会話を楽しみながら、
最高級のスコッチウイスキーで作った極上ハイボールのグラスを傾ける。
「また日本に帰って来たんだな」とほっとする瞬間だ。
ときには音楽の仲間や友人たちとの団欒の場にもなる。親友だったミスターラクビーの故平尾誠二さんとも何度も酒を酌み交わし、会話を弾ませた。
お互いの立場を尊重しつつ、検討を称え励まし合った。
Keithの一角には「ありがとう。佐渡さん。明日も戦う勇気が出ます。
最後は人間体力ですね。嬉しかったです。」
と書かれた平尾さんの直筆のコースターが今も残る。
もう一つが兵庫県芦屋市の芦屋カンツリー倶楽部。港町・神戸を一望できる絶景ホールを持つ緑豊かなゴルフ場だ。
ノーベル生理学・医学賞受賞者の山中伸弥さんと共に特別会員に名を連ねる。

今は亡き親友との酒!思いはせ!
今は亡き親友との酒!思いはせ!シングルプレーヤーの腕前を持つ佐渡さんだが、単にプレーを楽しむだけではない!
シングルプレーヤーの腕前を持つ佐渡さんだが、単にプレーを楽しむだけではない。
指揮台から様々な楽器の音色を聞き分けるがごとく、ゴルフ場全体を見渡してコースやグリーンの状態にも目を配る。
最近ではコースの管理やメンテナンスを行う「グリーンキーパー」という職業に興味を持ち、
同クラブのキーパー部門に昨夏、1週間ほど弟子入りした。グリーンの芝刈りや穴を開けて肥料を混ぜた
砂をまくエアーレーション、カップの位置の変更から木々の手入れまで一通り学んだ。
師匠役のキーパーは「熱心で優秀。チャンスがあれば実際作業をお願いしたいくらい」と笑顔で話す。
2015年にウイーンのトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任してからは自炊することが増え、料理の腕にさらに磨きをかけた。
レパートリはカレー、チャーハンからパスタ、煮込み料理まで幅広い。
ときには右手でタマネギをバターでじっくり炒めながら左手にスコア=楽譜 を持って勉強することも。
昨秋、ピアニストの平田恭平さんが現地の演奏会に出演したときにはウイーンの自宅に招き特製ドライカレーでねぎらった。
「音楽も料理も人が喜ぶ、心に届くものを作りたい」という。
ではここからは「佐渡裕さんとは?」について記述します!

小さい頃から指揮者に強い憧れがあり,高校生になってからも,その気持ちはいささかも変わらず!
小さい頃から指揮者に強い憧れがあり,高校生になってからも,その気持ちはいささかも変わらず!!
[佐渡 裕さん]
1. 進路で悩んだ高校時代!
小学生の頃からフルートを学ばれていらしたそうですね。
佐渡 音楽には幼い頃から接していて,小学校6年生の時に出会ったフルートを,
進学した京都市立堀川高校音楽科(現京都市立堀川音楽高校)でも続けていました。
その一方で,小さい頃から指揮者に強い憧れがあり,高校生になってからも,
その気持ちはいささかも変わらず,進路を考える際も大学で指揮を学びたいと思っていました。
そうした気持ちをお持ちだったのに,大学で指揮を学ばれなかったのは何故ですか。
佐渡 大学に進んでからもフルートを続けるのか,それとも指揮者を目指すのか,この二つの道の選択で本当に迷いました。
そんな時に小学生時代からフルートを指導してくださっていた伊藤公一先生(京都市交響楽団首席フルート奏者:当時)から
「フルートもちゃんと吹けない人間が指揮なんてできないよ」という言葉をかけられました。
伊藤先生は,私が指揮の道を進むことを反対されたわけではなくて,フルートをちゃんと学ばせたかったんでしょうね。
先生のその言葉を聞いて,自分でも納得する部分があり,最終的に大学は管・打楽に進み,フルートを続けることになりました。
大学に進む段階で指揮者になる道が開けていかなかった要因は,学校に限らず自分の周りに
指揮者のことを詳しく理解している人がいなかったということに尽きます。
それは具体的にはどういうことでしょうか。
佐渡 例えば,ピアノであれば,小さい頃から習う人も多いので!
佐渡 例えば,ピアノであれば,小さい頃から習う人も多いので,ピアノの世界について世間の人も!指揮者のことについて知る人というのは!
イメージできる人も多いと思いますが,指揮者のことについて知る人というのは,
ごく少数であって,その内実がよくわからないというのが実態です。
実際に,指揮の先生がどんなことをして,何を教えるかなんてことは世の中のほとんどの人が知りませんよね。
ですから,若者が指揮者を目指すといっても周りの大人にしてみれば,自分たちもよくわからないだけに諸手を挙げて賛成はしづらいわけです。
音楽のことをそこそこ知っている人なら話は別ですが,そうでもないかぎり
「指揮者になるのか,頑張れ!」と言ってくれる大人はまずいないでしょうね。
Profile:佐渡 裕【さど・ゆたか】指揮者
1961年京都市生まれ。
1984年京都市立芸術大学音楽学部管・打楽専修修了。
1987年アメリカのタングルウッド音楽祭に参加。
その後、故レナード・バーンスタイン,小澤征爾らに師事する。
1989年新進指揮者の登竜門として権威あるブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し,国際的な注目を集める。
1995年,「第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール」で優勝し,
「レナード・バーンスタイン桂冠指揮者」の称号を授与される。
現在パリ管弦楽団,ケルンWDR交響楽団,ベルリン・ドイツ交響楽団,BBCフィルハーモニックなどへの客演を毎年多数重ねており,
2015年9月よりトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任。
国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督,シエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者を務める。
京都市立芸術大学 より。

京都光華中学校・高等学校のブラスバンドをはじめ、アマチュアオーケストラ、関西二期会副指揮者などを経て!
京都光華中学校・高等学校のブラスバンドをはじめ、アマチュアオーケストラ、関西二期会副指揮者などを経て!!
佐渡 裕 (さど ゆたか、1961年5月13日 – )は、日本の指揮者。
兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラ及びウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団首席指揮者。
京都府出身。
[外部リンク人物・来歴]
京都府京都市出身。身長186cm。
京都市立堀川高等学校音楽課程(現 京都市立京都堀川音楽高等学校)を経て、京都市立芸術大学音楽学部フルート科卒業。
京都市立芸術大学在学中に指揮活動を開始。
1980年頃に京都光華中学校・高等学校のブラスバンドをはじめ、アマチュアオーケストラ、
関西二期会副指揮者などを経て、タングルウッド音楽祭オーディションへの参加許可を得る。
同音楽祭で小澤征爾、レナード・バーンスタインに師事。
二人のスポンサーの協力を得てウィーンに渡り、バーンスタインのアシスタントを務め、1989年にブザンソン
国際指揮者コンクールで優勝し指揮者としてプロデビューする。その後、数多くのオーケストラ、吹奏楽団を指揮。
兵庫県西宮市に2005年10月22日に開館した兵庫県立芸術文化センターの建設にあたり、
2002年より財団法人兵庫県芸術文化協会の芸術監督(音楽)に就任した(現在は同センターの芸術監督(音楽)。
同センターを拠点とする新設の楽団「兵庫芸術文化センター管弦楽団」を通じて、若手音楽家の育成にあたっている。
また、バーンスタインの流れを汲む「ヤング・ピープルズ・コンサート」の開催や、毎年12月に開催される
「サントリー1万人の第九」の総監督・指揮、さらに2008年4月6日からテレビ朝日の『題名のない音楽会』
(シリーズ)第5代目司会者を務めるなど、多方面で活躍している。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に客演指揮者として招かれ、
日本時間の2011年5月21日から5月23日の3日間開催された定期公演で指揮を取った。
2015年9月よりウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の
首席指揮者(音楽監督)に就任。京都市立京都堀川音楽高等学校芸術顧問。
リコーダー2本を同時に吹いてアニメやクラシックなどの曲を演奏する特技をもっている。
ウイキペディア。

子どもたちの成長を見ていると本当に面白いですよ!
子どもたちの成長を見ていると本当に面白いですよ!突然変わってグッと伸びるか分かりません!
[ティーンエージャーたちが奇跡を起こす! vol.2|佐渡裕さんインタビュー]
指揮者 佐渡 裕 さん
子どもたちとの活動をお話しされるとき、とても楽しそうで、優しい笑顔になる佐渡裕さん。
Vo・2では、大きなパワーと愛情を注ぐ「スーパーキッズ・オーケストラ」のこと、
そしてティーンエージャーたちが起こす奇跡への期待をお話しいただきました。
[残念ながら活動は休止でも、初のCDができました]
スーパーキッズ・オーケストラも休止状態ですね。
4月には、スーパーキッズが2011年以来続けてきた東日本大震災復興祈念演奏活動の一つ
「こころのビタミンプロジェクト」を仙台で開催予定でしたが、延期せざるを得なくなりました。
復興を目指す街の人たちに楽しみにしていただき、私自身も楽しみにしていました。
子どもたちもその日に向けてモチベーションを高め準備していましたのでとても残念です。
そんな中でも嬉しいこともあり、17年続けてきたスーパーキッズ・オーケストラ初のCD「TEENAGERS」ができました。
いつも合宿場にしている淡路島洲本のホールをお借りして、私がヨーロッパで作るCDを手掛けてくれている
録音技師が初めてドイツから日本へ来るというタイミングもあり実現したものです。
たくさんの演奏家たちが巣立っていきましたね。
音楽家を育てることを目的としているわけではないのですが、9割以上が音楽大学に進んでいます。
子どもたちの成長を見ていると本当に面白いですよ。どこで、どんなふうに突然変わってグッと伸びるか分かりません。
ビオラの男の子が、さだまさしさんの「風に立つライオン」に感動して医学の道に進んだかと思えば、
「料理研究家になる」と言って、可愛いお弁当を作ってくれていた女の子が、
今は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のアカデミーにいるんですからね。
佐渡 裕(さど ゆたか)
1961年京都市生まれ。
京都市立芸術大学卒業。故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。
2015年9月より、100年以上の歴史を持つトーンキュンストラー管弦楽団(オーストリア)音楽監督に就任。
欧州の拠点をウィーンに置き、パリ管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団など、欧州の一流オーケストラに多数客演を重ねている。
国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラの首席指揮者を兼務。
著書「僕はいかにして指揮者になったのか」(新潮文庫)、「僕が大人になったら」(PHP文庫)、
「棒を振る人生~指揮者は時間を彫刻する~」(PHP新書)など
KOBECCO より。

佐渡裕が「サントリー 1万人の第九」で伝えつづけるメッセージとは?!
佐渡裕が「サントリー 1万人の第九」で伝えつづけるメッセージとは?!!
[総監督のマエストロ佐渡裕が「サントリー 1万人の第九」で伝えつづけるメッセージとは?]
毎年12月に大阪城ホールで開催される「サントリー 1万人の第九」。
その指揮者に任命されてから今年で21回目となる佐渡裕さんは、この大イベントに何を思い、参加者にどう伝えてきたのか。
12月1日、大阪城ホールで行なわれた「サントリー 1万人の第九」。
8月からコツコツとレッスンが積み重ねられ、参加者は本番にのぞむ。イベントの総監督を務めるのは、
指揮者の佐渡裕さん。彼が「1万人の第九」で大事にしているのは、大阪城に1万人が集まることへの意義。
ともに歌うことで、第九の詩にある「すべての人が兄弟となる」を実現できる。
そんな人と人が共振するための第一歩となるのが、佐渡さん自身によって行なわれる練習、通称「佐渡練」だ。
「1万人の第九」に携わること21回目、イベントへのこだわり、そして「第九」への熱い想いを、佐渡さんに聞いた。
[ベートーヴェンの思い描く「音楽の神殿」を作りたかった]
佐渡さんがこのイベントに携わるのは21回目だそうですが、今年のみどころは何でしょうか。
佐渡 今年は令和という時代になった、特別な1年でしたね。新しい時代での、最初の第九になります。
毎年、本当にいろんなことが起きますよね。
今年だと、ラグビーに国民が湧きましたし、なんといっても「令和」に変わった特別な1年でした。
このイベントも長く続いているので、中にはベテランで歌い続けている方もいれば、ビギナーの小学生もいる。
また、スーパー・キッズ・オーケストラといった若いオーケストラも演奏しますし、
ゲストとして雅楽奏者の東儀秀樹さんやアーティストの山崎まさよしさんも登場します。
たくさんの意味で、世代や時代を超えてつながっている、というのがこのイベントのテーマになります。
バラバラに生まれ育ってきたたくさんの人が、8月から練習を続けてきて、大阪城ホールに一堂に会する。

大阪城ホールを埋め尽くした1万人の「第九」!
その人のつながりは、大きな虹になると思います。
――佐渡さんは前任の山本直純さんから引き継ぎ、1999年から指揮者を務めています。
そこで初めて「佐渡練」というものを始めたそうですが、どのような意図があったのでしょうか?
佐渡 大先輩の山本直純さんが築き上げてきた「1万人の第九」ですが、僕に引き継がれた時に、
もう一歩具体的に「こんな第九をしたいんだ!」ということを伝えたいと思ったんです。
「はい、1万人集まりました」で終わるようなイベントではなく、やるからにはベートーヴェンの思い描く「音楽の神殿」を作りたかった。
いちばん最初は3000人ずつで練習を行なって、体育館のようなところでやってみたところ、やっぱり効果がありました。
そこからだんだん人数を減らし、音響の良いところで、という風にグレードアップし、今の練習(1回あたりの練習はおよそ1000人。
場所は新大阪のメルパルクホール)のようになりました。
参加者一人ひとりに、技術的・精神的なこと、歌う喜びを伝えることができていると思います。
1万人が熱狂しているというのは想像しやすいけど、逆に1万人が冷めている状況も簡単に起こってしまうんですよね。
だからみんなで手をつなぎ肩を組んで練習することで、集まることに意義を感じたり、「音楽ってこんなに自由なんだ」
と感じてもらえたりできれば、「佐渡練」は意味があるのだと思います。
――8月から始まったレッスンも、いよいよ締めの段階。この時期に「佐渡練」を行ない、参加者に伝えたいことは何ですか?
佐渡 これまで3ヶ月ほど100人や200人くらいでレッスンをしていたのが、今日は1千人になり、本番では1万人になる。
そういう意味でいうと今日の佐渡練は、まだスタートに過ぎないわけです。
今まで10回や20回第九を歌ってきた、という方もいますし、僕自身もこの「1万人の第九」を20年は指揮してきました。
その中で作品自体は何一つ変わっていないのに、中の言葉を伝える意味が変わってきたりする。
それはやはり時代の変化、災害、戦争、喜び、たくさんのことが起こり続けているから。
だから、今日の練習はもう一度新しい創造物を作るためのスタートラインです。
しかも、本番に1万人集まると、また新しいものが作られるんです。それが音楽の良さなんですよね。
――長い間「1万人の第九」に携わられ、これはきっと佐渡さんの中でも特別なイベントになっているかと思います。
佐渡さんにとって、「1万人の第九」とは?
佐渡 僕は、音楽や人が好きで指揮者をしています。
僕が「1万人の第九」に携わり始めたとき、最初は音程やリズムやテンポ、バランスを整えることが自分の役割だと思っていました。
だけど、ずっと続けていく中で、時代は変わっていく。
毎日いろんなことがニュースになっていて、本当に複雑な時代になりましたね。
僕が「1万人の第九」を振り始めたときは、まだ家庭用コンピューターが普及し始めたときだったのに……。
そんな中で、みんなバラバラな場所で生まれていて、個性を大事にすることが大前提になった。周りの声に耳を傾けて、自分の意見も言って…。
そうやって言葉や宗教も乗り越えて一緒に生きていることが面白い。
音楽の神様は、そんな喜びを感じさせてくれるために我々に音楽を与えてくれたんだと思うんです。
だから、このイベントに参加する人たちが「人間って捨てたもんじゃないな」と思える時間が作れると、作品を残したベートーヴェンが一番喜ぶのではないでしょうか。
[一人ひとりのフロイデ、ストーリーがある]
そんな思いのもと、行なわれた佐渡練。筆者が潜入したのは、11月24日の新大阪メルパルクホールでの練習。
今まで各クラス100人~200人程度で行なわれていた練習が、一気に増えて1000人近くの参加者が集まった。
佐渡さんが考える「第九」への思いを共有する、貴重な時間となった。
佐渡さんは冒頭から、何度も詩に登場する「フロイデ」という単語について説明。
合唱パートが最もはじめに発する単語だが、佐渡さんはこれについてこう語る。

佐渡さんが「第九」を通して伝えたいメッセージ!すべての人々がひとつになる!
佐渡さんが「第九」を通して伝えたいメッセージ!すべての人々がひとつになる!
「フロイデ、というのは喜びを意味します。これは一人一人違っていていい。
鈴木さんのフロイデがあれば、佐藤さんのフロイデもある。心の中にある喜びを具体的に思い浮かべてください。
それを重ねて立体化しましょう」
「作品は変わらないが、時代や人によってその作品のメッセージ性は変わる」
というマエストロの思いが、そのままレッスンへと反映された。
[手をつなぎ肩を組んで感じる、第九のメッセージ]
佐渡練の特徴は、難しい練習を繰り返すことでなく、参加者同士のふれあうことで第九のメッセージを理解できること。
練習の端々で、マエストロは「参加者と手をつないで!」と指示する。
拍に合わせて手に力を入れ、お互いの手を「にぎにぎ」とする。
もちろん隣にいるのが見知らぬ人であることもあり得るわけだが、そんなのお構いなし。
「拍ごとに手をにぎにぎしますが、みなさんがキュッと力を入れたときが、旋律の大事な柱になる場所です」
有名な「喜びの歌」で知られる旋律では、特に頻繁に手をつながせた。
「このメロディは、子どもから高齢の方まで誰でも歌えるように、とベートーヴェンが意図的に書いたと思うんです。

『あなたの不思議な力が、すべての人々をひとつにする。兄弟にする』というメッセージを宣言する大切なシーンです」!
『あなたの不思議な力が、すべての人々をひとつにする。兄弟にする』というメッセージを宣言する大切なシーンです」
実際に手を「にぎにぎ」するだけで、マエストロは「まったくテンポの感じ方が違う!」と褒める。
「当日は1万人で手をつなぐ気持ちでいてください」
そして毎回恒例なのが、男性パートによる肩組み練習。
男性パートのみで歌われる箇所に、マエストロはそれを取り入れる。
「ここまでのストーリーでは、僕たち登場人物は『音楽の神殿』に向かってきたけれど、
ケルプという門番がそこに入ることを許してくれないんです。
この男性パートは、再びそこに向かって一人一人の民衆が行進しているシーンだと考えてください」
マエストロは肩を組むにあたり、前列の何人かに年齢を聞いた。
「63歳です」「51歳です」「81歳です」「10歳です」。
「みなさん年齢は違いますね。
でも、肩を組むことでみんな同級生になったと思ってください!」
男性全員が肩を組み、歌う光景は、ケルプに許されなくても神殿に向かうために、「すべての人が兄弟に」なったようだった。
場面の捉え方、オーケストラとのコラボレーション、表情や声色まで、「第九」が多角的に見えたレッスン。
佐渡さんが「第九」を通して伝えたいメッセージは、「年齢も、職業も、性別も違う、すべての人々がひとつになる」。
だからブレない。「佐渡練」で、大阪城ホールが神殿となる道が拓けたようだった。
[ついに迎えた音楽の祭典]
いよいよ迎えた本番。
イベントは2部構成で、前半には雅楽奏者の東儀秀樹さんや女性ダンスチームのファビュラスシスターズなどが登場。
また、アーティストの山崎まさよしさんもゲストとして出演し、1万人の合唱とともに「セロリ」を披露し、華やかに会場を盛り上げる。
まさに佐渡さんが思い描く「音楽の祭典」が繰り広げられ、来たる第九の出番に向けて熱気を帯び始めた。
第2部は、「第九」の詩の日本語朗読によりスタート。
例年、役者やアナウンサーが務めることが多いこの大役を、今年はお笑い芸人・霜降り明星の粗品さんが務めた。
もともとアマチュアオーケストラに所属し、クラシック音楽を嗜んでいた粗品さんは、この朗読をするにあたって佐渡さんとの打ち合わせを重ねたという。
フリップ漫談を得意とする粗品さんは、例年行なわれる朗読とは一風変わったショーを披露。
詩に基づいてフリップを挟み聴衆に笑いを誘うが、詩を読む声は堂々としている。
「『世界中の友よ! こんな音楽ではない。
もっと心地よい、もっと歓びに満ちた調べに、声を合わせようではないか』。
こんな世の中ではないはず。いかに人類がひとつになれないかということ歌っているのが、第九です。
それでも、それを実現する大きな第一歩が、今日行なわれる『1万人の第九』だ!」 最後は力強く決め、会場の人々の高揚感を高めた。
第1、2、3楽章と続き、第4楽章はついに合唱の登場。
バリトンのソロの合図で男声合唱の「フロイデ!」が活気よく響く。
ソリストによる有名な「喜びの歌」の旋律に誘われ、合唱もついで「Deine Zauber~」と歌いだす。
やはり、さすが1万人の迫力。
大阪城ホールという広い空間の中で、反響しあう声の重なりをコントロールしていくが、それは容易いことではないはず。
しかし、音楽が進むにつれ、参加者は空間に慣れ始めたのだろうか。
「佐渡練」で経験した手つなぎや、肩組みを思い出したのかもしれない。
響きのマッチングの度合いがどんどん高まり、難易度の高い二重フーガ(前回のレッスンレポート参照)もこなし、会場を包み込む音のミルフィーユのよう。
時を経るごとに声が調和していく様子は、佐渡さんが目指す「ベートーヴェンが描いた音楽の神殿」そのもの。
佐渡さんは練習中、「ケルプという天使は途中、音楽の神殿への道を妨げる。
だけど、あなたたち英雄が再びそれに向かうことで、その門は開けてくる、そんな様子を第九は描いている」
と話したが、幾度と練習を積み重ねてこの日を迎えることで、参加者は自ら「音楽の神殿」にたどり着けたのだろう。
「1万人の第九」を終えて、佐渡さんは「山崎さんの『セロリ』をともに演奏できたことや、
大阪の文化ともいえるお笑いを取り入れた粗品さんの朗読も合わせて、
ベートーヴェンの大きな世界観と合致し、成功した」と誇らしげに語った。
山崎まさよしさんも同じく、「この会場に1万人が集まることへの意味深さを感じた。
日本にはたくさんの災害や、世界でも争いが絶えないが、それらの傷を癒す行為になると思う」と語る。
絶え間ないスピードで流れていく時の中でも、「第九」は変わらず存在する。
目を瞑りたくなるような悲しみが起きても、「第九」が希望の光となり得るし、
それをもっとも実感したのは1万人の参加者かもしれない。
これから続いていくであろう「1万人の第九」にも期待したい。
ONTOMO より。
私は佐渡さんの指揮が大好きでよく見た覚えが蘇りました!
私は佐渡さんの指揮が大好きでよく見た覚えが蘇りました!!
今日のまとめ。
佐渡さんのように凄いかたが、ジャガイモ精神で挑む!
とは凄いことだと思います!
私は佐渡さんの指揮が大好きでよく見た覚えが蘇りました!
憧れのバーンスタインとの出会いがあったからこそ「ジャガイモ精神」を学べたのだと思います!
派手ではないが、才能はある。
音楽をよく理解している――-。
バーンスタインはその思いを「シブイ」と言う言葉に込め、握手を求めてきた。
コンプレックスを見抜き「能の極意で指揮を」!
仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝!高校部活にママサークル!
幸福感は名門楽団と同じ!
小さい頃から指揮者に強い憧れがあり,高校生になってからも,その気持ちはいささかも変わらず!
子どもたちの成長を見ていると本当に面白いですよ!
突然変わってグッと伸びるか分かりません!
やはりこれらのことから推測する、佐渡さんの凄さが目に浮かびます!
やはり佐渡さんの最高の曲は「第九」だね!!まだまだ59歳ですから、今後の佐渡さんの活躍が期待されます!!
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