まちづくりの歴史を投影!くらし探検隊!環7、環8――-。道路に詳しくない記者でもこの二つの環状道路は知っている!

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まちづくりの歴史を投影!くらし探検隊!環7、環8――-。道路に詳しくない記者でもこの二つの環状道路は知っている!

まちづくりの歴史を投影!くらし探検隊!環7、環8――-。道路に詳しくない記者でもこの二つの環状道路は知っている!

 

環7、環8――-。道路に詳しくない記者でもこの二つの環状道路は知っている。

では1~6号線はどこにあるのか。

環状道路について調べると、東京のまちづくりの歴史が見えてきた。

 

 


東京の環状道路、1号線はどこ?!

東京の環状道路、1号線はどこ?!!

 

都内の主要道路には番号だけでない「~通り」のような名前がついていることも多い。

環状1号線から6号線はどの通りを指すのだろうか。

東京の環状道路は皇居に近いほど数字が若く、

1号線は皇居を取り囲むに走る内堀通りと日比谷通りの一部で構成されている。

2号線は虎ノ門や四谷などを結ぶ外堀通り、3号線が飯倉や六本木などを通る外苑東通り。

4号線は上野や小石川を結ぶ不忍通りの一部や白金台の有名なプラチナ通り(外苑西通り)などを含む。

5号線と6号線はそれぞれ明治通り、山手通りを指す。

実は1号線以外は完全な環状(ループ)になっていないのだが、

環状道路には都心に集中しがちな交通を分散し、混雑を防ぐ効果がある。

環状道路には都心に集中しがちな交通を分散し、混雑を防ぐ効果がある!

都心を中心にした放射状の道路しかないと、

円周方向に移動したい場合でも、いったん都心を通らなければならない。

移動距離が長くなるだけでなく、渋滞を招く。

東京の環状道路の計画の歴史は古い。

東京都によると、現在の整備計画が決定されたのは1946年3月26日。

ただ、環状1号線~環状8号線の計画そのものは戦前から存在していた。

環状1号線~環状8号線の計画そのものは戦前から存在していた!

23年に関東大震災が発生。

復興計画を導いたのが震災の翌日に内務大臣に就任した後藤新平だ。

震災以前から練り続けていた都市計画を震災復興を機に進めた。

都市計画研究の第一人者、越沢明氏の「東京都市計画物語」によると、

復興計画でまず環状5号が新たに計画された。

その後、27年に幹線道路として6号線、

7号線、

8号線の3本の計画を告知。

1号線から4号線までは既存の道路をつなぎ合われるなどして計画されたという。

後藤・安田記念年研究所(東京・千代田)にある市政専門図書館には26年に

当時の復興計画が製作した「大東京都市計画道路網図」が保管されている。

細かい文字で当時計画されていた道路網がびっしりと書き込まれており、

今日も使えわれている主要な道路インフラを

当時の人々が既に考えていたことに驚く。

大震災の復興計画で一時中断。

その後の震災復興で再び計画が日の目を見るが、

整備が一気に進んだのは64年の東京オリンピックが契機だ。

たとえば環7は東京五輪の

重要インフラとして作られた「オリンピック道路」でもある。


「オリンピック道路」でもある!

2021年開催の東京五輪・パラリンピックでは、

晴海に建設された選手村と五輪会場を結ぶインフラとして環状2号線が注目を集めた。

2号線の中でも「マッカサー道路」という異名で有名なのが虎ノ門ー新橋間だ。


2号線の中でも「マッカサー道路」という異名で有名なのが虎ノ門ー新橋間だ!

この区間は戦災復興で計画された後、用地の買収が進まず、事業化が行き止まっていた。

2度目の五輪が追い風となり、ついに14年に開通。新虎ノ門通と名付けられた。

一方、同区間の地下を通る「築地虎ノ門トンネル」は

築地市場の豊洲移転問題によって工事に遅れが発生。

五輪開催前に完成予定だったが、22年度末まで延長された。

環状道路は東京の都市計画の肝であったにもかかわらず、

2号線地下トンネル以外にも計画が実現しない区間が残っている。

地図を見れば一目悵然だが、青写真を描いてから

1世紀たった今でも完成率は70%にとどまる。

「未完成」には計画がめざす企画通りになっていない場合も含まれる

東京都発行の「東京の都市作りのあゆみ」によれば、

7号線は1985年に、

8号線は2006年に開通したものの、

計画よりも道幅がせまい「概成」と呼ばれる区間が残る。

新型コロナ渦が起きるまで地方の人口を吸収し、膨張し続けてきた東京。

今後「環状9号線」という道路が生まれる可能性はあるのか。

現在、都内の環状道路は都が管理する。

8号線の外側の環状道路を管理するとなると、

埼玉県や神奈川県にまたがる道路となるため、他県との連携が必要だ。

複数の都道府県を通る道路の建設は国の管轄となる。

都の事業としての「東京都市計画道路幹線街路環状第9号線」が

生まれる「可能性はない」(東京都の都市整備教区の担当者)とのことだが、

生活者としては番号がついている方が位置関係などをつかみやすい。

環8の外側には16号線など、既に環状道路なども整備日されている。

通称としてだけでも「環9」という道路の

誕生を期待するのは夢物語なのだろうか。

 

 

整備途中で放棄された「跡」も!

整備途中で放棄された「跡」も!!

 

都内には途中で放棄された環状道路の計画後が残る場所もある。

小石川植物園にも近く、春日通りと千川通りを結ぶ播磨坂=はりま がそれだ。

播磨坂は長さ約500mのなだらかな坂道で、道の中央に設けられた

緑地帯は近くの住民たちの定番のお散歩コース。


よく見ると、道路脇に掲げられた標識に「環三通り桜並木」とある!

よく見ると、道路脇に掲げられた標識に「環三通り桜並木」とある。

実は播磨坂は環状3号線の一部として計画された。

ところが坂の完成後、両端につながるはずだった

3号線は用地確保の見通しが立たず、計画が頓挫。

地図上でポツンと播磨坂だけが残った。

付近は静かでゆったりとした空気に満ち、車通りも少ない。

春には美しい桜のトンネルを楽しめる。   

(黒沢亜美)

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。