サルヴァドールの精霊!諸聖人の入江!アズレージョの紺碧の輝き!!

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植民都市サルバドール・ダ・パイーア!ブラジル発見から半世紀後の建設された!


サルヴァドールの精霊!諸聖人の入江!アズレージョの紺碧の輝き!!

 

植民都市サルバドール・ダ・バイーア!

1500年のブラジル「発見」からほぼ半世紀後ポルトガル人によって建設されたこの港は、

独特の地形を持つ街である。

港の背後に迫る岩山。断崖が山手と下町を分け、急坂がその間を通っている。

この地形は、ポルトガル人が植民した初期の海外都市であるゴアやマカオにも当てはまる。

植民者たちは、彼らが出港した故郷の港、リスボンのあの岩山と断崖によって上下に分けられた

街と同じ地形の入り江を、

海にはるか向こうに知らず知らずのうちに求めたのである。

故郷の鏡像としての植民地。

「諸聖人の入江」という名を持つサルヴァドールには教会が多い。

このように「諸聖人の入江」という名を持つサルヴァドールには教会が多い。

曲がりくねった石畳道の続く山手の細かい街路を彷徨していると、

大小の古い優美な教会が私を迎えてくれる。

ポルトガルから持ち込まれた青いタイル<アズレージョ>の紺碧の輝きが

人々が越えてきた大西洋の海の深い藍色を映し出しているかのようだ。

石畳道の一角に宿を取ると、毎朝の楽しみが一つ増える。

早朝、窓辺によれば、歩いて職場へ向かう黒人青年が、

手に持ったパンディロ(タンバリン)を

リズミカルにうち流しながら行くときの即興路上コンサートが聞けるからだ。

これがパンディロです。これで即興路上コンサートを開く。

このような路上コンサートもある!

旅人である私の毎日の目覚し時計は、この軽快なリズムを打つ楽器となる。

下町の港から海沿いを歩くと、サンジョアンキンの市場がある。

これがサンジョアンキンの市場で、震えがくるほど素晴らしい市場だ。

混沌とし華やいだ喧騒に包まれた、震えがくるほど素晴らしい市場だ。

色とりどりの果物や野菜、肉や魚の生鮮品はもちろん、

日曜雑貨から鸚鵡や蛇などの野生動物、さらに祈祷に使う宗教道具や薬草まで。

雑多な市場の人ごみを抜けると、一人の老人が鉄くずを器用に切ったり貼り合わせたりしながら、聖人像を造っていた。

アフリカの神々とカトリックの聖人とが合体し変容したカンドンブレ儀礼の精霊たち。

恐ろしげな軍神オグンや柔和な海の女神イエマンジャが、白い髪の黒人老人の手の先で瞬時に姿を表す。

混血の精霊に満ちた港町

言うまでもなく、青い海を渡ってきたのはポルトガル人だけではなかった。

奴隷のアフリカ人たち、流浪のユダヤ人たち—–。

混合した神々を思いながら、私は夕暮れ時に呑むカシャーサの最初の一滴を、十字路の道化神エシュに捧げた

文化人類学者・今福龍太 日経新聞記事から記載。

 

 

ブラジルの港湾都市サルバドールはこんな所!


サルバドールとは!ブラジルの港湾都市!諸聖人の湾・聖なる救世主!!

 

サルヴァドール(Salvador)は、ブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市。同国バイーア州の州都である。

なお一般的には、サルヴァドールよりもバイーア(Bahia)と呼ばれる方が多い

大西洋に面し、「諸聖人の湾」を取り囲む半島に位置している。

主要な輸出港であるとともに、この湾周辺のReconcavo Baiano大都市圏の中心でもある。

2002年の人口は約254万人、ベロオリゾンテを抜いて現在ブラジルで三番目に大きな都市となっていた。

2016年7月1日での市域人口は約294万人

サンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリアに次ぐ同国第4位の人口規模を有している

これがブラジルのサルヴァドール。岬の突端です。

[概要]

サルヴァドールの

正式名称はサン・サウヴァドール・ダ・バイーア・ジ(デ)・トードス・オス・サントスで、

「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味である。

諸聖人の日(万聖節)に発見されたことから、そう名付けられた。

サルヴァドール自体はポルトガル語で救世主(=キリスト)を意味する。

なお、「湾」を意味するバイーアは、本来ポルトガル語のスペルはBaoa と表記されるが、

昔から地名としては h を加えてBahiaと表記することが一般的とされてきた

(どちらのスペルでも発音は変わらないが、表記が異なる理由は不明といわれる)。

また、サルヴァドールという同名のブラジルの都市と区別するために、

サルヴァドール・ダ・バイーア(バイーア州のサルヴァドール)と地図などに書かれることもある。

また現地を中心にブラジルではサルヴァドールよりも、

バイーアという名称が古くより一般的に呼称されており定着している。

1719年に書かれたロビンソン・クルーソーにも、この名前で登場する。

このためバイーア出身の女性はBaiana(バイアーナ)という。

ただし、バイーアの若い男性はioio, 若い女性はiaia

(イオイオ・イアイア、より発音に近い表記はイョィヨー、イャィヤー)と呼ばれることもある。

[歴史]

「諸聖人の湾」が初めてヨーロッパ人によって発見されたのは1502年だが、

サルヴァドールが建設されるのは1549年、

初代ブラジル総督トメ・ヂ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着を待たねばならなかった。

その後急速にブラジルの主要貿易港として発展し、

砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都となった。

ポルトガル領ブラジルの最初の首都。

1552年にはブラジルで初めてカトリックの司教座となり、

以後ブラジルのカトリック教会の中心地のひとつでありつづけている。

1583年に人口1,600人に達した後も急速な成長を続け、

北米でアメリカ独立戦争が起こった1776年の段階では、新世界で最大の都市のひとつになっていた。

当時サルヴァドールはポルトガル副王国グラン・パラ、

およびバイーア・デ・トードス・オス・サントス県の首都であった。

1624年5月オランダがサルヴァドールを攻略、翌1625年4月にポルトガルが奪還するまで、

他の北東部の港と同様に占領を続けた。

1763年、その当時新たな経済の中心地となったリオデジャネイロへと植民地ブラジルの首都が移転したが、

サルヴァドールはブラジル独立運動の拠点となり、1812年にはポルトガルによる攻撃を受けている。

この位置がブラジルのサルヴァドール。

そして1823年7月2日には独立を達成した。

その後ブラジルの工業化の流れに取り残されたため、150年にわたり斜陽の一途を辿っていた。

この間1948年に人口は34万人、1991年には人口は208万人を記録している。

1832年2月29日、ダーウィンの乗ったイギリス軍艦ビーグル号が到着した。

1990年代に入り、市政府によって旧市街の歴史地区ペロウリーニョの浄化・復元プロジェクトが行われ、

ブラジルの文化と観光の中心地となっている。

このため一時は治安が良くないとされたが、交番も各所に設置されるようになり、

カルナヴァルの時期などには多くの警官が街角に配備されることなどから、

治安に対する不安も減少傾向にあるといわれる。

2014 FIFAワールドカップの開催都市の一つであった。 以上ウイキペディアより。

 

 

ブラジルの最初の首都はサルヴァドールでした!今はブラジリアです。


ブラジルのサルヴァドール!最初の首都で!今はブラジリア!!

 

火曜日がフィエスタ!世界遺産のブラジル・サルヴァドール「ペロウリーニョ」

ブラジルの北東に位置するバイーア州の州都サルヴァドール。

1763年までブラジルの首都でポルトガルの植民地時代には

アフリカから多くの奴隷が連れてこられその玄関口だった場所。

民族の融合によって独自の文化が生まれ、現在ではサルヴァドールは文化の首都と言われるまでに。

その中でもペロウリーニョは当時の活動の中心地で世界遺産にも認定されている

「サルヴァドール・デ・バイア歴史地区」の一部です。

これが「サルヴァドール・デ・バイア歴史地区」の一部です。

色[鮮やかな建物と多くの教会が。そんな街の雰囲気とは正反対の悲しい歴史]

ペロウリーニョ、口に出すとうっかり舌をかんでしまいそうな名前。

ポルトガル語では奴隷を縛り付けて処刑するための道具という意味があり、

かつてここでは奴隷の売買や処刑が行われていたのです。

サルヴァドールは1763年までブラジル最初の首都だった場所

(その後リオ・デ・ジャネイロ、そして現在のブラジリアに移転)。

そのため教会や博物館、要塞など重要な建築物がこの時代に建てられました。

ヨーロッパ以外では、この世界遺産である歴史地区に最も多くのバロック様式の建築物があり、

その数は約800とも言われ、

その1つペロウリーニョにある黄金の内装が美しいサンフランシスコ教会はバロック様式の傑作です。

ポルトガルの植民地時代には、農園での働き手としてアフリカから多くの奴隷が連れて来られました。

ヨーロッパやアフリカから持ち込まれたものと

ネイティブの人々の歴史、文化、人種、宗教など全てが入り交じり新たに形を変えて、

アフロブラジルと呼ばれる独自の文化に。

サンバやカポエイラはこうして生まれたもので、

他にも教会、音楽、食べ物を通じて現在へと受け継がれています。

これらが生まれた中心となった場所が

ペロウリーニョで、それゆえ文化発祥の地と言われているのです。

 

 

これがパーカッションの音色!


アフリカの血を引く!音楽隊オロドゥン!ジェロニモにいくが合い言葉?!

 

[毎週火曜日がフィエスタ!その理由とは・・・まずは教会のミサへ]

奴隷として連れて来られたアフリカ人たちは、日々過酷な労働を強いられたのですが、

そんな中でも毎週火曜日は彼らの休息日でした。教会のミサに通い、その後はつかの間のフィエスタ。

その伝統は今でも残っています。

火曜日の夜には通称ブルーチャーチ(正式名称は”Igleja de N. sra. do rosário dos pretos”。

青い色で入り口にはフィタと呼ばれるリボンがたくさん結んである教会)へ行ってみましょう。

歌声と楽器の音色が教会内に響き渡り、

まるでどこかのコンサート会場に迷い込んでしまったかのよう。

リズミカルな楽器の演奏と、どことなく喜びに溢れている歌声が印象的です。

[パーカッションの音色が心に響き渡る アフリカの血を引く音楽隊オロドゥン

週末や火曜日の夕方から夜にかけてペロウリーニョを歩いていると、

どこからともなくパーカッションの音が。

一番有名なのはオロドゥン

音楽に限らず彼らの活動は演劇や芸術と範囲が

広くアフリカ文化を受け継ぐため様々な活動を行っている団体。

マイケル・ジャクソンのPV “They don’t care about us.”で共演し、

撮影もペロウリーニョで行われたことから更に有名に。

太鼓の力強い音はまるで何かを訴えているかのようで、

遠いアフリカから連れてこられた彼らの祖先が苦労した時代の様子が想像でき、

感慨深い気持ちになります。

2月のカーニバルの時期には同じくペロウリーニョで彼らの演奏繰り広げられたり、

12月-3月の夏の時期には彼らの演奏が広場で行われるのでこちらも要チェック(入場券が必要)。

[毎週火曜日は「ジェロニモに行く?」が合い言葉。生演奏で楽しいひとときを]

8時を過ぎるとどんどんと人が集まってくる階段の上に立つ教会、

“Igleja do SS. sacramento da R. do passo”へ。

これがジェロニモとして知られるフィエスタ

世界遺産ブラジルのサルヴァドール「べロウリーニョ」!

火曜日となると「ジェロニモに行く?」と観光客や地元の人たちの会話に出てきます。

ジェロニモとは人の名前なのですが教会の名前よりも先に、

フィエスタの名前として今や知れ渡っているのです。

これがジェロニモのフェスタ!

バンドの生演奏と歌声に合わせて踊ったりおしゃべりしたり。

階段の下から上まで、そして階段の目の前の通りにもとにかく人で溢れ返っているのです!

11時ぐらいまで続くジェロニモ。その後は・・・

例えば生演奏に合わせて1時頃までサンバを踊ることができる場所もあるので、

元気な人は踊り続けてください!

ストリートフード、バイーア名物のアカラジェは必須!

お腹がすいたら、ペロウリーニョの広場や通りで売っているストリートフードを!

バイーア料理はブラジルの他の地域に比べると豊富な種類でその中の1つがアカラジェ。

他の州ではあまりみかけないので本場のアカラジェを是非試してみて

アカラジェとは黒目豆をつぶしてデンデという油で揚げたもの。

このアカラジェに欠かせないのが

乾燥エビ、ヴァタパ(パン粉、トウモロコシの粉、アーモンド、ココナッツなどを混ぜてつくるペーストの)、

カルル(オクラとエビなどをミキサーにかけてつくるソース)、ピリ辛のソースという4点セット。

油が苦手な人には、同じ黒目豆を使ってバナナの皮で包んで調理したアバラ。

アバラを頼んでも4点セットがもれなくついてきます!

食べ方はアカラジェの真ん中を切って中に4点を挟むハンバーガータイプと、

写真のようにお皿に盛りつける方法があります。

これがアカラジェでブラジル人のソウルフード!

[カラフルな街を眺めるには昼間に散策を。サンセットもお見逃しなく。]

昼間の散策ももちろん欠かせません!

そしてサンセットの時間になったら”Elevador Lacerda”というエレベーター乗り場

(「サルヴァドール・デ・バイア歴史地区」の下へ降りるためのアクセスがエレベーター)近くの広場へ。

海に沈むサンセットが遠くに輝いています。

今日はサンバドールの精霊—–ポルトガルの植民都市サルバドール・ダ・バイーア!を紹介。

1500年のブラジル「発見」からほぼ半世紀後にポルトガル人によって建設されたこの港は、

独特の地形を持つ街である。

「諸聖人の入江」という名を持つサルヴァドールには教会が多い。

下町の港から海沿いを歩くと、サンジョアンキンの市場がある。

混沌とし華やいだ喧騒に包まれた、震えがくるほど素晴らしい市場だ。

早朝、窓辺によれば、歩いて職場へ向かう黒人青年が、手に持ったパンディロ

(タンバリン)をリズミカルにうち流しながら行くときの即興路上コンサートが聞けるからだ。

青い海を渡ってきたのはポルトガル人だけではなかった。

奴隷のアフリカ人たち、流浪のユダヤ人たち—–。

サルヴァドール(Salvador)は、ブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市。

サルヴァドールよりもバイーア(Bahia)と呼ばれる方が多い。

サルヴァドールの正式名称はサン・サウヴァドール・ダ・バイーア・ジ(デ)・トードス・オス・サントスで、

「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味である。

ポルトガルのサルバドールとブラジルのサルバドールがあり混乱に混乱を極める。

サルバドールは一般的にはブラジルの最初の首都で、

その後リオ・デジャ・ネイロに移り、現在はブラジリアが首都。

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。