手前がブルーモスクで奥に見えるのが、アヤソフィア!
エキゾチックなイスタンブール!黄金に輝くアヤソフィアも美しいが、トプカプ宮殿の小舎な佇まいが美しい・装飾タイルの美しさ!
私はかつてあるプロジェクトの参考物件を建主の方に見てもらう目的で、イスタンブールを訪れたことがあリました。
イスタンブールはボスポラス海峡を挟んで町並みが分かれていて、ヨーロッパとアジアの架け橋と言われていて、その街並みはエキゾチックな魅力で溢れている。
丘の上には大きなブルーモスクがあり、パステルブルーで彩られていて、あたり一面に存在感を放っています。
イスタンブールを象徴するモスクとなっています。
ブルーモスクと双璧な美しを放っているのが、黄金に輝くアヤソフィアです。

ブルーモスクと双璧な美しを放っているのが、黄金に輝くアヤソフィアです!
中央ドーム天井の美しさにはイスラム芸術の宝庫で、この上ない美があります。
これがイスタンブールを代表する二大巨塔!
また観光名所の一つでもある、グランドバザールは4000軒を超える小さな店が集まる、楽しい時間が過ごせる市場。
次から次えと欲しいものがあって異国情緒満載のバザールでした。
また私が一番惹かれたのは、トプカプ宮殿の小舎な佇まいが何とも美しいことでした!
この美しさに魅せられイスタンブールにハマったのです!
この宮殿はオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。
丘の上にあって三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置しています。
世界遺産に登録されている「イスタンブール歴史地区」を構成する代表的な建築物のひとつです。
トプカプ宮殿は二重の城門に囲まれていて一つは「皇帝の門」でもう一つが 第一の庭の奥にある「挨拶の門」です。

これが、トプカプ宮殿の 第一の庭の奥にある「挨拶の門」です!
第二の庭にある「幸福の門」は実に美しい!
そして庭の美しさには綺麗に刈り込まれた緑の樹木は、宮殿と緑のコントラストでこの上ないものがあります。
内部空間の美しさがトプカプ魅せられる第一の理由!空間の大きさがヒューマンスケールで、ブルーモスクの巨大さとは全く違う点です。
直に肌で感じられる美しい青の世界の装飾タイルに釘付けになりました!
ハレムの装飾タイルの美しさには惚れ惚れするほどでした。
各所にある装飾品の多さと、美しさには度肝を抜かれます。
豪華な財宝や、目が眩みそうな程に精緻なイスラム美術の装飾品に惚れ惚れ!
是非一度トプカプ宮殿を訪れてみて下さい。

丘の上で赤く輝く「アヤソフィア」!まさに絶景!
アヤソフィア・イスタンブールにあるモスク!博物館からモスクになった!!
アヤソフィアは、トルコ共和国のイスタンブールにあるモスク。
2020年7月までは博物館であった。
元々は東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)時代に首都コンスタンティノープルで
建てられたキリスト教正教会の大聖堂を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、
コンスタンティノープル総主教座の所在地であったが、1204年から1261年までは
ラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。
その後はオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落が起きた
1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりイスラム教
モスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となった。
トルコ共和国政府は1935年2月1日、世俗的な博物館とし、それが2020年7月まで続いた。
東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価される。
その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。
日本語では慣用的に「ハギア・ソフィア」と呼称されるが、
厳密にはトルコ語読みは「アヤソフャ」、古典ギリシア語読みは「ハギア・ソピアー」、
現代ギリシア語読みでは「アイア・ソフィア」に近い。
正教会では「アギア・ソフィア大聖堂」と呼ばれ、「ハギア・ソフィア大聖堂」と表記されることも多い。
[概説]
アヤソフィア、あるいはハギア・ソフィアと命名された教会堂建築は、ギリシアやトルコなど、
かつての東ローマ帝国(ビザンティン帝国、ビザンツ帝国)領内の各地に数多く残されているが、
単にアヤソフィアと言った場合、イスタンブールのアヤソフィアを指すことが一般的である。
元来の名称であるハギア・ソフィアはギリシア語で「聖なる叡智」を意味し、
その中世の発音「アヤ・ソフィア」がトルコ語名「アヤソフィア」の由来である。
教会は三位一体の第二にあたるロゴスに捧げられたもので、ロゴスが示すところの
イエス・キリストの受肉日である12月25日に献納された。
時に使われるSancta Sophia(聖ソフィア)の名は殉教者ソフィア(英語版)にちなんだと受け取られるが、
「sophia」はラテン語で「叡智」を意味し、ギリシア語表示の
Ναός τῆς Ἁγίας τοῦ Θεοῦ Σοφίαςは「神の聖なる叡智の神殿」を表している。
イエス・キリストを象徴する東に至聖所、西に正面玄関を持つ伝統的な平面構成だが、
身廊中央部に巨大なドームがあり、この点からビザンティン建築の典型とみなされる。

これがアヤソフィアの断面図!高く聳える中央ドームがよくわかります!

これがアヤソフィアの中央部の巨大ドーム!
創建当時は単純な四角形平面であったが、その後、東ローマ帝国、オスマン帝国の時代を通じて、
周囲に様々な施設が建て増しされた。
内壁は基本的にはオスマン帝国時代に塗られた漆喰仕上げ、大理石仕上げとなっているが、
一部が剥がされ、東ローマ帝国時代のモザイク壁画が再び表面に現れた。
イスラム教が偶像崇拝を禁じているため、2020年7月のモスク化後、
聖母子像や天使#キリスト教における天使の絵はカーテンで隠された。
アヤソフィアは「建築の歴史を変えた」とも評され、1520年にセビリア大聖堂が
完成するまでは世界最大の大聖堂の地位を1000年近く保っていた。
現在の建物は532年から537年にかけて東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の命によって建設されたもので、
この地に建てられた3代目の建物にあたり、以前の2代はいずれも暴動によって破壊された。
デザインはギリシアの物理学者ミレトスのイシドロスと、数学者トラレスのアンテミオスによってなされた。
1985年、「イスタンブール歴史地域」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された。
ウイキペディア。


トプカプ宮殿の青の装飾タイルが美しい内装と、対照的に重厚に聳えるドームの外観!
トプカプ宮殿!「帝王の門」と「挨拶の門」!!
トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。
イスタンブール旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。
トルコ語の発音(トルコ語発音: [ˈtopkapɯ saraˈjɯ])に忠実な日本語表記は「トプカプ宮殿」であるが、
日本語ではしばしば「トプカピ宮殿」と表記されることがある。
トプカプ宮殿と呼ばれるようになったのは19世紀の皇帝が去った後からで、
それ以前はベヤズットスクエア(英語版)に元々あった宮殿(旧宮殿)に対する「新宮殿」ということで、
新宮殿を意味する「イェニ・サライ」、帝国新宮殿を意味する「サライ・ジェディード」と呼ばれた。
また、イスタンブールに営まれた多くの宮殿のうちの正宮殿として「帝王の宮殿」(サライ・ヒュマーユーン)とも呼ばれた。
宮殿はよく保存修復され、現在は博物館として公開されているが、15世紀に建設されて
以来増改築を繰り返しており、現在見られる姿を保ちつづけているわけではない。
[構造]
宮殿の正門「帝王の門」(バーブ・ヒュマーユーン)
これがトプカプ宮殿の正門で「皇帝の門」です!
トプカプ宮殿は、大きな建物を持たず比較的小さな建物と部屋が連なり、
また数多くの庭園と離れ(キョシュク。キオスクの語源)を持つ建造物群である。
このことから、トルコ人の中央アジアの遊牧民的な伝統に基づいた宮殿である、と説明されることもある[要出典]。
宮殿のある丘は、古代ビュザンティオンのアクロポリスのあった場所にあたる。
宮殿の外壁はこの丘を大きく囲み、外壁内の総面積は約70万m2ほどの面積である。
宮殿の正門は、アヤソフィアの側にある「帝王の門」(バーブ・ヒュマーユーン)である。
「帝王の門」をくぐると、「第一の中庭」と呼ばれる空間があり、
オスマン帝国時代も現代も一般の人々が自由に出入りできる。
東ローマ帝国時代の遺構である聖イレーネ(アヤ・イリニ)教会は「第一の庭」の一角である。
「第一の中庭」の他の「帝王の門」内の空間は、君主の庭園や離宮が営まれており、
タンジマートの指針を宣言するギュルハネ勅令が発布されたギュルハネ庭園が残されている。
外壁内の宮殿敷地の内側にはある、第二の城壁で囲まれた縦横200m×400mほどの
長方形の空間が、君主の私邸であるトプカプ宮殿の本体部分である。
その内部は、行政と公式行事の行われる場である外廷(ビルン)と君主の私生活の場である
内廷(エンデルン)、そして女性たちの住む後宮(ハレム)の3つの部分からなる。

これがトプカプ宮殿の平面図で、ピンクの部分がハレムです!
[第一の庭]
「第一の庭」の奥にある「挨拶の門」(バービュッセーラム)が宮廷の入り口で、かつては
許された者しか入ることができず、現在はトプカプ宮殿博物館の入場口となっている。
[第二の庭]
「挨拶の門」の内側は「第二の庭」と呼ばれる、公式行事に使われた広場で、これを外廷の施設が取り巻く。
御前会議の開かれた「ドームの間」や国庫はその一角に位置する。
かつての国庫は、現在は武具展示室となっており、明治時代にイスタンブールに滞在した日本人、
山田寅次郎がアブデュルハミト2世に贈った日本製の甲冑が展示されている。
[第三の庭園]
「第二の庭」の正面奥には「幸福の門」(バービュッサーデ)とよばれる門があり、その奥にある

これがトプカプ宮殿の「幸福の門」で、一番美しい!
「謁見の間」(アルズ・オダス)と呼ばれる建造物を中心とする「第三の庭園」とそれを取り巻く施設群が内廷を構成する。
内廷には君主の私室(ハス・オダ)や、現在は有名な「トプカプの短剣」が展示されている宝物庫がある。
トプカプ宮殿の聖遺物(英語版)(アーサール :イスラム教の聖遺物)は質量ともに有名で、
特にイスラム帝国アッバース朝のカリフ権の象徴であった「ムハンマドのマント」と、
実際に戦争に使われたという「ムハンマドの軍旗」が知られる。
多くのスルタンは、戦場に赴く際には、このマントと軍旗を必ず身に着けていたという。
内廷では、数百人のイチ・オーランと呼ばれる君主の小姓たちが、私室や財宝庫などの管理役を勤め、君主に奉仕した。
小姓たちはここで幹部候補生として高度な教育を受けて、外廷の職や軍の将校などの要職につけられ、
また内廷で私室長や太刀持ち役などの皇帝側近の重職に出世すれば、地方総督職などを経て、
将来的には宰相にまで出世することが可能な制度が確立されていた。
小姓の供給源もイェニチェリと同じく、古くはデヴシルメによっており、カプクルのエリートコースであった。
他、図書館などがある。
後宮とスルタンの住居の見取り図
[後宮]
後宮(ハレム)の入り口は、外廷の「ドームの間」の側にある「車の門」と
内廷の皇帝の私室の脇にある「クシュハーネ門」があり、現代にハレムを見学する場合は、
前者からハレムに入る(ただし、この他に宮廷の外とハレムを直接繋ぐ通用門もある)。
ハレムは君主の母后、妃、子供たちと、それに仕える多くの女官や宦官が暮らしており、
後には帝位に就いていない皇族である君主の弟や甥たちが
暮らす「鳥かご」(カフェス)と呼ばれる部屋も設けられた。
ウイキペディア。

この美しいドーム天井の青の装飾タイルのデザインがトプカプ宮殿の美学!
イスタンブール建都とトプカプ宮殿の歴史!「宮殿」と言うより、憩いの場所「公園」のような雰囲気が漂う!!!
[【トルコ】栄華を極めたオスマン帝国スルタンの居城 世界遺産「トプカプ宮殿」]
「イスタンブール建都とトプカプ宮殿の歴史」
ヨーロッパでキリスト教の力が拡大していく中、キリスト教勢力に対抗する一大勢力として台頭したオスマン帝国。
1453年に東ローマ帝国を滅ぼしたスルタン・メフメット2世は、征服した首都コンスタンティノープルを
「イスタンブール」と改め、自らのオスマン帝国の都としました。
そして、現在のアヤソフィア博物館をはじめとする東ローマ帝国時代の重要な建築を
接収・改築しながら再整備されたイスタンブールの都には、続々とイスラム国家オスマン帝国の
宮殿や官庁が建ち並び、帝国最高位のモスクとなったアヤソフィアに隣接するその土地に、
トプカプ宮殿は建設されることになるのです。
1460年に着工し16年の歳月を要して完成したトプカプ宮殿は、1856年に宮廷が
ドルマバフチェ宮殿に移るまでのおよそ400年もの間、オスマン帝国スルタンの居城として栄え続けます。
「トプカプ宮殿の特徴」
トプカプ宮殿の最大の特徴は、敷地の大部分が緑に包まれた庭園になっていることです。
宮殿は4つの大きな中庭で構成されており、広々とした庭の周囲にはりつくように小部屋や離れの建物が建ち並んでいます。
そのため、宮殿の敷地に足を踏み入れると、そこは「宮殿」と言うより、憩いの場所「公園」のような雰囲気が漂います。
そして、その穏やかな雰囲気の庭園の木々の奥にひっそりと佇むのが、トプカプ宮殿の建物です。
外壁には装飾らしい装飾もなく、シンプル過ぎる印象を受ける宮殿の建造物は、絢爛豪華なヨーロッパの宮殿などとは全く異なります。

外壁には装飾らしい装飾もなく、シンプル過ぎる印象を受ける「トプカプ宮殿」!
あまりのシンプルさに、一見すると強大な権力を握り華やかな生活を送ったスルタンの居城とは信じ難いかもしれません。
しかし、自然と共生するかのようなシンプルさの理由は、オスマン帝国を造り上げた
スルタンたちが中央アジア出身の遊牧民だったことと、彼らの信条である
イスラム教が外観よりも内部の空間的構図を重視することが理由に挙げられます。
そのため、オスマン帝国の栄華を彷彿とさせるような調度品や財宝を見たいなら、ぜひ、宮殿の建物内部へと入ってみましょう。
「オスマン帝国の栄華の歴史とイスラム美術を堪能できる宮殿内部」
第2庭園(政庁の広場)に入り、まず最初に目に入ってくるのが、絢爛豪華な入口が目を引く「政庁」です。
内部には、会議の間、宰相の執務室、客間などが続き、オスマン帝国の行政の中心らしい威厳と風格が漂います。
「政庁」の一角にある小さな入口を入ると、別料金で入場可能な「ハレム」があります。
後宮の女性たちが暮らした「トルコ版大奥」とも言えるハレムには、スルタンの寵愛を競い合った
女性たちの悲哀をも慰めたであろう、美しいタイル装飾で溢れた空間が広がっています。

美しいタイル装飾で溢れた空間が広がっています!
スルタンの妻をはじめ女性たちが暮らしたハレムは、小部屋が迷路のように入り組んだ複雑な構造をしています。
壁一面は鮮やかなブルーのタイル装飾がなされており、まさにイスラム芸術の真骨頂とも言える美しさが堪能できます。
しかし、エキゾチックでありながらどこか儚げな美しさで彩られたハレム内部を見ていると、入ったら最後、
死ぬまでこの場所から出られなかったという当時の女性たちの姿が思い浮かび、
その悲しい物語に少々複雑な気持ちも胸に広がることでしょう。
後宮の女性たちだけではなく、スルタン本人のプライベート空間でもあったハレムには、スルタンの玉座の間や風呂場あります。
壁から天井まで続くアラベスク文様は見る者を圧倒し、大理石のバスルームは大帝国の君主の生活ぶりを垣間見せてくれるようです。
また、トプカプ宮殿の最大の見どころが「宝物館」です。
オスマン帝国のスルタンたちがコレクションした財宝の数々を展示している宝物館には、
「スプーン職人のダイヤモンド」と呼ばれる86カラットのダイヤや3つの巨大なエメラルドが輝く
「トプカプの短刀」など、感嘆のため息ばかりが出てくるようなお宝が並んでいます。
いかがでしたか?
スルタンたちの豪華な財宝や、目が眩みそうな程に精緻なイスラム美術の装飾品など、
トプカプ宮殿には往時のオスマン帝国の繁栄を今に伝える物で溢れています。
オスマン帝国の歴史や偉大さを肌で感じたければ、イスタンブールの
象徴でもあるこのトプカプ宮殿へ、ぜひ足を運んでみてくださいね。
Traver Book より。

トプカプ宮殿のこの空間は、素敵なデザインです!
イスタンブールは海峡に挟まれたエキゾチックな街!青の世界の装飾タイルに釘付け!!
今日のまとめ。
イスタンブールはボスポラス海峡を挟んで町並みが分かれていて、丘の上にあって三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘の上の美しい街。
ヨーロッパとアジアの架け橋と言われていて、その街並みはエキゾチックな魅力で溢れている。
丘の上には大きなブルーモスクがあり、パステルブルーで彩られていて、あたり一面に存在感を放っています。
イスタンブールを象徴するモスクとなっています。

これがブルーモスクで、パステルブルーで彩られていて、あたり一面に存在感を放っています!
ブルーモスクと双璧な美しを放っているのが、黄金に輝くアヤソフィアです。
中央ドーム天井の美しさにはイスラム芸術の宝庫で、この上ない美があります。
これがイスタンブールを代表する二大巨塔!
また私が一番惹かれたのは、トプカプ宮殿の小舎な佇まいが何とも美しいことでした!
この美しさに魅せられイスタンブールにハマったのです!
この宮殿はオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。
内部空間の美しさがトプカプに魅せられる第一の理由!
空間の大きさがヒューマンスケールで、ブルーモスクの巨大さとは全く違う点です。
直に肌で感じられる美しい青の世界の装飾タイルに釘付けになりました!

これがトプカプ宮殿で青の世界の装飾タイルが実に美しい!
ハレムの装飾タイルの美しさには惚れ惚れするものがあります。
是非一度トプカプ宮殿を訪れてみて下さい。
2016年8月23日に「エキゾチックなイスタンブール!」を投稿していますが全く新しく書き直しました!
コメントを残す