こうとは決めず・道開く!世界、日本を旅してきた・料理研究家・コウケンテツさん!

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こうとは決めず・道開く!料理研究家・コウケンテツさん!

こうとは決めず・道開く!世界、日本を旅してきた・料理研究家・コウケンテツさん!

 

世界、日本を旅してきた料理研究家、

コウケンテツさんは「和洋中と手作りで食卓にのぼる日本の家庭料理はハイスペック」という。

家族のあり方が変わりつつある今、

食への向き合い方を見つめ直す大切さを解く言葉が、

多くの女性を力づけている。

 

 

ユーチューバで大人気のコウケンテツさん!


定番調味料だけで・見てすぐ作れるレシピ!!

 

新型コロナウイルスの影響が広がり始めた3月、数多くの料理番組や著作を持つコウさんがユーチューバーデビューした。

毎日の料理がしんどい。

なんとかして!」。

近所のママ友、全国の女性からの声に立ち上がった。

自身も共働き中で3人の育児中。

日々の食事作りがきつい時もあり、気持ちがよくわかった。

唐揚げ、ブルコギ焼きそば、チキンソテー――-。

誰もが無理なくできる手順をほぼカットせずに10分ほどにまとめる。

使うのは砂糖、醤油、塩など定番の調味料。

トマトやレタスを添えて「彩豊かな一皿」に仕上げたりしない。

余裕がない時はコンビニの惣菜や冷凍食品も活用すればいいと考える。

ライフスタイルも魅了する料理家が人気の時代。

コウさんもその一人だが、ユーチューバーとしては「見てすぐつくれる」に徹する。

2ヶ月で登録者数が10万人を突破、今は48万人を超えた。

副菜を簡単3分で・ユーチューブ!

反響の大きさに驚くと同時に、猛省している。

これまで「簡単に手に入る」とハーブやバルサミコ酢などを頻繁に登場させてきたことが、どれだけハードルを上げてきたか。

「僕という研究家は家庭のレシピを紹介するタイプ。

僕の料理がいかに素敵か、レベルが高いかは全く関係ない。

手軽においしくつくれる実感を持ってもらって初めて成り立つと気づかされた」

レシピに個性を出そうとするあまり、自分らしさが届いていなかった。

「僕って自分の意図していないところで手を差し伸べていただいて、道が開いてきた。

100%受け身の人生」。

それこそコウさんの親しみやすさ、共感力、柔軟性の現れかもしれない。

30才過ぎまで大阪市内の下町で過ごした。

工場を営む韓国出身の両親を持つ4人兄弟の末っ子。

皆が台所に立ち、食をとても大事にする一家だった。

来日当初日本語が得意でなかった母は毎日、近所の人を代わる代わる夕食に招いた。

「こんなご飯を食べている文化の人間ですって伝えたほうが早いって」。

食卓を一緒に囲めばどんな人でも仲良くなれると学んだ、原体験だ。

スポーツ万能で、小学校で野球チーム、中学でバスケットボール部に入り、いずれも1年ほどで辞めた。

最下級生はプレーの練習ができない状況が不満だった。

上位下逹、「~べき」という修行道のような体質は苦手。

だから学校域外にあるテニスに出会うと、すぐプロになると決めた。

「自分の腕で何か起こしたい気持ちがあった」。

トップ選手も育てた米国人コーチの指導は自由で、水を飲むタイミングは本人次第。

怒鳴らず「お前の120%がみたい」と鼓舞する。高校も辞め、通い詰めた。

「でも情熱と才能って比例しないですね。

コーチが『ね地位人の10倍だが、プロはノーフューチャー。

他の道を考えたほうがいい』って」

その程度では辞めなかったが、腰が悲鳴をあげた。

2年後完治した頃には20歳を超え、阪神大震災も起きた。

コウ家も総出で働くしかなかった。

 

 

お勧め料理は「和豚=わとん」!


バイト明け暮れた20代!母を手伝い料理の道へ!

 

夜は飲食店、日中は日雇い派遣で建築現場から携帯電話の組み立てなど50種以上の職種は経験した。

「フリーターのはしり。

20代は労働の記憶しかない」。

家が少し落ち着くと、母が「料理研究家になる」と宣言してなった。

アルバイト経験豊富なコウさんは力仕事はもちろん、皿洗い計量の手際もよかった。

休日に母を手伝っていたら、「男がシェフでなく、家庭料理を作る環境でないといけない」と料理雑誌から連載を頼まれた。

打ち合わせはテニスのラリーのようで、雑誌に自分の料理が載るのはエキサイティングだった。

「バイトに明け暮れた僕ですよ。

今でいう承認欲求ですね」。

この仕事を通じて出会った後に妻となる女性に言われた「この業界でやるなら東京に出たほうがいい。

住むところは用意する」。

パッと視界が開けたと感じた瞬間だった。

31歳、所持金5万円で上京。

男性料理家はまだ希少、「男が喜ぶ手料理」から韓流ブームまで、仕事は可能な限り受けるうち、

テレビのレギュラーでなお知られるようになり、アジアの食紀行でブレークした。

「普通だからよかったか。食の探究心はあるけれどオーバーアクションしないし、誰とでも仲良くなれるからか」。

順調な料理研究家キャリアの理由を本人は説明できない。

申し訳なさそうに「いつも受け身で――」と繰り返すが、だからこそ人が見過ごしがちなものに気づけ、そういえる明るさに人は心を開く。

海外の旅はほぼホームステイ。

欧州は食に保守的で、平日は買ってきたものを並べるだけの家も多い印象だった。

家庭に食育、キャラ弁まで求める日本の大変さを痛感した。

一方、アジアでは「日本の女性は就学率がすごく高いのに、結婚したらキャリアを諦めなないといけないんでしょう」と突っ込まれた。

家庭の食事作りに幸せを求める生活もあると言うと、「それはいいけど彼女たちの能力がもっと社会で求められるかもしれない」。

言葉に窮して気づいた。

「日本は『食卓はこうあるべし』と言う概念、基本的に女性がやるものというのがまだ根強いんですよね」。

働く女性が増え社会構造が変わっても、何かと世間と比較してしまいがちな日本人。

価値観を変えられず、日本全体を窮屈にしているのかもしれない。

ユーチューブには男性の反応も多く!

変化は感じている、ユーチューブには男性の反応も多く、パパ友には「妻任せだったけれど、

毎日見て作ったら褒められるし、片付けの大変さもわかった」と言われ、うれしくなった。

コロナ渦で人と接する機会が少なくなった。

「他人と比べず、それぞれが『これでいいか』と思う価値観を築ける環境だと思う」。

それができれば力が抜け、楽になるはず。

そう願いつつ、コウさんは今日もキッチンに立つ。

日経新聞 原貴子  鈴木健撮影。

 

ではこれに関する記事を検索してみます。

 

 

韓国料理はもちろん、和食、中華、エスニックなど幅広いジャンルの家庭料理を得意!

韓国料理はもちろん、和食、中華、エスニックなど幅広いジャンルの家庭料理を得意!!!

 

[コウケンテツさん(料理研究家)の「仕事とは?」]    

こうけんてつ・1974年大阪府生まれ。

料理研究家の母・李映林に約3年間師事し、2006年に独立。

韓国料理はもちろん、和食、中華、エスニックなど幅広いジャンルの家庭料理を得意とし、旬の素材を生かした簡単でヘルシーなメニューを提案。

一男一女の父でもあり、自身の経験をもとに、親子の食育、男性の家事・育児参加、食を通してのコミュニケーションを広げる活動に力を入れている。

テレビや雑誌、講演会など多方面で活躍し、『情報満載ライブショー モーニングバード』(テレビ朝日)にレギュラー出演中。

レポーターを務める食紀行番組『コウケンテツが行く アジア旅ごはん』(NHK BS1)も好評。

[テニスのプロを目指したが、病気で断念。20代はバイトに明け暮れた]   

15歳で始めたテニスに夢中になり、当時はテニスで食べていくことしか考えていませんでした。

スポーツが得意で、たいていのものはすぐできたのに、テニスだけは歯が立たず、難しいからこそ極めたいと思ったんです。

そこで、神戸にある名門テニスクラブに通い始めましたが、入れてもらえたのは小学生のクラス。

強くなるには生活すべてをプロのテニス選手と同じにしなければ間に合わないと考え、高校も中退しました。

もちろん周囲は猛反対でした。

15歳からテニスのプロを目指すなんて無謀なことですし、僕は在日韓国人2世です。

「学歴のない在日韓国人が日本で就職するのは、大変なこと。

とにかく大学には進学してほしい」というのが両親の願い。

中学時代にお世話になった先生まで来てくださって思いとどまるよう説得されました。

でも、僕の気持ちは変わりませんでした。

練習に打ち込み、規則正しい生活をして、「高校が嫌いでやめるのではなく、本気でテニスのプロになりたい」

ということを伝え続け、最後にはみんなが応援してくれるようになりました。

高校をやめてからは、まさにテニス一色の生活でした。

ところが、ジュニアチームを卒業する時にコーチから、

「お前の努力と熱意が人の10倍、20倍あるのは認めるが、プロのテニス選手になるのはあきらめろ」と言われました。

それでもあきらめきれなくて、コーチとして指導をしながらプロを目指す道に進もうとしたのですが、

無理な練習がたたり、19歳の時に重度のヘルニアになってしまって。

2年間ほど寝たきりで、テニスはやめざるを得なくなってしまいました。

テニスを断念したら大学に行くと両親に約束していたので、大検(現・高等学校卒業程度認定試験)も取得していたのですが、

闘病中に自分を支えてくれた家族に恩返ししたいという思いもあり、大学には行かず、働くことに。

とにかく生活費を稼がなければと、体が回復してからはアルバイトに明け暮れました。

早朝勤務や深夜勤務と日中の仕事を掛け持ちして、多いときは1日20時間労働。

正社員としてはなかなか就職できず、イタリアンレストランやパン屋さん、

コンビニエンスストアの販売スタッフ、警備員など数えきれないほどの仕事を転々としました。

そんな日々が20代後半まで続いたのですが、少し家計が落ち着いてきて、

母が「かねてからの夢をかなえたい」と料理研究家になったんですね。

母の仕事が忙しくなり、僕も休みの日に手伝いをするようになったんです。

料理雑誌の撮影現場に立ち会ううちに、東京の出版社から

大阪の母のスタジオまで来てくださる編集者の方たちとお話をするようになって。

マネージャーと結婚!

そのひとりに「男の料理をテーマに連載をやってみませんか」

と声をかけていただいたことが、料理研究家への道につながりました。

正直なところ、最初に連載の仕事を頂いた時に、「料理研究家として食べていこう」

という強い意識があったわけではありません。

でも、いざ始めてみると、仕事が面白くてたまりませんでした。

それまで生活のためだけに無機質に働く時期が長かったので、打ち合わせで人と話すだけでも楽しくて。

それに、料理研究家の仕事にはテニスに通じるものがあると感じました。

料理研究家として自分の料理を雑誌に発表するには、相手が求めているものが何かを探り、

そこに自分にしかできないエッセンスを加えてレシピを提案する必要があります。

テニスでも最初の5分くらいは軽くボールを打ち合って、相手の特徴を分析し、戦略を立てて攻める。

相手のことを知りながら、求められている以上のものを返し、

それが雑誌に掲載されて形として残るというのは、僕にとってテニス以上にエキサイティングでした。

テニスを始めたころ、少しでも早く強くなるには食生活もプロと同じように

コントロールしなければと栄養学を学び、毎日自分でお弁当を作っていたことも期せずして役立ちました。

テニスでの挫折は、今でこそ過去の経験として皆さんにお話しできますが、

当時は悔しかったし、周囲の視線も気になって恥ずかしくてたまりませんでした。

でも、死にもの狂いでテニスに打ち込んだあの時期がなかったら、

僕は料理研究家としてやっていくこともできなかったでしょう。

皆さんもこの先、希望する仕事に就けないということもあるかもしれません。

それでも、投げやりな気持ちにならず、目の前のことに全力を尽くすことが大事だと思います。

一生懸命やったことは回り回って、より大きなものになって返ってきます。

[プライドは持たない方が、軽やかに物事に挑戦できる]    

料理研究家の面白いところは、家庭料理の力を伝えられるところ。

一流のレストランで技術を追求して作った料理も素晴らしいけれど、身近な人たちの顔を思い浮かべながら

作られた家庭料理には技術だけで説明できない魅力があります。

友達の家に遊びに行ったときに夕飯時になり、「ご飯ができたから、食べて行きなさい」

と出してくれた何てことのないカレーが無性においしかったりしますよね。

それは、やはり気持ちがこもっているからだと思うんです。

「手軽で簡単なメニューを考えてください」とお願いされることもよくあり、

料理研究家として活動を始めたころは悩みました。

忙しい毎日の中で料理を続けるには手軽で簡単なメニューも便利だけど、

僕が子どものころに「本当においしい」と思った家庭料理とはどこかが違うなと。

その時に「おいしい家庭料理とは何なんだろう」と自分の料理の味のルーツを掘り下げるようになり、

食の歴史、各地に昔から残る郷土料理の良さといったものへの関心も深まって、

どんなレシピを考える際もそこは大切にするようになりました。

そのあたりから僕にしかできない独自性みたいなものが生まれ、

皆さんからも「いい料理を作るね」と言っていただけるようになった気がします。

「ガッツリ男子ごはん」「時短おかず」といった当初よく依頼を頂いていたテーマだけでなく、

韓国ご飯は元気が出る出る!

日本や韓国だけでなく、世界の家庭料理のレシピを紹介する本を出したり、

テレビの食紀行番組のレポーター、食や育児の講演会のお話を頂いたりと仕事が広がっていきました。

僕が料理研究家になるとは学生時代は想像もしていませんでした。

テニスのように強烈な思いを持って志したわけではないのに、

声をかけてもらってありがたくお受けしているうちに、何とかこの世界で食べていけるようになって…。

料理の仕事に関しては、何のプランもなかったのに不思議なものですね。

皆さんに手を差し伸べられて、拾い上げてもらった感じなんです。

今日ももっともらしくお話ししましたが、結構後付けなんですよ(笑)。

でも、仕事って、そのくらい肩の力を抜いて臨んだ方がうまくいくこともある。

料理研究家というと、職人気質というか、料理に対する強いプライドがあると

想像されがちですが、僕はプライドというのはない方がいいと思うんです。

僕の唯一の長所は、どんな相手の話もちゃんと聞くようにしていること。

アシスタントにもよく「もっとちゃんとしてくれないと困ります」と

説教されるのですが、人に言われて気づけることって多いんですよ。

だから、僕は家庭でも仕事でもプライドは持たないことにしています。

すると、何でも軽やかにできるんです。気負うところがなくて、緊張もしなくなる。

テニスのプロを目指していたころは、とてもそうはいかなかったですよ。

周りがまったく見えず、コーチからアドバイスをされても

「僕はこういうプレーがしたいので、放っておいてください」と主張するばかりでした。

当時は一生懸命でしたが、かたくな過ぎると、周りもどう手を差し伸べていいのかわからない。

いつまでも新しいことに挑戦したいから、どんな現場にもひょいと行ける軽やかさは持っておきたいなと思いますね。

[INFORMATION]    

『コウ ケンテツが選ぶ 食のハングル 単語&フレーズ集』(NHK出版/税抜き1000円)では、

本場の韓国料理を楽しむためのハングル単語とフレーズを学べる。

150品以上の韓国料理が写真つきで掲載されているほか、「食堂で食べるとき」

「市場で食材を買うとき」といったシチュエーション別にフレーズを紹介。

コウさんオリジナルの韓国料理レシピつき、食のハングル!

コウさんオリジナルの韓国料理レシピつき。   

就職ジャーナル より。

 

 

私はコウケンテツさんの人柄が好き!人間性に好感が持てる!

私はコウケンテツさんの人柄が好き!人間性に好感が持てる!

 

今日のまとめ。  

世界、日本を旅してきた料理研究家、コウケンテツさんは「和洋中と手作りで食卓にのぼる日本の家庭料理はハイスペック」という。

家族のあり方が変わりつつある今、食への向き合い方を見つめ直す大切さを解く言葉が、多くの女性を力づけている。

唐揚げ、ブルコギ焼きそば、チキンソテー――-。

定番調味料だけで・見てすぐ作れるレシピ!

誰もが無理なくできる手順をほぼカットせずに10分ほどにまとめる。

使うのは砂糖、醤油、塩など定番の調味料。トマトやレタスを添えて「彩豊かな一皿」に仕上げたりしない。

余裕がない時はコンビニの惣菜や冷凍食品も活用すればいいと考える。バイト明け暮れた20代!

母を手伝い料理の道へ! 

男性料理家はまだ希少、「男が喜ぶ手料理」から韓流ブームまで、仕事は可能な限り受けるうち、

テレビのレギュラーでなお知られるようになり、アジアの食紀行でブレークした。

順調な料理研究家キャリアの理由を本人は説明できない。

申し訳なさそうに「いつも受け身で――」と繰り返すが、だからこそ人が見過ごしがちなものに気づけ、そういえる明るさに人は心を開く。

「日本は『食卓はこうあるべし』と言う概念、基本的に女性がやるものというのがまだ根強いんですよね」。

働く女性が増え社会構造が変わっても、何かと世間と比較してしまいがちな日本人。

価値観を変えられず、日本全体を窮屈にしているのかもしれない。

コロナ渦で人と接する機会が少なくなった。

「他人と比べず、それぞれが『これでいいか』と思う価値観を築ける環境だと思う」。

それができれば力が抜け、楽になるはず。

そう願いつつ、コウさんは今日もキッチンに立つ。

そう願いつつ、コウさんは今日もキッチンに立つ!

私はコウケンテツさんの人柄が好きで、こうさんの料理番組はよく見てきました。

コウさんは誰にでも優しく接してくれて、それで好感度があがる。

料理には、レシピには、人一倍詳しいがそれをお首にも出さない、人間性に好感が持てるのです。

こうさんの旅番組が好きでよく見ていましたので、記事にしました! 

ユーチューバーで人気があるのも、このあたりが影響しているのでしょう! 

これからもコウさんのテレビ出演を楽しみにしています!!

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ABOUTこの記事をかいた人

私はかなり高齢な建築家です。出身は伊豆の湯ヶ島で多くの自然に触れて育ちました。少年時代の思い出も記事になっています。趣味が多くカテゴリーは多義に渡ります。今は鮎の友釣りにハマっています。自然が好きで自然の中に居るのが、見るのが好きです。ですので樹木は特に好きで、樹木の話が多く出てきます。 電子書籍作りも勉強して、何とか発売できるまでになりました。残り少ない人生をどう生きるかが、大事です。