ゴルフコースの匠、井上誠一!曲線に日本の美 ちりばめて!コースを縁取る曲線は、 ときに優美で、 ときにに厳しい――-!

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ゴルフコースの匠、井上誠一!曲線に日本の美 ちりばめて!コースを縁取る曲線は、 ときに優美で、 ときにに厳しい――-!

ゴルフコースの匠、井上誠一!曲線に日本の美 ちりばめて!コースを縁取る曲線は、 ときに優美で、 ときにに厳しい――-!

 

コースを縁取る曲線は、

ときに優美で、

ときにに厳しい――-。

井上誠一は日本で最も名の通ったゴルフコース設計家だ!

没後40年にあたる今年、

東京五輪だけでなく、

男女のメジャー大会など数多くの

ビックイベントが井上ゆかりのコースで開かれた。

そこにあるのは強烈な自己主張ではなく、

控えめな上品さと、

枯山水の庭園にも通じる自然に溶け込む美しさだ。

これが烏山城カントリークラブ本丸1番ホール!

だが、

いざ対峙すると攻略はままならず、

チャレンジ精神をくすぐる。

プレーをするたびに味わいを増す数々の傑作を生んだ名匠の人となりや

設計哲学とはいかなるものか。

 

 

地形を生かし 野性味醸す!

地形を生かし 野性味醸す!!

 

シーサイドの砂丘地帯に立地する大洗ゴルフ倶楽部=茨城県大洗町 は堂々たる風格をたたえている。

自然の地形を生かしたフェアウエーはうねり、大きなグリーンは一筋縄では攻略できない。

土地の砂を生かしたバンカーは18ホールで30程度と少なめながら、コースの難度は全国でも指折りだ。

戦前、所用で水戸に投宿した若き日の井上誠一は、暇つぶしを兼ねてローカル線に乗り込んだ。

大洗を過ぎた電車はいつしか、桃源郷に入ったかのようだ。

車窓からの景観に井上は息をのんだ。

「電車は夢の園へ入り込んだようです、左を見ても右を見ても、前も後ろもどこまでもどこまでも

穏やかな起伏のつらなるただ一面の砂原にそれぞれ特異の美しい姿を競いあっている大小さまざまな黒松群、

それは砂と松との極めて素朴なただ二つ素材が生み出す単調なデュエットに過ぎない筈なのに、

その醸し出す異様な雰囲気と興趣はとても言い表す術もない

感銘を与えるのでした」=大洗GC15周年会報への寄稿「此の径はいつかきた径」より

そこから十数年を経た1951年=昭和26年、井上は茨城県の

友末洋治知事にゴルフコース設計を依頼され、予定地の視察に赴く。

連れて行かれたのはなんと、昔のローカル線が走っていた「夢の園」だった。

一目ぼれした相手から予期せぬ恋文を受けとった驚きと喜びは想像に難くない。

惜しみなく情熱を注ぎ、名作ぞろいの井上作品の中でも白眉となる傑作が2年後に完成した。

大洗に所属して50年以上の加藤木利夫プロは

大洗の特徴といえば、なんといっても空中のハザート=障害物 でしょう」と言う。

海からの強風は上級者やプロをも悩ませる。

江戸時代から砂丘のために植えられてきた黒松は長年の強風にさらされて

シュールな彫刻作品のように傾き、フェアウエーやバンカー上空にせり出した枝は、

難度の高いショットをもとめてくる。

越せるのなら越えてみよう、と。

井上は「草書型のコース」をイメージして大洗を設計した節がある。

傾いた黒松が「空中ハザート」として立ちはだかるお大洗ゴルフ倶楽部!

講演の記録などによると、井上は日本のコースは型にはまり、

整備が行き届いた庭園のような、「楷書型」が多すぎると感じていた。

しかしゴルフは元来、スコットランドの海と陸をつなぐ荒涼の地「リンクス」で生まれたと伝わる。

開場当時の大洗は今以上にラフが深く、コースの各地に砂地が広がっていた。

どこか粗野で野性味を醸すたたずまいは、井上の意図と当時の面影を残す。

大洗と双璧をなす円熟期の傑作が58年に開場した「龍ヶ崎カントリー倶楽部」=茨城県龍ヶ崎市  だ。

地域振興の一環としてゴルフ場の建設を目指した龍ヶ崎の

荒井源太郎市長が友末知事から井上を紹介してもらい、コース設計を依頼した。

起伏に富んだ地形に井上は魅せられた。「用地の使用範囲がこちらに任されていた。

私としては=中略 好きなところを使っていい。

要らないところは省いてもよろしいと言われるほうが、どんなにいい仕事ができるかわからない。

ゴルフ場そのものの立地条件としては大体百点満点と言ってよく、

私も非常に惚れ込んだ」=龍ヶ崎CC会報2017年7月号より

もともとあった地溝や小山がアクセントになる9、10、11番ホールは、

天に祈る思いで打つ難所で「龍ヶ崎のアーメンコーナー」と呼ばれる。

中でも、パーを取るには松がそびえる

左の小山越が求められる10番は一つ間違えば大叩きの危険をはらむ。

バンカーや池を使わずとも自然の地形がそのままハザートを形成する好例だ。

龍ヶ崎は「2グリーンの傑作」としても知られる。

芝の種類が限られ、管理技術も進んでいなかった

当時は四季を通じて同じグリーンを使うのが難しかった。

多くのコースには暑さに強い日本の「高麗芝」のグリーンをメインにし、

寒さに強い「ベント芝」を補助的に使っていたが、竜ヶ崎では西洋流の

ベントグリーンをメインに据えた。

日本でもベントグリーンが主流になった現在に続く先駆けといえる。

欧米は基本的に1グリーンで、的当てゲームであるゴルフに的がふたつあるのは好ましくないと言う意見もある。

だが、井上はそうは考えなかった。

井上と親交が深く、龍ヶ崎のグリーキーパーも務めた設計家の大久保昌さんは

「ベントのワングリーンを理想としても、気候やゴルフ場の

経営を考えれば2グリーンが望ましいこともある。

グリーンごとに異なる戦略ルートを設定すれば、1つのホールで2度楽しめる」と語る。

2グリーンそれぞれに違う攻略ルートや難しさがある。

龍ヶ崎CCの理事の笠原康邦さんは10年ほど前、初めてプレーした

竜ヶ崎に感動し、その場でメンバーになることを決めた。

「記憶に残る特徴的なホールばかりで飽きません。

以前は4コースの会員権を持っていましたが、

竜ヶ崎にしか来なくなり、すべて売ってしまいました」と笑う。

井上による設計のクラブは相互に提携しており、各地の名コースでプレイできるのも魅力だ。

竜ヶ崎では若い会員も増えており、世代を超えても色あせない名匠の魅力を感じさせる。

 

 

これが烏山城CCです!


戦略性を移す「用の美」!!

 

ゴルフ作家の夏坂健は設計家というなりわいについて書いている。

「思えばコース設計とは途方もないスケールの仕事である。

何しろ大地をキャンバスに見立て、そこに繊細かつ

豪胆な線を描き、立体感を持たせて息吹を与えるのだ。

世にあまたの傑作があろうとも、これ

以上雄渾な仕事もないだろう」=「ゴルフを持って人を観ん」より。

1908年=明治41年、宮中侍医まで務めた眼科の名家に生まれた

井上誠一は数奇な運命に導かれ、コース設計家への道を進むことになった。

旧制・成蹊高在学中に難病を患った井上は学業を中断し、療養のため、静岡・川奈に滞在した。

ここでチャールズ・ヒュー・アリソンに出会う。

アゴの高い「アリソンバンカー」で知られる高名な英国のコース設計家だ。

30~31年にかけて来日したアリソンは東京ゴルフ倶楽部朝霧コース=現存せず、

廣野ゴルフ倶楽部、

川奈ホテルゴルフコース富士コースといった錚々たるコースを設計し、

今夏の東京五輪の舞台となった、

霞ヶ関カンツリー倶楽部や

関西にある茨木カンツリー倶楽部、

鳴尾ゴルフ倶楽部を改造するなど精力的に活動した。

川奈でアリソンの仕事を目の当たりにした井上は興味を覚え、

医者ではなく設計家の道を志す。

英語ができた井上は海外の設計理論書を渉猟=しょうりょう 

するとともに、霞ヶ関に入会し、仕事を通じてコースつくりの基礎を学ぶ。

アリソンの右腕として東コース改造の現場監督を務めた米国人ジョージ・ペングレースから

アリソンの設計哲学を吸収し、日本のゴルフ草創期を築いた

藤田鉄哉の助手として西コースの建設にも携わった。

結婚後は西コースの一隅に居を構えて住み込み、「保全部長」として

コースを管理しながら設計家としてキャリアを積んだ。

その設計哲学はどのようなものだったのか。

晩年の井上に師事した設計家の嶋村唯史さんは

良いコースの条件をたづねたことがある。

井上は「品のいいコースだね」と答えたという。

「井上さんの基本的な考えはシンプル・イズ・ベスト。

できる限り地形を生かして手を加えず、

自然の中に溶け込むコースを目指していた。

自分は黒子という職人気質でした」

愛知の南山カントリークラブ会報への寄稿に井上は、

「ゴルフ場建設について世間の風当たりが強い。

自然破壊というのが最大の理由だ。

そこで私の考えだが、そんな心配のあるところに

コースを作るのがそもそも間違っている。

仮に作ってま、まともなコースができるわけがない」と記す。

井上はキャリアを通じて約40のコースを設計した。

地形の制限やオーナーの意向もあり、全て納得していた訳ではないが、

ふくよかな女性のボディーラインをモチーフにした、

穏やかで優美な稜線やバンカーの縁取りは多くのコースに共通する。

これみよがしの奇抜さや派手さはなく、一見何の変哲もないが、

繰り返し、目にするうちに、じんわり染みてくる美しさだ。

自分が思い描く造形ラインを図面に落とし込めない建設業者には

目を閉じてミロのヴィーナス像を触らせ、その線を出すように論じたという。

特有の造形美コースの戦略性と切り離せない「用の美」でもある。

晩年の名作と評される静岡の葛城ゴルフクラブを拠点とし、井上の手による

東京よみうりカントリークラブのメジャーで3連覇した

実績もある藤田寛之プロは、「井上さんのコースではスコアが若干悪くなる。

特に丸みを帯びた美しいグリーン周りはプレーをすると傾斜が強くて手強い」と言う。

だが上級者しか楽しめないかといえば、そんなことはない。

葛城の名物ホール、山名コースの二番は飛ばし屋にリスクの高い

池越えのショートカットを要求する反面、池を迂回できる逃げ道も用意している。

「いろいろなレベルのプレーヤーが楽しめ、ミスショットをしても

挽回できるように配慮されています。

葛城ような晩年のコースには、バリバリだった

大洗や竜ヶ崎とは違う柔らかい雰囲気がある。

創作年代による作風の変化に着目して回るのも楽しいでしょう」=藤田プロ

日本写真芸術会会員の写真家、山田兼道さんは

井上の設計コースに日本文化の美を見る。

枯山水の庭園に通じる

わび・

さび、

浮世絵や博多人形を思わせる

曲線美、

遠景、

中景、

近景の絶妙なバランス――-。

芸術の域に達したコースに魅了された。

山田さんは数十年に渡って井上作品を撮り続けてきた。

「天国の井上さんが応援してくれたとしか思えない

数々のシャターチャンスに恵まれました。

ゴルフ場はこの上ない遊学の場でもある。

ラウンドを終えたらすぐに帰るのではなく、少し時間をとって、

夕暮れのコースを歩いてみてほしい」と話す。

優しい西日を受け、木々の影が伸びた黄昏のコースは美しい。

日中の喧騒が去り、

静謐=せいひつ 

な空気が流れるそこは

紛れもなく「夢の園」だ。 

 

吉野浩一郎  

三村幸作撮影 

日経新聞。

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。